超絶技巧による比類なき芸術作品が今、脚光を浴びる故ダニエル・ブラッシュ。稀有な作家の遺した軌跡と創作の源を知るべく、ニューヨークの自宅兼工房を訪ねた。

BY MANAMI FUJIMORI, PHOTOGRAPHS BY FUMIHIKO SUGINO

画像: オリヴィア・ブラッシュ。住居兼工房の一角にて。

オリヴィア・ブラッシュ。住居兼工房の一角にて。

 日本初の個展で注目を集める故ダニエル・ブラッシュは、絵画やドローイング、金工芸を中心とする彫刻やジュエリー制作に異色の才を示したアーティストだ。ミッドタウンにあるその工房は、ビルのワンフロアを占める広大なロフト。今もさまざまな機械や彫金の道具であふれている。「ダニエルは、金工芸の技法を独学していくなかで足踏み式の旋盤などアンティークの機械の温もりや美しさに惹かれ、コレクションが始まったのです」

 こう語るのは、ブラッシュと出会って以来、半世紀以上にわたって彼の側にいつづけた妻オリヴィアだ。ブラッシュのジュエリーを最初に身につけるモデルであり、一点もののオブジェを収めるボックスの制作も彼女の役目だった。工房には、彼女の皮革加工やテキスタイル用の道具も揃う。「彼を知ったのは、大学の入学式のときです。2年先輩の彼は、新入生を前にしてのオリエンテーションで熱弁をふるい、遠目にもなんて激しい人だろうと思ったものです(笑)」。オリヴィアは2回目のデートでプロポーズされ、ブラッシュはといえば、なけなしのお金で純金を1オンス購入し、エトルリア風ヘラクレスノットの結婚指輪をつくったという。

画像: ブラッシュの作品やジュエリーを収めるボックスはオリヴィアのお手製。外側はヘビ革、内側にはスエードを使用。右は東京の展示でも見られる「ハンド ピース」。

ブラッシュの作品やジュエリーを収めるボックスはオリヴィアのお手製。外側はヘビ革、内側にはスエードを使用。右は東京の展示でも見られる「ハンド ピース」。

「日常にあるありきたりの素材に手仕事で唯一無二の価値をつくり出す」

 金工芸に対するブラッシュの興味は、少年時代に始まっている。13歳の頃、母親と訪れたロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で古代エトルリアの粒金細工で覆われた金の碗の美しさに魅了され、いつか自らの手でつくってみようと決意したという。また、生まれ故郷のクリーブランドには、アメリカ有数の東洋美術コレクションで知られるクリーブランド美術館があり、ブラッシュは早くから日本の甲冑(かっちゅう)や武具のメタルワークに親しんでいたようだ。

 1978年、ブラッシュは自らの芸術に専念すべく、ニューヨークを目指す。だが、絵画制作と並行してメタルワークによるオブジェや宝飾品に挑むというブラッシュのアプローチは、当時のアート界のカテゴリーやブランドに容易には当てはまらなかった。「画廊は往々にして作家を一つの枠に閉じ込めがちです。絵画も工芸もというなら別名義で作品を発表してはどうかと提案するコレクターもいました」

 その頃は新表現主義の台頭や野外アートの隆盛で大きなサイズの作品が注目を浴び、評価された。だがブラッシュはいつも「サイズとスケールは同義ではない。小さなサイズのものでも計り知れないスケールを持つ」と語っていたという。

 ブラッシュは、世の中の流れからも画廊システムからも離れ、ひとり黙々と制作を続けた。90年代に入ると、今度は金工芸やジュエリーの正統派からもはずれるような工業素材の活用に転じていく。

画像: 彫金のこまやかな作業時にブラッシュが着用していたライツの外科用双眼鏡は、今も同じ場所に。

彫金のこまやかな作業時にブラッシュが着用していたライツの外科用双眼鏡は、今も同じ場所に。

画像: 文字や模様を打刻するためのメタルスタンプのコレクション。自作の署名には、「DB」の文字が刻まれた手製の押印を用いていた。

文字や模様を打刻するためのメタルスタンプのコレクション。自作の署名には、「DB」の文字が刻まれた手製の押印を用いていた。

画像: 少年時代、母からもらった山姥(やまんば)の能面(右)と狐(きつね)の面。ブラッシュはドナルド・キーンの著作の中で特に能楽と、世阿弥の作品や言葉について研究した。古典芸能や工芸技法に価値を見いだす日本の「重要無形文化財」の概念に目を開かれたという。

少年時代、母からもらった山姥(やまんば)の能面(右)と狐(きつね)の面。ブラッシュはドナルド・キーンの著作の中で特に能楽と、世阿弥の作品や言葉について研究した。古典芸能や工芸技法に価値を見いだす日本の「重要無形文化財」の概念に目を開かれたという。

「最初のアルミの作品は、アルミニウムのブロックを利用したものでした。ダニエルは日常のありきたりのものを高貴なものに変えることに興味があったのです。目的はアルミの表面にさまざまな刻みや彫りを施すことで“光”を取り出すこと。金属の内部から生まれる輝きの抽出です」

画像: ダニエル・ブラッシュ《スチール・ポピー》(2010) ステンレス スチール、ダイヤモンド。マグネットの装着によりブローチとして使える。ブラッシュは稀少な宝石や貴金属に価値を見いだすのではなく、アルミニウムやスチールといった日常の素材に彼の芸術で唯一無二の価値を加えることで、ジュエリーに新しい概念をもたらした。

ダニエル・ブラッシュ《スチール・ポピー》(2010) ステンレス スチール、ダイヤモンド。マグネットの装着によりブローチとして使える。ブラッシュは稀少な宝石や貴金属に価値を見いだすのではなく、アルミニウムやスチールといった日常の素材に彼の芸術で唯一無二の価値を加えることで、ジュエリーに新しい概念をもたらした。

 この延長線上にあるのが、「モネについて考える」のシリーズだろう。この連作では、スチールの表面に微妙に異なる角度や深さで彫られた細かな溝が、光ばかりかさまざまな色彩を生み出し、陽の移ろいとともに変化していく。なるほど、工房の窓辺に置かれた小さなタブレットは、永遠なる輝きを秘めた小宇宙だ。眺めていると、金属の鍛造(たんぞう)(強度を高めるため、金属を叩いて成形する技術)という人類の悠久の歴史までが思い起こされ、まさにサイズとスケールは違うものだと実感する。

画像: ブラッシュの作品「モネについて考える」(2014-2018) スチール、ダイヤモンド。

ブラッシュの作品「モネについて考える」(2014-2018) スチール、ダイヤモンド。

 独学で会得した卓越した手法で、数々の作品を生み出したダニエル・ブラッシュ。仕事を始める前に広い床を掃き清め、心を整えるのが日課だった。「私たちはいつも一緒でした。17歳で出会ったときから彼に対する私の印象は変わらないままです。激しい気性の人でしたがピュアな魂の持ち主でした」。ブラッシュは助手を雇うことはなく、オリヴィアだけを協力者として、また忠実な友として、ひとりで仕事をしてきた。自分の芸術は彼女の芸術であり、ふたりでひとりの芸術なのだと、ブラッシュは言っていたという。

画像: 「日常にあるありきたりの素材に手仕事で唯一無二の価値をつくり出す」

ダニエル・ブラッシュ
1947年米国オハイオ州生まれ。奨学金を得てピッツバーグのカーネギー工科大学で美術を学び、南カリフォルニア大学大学院で芸術修士を取得。ジョージタウン大学での教職を経て、’78年ニューヨークへ。’98年スミソニアン博物館レンウィック・ギャラリーでの個展『Gold Without Boundaries』で金工芸を初披露。2012年ニューヨークのアート&デザイン美術館で『Blue Steel Gold Light』と題した大規模な回顧展を開催。2022年没。

『ダニエル・ブラッシュ展 ― モネをめぐる金工芸』
会期:~ 4 月15日(月)
会場:21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3  
住所:東京都港区赤坂9 の7 の6 東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン内 
開館時間:10時~19時
※予約不要 
公式サイトはこちら

▼関連記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.