BY KIMIKO ANZAI, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI
遠くに見えるのは立山連峰の雄々しい稜線。ここは富山県中新川郡立山町白岩。日本酒ブランド「IWA(岩)」の醸造家リシャール・ジョフロワは、田んぼの畦道に佇み、「気持ちよい風だね。ここに来ると穏やかで幸せな気持ちになるよ」と、笑みを浮かべた。
ジョフロワは、“シャンパーニュの最高峰”と称される「ドン ペリニヨン」の元醸造最高責任者で、その卓越したアッサンブラージュ(ブレンド)の技とセンスは、ワイン評論家や同業者たちから称賛されていた。引退に際してのインタビューで、彼はこう語った。
「これからの夢? 富山で日本酒を造ることだよ。まだ誰も出合ったことのない、新しい日本酒をね」──。そして、2020年に彼が手がける「IWA 5」が誕生、日本酒の世界に新風を吹き込んだ。
「5」は、酒米の品種、産地、酵母の種類、酛もと造りの手法、発酵方法といった日本酒を構成する5つの重要な要素と、調和やハーモニーを象徴する数字であることに由来する。日本酒は通常、酒米を単一で用い、精米歩合を基準として純米酒や大吟醸酒に仕上げられるが、「IWA 5」は従来の概念を超えて、異なる産地の酒米を品種別、産地別にさまざまな酵母と掛け合わせて仕込み、アッサンブラージュするという“シャンパーニュの技法を活かして生み出された日本酒”という特別なもの。その味は深く豊かで、限りなく優雅。グラスの中からは米の甘い香りと薫風が顔をのぞかせる。清楚さと官能性を併せ持ち、これはジョフロワならではの味だと納得させられる。
彼が日本酒造りを考え始めたのは6年前のこと。仕事を通じて何度も来日するうちに、日本文化への愛情と敬意が深まっていったという。なかでも魅了されたのが日本酒だった。
「果汁をもつブドウとは違い、“乾いた米と水”から造られることに興味が湧きました。これは日本人でなければ生まれない発想だと思います。私自身、日本酒を飲むたびに、その味にますます魅了され、そしてさまざまな料理と合わせるうちに、日本酒には多様な文化を受け容れる包容力があると気づいた。日本独自のものでありつつも、世界の人々に愛される可能性を秘めている。私は未来に向けて、敬愛する日本の人々とともに、自分の夢を実現させたいと思ったのです」。その後、新型コロナウイルスの流行により、来日は難しくなったが、彼は日本から日本酒を送ってもらい、シャンパーニュにある自宅でアッサンブラージュを完成させた。
彼の“蔵”が完成したのは2021年4月のこと。隈研吾の設計による、合掌造りを思わせるもので、温もりを感じる。
「テロワールとは、本来は土地の個性を意味しますが、私は、人々の暮らしそのものもテロワールと考えます。ここには豊かな自然と清らかな水、自然と人間との営みが醸し出す温かな空気がある。だから私はここを“夢の場所”に決めたのです。また、合掌造りの家も富山に惹かれた理由のひとつ。居住空間と仕事のための部屋が共存し、ひとつ屋根の下で人間の営みが一体となっている。私もこのような場で仲間との絆を大切にしながら日本酒を造りたいと思ったのです」
現在、酒蔵で働くのは、ジョフロワの夢に賛同して集まった17名。日本人のほか、フランス、英国など多様な文化を背景にするスタッフが新しい日本酒造りに取り組んでいる。彼は、静かに語った。
「まだまだ実験の途中です。この地で試行錯誤を繰り返しながら、仲間とともに理想の味を追求し、夢を実現させたいと思います」
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