BY MARY KAYE SCHILLING, PHOTOGRAPHS BY FRANÇOIS HALARD, TRANSLATED BY MIHO NAGA
彼女とクランプは自分たちをミニマリストだと公言する。そう聞くと、サスーンが、工業デザイ ンの流行を牽引していたソーホーのデザイン家具用品店、「アドホック・ソフトウェアズ」のファンだったというのもうなずける(アドホックの店のおかげで、80年代、メトロブランドのワイヤ棚は流行の最先端になった)。サスーンは、「当時はニューヨークに来るたび、必ずあの店に寄っていたわ」。ワイヤ棚が象徴する、シンプルで飾り気のない美しさがこの部屋にはよく映える。「私、いろんな布や生地に囲まれているのがダメ―それから色が多すぎるのも」と彼女は言う。「窓にカーテンやブラインドがついてるのは好きじゃないし、 花もいらない。カーペットも苦手」
なるほど、サスーンがアルテ・ポベラやゼロと呼ばれる流派のアーティストたちの作品を集めているのも納得だ。このふたつのアート・ムーブメントは、シンプルな造形、モノクロの配色、廃材などを利用して作品を作ることをことさら重視していたのだ。ギュンター・ウッカー、エンリコ・ カステラーニ、ルチオ・フォンタナ、そしてアゴスティノ・ボナルミなどの美術品があふれたこのアパートは、ギャラリーとしても通用しそうだ。リビングに置いてあるルチオ・フォンタナの銅製の作品は、グッゲンハイム美術館の2006年の展覧 会に貸し出されたこともある。「フォンタナはニューヨークを初めて訪れたあとにこの作品を作ったんだけど、これを買ったとき、私はいつか自分が ニューヨークに住むってことがわかってたんだと思う」とサスーンは言う。「この作品は銅でオレンジ色に着色されたシーグラム・ビルの窓ガラスに影響を受けている。彼がニューヨークに来たとき、 『ニューヨークはベネチアよりずっと美しい!』と 叫んだのは語り草よ」
ロフトの反対側の端には、ゼロ派の中で数少ないオランダ人の芸術家のひとり、ヤン・ヘンデリクセの作品がある。廃棄された木製の野菜箱を積み重ねたアートだ。サスーンは最初にこのロフトを訪れたとき、まさにこの場所にこの作品を置いたところをイメージしたという。クランプはこの80歳のアーティストの名をグーグル検索し、彼がブルックリンに住んでいたことを知った。「なんてこった、これは運命だと思ったよ」 とクランプ。ヘンデリクセがアントワープの自分のスタジオにあった木箱をニューヨークに送り、彼とサスーンが木箱を釣り糸でつないで作品を組み立てた。太陽光の熱でナイロン製の釣り糸が伸びて、木箱の位置が少しずれてしまったが、「でも、私はこの“わびさび”感が好き。あまり完璧だとつまらないもの」と彼女は言う。
陽射しが木箱を通ると、美しい光の模様がミルク色の木の床に描かれる。クランプとサスーンは、この床には一切手を加えていない。「床に塗られているのは、 ボートの表面をコーティングする塗料の一種で、もうどこにも売ってないんだ」とクランプは言う。「僕らは床も塗り直そうとしたんだけど、この表面の剝げ具合があまりにも素晴らしくて。時を経て自然とこんな風合いになったわけで、人間が手を加えてもこれ以上素晴らしい仕上がりにはならないからね」(カーペットのないこのアパートで最もカーペットに近いのが、床の上にある大きな不規則な形のシミだ。人形工場の機械によってできたシミで、セグリックはその箇所を修理せずそのままにしていた。「私のラグマットって呼んでる」とサスーンは冗談っぽく言う)。