ソーホーのオリジナルのロフトを、愛と情熱を込めて保存するべく奮闘しているカップルがいる。彼らは消え去った時代の記憶を、日々の暮らしの中で蘇らせている

BY MARY KAYE SCHILLING, PHOTOGRAPHS BY FRANÇOIS HALARD, TRANSLATED BY MIHO NAGA

画像: ロニー・サスーンとジェームズ・クランプはロフトに最初から備えつけられていた本棚と塗装された床をそのままの形で保存している。B&Bイタリアのベッドが置かれたゲスト用の寝室エリアは、主寝室とはフローティング・ クロゼットで仕切られており、そこに彫刻家のバリー・フラナガンがデザインしたロープ型の作品が垂れ下がっている。机はフランスの彫刻家モーリス・カルカが1969年にデザインしたもの PHOTOGRAPH BY FRANÇOIS HALARD

ロニー・サスーンとジェームズ・クランプはロフトに最初から備えつけられていた本棚と塗装された床をそのままの形で保存している。B&Bイタリアのベッドが置かれたゲスト用の寝室エリアは、主寝室とはフローティング・ クロゼットで仕切られており、そこに彫刻家のバリー・フラナガンがデザインしたロープ型の作品が垂れ下がっている。机はフランスの彫刻家モーリス・カルカが1969年にデザインしたもの
PHOTOGRAPH BY FRANÇOIS HALARD

 ソーホーがまだ未開の荒野だった頃、そこは限られた予算を持つ者にとって、無限の可能性を約束する土地だった。19世紀にこの地区に建てられた鋳鉄製のビルには、売れない芸術家たちが次々と移り住んできた。彼らがロフトと呼ぶようになった建物は、そのすべての階がかつて工場や倉庫だったが、放置されている間に荒れ放題になっていた。冬にはすきま風が吹き込み、夏は騒々しく、配水管も完備されていなかった。だが、何千フィートものがらんどうの場所が月100ドルなどという安値で手に入るなら、そんな悪条件など取るに足らないことだった。

1970年までにアートギャラリーが何軒かできると、それに続いてレストランやバーも店を開いた。1971年にアーティストのゴードン・マッタ=クラークとキャロル・グッデンが「フード」という名のレストランをプリンス通りとウースター通りの角に開くと、芸術家たちを都会の開拓者とみなすこの界隈ならではの神話が、さらに勢いづくことになった。そして1977年に、ジョルジオ・デルーカがジョエル・ディーン、ジャック・セグリックと組んで、プリンス通りを半ブロック行ったところに最初の「ディーン&デルーカ」を開くと、あたりの様相はさらに華やかになった。画家のセグリックは、かつて工場だったこの建物に敬意を表して巨大なスペースの壁を白く塗り、工業的なデザインの棚をしつらえた。店の棚には、アメリカとヨーロッパの当時まだ珍しかった食品(高級なオリーブ油やバルサミコ酢、ベビー野菜など)が並んだ。スプリング通りのビルを一棟まるごと買い取ったドナルド・ジャッド(ミニマリズムアートの中心的彫刻家)やその他の連中の間で、「ディーン&デルーカ」は彼らの食料貯蔵棚がわりの存在となった。

画像: サスーンとクランプ

サスーンとクランプ

 ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたソーホー地区のロフトに関する最初の記事のひとつが、 ディーンとセグリックが1969年に2万ドルで購入した自宅についてリアルタイムで書かれたものただった。それはウースター通りの7階建ての倉庫ビルのうちの1フロアで、以前は人形工場だった場所だ。まだ、工業用の建物を住宅に改装することが法律で禁じられていた当時のことだ。記事に掲載されたそのロフトの写真が、当時シンシナティに住んでいた若い女性、ロニー・サスーンの目に留まった。「写真を見て思った。もし自分がニューヨークに住むなら、こんなところに住みたいって」

 サスーンはやがてモデルになり、その後、美術史家に転身し、90年代の初めにはヘア・スタイリストのヴィダル・サスーンと結婚することになる。 しかし、ロンドンとロサンゼルスで暮らし、LAではリチャード・ノイトラが建てた家を修復して住みながらも、ニューヨークのロフトのことはずっと彼女の頭の片隅に残っていた。ヴィダルが2012 年に亡くなったあと、現在のパートナーである映画監督のジェームズ・クランプに出会ったロニーは、ふたりで彼女の記憶にあった“夢の空間”を真剣に探し始めた。だが捜索はなかなか実を結ば なかった。さまざまな物件を見に行ったが、どこも「その地域の開発が進むにつれて、建物も改装されてしまっていた。つまり、すごく不自然でぶかっこうなやり方で壁やドアをたくさん取りつけて、空間を区切ってしまっていた」とサスーンは言う。
「醜い柄や箔押しがついた壁紙、センスのない電灯、やりすぎのディスプレーばっかりで、こんなもの、自分だったら全部取りはずすのにと思った」

 今から2年前、ふたりがほとんどあきらめかけた頃に、サスーンのもとに彼女のエージェントから電話が入った。改装されていないロフトが売りに出されたという知らせだった。「ドアを開けて中に入った途端、涙があふれてきた」と彼女は言う。「そここそまさに、何年も前に写真で見たあのロフトだと気づいたから」
 ディーンは2004年に亡くなったが、サスーンたちがこのロフトを2014年に購入したときは、セグリックはまだそこに住んでいた。セントラルヒーティングのエアコン(これを設置するのに、ビルの自治会と2年ほど闘わなければならなかった)とバスタブを備えた小さな部屋、それにキッチンの換気扇 を新たにつけ加えただけで、あとはほとんど手つかずの状態で保存されていた。「私たちにとって、この場所は生きている歴史だと思った」とサスーンは言う。「それもあって、改装はしたくなかったの」

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