ジャズの巨匠、ルイ・アームストロングが暮らした家がニューヨークの目立たぬ一角に今も残る。手入れが行き届いた家は彼自身と、ミッドセンチュリーのデザインのレガシーを語り継ぐものだ

BY M. H. MILLER, PHOTOGRAPHS BY CHRIS MOTTALINI, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 この家をここまで完璧な状態で維持しつづけることができたなんて、いったいどういうことなのだろう? 人々にあまり知られていないのは、なぜなのだろう? 2003年に一般公開され、毎年約1万8,000人がここを訪れるが、メンフィスにあるエルヴィス・プレスリーの邸宅(グレースランド)は年間60万人の来場者を誇る。先のふたつ目の疑問に答える説明として、コロナという立地のせいだと言えば、それなりの説得力をもつかもしれない。地元の人でなければ、足を運ぶのが面倒な場所なのだ。

 ひとつ目の疑問には、そう簡単には答えられない。アームストロング夫妻に子どもがいなかったことも幸いしたが、それよりも彼の死を受けてこの家が念入りに調査されなかったことは、特筆に値する(1971年、彼の葬儀は近くのフラッシング墓地で行われ、フランク・シナトラやトークショー司会者のディック・カベットらが棺を担いだ。周囲には、多くの見物人が押し寄せた)。大事に維持されてきたのは、やはりルシールの努力によるところが大きい。夫がこの世を去ったあとは、より豪華な家に住みたいという欲はなくなり、自らが先頭に立って夫の遺産を大切に守った。1983年に69歳で亡くなるまで住み続け、この家をニューヨーク市に遺贈した。

画像: 主寝室。夫妻が愛用したベッドリネンと妻のナイトガウンが見える。シルバーの壁紙に反射してクリスタルのシャンデリアはきらめきを増す

主寝室。夫妻が愛用したベッドリネンと妻のナイトガウンが見える。シルバーの壁紙に反射してクリスタルのシャンデリアはきらめきを増す

 1987年以降は、アームストロングのアーカイブスを所蔵するクイーンズ大学によって運営されている。同大がベッシー・ウィリアムズを従業員として採用したのは、先見の明があった。彼女は1972年にルシールに雇われて以来、長年この家のお手伝いさんだった人で、数週間に一度、以前と同じように家をきれいに掃除した。そしてここがミュージアムとして開館する少し前に、引退した。

 もうひとつの要因は、まさにアームストロング本人にほかならない。彼は5年生(日本の小学校高学年に相当)のときに学校教育から脱落したが、モノの分類や保存に関しては研究者の気質を発揮した。彼のアーカイブスには、愛用した数々のトランペット、蔵書(『戦争と平和』や『二十日鼠と人間』、聖書など)、1967年に「What a Wonderful World」が初めて録音されたときに使用した楽譜の原版に加えて、かなり奇妙なものまで保存されている。たとえば、1959年に書いたマリファナを考察する長文エッセイ(その書き出しは、「(マリファナには)『gage』という美しい隠語が使われることもある」)。はたまた、フランツ・シューリッツが発明したリップクリームの箱も、たくさん残っている。トランペットの演奏で唇が荒れるので、彼はこの軟膏を多用した。そのため、メーカーから一生分を提供されたのだ。さらに、手づくりのジョーク集まで存在する。「アイツらの耳」「前立腺マッサージ」など、笑いをとるための決めゼリフや落ちが、数多く索引にまとめられている。

 このような収集と分類への強いこだわりについて、アームストロング・アーカイブスを運営するリッキー・リカルディは、次のように話す。「とても謙虚な人で、エゴイストではなかった。とはいえ、自分がどれほどの偉業を成し遂げたかは、はっきりと自覚していました。彼はほかでもない自分が、その語り手になりたかったのでしょう」。巡業していないときのアームストロングの暮らしぶりが刻まれたこの家自体が、今ではアーカイブスの役割を果たしている。

 リカルディは、とある逸話を引き合いに出した。戦後まもない時期、アームストロングはよくシカゴへ出かけて演奏し、ダウンタウンのホテル「パーマーハウス」に泊まった。彼が来ていることが例のごとく知れ渡ると、部屋の前に人の列ができた。アームストロングはこの人たちの苦労話に耳を傾け、お金をあげた。ぽんと20ドル、50ドルを渡し、ときには500ドルを差し出すこともあった。

 なぜそんな大盤振る舞いをするのかと、彼のマネジャーだったジョー・グレイザーが尋ねると、アームストロングはこう答えたという。「カネがなんだ? どうしてカネがいるのかって? いつかこの人たちが、俺のことを歴史の本に書いてくれるさ」

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