この秋、アート熱を刺激する二つの展覧会が同時期に開催される。日本美術の粋を極めた国宝や重要文化財が集う『やまと絵』展、そして中国美術の幻の逸品と出合える『北宋書画精華』展。北宋期の中国と、平安・鎌倉時代の日本の美が時代と海を超えて響きあう両展には、"セットで"観るべき理由がある。『やまと絵』展のチケットプレゼントもお見逃しなく

BY MARI HASHIMOTO

画像: 『やまと絵』展より。 (左)《浜松図屛風》(左隻・部分)、(右)《浜松図屛風》(右隻・部分)いずれも室町時代 15〜16世紀、東京国立博物館蔵、重要文化財。光り輝く浜辺に配された景物や人の営みは、古代、中世と変化していった「やまと絵」の集大成だとして、展覧会のメインイメージに

『やまと絵』展より。
(左)《浜松図屛風》(左隻・部分)、(右)《浜松図屛風》(右隻・部分)いずれも室町時代 15〜16世紀、東京国立博物館蔵、重要文化財。光り輝く浜辺に配された景物や人の営みは、古代、中世と変化していった「やまと絵」の集大成だとして、展覧会のメインイメージに

 全国の美術館・博物館が、その年の勝負をかけた展覧会を準備してくる秋。今年は見逃すことのできない超弩級の展示が2件待ち構えている。ひとつは根津美術館の特別展『北宋書画精華』、そしてもうひとつが東京国立博物館の特別展『やまと絵 ─受け継がれる王朝の美─』だ。開催規模も館種も異なる、一見相互に関係のなさそうな中国美術と日本美術の展覧会。普通ならそれぞれの展示を個別に紹介するところだが、実はこの二つの展覧会ではともに、《古今和歌集序(巻子本)》(こきんわかしゅうのじょ・かんすぼん 11〜12世紀、大倉集古館蔵、国宝)、《和漢朗詠集(太田切)》(わかんろうえいしゅう・おおたぎれ 11世紀、静嘉堂文庫美術館蔵、国宝 ※巻上が『北宋書画精華』展、巻下が『やまと絵』展)が出品される。いずれも平安時代の書作品で、「北宋書画」でも「やまと絵」でもない。これらの作品を通じて二つの展覧会が共有するものが何かを理解し、展覧会をセットで観ることで、中国・日本美術に対する解像度が桁違いに上がるはずだ。

社会も文化も激変した宋時代、中国絵画は至高の境地に到達した

 宋(960~1127〈北宋〉、1127~1279〈南宋〉)は唐の滅亡後、2世紀以上にわたる分裂状態を制して中国を統一した王朝だ。皇帝が全権を掌握する君主独裁体制を築き、文治主義を統治の基本とした。1127年に金の侵攻を受けて国土の北半分を失うと、開封(かいほう・河南省)から杭州(浙江省)の臨安(りんあん)へ都を移したため、南遷以前を北宋、以後元(モンゴル)に滅ぼされるまでを南宋と呼んでいる。

 北宋・南宋を通じた宋時代は、文化においても中国史上に類を見ない、輝かしい発展を遂げた時代として記憶される。とりわけ北宋の書画はその頂点に達し、歳月を経ても失われることのない、根源的・規範的価値をもつ「古典」として、現在に至るまで仰ぎ見られる作品が多数生み出された。

 たとえば書では士大夫(文人官僚)である蘇軾(そしょく 1036〜1101)や黄庭堅(こうていけん 1045〜1105)が出て、それまでの王羲之(おうぎし 303〜361)風の「型」から離れ、即興性や書き手自身の個性によって表現の幅を大きく広げる行草書を完成させた。絵画でも、筆線で対象物の輪郭をかたどったうえで彩色を施す画法からモノクロームの水墨へ、主題は人物画から山水画・花鳥画へ、そして不動産的な壁画から動産である画軸へ、という大きな変化が起こった。特に「空間そのもの」を描く対象とみなした山水画においては、三次元(空間)のロジックをいかに二次元(平面)上で表現するかという、あたかも西欧におけるルネサンスとも通じるテーマ、技巧が、李成(りせい 919〜967)や郭煕(かくき 1020〜1090)、范寛(はんかん 950頃〜1032頃)らによって極限まで追究された。そして「風流天子」の名で知られる皇帝徽宗(きそう)が選りすぐった文物のコレクションは、趣味的な芸術愛好を超えた王権の表象として、以後、歴代王朝の皇帝たち、さらには遠く日本の権力者たちにとってさえも憧憬の対象、範とすべき営為となっていった。

 日本では南宋時代の作品がとりわけ好まれ、なかでも足利将軍家が蒐集した南宋の文物、のちに「東山御物(ひがしやまごもつ)」と呼ばれるようになったコレクションに属する書画や器物──たとえば牧谿(もっけい)《瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)》(南宋、根津美術館、畠山記念館などが分蔵)や《曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)(稲葉天目)》(南宋、静嘉堂文庫美術館蔵、国宝)などは、一国一城にも代え難い垂涎の宝物として、戦国大名から近代数奇者に至るまでを魅了してきた。

 これに対して北宋の書画は、その貴重さゆえに本国から外へ持ち出されることが稀だったため、日本に残る数も南宋のそれに比べると圧倒的に少ない。従って北宋にテーマを絞った展覧会は開催されてこなかったし、日本の絵画へ与えた影響も少ないと考えられてきた。これまでは。

「平安時代初期の894年に遣唐使が停止され、以後は中国からの影響が減少、国風文化が発展した、というのが教科書的な定説でした。ですが近年の研究では、公的な国交が絶えたあとも、私的な貿易・交流を通じて大量のものが移動していたことが明らかになってきています。そのひとつが仏教絵画で、もうひとつが書に用いる料紙でした。今展にも出品しますが、平安時代の日本にも同時代の北宋で制作されたものへの関心や、絵画の表現への影響があったと考えていいと思っています」とは、『北宋書画精華』展を監修する板倉聖哲さん(東アジア絵画史、東京大学東洋文化研究所教授)。

画像: 燕文貴《江山楼観図巻》(部分)中国・北宋時代 10〜11世紀、大阪市立美術館蔵。北宋の第2代皇帝太宗に仕えた燕文貴は、郭煕らこの時代を代表する華北山水画とは別に、江南山水画の特徴を採り入れ、樹木や人物を細密に描くことで大きな空間を形成する画風を完成させた

燕文貴《江山楼観図巻》(部分)中国・北宋時代 10〜11世紀、大阪市立美術館蔵。北宋の第2代皇帝太宗に仕えた燕文貴は、郭煕らこの時代を代表する華北山水画とは別に、江南山水画の特徴を採り入れ、樹木や人物を細密に描くことで大きな空間を形成する画風を完成させた

 展示には伝董源(でんとうげん ?〜949?)《寒林重汀図(かんりんじゅうていず)》(北宋、黒川古文化研究所蔵、重要文化財)、燕文貴(えんきぶんき 生没年不詳)《江山楼観図巻(こうざんろうかんずかん)》(北宋、大阪市立美術館蔵)といった北宋山水画の名品として知られる作品、そして足利義満の所蔵印を持ち、東山御物を代表する名品として、日本における「古渡(こわたり)」(室町時代以前に日本へ伝来したもの。江戸時代以降に伝来したものは新渡、その中間のものを中渡と呼ぶ)の中国絵画の頂点に君臨する徽宗(款)《桃鳩図(とうきゅうず)》(北宋・1107年、個人蔵、国宝)も出品が予定されている(会期中の3日間のみ展示。日程未定)。さらに皇帝が統治する制度の「外」に広がる仏教世界からもたらされた、《孔雀明王像(くじゃくみょうおうぞう)》(北宋、仁和寺蔵、国宝 展示期間:11月21日(火)〜12月3 日(日))、圜悟克勤(えんごこくごん 1063〜1135)《印可状》(北宋・1124年、東京国立博物館蔵、国宝)などの仏画や経典、墨蹟も並ぶ。

世界を震撼させた、失われた「神品」の再出現

 そしてもう1件、おそらく世界中の中国美術ファン、コレクター、研究者に衝撃を与えたのが、李公麟(りこうりん 1049?〜1106)《五馬図巻(ごばずかん)》(北宋、東京国立博物館蔵、重要美術品)と、李公麟《孝経図巻(こうきょうずかん)》(北宋・1085年頃、メトロポリタン美術館蔵)の同時出品という、もしかすると二度と実現しないかもしれない展示だ。

 2018年の暮れ、長い間失われたと考えられてきた作品の存在が日本で報じられた。かつてその絵は、清王朝崩壊時の混乱の中で宮中から持ち出され、日本人の手に渡った。だが1928年、昭和天御即位大典記念祝賀に東京府美術館(現・東京都美術館)で開催された展覧会へ出品されたあとは杳(よう)として行方がわからず、太平洋戦争の際に焼失したと考えられてきた。それでも中国美術史の教科書に古いモノクロ写真の掲載が必須とされた「神品」の実在が、約80年ぶりに明らかになったのだ。その作品こそ、徽宗のコレクションに100点以上が収蔵されたと伝えられ、北宋文人画を代表する李公麟の真蹟、《五馬図巻》(現在は東京国立博物館蔵)だった。

画像: 『北宋書画精華』展より。李公麟《五馬図巻》(部分)中国・北宋時代 11世紀、東京国立博物館蔵、重要美術品。5頭の馬がその手綱を引く人物とともに描かれた、全長257.2㎝の作品で、画像は第1の馬を描いた部分。 ほかに乾隆帝(清の第6 代皇帝)の御題、黄庭堅の跋文(ばつぶん)などからなる Image: TNM Image Archives

『北宋書画精華』展より。李公麟《五馬図巻》(部分)中国・北宋時代 11世紀、東京国立博物館蔵、重要美術品。5頭の馬がその手綱を引く人物とともに描かれた、全長257.2㎝の作品で、画像は第1の馬を描いた部分。
ほかに乾隆帝(清の第6 代皇帝)の御題、黄庭堅の跋文(ばつぶん)などからなる
Image: TNM Image Archives

 古写真からは読み取ることが不可能だった生々しい絵の細部は、「再発見」の場に立ち会った板倉さんを瞠目させた。濃淡の墨線を引き重ねて馬体の立体感や細部を描写する一方、擦れた筆線は馬の躍動感、筆を持つ画家自身の存在感を際立たせてもいる。再現性と表現性を高いレベルで並立させた《五馬図巻》の筆致は、「白描画の名手」という従来の評価には収まらない李公麟の力量を示すもの。さらに、それまで李公麟の真筆にもっとも近いと見なされ、李公麟理解の基準となっていたメトロポリタン美術館所蔵の《孝経図巻》の表現とは明らかに異なっている。この《五馬図巻》再出現という「事件」を前提に、日本のみならず世界にむけて、北宋絵画史に関する従来の理解の再検討を促すのが、この『北宋書画精華』展なのだ。

画像: 『北宋書画精華』展より。 李公麟《孝経図巻》(部分)中国・北宋時代 元豊8(1085)年頃、アメリカ・メトロポリタン美術館蔵。儒家が尊重した古典のひとつ『孝経』を文章の短い引用と白描で構成。李公麟の作品と伝えられるものの中でもっとも真筆に近いと言われてきた

『北宋書画精華』展より。
李公麟《孝経図巻》(部分)中国・北宋時代 元豊8(1085)年頃、アメリカ・メトロポリタン美術館蔵。儒家が尊重した古典のひとつ『孝経』を文章の短い引用と白描で構成。李公麟の作品と伝えられるものの中でもっとも真筆に近いと言われてきた

日本人が理想とする「美」を追求しためくるめく「やまと絵」の饗宴

 一方、東京国立博物館の特別展『やまと絵 ─受け継がれる王朝の美─』は、30年ぶりに揃い踏みする四大絵巻! 神護寺三像も! 三大装飾経も!とこちらも賑々しい。ちなみに四大絵巻とはいずれも国宝の《源氏物語絵巻》《信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)》《伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)》《鳥獣戯画》、神護寺三像はやはりセットで国宝の《伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)》《伝平重盛像(でんたいらのしげもりぞう)》《伝藤原光能像(でんふじわらのみつよしぞう)》の肖像画、三大装飾経もご想像どおりオール国宝の《久能寺経(くのうじきょう)》《平家納経(へいけのうきょう)》《慈光寺経(じこうじきょう》で、みな平安時代末期から鎌倉時代にかけて制作された作品だ。全作品が4番バッターで構成されたドリームチーム、とでも呼ぶべき重量級ラインナップである。

画像: 『やまと絵』展より。 《平治物語絵巻 六波羅行幸巻》(部分)鎌倉時代 13世紀、東京国立博物館蔵、国宝。展示期間:10月11日(水)〜11月5 日(日)。前時代の物語文学に対峙するように戦記文学が隆盛、新興勢力の武家の間で合戦絵も愛好された。大型の迫力ある画面に鮮やかな彩色、群衆表現や画面構成が見どころ

『やまと絵』展より。
《平治物語絵巻 六波羅行幸巻》(部分)鎌倉時代 13世紀、東京国立博物館蔵、国宝。展示期間:10月11日(水)〜11月5 日(日)。前時代の物語文学に対峙するように戦記文学が隆盛、新興勢力の武家の間で合戦絵も愛好された。大型の迫力ある画面に鮮やかな彩色、群衆表現や画面構成が見どころ

 そもそも「やまと絵」と言われて具体的な作品をイメージできる人は、そう多くはないだろう。教科書的な定義をひもとくなら、それはまず中国から舶載された絵画、中国的な主題を描いた絵画「ではない」ものとされる。「絵」「画」はいずれも「え」「かい」と読むが、これは音読みで、訓読みはない。つまり日本列島で使われていたやまとことばの中にはもともと「絵」にあたる語はなく、日本人は中国の絵画に接することで、鑑賞の対象としての「絵」という概念を学んだというわけだ(銅鐸(どうたく)表面の線刻など絵図そのものは存在した)。

 中国絵画を通して絵画という概念を得た日本人は、まずその忠実なコピーを描いてみたはずだ。実際には見たことのない中国の風景、会ったこともない中国の仙人たち。だが時を経るにつれて描く対象は多様化し、日本の事物・風景もレパートリーの中に加わるようになる。こうして「絵」の中に蓄積されていった、「見たことのある日本」を「やまと絵」として区別し、単に「絵」と認識していたものは「唐絵(からえ) 」と呼ぶようになった。

画像: 《法華経冊子》(部分)平安時代 11世紀、京都国立博物館蔵、重要文化財。展示期間:11月7日(火)〜12月3 日(日)。実は平安時代にさかのぼる「やまと絵」の遺品はほとんどない。本作は宋時代の料紙に経典を書写したものだが、下絵として描かれた女房や男性貴族が、きわめて貴重な最古級の世俗画

《法華経冊子》(部分)平安時代 11世紀、京都国立博物館蔵、重要文化財。展示期間:11月7日(火)〜12月3 日(日)。実は平安時代にさかのぼる「やまと絵」の遺品はほとんどない。本作は宋時代の料紙に経典を書写したものだが、下絵として描かれた女房や男性貴族が、きわめて貴重な最古級の世俗画

 整理すると、唐絵とは中国で制作された絵画、およびこれにならって日本で制作され、中国の事物、人物、風景などを描いた絵画であり、「やまと絵」は日本の事物、人物、風景などを描く彩色された絵画のこと。こうした区別は平安時代前期に成立したと考えられる。

 そしてこの概念は時代を追って変化し、鎌倉時代後期に中国から新しい絵画様式として水墨画が入ってくると、水墨画を中心とした唐絵を「漢画(かんが) 」と総称し(制作者が中国人か日本人かは問わない)、それ以前の「伝統的」な様式の彩色画が「やまと絵」となり、宮中に所属する絵師たちが中心となって制作を担った。

 こう書くと、一方的に日本が中国に学んだだけのように思われるかもしれない。だが中国の技法を消化し、日本独自の感覚に基づいて発展していった「やまと絵」は、単なる中国絵画のコピーとは異なる存在として中国側にも認識されていたことが、北宋時代に記録されている。北宋宮廷には博物館のような役割を果たす収蔵機関が設けられ、北宋以前の文物や、中国国内では失われた書物、経典などを東アジア各地から蒐集していた。徽宗はそのコレクションリストを『宣和画譜(せんながふ)』『宣和書譜(せんなしょふ) 』という形で整理させたが、その中に3点の「倭画屛風」が含まれている。

画像: 《片輪車蒔絵螺鈿手箱》平安時代 12世紀、東京国立博物館蔵、国宝。展示期間:10月11日(水)〜11月5日(日)。干割れを防ぐために牛車の車輪を川につける情景は、和鏡や装飾経の意匠としても好まれた

《片輪車蒔絵螺鈿手箱》平安時代 12世紀、東京国立博物館蔵、国宝。展示期間:10月11日(水)〜11月5日(日)。干割れを防ぐために牛車の車輪を川につける情景は、和鏡や装飾経の意匠としても好まれた

 皇帝への貢ぎ物としてもたらされた倭画屛風の特徴について、『宣和画譜』は「設色(せっしょく)甚だ重く、金碧(きんぺき)を多用する」と記し、「観美」の絵であって必ずしも「真」を備えていない、と論じる。たとえば『源氏物語』では、人物や景観が現実を超えた理想的な美を備えているとき、「絵のようだ」「絵に描きたいほどだ」と記述されることがある。現実を超越した理想化された美の世界は、「やまと絵」がその始まりに目指した、王朝の価値観そのものだったのだろう。

 しかしこの時代の中国の画論は、技巧の修練では身につけることのできない「気韻」、描く者が先天的にもっている品位が表出されるところに価値を置く。鮮やかな色彩と金銀の輝きで視覚を喜ばせる工芸的な倭画屛風は、あくまで美しさを愛でる対象にとどまったのだろう。漆工品や扇、日本刀などは、当時の中国で一般にも流通していたようで、人気を得ていたことをうかがわせる記述も見られる。

 さて、冒頭で、《古今和歌集序(巻子本)》と《和漢朗詠集(太田切)》が『北宋書画精華』展、『やまと絵』展の両方に出品されると書いた。『古今和歌集』は913年頃に成立した最初の勅撰和歌集で、内容を暗記することが男女ともに貴族の必須の教養とされた。『古今和歌集』以前は三つの勅撰漢詩集が編纂されたのみで、日本人が日本の言葉でうたった詩歌─和歌が、公のものとしてまとめられるのは初めてのこと。だからこそ仮名序に筆をとった紀貫之は、「やまとうたは、人の心を種として、万(よろづ)の言の葉とぞなれりける」という有名な書き出しから、和歌の神髄をのびのびと述べた。そこには中国的な価値観一辺倒ではない、日本らしさ、日本的な文学論への自信が横溢している。

画像: 《古今和歌集序(巻子本)》(部分)平安時代 11〜12世紀、大倉集古館蔵、国宝(『北宋書画精華』展前期と後期で巻替え)。日本の和歌、仮名を書くが、それを支える料紙は、のちに「やまと絵」の中に消化されていったモチーフを文様として擦り出した、中国製の紙を用いる

《古今和歌集序(巻子本)》(部分)平安時代 11〜12世紀、大倉集古館蔵、国宝(『北宋書画精華』展前期と後期で巻替え)。日本の和歌、仮名を書くが、それを支える料紙は、のちに「やまと絵」の中に消化されていったモチーフを文様として擦り出した、中国製の紙を用いる

《古今和歌集序(巻子本)》は、これを平安時代末期に書写したもので、料紙には中国製の蠟牋(ろうせん)(北宋時代)の下に版木をおいて雲母摺(きらずり)で吉祥文様などを擦り出した唐紙が使われている。宝相華(ほうそうげ)、花鳥、唐草、走獣、波、幾何学文と多様なバリエーションを詰め込んだ文様はすべて、「やまと絵」の中に消化されていったモチーフだ。『和漢朗詠集』は、朗詠に適した漢詩と和歌を上下2 巻におさめたもので、『古今和歌集』成立からほぼ1世紀ののち、11世紀に藤原公任(きんとう)が撰した。和歌の作者として、『古今和歌集』の仮名序を書いた紀貫之も重く扱っている。これを11世紀末頃に書写した《和漢朗詠集(太田切)》は、やはり中国製の蠟牋に、日本で金銀泥により花鳥草木、蝶や野馬などを描き加えた唐紙を用いている。漢詩と和歌、漢字と仮名、中国製の紙に日本の文様と、すべてにおいて和漢が競い合う構成だ。

 日本は中国をどのように見、中国は日本をどのように見ていたのか。そしてその価値観はどのように変容し、造形芸術へと反映されていったのか。それぞれ中国美術と日本美術をテーマに据えた展覧会だが、中国美術には日本美術を、日本美術には中国美術を補助線としてあてがうと、よりはっきりと焦点があってくる。両者が共有する展示作品も含め、ぜひ「掛け持ち」して観ておきたい展覧会だ。

特別展『やまと絵 ─受け継がれる王朝の美─』
会期:10月11日(水)〜12月3日(日)※会期中、一部展示替えあり
会場:東京国立博物館 平成館
住所:東京都台東区上野公園13-9
開館時間:9時30分〜17時 ※金曜・土曜は20時まで開館(最終入場は閉館の60分前まで)
休館日:月曜休(11月27日は開館)
観覧料:¥2100(土・日・祝日のみオンラインの日時指定、事前予約制)
詳細はこちら

特別展『北宋書画精華』
会期:11月3日(金・祝)〜12月3日(日)
会場:根津美術館
住所:東京都港区南青山6-5-1
開館時間:10時〜17時(最終入館16時30分)
休館日:月曜休
入館料:¥1800(日時指定予約制) 
会期中にシンポジウム、講演会等も予定されている。詳細は決定次第、根津美術館公式サイトで告知予定。
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