BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA
《EAT》「テール・エ・メール」
“大地”と “海”がもたらす潔いご馳走を食す
海辺のグルメを味わいたいと訪れたのは、港を望む街道沿いに看板を掲げ、都心の美食家を唸らせてきたイタリアンレストラン「テール・エ・メール」である。オーナーシェフの清水正一さんが熱海の地に惹かれたのは、店名が示すとおり山海の幸に恵まれたからにほかならない。鮮度と品質を物差しに厳選された海の幸は、熱海や小田原、沼津で水揚げされた魚介類に限らず、地元の川蟹や天然の鰻までも扱う。ジビエの季節を迎えると、清水さんが“鉄砲のオジサン”と呼ぶ狩猟の達人から猪や鹿、鴨から雉や鳩が届く。さらに、野菜の多くは、5年前から完全な有機栽培を目指してはじめた自家農園の実りが食材の一端をなす。「土地の魂と生命力が漲る素材だからこそ、それを前面に引き立てることが大切。シンプルで直球、潔さを味わっていただきたい」と清水さん。
メニューはランチ、ディナーともに季節を愛でるコース仕立て。その時々に手に入る食材によって内容が変動するなかで、通年を通して必ず据えている一品が、常連客のニーズからシグネチャーへと定着した「大地と海のサラダ」である。取材に訪れた時季は、晩夏の大地が運んだ水茄子やキュウリ、インゲン、オクラと、海の贈りものであるスズキやイサキをはじめ、アジや赤イカ、ヤリイカまでが一皿の中で美味なる響きを奏でていた。
それぞれの素材の鮮度もさることながら、これほど多くの食材を複雑に調理することなく、バランスよくまとめている秘密は手製のドレッシングにあった。清水さんが目指したドレッシングとは「食べると存在感を忘れるけれど、なければ物足りない」という加減。酸味を抑えオイルのコクを際立たせたドレッシングが、個性豊かな一つ一つの素材を繋げる役割を果たしていた。
メインにオーダーしたのは、網代港で水揚げされたハモのフリット。オイルを纏ってコクを増したハモに、湯河原の水源地で育った天然のクレソンがピリリとした辛みと爽やかさを添えていた。味付けはオリーブオイルと黒胡椒、ミモレットをミモザで散らした塩気のみ。究極にシンプルなアレンジでありながら、思わず唸るほど素材の力強さが雄弁に語りかけてきた。料理はプリミティブに研ぎ澄まされるほど、創り手のセンスと自然へのリスペクトが不可欠なのだろう。午後の柔らかな光を眩しく見つめながら、大地と海が織りなす確かな命の輪郭を味わった。
住所:静岡県熱海市渚町19-11 サンポート1階
電話:0557-82-7665(要予約)
公式サイトはこちら
《BUY》「魚久(うおきゅう)」
主客の笑顔が交わる山の上の魚売り
熱海を旅するならば、新鮮な魚を求めずにはいられない。そこでリサーチを進めると、前出の「テール・エ・メール」をはじめ、地元の住民や別荘ピープルから、絶大な信頼を集める鮮魚店があると聞く。それも漁港に近い海エリアではなく、伊豆山神社の膝下である高台に店を構えるとあって一層の興味が膨らむ。
訪れたのは1959年創業の「魚久」。ガラス戸から覗くと、店の中央には当日の朝に仕入れたばかりの鮮魚がひしめき、奥のショーケースには仕込みを終えた刺身やたたき、干物が満たされている。レジの付近に視線を移すと、バリエーション豊富な惣菜の数々が目に飛び込む。魚の唐揚げや南蛮漬けをはじめ、太巻きやちらし寿司、ひじき煮やキンピラといった暮らしに根差したラインナップに、食いしん坊のアンテナが反応する。「自分の住む街に、こんな店がほしい」という理想を絵に描いたようである。
「山の上という立地だからこそ、鮮度を大切にしている」と語るのは、2代目である父・高橋照幸さんとともに毎朝仕入れを行う3代目の一平さん。近隣の熱海市場に限らず、小田原の早川市場へも足を伸ばし、その日に一番美おいしいと思える魚を引いてくる。
手間と時間を惜しまずに二カ所の市場を巡るのは次の理由からだ。小田原は漁場の範囲も広く大型の漁船が行き交うため鯛や鯵など定番の魚が安定的に手に入る。いっぽうで熱海は小型船に乗る漁師が多いため、イスズミやボラ、サメなど珍しい魚種を網羅できるという。事前に予約をすれば刺し身の盛り合わせもオーダーできるため、旅の拠点をゲストハウスや貸別荘に置くならば、是非とも夕餉の一献の相棒に求めたい。
住所:静岡県熱海市伊豆山502
電話:0557-80-1343
公式サイトはこちら
《BAR》「Bar Negroni(バー ネグローニ)」
美酒と巡り合うオーセンティックな隠れ家
旅先の夜は長い。夕食前のエアスポットに、路地裏のバーを探し歩く。熱海銀座商店街の程近く、何気ない脇道の何気ない建物の1階に、小さな看板を掲げた「Bar Negroni」を見つけた。200種類を下らないシングルモルトや繊細なグラスが整然と並ぶカウンターの中から、白いバーコートを羽織った店主の吉田 務さんが迎えてくれた。ここが温泉地であることを忘れるような、オーセンティックな雰囲気が漂う。
リゾートホテルのレストランやバーで経験を積んだ吉田さんが、この地で自らの店を開業したのは2008年のこと。熱海という土地柄、日頃はバーに馴染みのない女性から熟練のバーホッパーまで幅広い客層が集う。「どんな方でも垣根なく楽しめる店にしたいという思いから、世界で最もスタンダードなカクテルのひとつ“ネグローニ”を店名に据えた」と吉田さん。ならばと、件の看板カクテルをオーダー。ジンとカンパリ、スイートベルモットを混ぜ合わせる“ネグローニ”だが、吉田さんはカンパリの中にアールグレーの茶葉を漬け込み、ひと匙の香り高い魔法をかけている。スローイングを繰り返すことで茶葉の香りがゆっくりと開き、誰もが知る“ネグローニ”が仄かに艶を増す。
いっぽう、男性にレコメンドするなら、静岡の蒸留所で仕込んだシングルモルト「ポットスティル K」と葉巻のマリアージュはいかがだろう。熟成感はないが、その分サラリとしてフレッシュ。バーボンのような感覚で食前酒として楽しめるという。店主の談に耳を傾け、グラスが空く頃には心地よい浮遊感に包まれる。仕事の気配を纏って訪れる都心のバーとは異なり、“素の自分”で尋ねる旅先のバーは、1杯で大人を酔わせるのに十分なようだ。
住所:静岡県熱海市中央町16-8石黒ハイツ1階
電話:0557-81-1778
公式インスタグラムはこちら
▼あわせて読みたいおすすめ記事