BY MICHAEL SNYDER, PHOTOGRAPHS BY PHILIP CHEUNG, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

テキサス州マーファにある、「ジャッド建築事務所」。2021年の火災を経てつい最近、修復工事が完了した。
自身初の回顧展がホイットニー美術館で開催されてから数カ月後の1968年の夏、40歳だった芸術家のドナルド・ジャッドはニューヨークと距離を置くために、湿度が低くて開放的な土地を探し始めた。「ニューヨークのアート界隈は冷淡で、上っ面をなぞるだけだった」と、数多く残したエッセイのひとつで当時の心境を記述している。理想の土地を求めて、翌年もそのまた翌年も、ひと夏をかけて車で走り回った。アリゾナは「人が増え始めている」し、ニューメキシコは「標高が高くて寒すぎる」。1971年にようやく、テキサス州のマーファにたどり着いた。そこは牧場が中心の人里離れた小さな町で、およそ100㎞先にはメキシコとの国境がある。
それから数年かけて、ジャッドは閉鎖された町はずれの軍事基地から軍用機の格納庫と需品科将校の執務室を移築し、住居と仕事場として生まれ変わらせ、高さ約2.7mの日干しレンガの壁で囲った。10年目を迎える前、自作とほかのアーティストたちの作品を恒久的に設置するために、ディア芸術財団と共同で旧軍事基地を買い上げることになる(ディアと決裂後の1986年、ジャッドはこの場所に公共の芸術機関を創設し、近くに広がる山脈にちなんで「チナティ財団」と名づけた)。その後景気が低迷し、もとより1区画しかないマーファの目抜き通りでは、店じまいを余儀なくされる事業者がさらに増えた。1989年から1991年にかけて、ジャッドはそれらの空き店舗をまとめて買い取って改修し、増え続ける一方だった自身のコレクションーー陶器、テキスタイル、岩、家具、アート作品、書籍――を保管する場所にした。古くからあったスーパーマーケットの「セーフウェイ」は彼自身のアトリエになった。まるでロマネスク建築の教会のようにエントランスホールが左右対称になっているアールデコ様式の銀行は、建築とデザインの工房として再生させた。1990年には、2階建てのレンガづくりの建物――かつては食料品店、のちにユニフォーム専門店として使われていた――を、ジャッドが自身の設計の依頼者を迎えられる事務所にした。建築事務所の開業は、彼の長年の夢であった。

かつては食料品店、のちにユニフォーム専門店が営まれていたこの建物を、芸術家のドナルド・ジャッドは1990年に購入し、自身の建築事務所として使うつもりだった。だが、正式に開業するには至らなかった。
JOHN CHAMBERLAIN, “ZIA,” 1964, METAL AND LACQUER WITH REFLECTIVE FLAKE ON FIBERBOARD © 2025 FAIRWEATHER & FAIRWEATHER LTD./ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK
DONALD JUDD FURNITURE © 2025 JUDD FOUNDATION/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK
通りに面した外壁の塗装をはがした(その過程でモルタルを約0.3㎝削り取った)ほかは、世紀の変わり目を象徴するこの建物にジャッドは手を加えなかった。そのまま残した金属天井や、ダブルハング窓、ロングリーフパインの床は、プライウッド(合板)のテーブルや机(ジャッドの家具デザイナーとしてのキャリアは長いが、これらはその後期に制作されたもの)、直線的なフォルムをした色鮮やかなプライウッドやメタル製の椅子を、絶妙なバランスで引き立てる背景としての役割を果たすことになった。1994年に悪性リンパ腫のため65歳で死去するまでの4年間、ジャッドはこの空間をプロトタイプや製図、建設予定地の模型で埋め尽くした。こうした建築プロジェクトのうち、スイス・バーゼル市内のとある駅の上に建てられたオフィスビルの外壁クラッディング(外装)のように実現したものもあるが、多くはお蔵入りになった。マーファはやがてアート愛好家や富裕層が訪れる聖地となって地価が高騰し、地元住民の多くが追い出されてしまった。同時に、この町の建物はジャッドのレガシーを後世に伝えるモニュメントになった。
ところが、「ジャッド建築事務所」の2階の窓枠は20年のあいだに摩耗して腐食が始まっていたため、窓全体が板でふさがれ、2011年までそのままになっていた。「ぼろぼろに荒れ果てた状態でした」と、ジャッドの娘でジャッド財団の会長であるレイナー・ジャッド(55歳)は言う。彼女はアートディレクターを務める兄のフレイヴィン(57歳)とともに財団を運営している。ジャッド兄妹は2013年、父が1968年に自宅兼アトリエとして68,000ドルで購入したキャストアイアン建築のビル(ソーホーのスプリングストリート101番地)の3年がかりの修復を終えた。続いて、父がマーファに遺した不動産の再生に取り組むことにした。それには、規模がほどほどで軀体がしっかりとしている約465㎡の「ジャッド建築事務所」から着手するのが妥当であるように思えた。
ジャッド財団は2018年に再生プロジェクトを開始。「ジャッド建築事務所」の屋根を張り替え、外壁の目地を補修し、彼がデザインした家具や模型、設計図を整理して記録し、これらをマーファの厳しい気候条件――砂漠地方特有の極端な温度差――から保護するために、「パッシブデザイン」(註:太陽光や風などの自然エネルギーによって屋内を快適に保つ工法)を施した。「『ジャッド建築事務所』は、マーファのほかの再生プロジェクトを実行していくうえでの、テストケースになった」。そう振り返るのは、ヒューストンを拠点とする建築家のトロイ・シャウムだ。彼は当時のパートナーだったロザリン・シェイとともに、修復の初期工事を担当した。ところが、公開を3カ月後に控えた2021年のある夜遅く、「ジャッド建築事務所」は火事に見舞われた。1階で出火し(保険会社の調査では正確な原因を特定することはできなかった)、木造トラスに燃え移り、軀体があらわになるほど焼き尽くされた。「負傷者はいないし、すべてやり直せるとはいえ、そこに費やした労力とエネルギーがたった12時間で水の泡になるなんて――。それを見たらどれほどの衝撃を受けるか、心の準備ができていなかった」と、シャウムは当時を回想する。
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