BY MIMI VU, PHOTOGRAPHS BY MATTHEW NOVAK, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO
アーティストのフランチェスカ・ディマッティオは、ニューヨーク州の田舎町ヒルズデールにある、倉庫のような巨大なアトリエで、ハンドペイントで陶器の花に絵付けしたり、3種類のオブジェに釉薬(うわぐすり)をかけたり、作品を窯に入れたりと、いくつもの作業を同時にこなしている。トレードマークのフリーダ・カーロ風の編み込みヘアに鮮やかなコーラルレッドのリップ、ペイントが飛び散った茶色のつなぎの作業着という格好のディマッティオは、異質なものの組み合わせから生まれるエレガントなコントラストを体現している女性だ。「コントラストにすごく興味があります。それは、私が生涯かけてずっと追求し続けているテーマです」と本人は言う。
ニューヨーク市のギャラリー「サロン94・バワリー」で開催される個展まで、あと1週間になったこの日の朝も、また新作の絵画やオブジェを制作していた。前回の個展から約2年間、日々の慌ただしさに追われていたせいだという。アーティストの夫ガース・ワイザーとの間に2歳の息子ブルーノをもつディマッティオは、都会と田舎を行き来しながら制作と子育てをやりくりしてきた。「準備に1年半かけるべきだったのに、気づいた時には個展は数カ月後に迫っていました」と打ち明ける。
そういうわけで、大きく開放的な窓の向こう側では、みぞれまじりの嵐がバークシャー山脈一帯に吹き荒れる、こんな冬の日に、ディマッティオはアトリエにこもって、脚立を上ったり下りたり、金網を加工したり、ペイントしたりと嵐のように慌ただしく作業をこなしていた。アトリエには磁器やストーンウェア(高温で焼き上げた吸水性のない陶磁器)で作られたクラシックな彫刻や、動物の小像、漫画のような巨大な子ども靴のオブジェなどがあちこちに置かれている。
こうした素材を組み合わせ、ディマッティオのハイブリッドな作品は生まれる。今回の個展のための新作彫刻のひとつ、《雌オオカミ(仮)》はスチールパイプの骨組みに囲われ、まだパーツの状態で置かれている。完成すれば、野牛のような頭、トルコ風のイズニック柄の脚、ローマの建国神話「ロムルスとレムス」(雌オオカミの乳を飲んで育った双子の兄弟)に登場する雌オオカミを彷彿とさせる垂れ下がった乳房をもつ、バッファローとラマが合体したような動物が出来上がる。 こうした“コントラストの美”は、ディマッティオをずっと夢中にしてきた、そしてアーティストとしての方向性を決定づけたテーマだ。1980〜90年代、マンハッタンで育ったディマッティオは、夏の間、ニューヨーク州ソーガティズの両親(母も陶芸家である)の別荘で過ごした。2005年にコロンビア大学で美術学修士号を取得して以降、彼女は、アートの歴史性、手工芸の技法、装飾性など、目が眩むほど多彩な表現を織りまぜた大作絵画やオブジェを発表し、作家としての評価を着実に獲得していった。
オブジェにおいては、彼女はデルフト焼きやセーブル焼き、ウェッジウッド、「ンコンディ(コンゴの呪術用の偶像)」を連想させる釘の打ち込みなど、多様な要素を盛り込む。また、絵画では建築的な空間性、抽象的なパターン、テキスタイルのプリント柄などが1枚のキャンバスに描かれ、本来なら交わることのない素材同士を軽やかに組み合わせる。
2018年3月に開催されたディマッティオの個展のタイトル『ボシャラウィット』は、モロッコのベルベル人の女性たちが古着を裂いて織り込んだカラフルなラグのこと。出品された絵画2点とオブジェ3点には、ボシャラウィット特有のテクスチャーと継ぎはぎ模様が主要モチーフとして使われており、文化的、美学的要素をうまく抽出してみせる彼女の魅力をよく伝える。
ディマッティオが案内してくれたアトリエには、私たちの背丈を超える、ねじれた格好の彫刻が立っていた。隅の方にある《ヴィーナスⅠ》は、明るいピンク色の古代ギリシャ彫刻のような女性像で、背中には、いくつもの乳房が描かれ、ルイーズ・ブルジョワの作品を彷彿とさせる。この彫刻が手に抱えているのは、明朝時代の磁器の装飾があしらわれた男根のようなもの。片側だけにある奇妙な形の腕には、ウィーン磁器の伝統的な花柄が絵付けされたミッキーマスの手袋がはめられている。《ヴィーナスⅠ》は、女性の体がまるでカラフルなボシャラウィットの山に浸食されているようだ(ディマッティオの説明によれば、このボシャラウィットはニンニク絞り器を使って絞り出した粘土を成形したものだ)。
その向かい側には、陶器製のジャイアントパンダを土台にした《ヴィーナスⅡ》が見える。パンダの背部には、空想の世界の樹木か、はたまた巨大化したサンゴの一部かと思える物体がニョキニョキと生え、ヴィレンドルフのヴィーナス(旧石器時代のヴィーナス像)が乗っかっている。ディマッティオはこう説明する。「異なる要素が組み合わさることで、どんな相互作用が生まれるのか。それがすべてです。何かを隣り合わせると、それぞれ影響し合ったり、邪魔し合ったりする。ある意味、どんなものにも、他と結合する面が存在するということです」
《タコと魚》、《キツネと猟犬》と題する2点の絵画は、美術史やポップカルチャー――日本の春画、絵本『おさるのジョージ』と漫画『チャーリー・ブラウン』に登場する花、ゴヤの《戦争の惨禍》からの引用など、さまざまな構成要素を盛り込んだ作品に仕上がっている。「私は、カルチャーのなかでイメージというものがどう機能するか、特に“コピー”や“複製”について、いつも考えています。こうしたさまざまな異なる要素を、私は意図的にコピーして作品に使います。複製を通して、高次なハイカルチャーなイメージも、ティッシュボックスのようなものに、メトロポリタン美術館にあるようなものも、ぼろぼろのシャツに変換できるのです」
これまでと同様に、ディマッティオはハンドメイドのラグや陶器などの工芸品をモチーフとして取り上げている。その作品は、歴史的な観点から過剰な装飾性が指摘されてきたが、ディマッティオはさらに過激で攻撃的な装飾を施し、奇怪なオブジェへと変貌させた。「子どもが生まれてから、家庭的なものにもすごく惹かれるようになりました」というディマッティオ。アトリエの片側の壁に、電動工具に囲まれて並ぶ、多種多様なヴィンテージの乳母車のコレクションを指し示した。「(作品には)家庭的な要素も加わっています」
ディマッティオの制作風景を見れば、こうした作品の裏側で、彼女がいかに苦労して、相反するものをひとつの作品に織り込んでいるかがわかる。可憐な花にひとつひとつ手作業で絵付けをしたり、オブジェのパーツをフォークリフトに積んで移動したり、彼女はアシスタントも使わず、さまざまなスキルを駆使して独りで作品を完成させる。近いうちに、溶接も学ぶつもりだという。
彼女の最終目標は、「人々の味覚や、美、ものの本質、ジェンダーの概念がますます混乱してきていることを象徴するような、ぐらぐらした不安定な頭部のオブジェを作ること」だと話す。彼女の彫像や絵画が持つ奇妙な美しさは繊細でありながら力強く、親しみやすさを感じさせながらも見る者をどこか落ち着かない気持ちにさせる。そこから判断する限り、彼女の意図は、すでに作品に表れている。