新型コロナウイルスの出現とともに、私たちを取り巻く社会は一変した。ウイルスとの共生が求められるなか、私たちの日常はどのようなものになってゆくのか。先の見えない世界を生きてゆくヒントを、さまざまな分野で活躍する識者の方たちが一冊の本を通じて語る

BY JUN ISHIDA

 第1回は、偶然にも同じ書籍を推薦した音楽家の坂本龍一さんと建築家の伊東豊雄さんが登場。生物学者の福岡伸一さんによる『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』を取り上げます。前編の坂本龍一さんに続き、今回は後編、伊東豊雄さんにお話しをうかがいました。


人間は自然の一部である
―― コロナ禍で迫られる近代主義の見直し

 福岡伸一さんとは以前からの知り合いで、その考えには共感する部分が多いのですが、新型コロナの蔓延に伴い、改めて福岡さんの人間の、人体に対する考え方になるほどと思いました。『動的平衡』は、福岡さんの最も中心的な思想を語る本です。

 テレビで専門家の方たちが、どうして日本は他国に比べて新型コロナ感染者が少ないのかを語っていましたが、僕は自然に対する考え方が関連しているような気がします。欧米とアジアでは自然観が異なります。コロナ禍の前から建築に対して思っていたことですが、欧米から入ってきた近代主義思想に対して、近代以前の日本の自然観に基づいた建築をつくれないかと考えていました。建築の世界もずっと近代主義思想に基づいていて、いまだにモダニズムの建築の枠組みの中で考えざるをえないところがあります。近代主義思想とは、自然は技術によって、科学によってコントロールできるというものです。

それに基づいたモダニズムの建築は、自然を排除し人工環境を作ることを前提として考えられています。20世紀の都市は拡大に拡大を重ねてきましたが、まだ自然との関係、全体のバランスがうまく取れていた。しかし20世紀の終盤にきてグローバルな経済システムにより、過剰な生産・建設・移動の結果、自然とのバランスが崩れてしまった。その結果、自然からの報復の一つの現れとして、新型コロナが発生してきたのではと思っています。福岡さんの『動的平衡』はコロナ禍以前に書かれたものですが、近代主義思想とは異なるアジアの人々の自然観を見事に語っています。

画像: 『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(小学館新書) 福岡伸一 著 ¥840/小学館 PHOTOGRAPH BY YUMI YAMASAKI

『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(小学館新書)
福岡伸一 著
¥840/小学館
PHOTOGRAPH BY YUMI YAMASAKI

 近代主義思想においては、人間は自然から切り離された、自立した個として考えられていました。一方で、福岡さんは、人は自然の一部であり、人間の身体は消化器官のように体内を貫通するチューブによって外界とつながっていると仰っています。食べ物は、胃の中でタンパク質が分解されアミノ酸になった時に、初めて体内に吸収され、いらないものは絶え間なく排出されてゆく。この合成と分解は毎日微妙に変化していて、人間の身体は動的な平衡状態を保っているというのです。

(略)合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するよう自分自身の状態を調節することができる。これはまさに「生きている」ということと同義である。
(福岡伸一『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』より)

 
新型コロナウイルスに関していえば、自然界にウィルスはたくさん存在しているけれど、たまたま今回のウイルスが人間に取り憑いてきた。もともと人間はいろいろなウィルスと共生しながら生きています。ウイルスの側から見ると、人間も自然の一部ですから、他の動物、植物と同じなのかもしれない。人間が密にいればいるほどウイルスは移りやすくなりますが、都市の本質は人が集まることなので、ウィルスにとっては都市はこれ以上にない環境ともいえます。これに対して人間の側は、近代化と共に自然から切り離された清浄な環境に住んで無菌の存在だと思い込むようになってしまいました。

しかし、そもそも人間は自然の一部分ですから環境と連続した存在なんです。新型コロナウイルスはこのことを改めて知らしめました。その事実を再認識しなければなりません。近代思想は、様々な発展のために役立ってきましたが、ここにきて行き詰まった近代主義思想を再考せざるをえない事態になりました。福岡さんが提唱する『動的平衡』における身体像は、このような事態においてきわめて示唆に富んでいます。

 

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