稀少かつ高騰するヴァイオリンの名器を若き演奏家の手もとへ─。音楽の喜びを分かち合い、手を携えて豊かな文化を育む新しい取り組みを追う。第1回は、ストラディバリウスに代表されるアンティークバイオリンの魅力と、稀少ゆえの課題について話を聞いた

BY MAKIKO HARAGA ,PHOTOGRAPHS BY YUSUKE ABE

画像: 名匠アントニオ・ストラディヴァリ(1644〜1737年)の黄金期といわれる時代の初期に製作されたストラディヴァリウス「サークル」(1701年)。二人の息子と多くの弟子とともに、生涯で約1200挺の弦楽器を製作したとされる。

名匠アントニオ・ストラディヴァリ(1644〜1737年)の黄金期といわれる時代の初期に製作されたストラディヴァリウス「サークル」(1701年)。二人の息子と多くの弟子とともに、生涯で約1200挺の弦楽器を製作したとされる。

 今から300年以上も昔、北イタリアのクレモナでアントニオ・ストラディヴァリが製作していた、ヴァイオリンを中心とする弦楽器「ストラディヴァリウス」。その約半数は失われたため、欧米や日本を中心に現在もその姿を残すのは、わずか650挺ほどといわれる。
 言わずと知れた名器であるのみならず芸術品としての価値も高いストラディヴァリウスのヴァイオリンは、稀少なため近年著しく価格が高騰している。世界的に活躍する一流の演奏家でさえ、みずから所有することはきわめて難しい。多くの場合、篤志家や財団などが保有する楽器が演奏家に貸与されている。
「ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなどの作品に対して畏敬の念を抱くのと同じように、欧州の人々はストラディヴァリウスを大切にしてきました」。
 そう話すのは、古い名器から現代の作家のものまでさまざまな弦楽器の販売・修理を手がけ、自社でも楽器を製作する文京楽器(東京都文京区)の堀酉基社長だ。ヴァイオリンの製作者でもある彼は、ストラディヴァリウスの再現プロジェクトに長年情熱を注いできた。
「『人間が人間らしく生きる』というルネサンスの理念が体現されているのがヴァイオリン。だから普遍的な価値があるのです」と堀は言う。

画像: 裏板の上部にコンパスでつけた半円のしるしがあるため、後世に「サークル」と名付けられた。ストラディヴァリの工房で製作された痕跡が表面に残るモデルは、世界でこれひとつのみといわれる。

裏板の上部にコンパスでつけた半円のしるしがあるため、後世に「サークル」と名付けられた。ストラディヴァリの工房で製作された痕跡が表面に残るモデルは、世界でこれひとつのみといわれる。

 ルネサンスの頃から次第に、音楽は複雑な和声で構成された難解なものから、わかりやすい旋律が主体のものへと変化していき、やがてギリシャ悲劇を理想とするオペラの原型が生まれた。その流れにおいて、「旋律を歌うための楽器」としてつくられたのがヴァイオリンであると堀は語る。
 ストラディヴァリウスを文京楽器の髙木彬矢に弾いてもらうと、エルガーの「愛の挨拶」が煌めくような音で、大きなインパクトを伴って響いた。「シルバートーン」と呼ばれる、この豊かで美しい音色の謎は解明されていない。だが近年、コンピュータ断層診断装置などによる科学的調査が行われ、その秘密のひとつは木材に隠されていたことがわかった。木材の密度は楽器の音質や音量を左右するため、ばらつきが少ないほどよいとされる。
 ストラディヴァリウスの木材に刻まれた年輪の幅は、夏目も冬目もほぼ均一であった。当時は小氷河期だったからだ。これは全体的に密度が均一な木材が楽器に使われていたことを示している。一方で、ルネサンス芸術を彷彿させる独時の優美なフォルムには黄金比率が使われたと考えられている。
「もともと音楽自体が神に捧げるものであっただろうし、パトロンは王侯貴族だから、職人は際限なくいいものを追求してつくっていた。材料の選択、フォルム、細工の精度、まとっているニスまで、すべてが一級品なんです」と堀は言う。

画像: ヴァイオリンの頭部「スクロール」。装飾性が高く、製作者それぞれの特徴がある。

ヴァイオリンの頭部「スクロール」。装飾性が高く、製作者それぞれの特徴がある。

 アンティーク・ヴァイオリンは「オールド」と「モダン」に大別される。1800年以前につくられたものが「オールド」であり、その代表的な製作者がアマティ、ストラディヴァリ、グァルネリだ。一方で、19世紀以降につくられたものを「モダン」と呼ぶ。「オールド」の名器を研究し、その技法を模したヴァイオリンが、フランスや英国などでさかんにつくられた。
「アンティーク・ヴァイオリンの魅力は、木材の経年変化によって音がまるで熟成されるかのように味わいを増すことや、使われ方によって音質や音量も変化することです」と堀は言う。特に、高い技術をもつ演奏家によって受け継がれてきた楽器はよい音が出るし、より大きな音量で弾くことができるのだという。

 若手奏者が演奏家としての本格的な活動や国際的なコンクールへの出場を目指すためには、豊かな音をより遠くまで届けることができるアンティーク・ヴァイオリンの使用が不可欠だ。だが「モダン」の価格も高騰している。他方、芸術家を支援するパトロネージが根づいていない日本では借りられる楽器も十分とはいえない。こうした現実を変えるために、文京楽器と三越伊勢丹ホールディングスがともに始めた取り組みが、「ヴァイオリン貸与プログラム」である。百貨店の上位顧客のなかにアンティーク・ヴァイオリンの所有者を増やし、若手奏者への支援の拡充を目指す。
「貸与されることで奏者は社会とのつながりを意識するようになり、演奏機会の創出につながる」と堀は期待する。「楽器の貸与を通じて、本物の音楽を日本じゅうに届けていくことができたらいいと思っています」

文京楽器の社長、堀酉基。ブラジルのスラム街でオーケストラ教育が子どもたちを輝かせていたことに感銘を受けた。「音楽も、サッカーのように地域で支える文化にしたい」

画像: 文京楽器の工房。自社ブランドのヴァイオリン「ピグマリウス」の製作のほか、演奏家から持ち込まれる弦楽器と弓の修理を行っている。

文京楽器の工房。自社ブランドのヴァイオリン「ピグマリウス」の製作のほか、演奏家から持ち込まれる弦楽器と弓の修理を行っている。

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