BY MARY KAYE SCHILLING, PHOTOGRAPHS BY FRANÇOIS HALARD, TRANSLATED BY MIHO NAGA
ふたりは、日中、いろんな角度でロフトに差し込む太陽の光を追いかけるように生活している。ダイニングスペースが2カ所あるのもそれゆえだ。キッチンの隣に置かれている、ちょっとフォーマルな白い大理石のテーブルはサスーンがデザインしたもので、おもに夕食に使われている。アンジェロ・マンジャロッティ作の黒いテーブルは、ロフトのより明るい側に置いてあり、朝食とランチ用だ。その上に下がっている照明は、前衛的なデザイン集団、スーパースタジオの作品で、まるで巨大な目玉のように部屋を睥睨(へいげい)している。
クランプとサスーンはわずか4年前に知り合ったばかりだが、ともに黒い洋服に身を包み、まるで生き別れて暮らしていた双子がやっと出会ったかのようだ。サスーンがオハイオに住んでいる自分の家族を訪ねたとき、クランプはシンシナティ美術館のチーフ・キュレーターとして働いていて、ふたりは共通の友人の紹介で知り合った。やはり中西部で育ったクランプは、 美術書の執筆と編集に長年携わり、2007年には、ドキュメンタリー映画『メイプルソープとコレクター(原題: Black White+Gray: A Portrait of Sam Wagstaff and Robert Mapplethorpe)』を監督した。芸術を愛するふたりはすぐに意気投合し、一緒になってからさらにふたつの映画を作った。2015年の『トラブルメイカー ズ ランドアートの話』と、これから公開される『アントニオ・ロペス1970(原題:Antonio Lopez 1970: Sex Fashion & Disco)』だ。後者では、1987年にエイズで亡くなった伝説的なイラストレーターを描いている。
これもまた運命か、という話になるが、クランプと一緒に『トラブルメイカーズ』を撮影する20年前、サスーンとヴィダルは大地や自然の中にアートを構築するランドアーティストのひとり、チャールズ・ロスからアクリル製の柱を2本買っていた― とサスーンは話してくれた。1968年にソーホーで作られたその柱は、今このロフトに置かれている。さらに、ロペスに関する新しいドキュメンタリー映画は、1968年から1973年までの時代をカバーしている。「なんだか、いろいろな ことが符合する感じだよ」とクランプは言う。「僕たちが撮った映画のどちらも1970年頃を題材にしていて、それはジョエルとジャックがこのロフトに引っ越してきた年だったんだ」
クランプが最初にニューヨークにやってきたのは、 当時、この街が持っていたエネルギーに惹かれたからだという。「ミュージシャン、画家、俳優、彫刻家、イラストレーターにファッション業界の人間たち。当時のローワー・マンハッタンでは彼らがいっしょくたに交じり合い、コラボレーションしていた。親密すぎるほどの狭い世界で、信じられないような歴史の瞬間が生み出されていたんだ」。クランプは振り返って言う。「そこにはなんでも実現可能なんだという、確信に満ちた感覚があったよ」
そしてこんなふうにつけ加えた。「時として、早朝や深夜にウースター通りが静まりかえると、当時のソーホーはきっとこんなふうだったに違いないという気配を感じるんだ」