BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY FUMIKO SHIBATA
北海道・富良野の秋は短い。色づいた樹々の葉は2週間ほどで落ちてしまい、静かな冬が訪れる。「富良野の秋は特別に美しいの。太陽の光に包まれて紅葉が金色に輝き、キラキラと舞い落ちてくるさまは、この世のものとは思えないほど」
大塚敬子さんは馬の世話をしながら、森の樹々を見上げて教えてくれた。
彼女と夫の健一さんが住むのは、富良野の中心地から車で20分ほど離れた森の中。夫妻と2匹の犬、4匹の猫、5頭の馬が大塚家のメンバーだ。夫妻は東京のフランス料理店「ル・ゴロワ」のオーナーシェフとマダムとして、表参道で10年、神宮前で9年、人気店を支えてきた。2016年5月に店を閉め、北海道へ移住。2018年5月に、「ル・ゴロワ フラノ」をオープンした。
東京では、名店「ル・ゴロワ」の閉店は衝撃的なニュースだった。人気店を閉め、なぜ北海道へ移住? この移住は夫妻にとって長年の念願だった。話は敬子マダムの幼少期にさかのぼる。東京・目黒育ちの彼女は、物心がついたときから大の動物好き。ノラ犬もノラ猫もいた昭和30〜40年代。彼らを拾ってきては母親に怒られた。隠れて空き家に何匹も飼い、それが発覚したことも。休みに千葉の親戚の家に滞在したときのこと。近所にやってくる「ロバのパン屋さん」に夢中になった。ロバ(実際には馬)が牽ひいた馬車に蒸しパンを並べ、テーマソングを流しながら売る、当時大人気だった移動パン屋だ。敬子さんは馬ににんじんをあげたくて、電信柱の陰に隠れて待ったという。馬とのこの出会いが北海道への道につながるとは、当時の彼女にはわかるはずもなかった。
動物好きは変わらず、とりわけ馬に憧れ、両親の反対を押しきって大学は北海道の「酪農学園大学」へ。卒業後、当時は馬関係の職場は男性社会だったこともあって仕事が見つからず、馬の次に好きだったお菓子の道へ。パティシエールとして、軽井沢プリンスホテルの厨房で働き、料理人の健一さんと出会って結婚。新婚旅行は北海道だった。「空気はうまいし、森は美しい。なにより食事がおいしくて。ふたりで北海道に住みたいと思い始めました」と健一さんは言う。その後、ふたりともホテルを退社。修業時代を経て、デザイナー・荒牧太郎さんがディレクションしたカフェ「パパス カフェ 青山店」をふたりで任されることになった。
この店はヨーロッパにあるような、料理も出す本格派のカフェレストラン。当時はその斬新なスタイルがニュースになった。フレンチやイタリアンの枠をはずした、お箸でも食べられるカフェ向けのメニューを考案するよう荒牧さんに言われて生まれたのが、「ステーキ丼」。健一さんのシグニチャーディッシュのひとつだ。これ目あての行列ができたほどの人気になり、4年後の1997年に独立。表参道の裏通りに13坪の小さなレストラン「ル・ゴロワ」が誕生した。俳優の故・三國連太郎さんが雑誌に紹介したのをきっかけに、新しいカウンターフレンチとして脚光を浴びた。オープンの正午には、敬子さんがごはんをあげていたノラ猫を先頭に、客がずらりと並んでいた。
健一シェフの代表的な料理「ル・ゴロワサラダ」が生まれたのはこの表参道時代。北海道移住計画も盛り上がり、何度も物件探しに出かけたが、「今思えば、縁もゆかりもない人間に、大切な土地を貸すはずはないですよね」と彼は振り返る。
結局、物件は北海道ですぐには見つからず、神宮前へ移転。食材を北海道産に限定したので、次第に「北海道フレンチ」と呼ばれるように。その後何度か移住のチャンスもあったが、「ル・ゴロワ」は常連客が多く、「あなたたちがいなくなったら、私たちはどこで食事をすればいいの」と引き止められた。「私たちのレストランが、お客さまの人生に小さいながらも存在していることを知って、ありがたくて東京でやっていくことにしたんです」
そんな彼らが富良野の森の家に住むことになったきっかけは馬だった。神宮前に移ってすぐ、ケガをして処分される予定の競走馬を夫妻が引き取った。当初は山梨の牧場で飼い、馬小屋を仕切って部屋にし、自分たちもそこに寝泊まりし、世話をした。店の営業後に車を走らせ、昼の営業に間に合うよう東京へ。そんな無謀な生活に体力の限界を感じていた頃、北海道・十勝の牧場が馬を預かってくれることになった。処分が予定されていた馬をさらに引き取り、5頭に。馬たちと暮らしたいという気持ちがふたりの中で次第に高まっていた。
ちょうどこの頃、ご縁があり、三方を森に囲まれ、馬も安心して暮らせる今の家に巡り合った。当初は牧場として整地し、東京と北海道を行ったり来たりしていた。だんだん二重生活の限界が見え、ついに北海道移住を決意。移住を決めたとき、彼らは50代後半になっていた。
「年齢的に、移住のラストチャンスでした。体力のある50代後半で移住し、改めて60代で思いきり仕事をしたいと思いました」
第二、第三の人生を見据え、ふたりは夢をかなえるスタートラインに立った。
「この家に住んでいると、森に抱かれているような安心感に満たされます」と敬子さんは話す。穏やかな季節には、目の前の小川の水流がきらめき、森の樹々にすがすがしい風が吹き渡る。「この森に住んで、樹にも顔があることがわかってきて。どこにどの樹があるか大体わかるようになりました。樹々には精霊が宿っていると思う」と微笑んだ。
いつもは静かな川が氾濫したのは、1週間に3つの台風が北海道を直撃した3年前のこと。牧草地に水が流れ込み、物置小屋も牧草も流され、山からの土砂で入り口の橋が崩落。少し高台にある家は無事だったが、周りは瓦礫に埋め尽くされた。「自然の中で生きていくということは、こうやって大地の洗礼を受け、あっちこっちへはね飛ばされて、一歩進んで二歩下がるみたいな毎日ということかもしれません」と彼女は当時語っている。
さまざまな紆余曲折を経て、脚本家・倉本聰さんのプロデュースのもと、「新富良野プリンスホテル」敷地内に1軒家のレストランとしてオープンすることに。倉本さんとの出会いは神宮前時代。夫妻はもともとドラマ「北の国から」の熱烈なファン。店にお誘いし、「倉本さんの世界をなぞって生きていいかと、ご挨拶させていただきました」と敬子さん。以来、さまざまな相談にのってもらった。店の物件探しが難航していたときに、倉本さんと縁のあったこのホテルを紹介してもらい、話が進んだ。店舗デザインおよびメニュー監修、命名、ロゴデザインを手がけたのも倉本さんだった。
白樺の森の中、富良野の街を見下ろす丘の上に店はある。窓際の席からは、大塚家の馬たちが草を食む姿が見えることも。健一シェフのスペシャリテは健在だ。新天地での味も登場し、薪窯で肉や魚も焼く。地元の生産者との信頼関係はより堅固なものになった。土地の空気を吸い、匂いを感じとり、食材の本質をつかみとった彼の料理は、輝きがさらに増している。
「東京時代と確実に違うのは、いらしてくださるお客さますべてがとてもリラックスして、ニコニコされていること。私たちも楽しくなるんです」
「40年近くレストランを続けてきて、この職業はなんて素敵なんだろうって、改めて思っています」。そう話すふたりもニコニコだ。インタビューをした今夏は、休みがないほどの忙しさだった。「でも、つらいと思ったことは一度もないです。毎日が楽しくて。朝晩の行き帰り、山々を眺め、空や森や畑を見て、生きていることが楽しいっていつも思える。深呼吸しすぎてる(笑)」と敬子さん。
夢がかなってよかったですねと言えば、「私は夢をかなえるまでの道のりが好き。まだまだやりたいことがたくさん。店で朝食も出したいし、雪に閉ざされた真冬の富良野の素晴らしさも伝えたい。冬限定でステーキ丼やアップルパイ、ミートパイなどのカジュアルなメニューを出したいし、ジャムなど保存食作りもしたい。やりたいことだらけ。夢が多くて、これから楽しみがたくさん」と敬子さんは笑う。彼女にはもうひとつの夢がある。愛馬に牽いてもらった馬車に犬たちと乗り、自分が焼いたパンやお菓子を子どもたちに届けられたら......。幼い頃から抱いてきた小さな夢だ。筆者の目には、彼女のそんな姿も浮かぶ。その夢の実現も案外すぐかもしれない。
ル・ゴロワ フラノ
住所:北海道富良野市中御料 新富良野プリンスホテル敷地内
電話:0167(22)1123
営業時間:ランチ12:00〜13:30(LO)、ディナー17:30〜19:30(LO)
定休日:月・火曜(定休日は変更の場合あり)
公式サイト