BY YUKA OKADA, PHOTOGRAPHS BY HIROAKI ZENKE
一度でも愛媛・松山を訪れたことがある人なら、市街地の彼方に連なる障子山の山並みを眺めたことがあるのではないだろうか。
2018年10月、愛媛県美術館で個展が開幕した石本藤雄は1941年、この障子山のふもとにある砥部町に生まれた。日常使いの器で知られる砥部焼の里にあって、みかん農家を継いだ海軍出身の父と母のもと、6人兄弟の5番目として野山に遊び、ときには姉の持っていた美術の教科書を見てボナールなどの絵に魅了され、とかくものづくりに没頭する。1960年に東京藝術大学美術学部工芸科に進学すると、卒業後は藝大の先輩である石岡瑛子の勧めで繊維会社の市田へ。PR誌のグラフィックデザインから展示会のディスプレイ、呉服の柄から店舗設計までを手がける広告デザイナーとして、伸びやかに活躍する。
そして1970年夏、30歳を目前に大決断。「より広い世界が見たい」と退職金を手に、1年間に決められた移動距離内であれば行き先を変更できる、当時の日本航空が売り出していた世界一周パッケージをローンで購入。この一世一代の旅の途上、3カ月めに早くも所持金がわずかとなったコペンハーゲンでパリへ向かうはずのルートを変更。学生時代から興味を抱いていたフィンランドデザインの中心、ヘルシンキへと舵を切る。そこで日本で目にしていたマリメッコのテキスタイルと再会。本人いわく「今思うと無鉄砲としか言いようがない(苦笑)」と、突き動かされるように就職を懇願しに行ったマリメッコ創業者の一人アルミ・ラティアとの出会いが、50年におよぶフィランド生活とその人生を決定づけた。
今回、愛媛県美術館に設けられた2つの展示室のうちひとつは、石本がマリメッコのテキスタイルデザイナーとして2006年に定年退職するまで32年間に生み出した作品を、自身が展示構成を手がけインスタレーションとして紹介。圧倒的なのは、円柱状に丸められた35種の多種多様なプリントテキスタイルがランダムに天井から吊り下げられた一部屋。それぞれがまるで木の幹のような、そこにはカラフルなテキスタイルの森を散策するかのような体験が待っている。
「ドイツの建築雑誌で似たような展示方法を見たことがあって。テキスタイルというのは広げずに反物のように丸めて見ることで、柄が主張しなくなって、やわらかく見えるんです。逆に木枝でも小花でも、そのデザインは基本的には“リピート(繰り返し)”であって、それでいて退屈でないものじゃないといけないんですが、もうひとつ何かが足りないような柄でも、丸めて見ることでいいあんばいに見えてきます」(石本)
個展の開幕に合わせて松山入りした石本が語ったそんな言葉は、テキスタイルのひとつの見方を指南してくれてもいるが、水田の稲穂が揺れるさま、四角を描くようなトンボの飛行跡、ときには夜明けのグラデーション……。ある種の規則性の向こう側に広がり見えてくるのはじつにおおらかな自然の情景であり、風であり、季節や間(ま)であり、光でもある。そんな私たちのDNAに刻まれながらも大人になるにつけ目を向ける余裕がなくなってしまった原風景に懐かしさが込み上げると同時に、それまでのマリメッコとは異なる作風でブランドの一時代を彩った石本の多彩な感性に惹き込まれる。