インディーズ・シネマ界を代表する女優がかつてのホームグラウンドを再訪し、あまりつつましいとはいえない生い立ちを明かす

BY AMANDA FORTINI, PHOTOGRAPHS BY SEAN DONNOLA, TRANSLATED BY NHK GLOBAL MEDIA SERVICE

画像: DCAスリフトショップ

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 セヴィニーが暮らしていた、彼女の家族がダリエンで所有した2軒目の家は、海岸沿いに立つ広大な屋敷のなかではつつましい、グレーのこけら板で覆われた平屋造りの家だ。彼女が20歳のときに他界した父親は保険の仕事をしていたが、のちに仕事を辞めてトロンプルイユ(騙し絵)の画家になった。母親は教会の保育園で働いていて、その後、文房具店に勤めた。ボヘミアンな気質の両親はセヴィニーにお小遣いを与えなかったため、彼女はいつも「ティーンエイジャーがよくやるつまらないアルバイト」をしていた。

私たちは最近取り壊されたノロトン・ヨットクラブの跡地を見にいったが、セヴィニーは5年生の終わりの夏休み、そこでクレーのテニスコートの掃き掃除をして稼いでいた。途中で通りかかった青いシャッターのついたかわいらしい家は、彼女が4人の幼い子どもたちの「住み込みではない子守」をしていたところだという。「洗濯をして、子どもたちの夕食を作って、お風呂に入れていたの」と彼女は振り返る。同級生たちとは階級が違うという意識があったかと 尋ねると、「そうね、それはすごく意識させられた」と彼女は答えた。「しょっちゅうからかわれていたから。たとえば、私の両親がホンダに乗っていることで、徹底的にからかわれたわ」

 やがてセヴィニーがそうしたように、自分が住んでいる土地に反抗したとしても、その場所の影響を受けることには変わりはないのかもしれない。高校の1年目には、 彼女はソフトボールのチームをやめた。「ほかのことに夢中になったから――つまり、 ボーイフレンドのことや、マリファナを吸うことに」。演劇もやってみたが、自分には向いていないと思ったという。「私はクールな不良の子たちとつるんで、講堂の外 でたむろしたりして、課外活動にはいっさい参加していなかったの」。今はマンハッタンのクラブのオーナーになった兄のポールを彼女は崇拝していた。ポールは、ハードコアな音楽やスケートボードなど、「オルタナティブな若者のスタンダードになっていたこと」をすべてやっていたという。

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