消え去りつつある日本の菓子作り芸術、飴細工。その世界においては、苦痛は喜びであり、喜びはまた苦痛でもある

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPH BY FRANÇOIS COQUEREL, STYLED BY THERESA RIVERA, TRANSLATED BY NHK GLOBAL MEDIA SERVICE

 まず、指先が焼ける。何世紀にもわたって継承されてきた日本の菓子作りの芸術「飴細工」を学ぶ者は、美の代償としてこれを受け入れなければならない。摂氏80℃に熱せられ、溶けたシロップを素手ですくい上げる。悲鳴をあげているひまなどない。肌に触れた瞬間からわずか5分ほどのあいだに、熱い飴の玉を引っ張り、つまみ、棒に刺し、パンダやツル、カブトムシなどの姿に成形しなければならない。使うのは焼け焦げた指先と、固まりつつあるシロップにすばやく切り込みはさみを入れる小さな鋏だけだ。

画像: 手塚新理による飴細工。(左から)金魚(ピンポンパールスケール)、サバ、 金魚(イエローコメット)、 タコ、イカ、金魚(オレンジコメット)。プラスチック製の彫刻(中央)はレイチェル・ゴールドスミス作

手塚新理による飴細工。(左から)金魚(ピンポンパールスケール)、サバ、 金魚(イエローコメット)、 タコ、イカ、金魚(オレンジコメット)。プラスチック製の彫刻(中央)はレイチェル・ゴールドスミス作

「水飴」と呼ばれるシロップは、伝統的にもち米を麦芽で糖化して作られる。水飴をせんべいに挟んだものや、あんずにつややかな水飴をかけたものは屋台でよく売られている。日本の昔の家庭では、子どもたちは水飴の入った瓶に箸を入れてくるくる回し、甘い飴のかたまりを引っ張り出してなめた。飴細工を作る際には、水飴に食用着色料をもみ込み、細い筆で、たとえば金魚の目のまわりに緑がかった金色の光の輪といったものを描き込む。

飴細工師の作品は、作り手によって、マジパンでできたマンガのような丸みを帯びた輪郭のものもあれば、吹きガラスのような硬質な輝きをもったものもある。飴が固まっていることを確かめるために最後に刃物でたたくと、ガラスを合わせて乾杯したような凜とした音が鳴る。これは一種の演劇であり、飴細工作りのパフォーマンスと作品とは切っても切れない関係にある。作品自体は、菓子であると同時に玩具としても楽しまれる。

 飴細工は、18世紀に広まったときから一般大衆のものだ。実演者は飴を細工する合間に滑稽な話や手品を披露することも多い。伝統的な手法では、飴は炭で温められる。かつてはストローなどの管の端に飴をつけ、これを吹いて飴をふくらませ造形していたが、1970年に政府は衛生上の理由からこれを禁止。飴細工師の数は徐々に減少していき、2008年に吉原孝洋が最初の飴細工専門店「あめ細工 吉原」を東京にオープンしたときの推定では、飴細工のアーティストは全国で30人ほどしか残っていなかった。

 これは意外なことに思える。というのも、カワイイものを愛する日本人の心に訴える何かが飴細工にはあるからだ。カワイイものへの日本人の執着は、1960年代の反戦学生運動の失敗に対する反動だとする意見もある。その後の高度経済成長期において、愛らしさと哀れさの両方をもつと定義される“カワイイ”ものーーすなわち、より大きな力に対して無力であるがゆえに愛すべきものたちは、変化への期待を打ち砕かれた人々をなぐさめ、その失望感をまぎらす大量消費へと関心を向けさせる効果があった。それはまた、厳格な日本社会に対する抵抗であり、みじめな大人の仲間入りをせずに純真な心をもち続けるという選択でもあった。

そう考えると、飴細工というものは、カワイイものがもつ感傷的な魅力と、“もののあはれ”という日本人の理念の結びつきを表しているように思える。“もののあはれ”とは、ものが感じさせる悲しみであり、ものがもつ、人々の感情移入を目覚めさせる力によって生じる感情である。

 だが伝統的な茶会で供される和菓子ーー複雑な味わいや質感をもち、俳句のような名前のついた日もちのしない食べものーーとは違って、この飴細工という棒つきキャンディは、ものの無常を表現することを意図しているわけではない。そこにはなんの謎もない。重要な部分はすべて飴細工を作る過程にあり、その喜びの大部分は、これまた日本人の得意分野である“匠の技”を見ることにある。

つまり、手先の器用さや、形のないものから形を引き出す技、時間との競争といったものだ。職人が苦痛を感じる危険性も、その達成感を大きく見せる。毒性のある樹液を扱う日本の漆工芸とある種同じだ。繰り返し触れることによって、職人たちはこうしたものへの免疫をつけていく。

 大道芸としての飴細工は死に絶えつつあるが、飴細工師のパフォーマンスはソーシャルメディアで人気を集め、国外でも注目されている。最も高い評価を得ているのは「浅草 飴細工アメシン」代表である29歳の手塚新理(しんり)。彼は現在、東京で二つの店舗を経営し、かわいらしさを捨ててリアリズムを追求している。

彼の手で繊細に作り込まれた生きものたちは美しさと恐ろしさを併せもち、深海から選び出されたものも多い。巨大なイカはリボンのような流麗な腕をなびかせ、棘に毒をもつカサゴは獲物をのみ込もうと大きく口を開けている。いずれも自然界からふいにつかみ出されて驚いているような風情で、いきいきと内側から輝いているように見える。だが、この生きものたちもまた“カワイイ”ーー彼らはまったく無力で、人のなすがままに食べられてしまうかもしれないのだから。

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