ジャズの巨匠、ルイ・アームストロングが暮らした家がニューヨークの目立たぬ一角に今も残る。手入れが行き届いた家は彼自身と、ミッドセンチュリーのデザインのレガシーを語り継ぐものだ

BY M. H. MILLER, PHOTOGRAPHS BY CHRIS MOTTALINI, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 この家をいくら歩道から眺めても、その内側にアームストロングの1969年頃の暮らしぶりがほぼ完璧に再現されているなんて、想像もできないだろう。ルシールがインテリアデコレーターのモリス・グロスバーグの力を借りて、夫が存命中の最後となる改修を行ったのはその頃のことだ。マスターベッドルームのドレッサーには、アームストロングが半分まで使ったランバンのオーデコロンが残っている。夫妻が持っていたエレクトロラックス社の古い掃除機が今も廊下のクロゼットに収納されている。同じような部屋はなく、どれも個性的だ。家全体に流れる美的センスは、「『ロココ調』という言葉を使えば、クビにならなくてすむかな」と、ミュージアムのハリスは言う。

 それにしても、アームストロングほどの大物が住んだ家としては、驚くほど控えめにまとめられている。20年代、30年代、40年代、50年代、そして60年代もレコードがヒットしたアーティストは、彼しかいない。冷戦中、「鉄のカーテン」の向こう側でも演奏した。1960年、独立と動乱のさなかにあったコンゴ民主共和国で演奏したときは、内戦の両勢力がアームストロングのライブを観るために停戦を宣言し、彼を乗せた帰りの飛行機が飛び立つやいなや、闘争を再開した。彼ほど多くの人から愛され、伝説の人になったアメリカ人は少ない。しかしハリスの話によると、来館者はミュージアムに足を踏み入れた途端、一様に「おばあちゃんの家を思い出す」と言うらしい。確かに、リビングは60年代のモダニズムを想起させ、かすかにミニマル様式も感じられる。壁から突き出すゴールドの燭台は豊かさを象徴する輝きを放つが、壁自体は地味で平凡なクリーム色の壁紙で覆われていて、50年以上前に貼られたときのままだ。

 この色は、壁際のアップライトピアノや二脚あるツイル地のソファと、よく調和している。小さなテレビが床から低いところに置かれているが、これは招いた近所の子どもたちがのんびりと床に座って西部劇を楽しめるように、あえてそうしたのだ(当時この地区ではまだ、テレビがある家は珍しかった)。彼自身は、生涯子どもを持たなかった。

画像: 全面ガラス張りのバスルーム。アームストロングのお気に入りの場所だった。バスタブは大理石。シンクも大理石でアンティークの仏製バードバスを改造したもの

全面ガラス張りのバスルーム。アームストロングのお気に入りの場所だった。バスタブは大理石。シンクも大理石でアンティークの仏製バードバスを改造したもの

 ルシールにとっては、ここはあくまでも最初の住まいでしかなく、もっと豪華な家を購入しようと、何年も夫を説得しつづけた。幾度となくハーレムやロングアイランドの物件に頭金を払おうとしたが、そのたびにアームストロングが小切手の支払いをキャンセルした。彼はコロナを気に入っており、人生ではじめて根を張った場所を離れたくなかったのだ。ルシールは情熱の矛先をこの家の改修に向けることにして、たびたび手を入れるようになった。住み始めて3年間は彼女の母親が2階を独占していたが、母親が亡くなった1946年以降は、一軒を丸ごと夫婦で使うようになった。いちばん華美な部屋はなんといっても1階のバスルームだろう。まず、一面が金縁の鏡で覆われている(アームストロングはかつて、「自分が尻を拭く姿をあらゆる角度から眺めるのは爽快だ」と記している)。

 大理石の床、大理石のバスタブ。大理石のシンクは小鳥の水浴び用の水盤、バードバスを改造したものだ。どちらかというと70年代にあったラスベガスのホテル、それも最上階のスイートルームにあるのがふさわしいような空間だ。こんなふうに贅沢にしつらえたのは、バスルームにいるのが大好きだと公言していた夫が、望んだからなのだろう(便秘薬にもこだわりがあったアームストロング。ハーブ入りの下剤「スイス・クリス」を持って、おなじみの陽気な笑みを満面に浮かべてトイレに座る写真を、手紙をくれたファンに贈っていた。しかも、この商品のサンプルを添えて。写真の下には、「すべて水に流しちまいな」と書いてあった。彼のモットーだ)。

 キッチンも、驚きであふれている。60年代の未来派にならってデザインされ、一部は1964年の万博にあった宇宙時代の展示からインスピレーションを得ている。クリアなアクリル製のユニットシェルフ、ブレンダーつきのカウンタートップ、壁に埋め込まれた缶切り。特注のクラウン社製ガスレンジにはコンロが6つ、ブロイラー(肉焼き機)が2つ、オーブンが2つ備わっていて、「ルイ・アームストロング夫妻のためにクラウンが作った特別仕様」と刻まれた小さな金色のプレートが貼ってある。キャビネットは、紺碧のラッカーで仕上げたもの。この色合いは、一定の灯りに照らされると、宇宙から見た地球の色に似ている。ルシールの愛車、キャデラックの色にも近い。

画像: キッチンのクラウン社製のレンジは特注品。キャビネットはルシールの愛車キャデラックと似た色で

キッチンのクラウン社製のレンジは特注品。キャビネットはルシールの愛車キャデラックと似た色で

 2階へ上がると主寝室があり、ルシールが愛用した小さな金色のスリッパが、キングサイズベッドのすぐ脇の床の上に置いてある。シルバーの壁紙は、見物している人の姿が映るほどきらきらと輝く。この先にアームストロングの遊び部屋があり、この家の中でもっとも心を揺さぶられる場所だ。酒を置く棚には、半分まで空けた呑みかけの「ジャック・ダニエル」など、あたかも彼が死んだ日から時間が止まっているかのように、酒瓶がそのまま保存されている。彼専用の机とタイプライター、そしてレコードのコレクション。マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクといった、より前衛的なジャズの巨匠たちの作品も含まれている。

 オープンリール式テープレコーダーは、彼の語り部としての類まれなる才能を記録するのに使われた機械だ。アームストロング自身のお気に入りインタビュー集から、1968年のマーティン・ルーサー・キング牧師の葬儀の録音まで、700本あまりのテープが残されている。この部屋について語った録音もあり、これを聞くと彼とルシールのあいだの力関係がわかる。「私にこの部屋を与え、遊び部屋にしてしまった」とアームストロングは話している。「わかるかい? これにはもう、度肝を抜かれたよ」。彼の言葉は、さらに続く。「(子どもの頃は)遊び部屋なんて、とんでもない。そんな部屋があったら、そこで寝るさ」

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