映画や演劇やテレビ、そしてビジュアル・アートやソーシャルメディアの分野で、より多くのろう者(聴覚障害者)のクリエイターたちが「アメリカン・サイン・ランゲージ」を使い、手話を表現文化に組み込んでいる。彼らはそうすることで、長い間ずっと沈黙させられてきたコミュニケーションの手法を人々に伝えているのだ

BY JAKE NEVINS, ARTWORK BY CHRISTINE SUN KIM, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 昨年8月、ロックダウンに入って数カ月後に、レイヴェン・サットンはTikTokに短い動画を投稿した。ワシントンD.C.に住む25歳の黒人ダンサーで、ろう者のサットンは、その動画の中で、カーディ・B作詞のラップ曲『WAP』を手話であるアメリカン・サイン・ランゲージ、通称ASLでカバーした。手話は、英語とともに彼女が生まれたときから使っている言語だ。ベージュの丈の短いトップスを着てフープ型のピアスをつけたサットンは、ミーガン・ザ・スタリオンが歌った歌詞を手話で伝えた。カメラに向かって恥ずかしそうな視線を向けながら「私をむさぼり、私を飲み込み、私の身体の脇を滴り落ちる」というフレーズを、ろう者の視聴者たちに向けて表現した。

サットンはもちろん音楽を物理的に「聴く」ことはできない。だが、幼い頃からダンスを踊ることに親しんできた彼女は、膨大な語彙を表現できる複雑な言語である手話を通して、感情や気持ちをリズムに乗せて表現する方法を見つけた。スピーカーから響いてくる重低音の振動に注意深く気を配り、8カウントを数えて、歌詞が始まるタイミングに合わせる。サットンは35秒間の動画を投稿すると、アプリを閉じて数時間別のことをして過ごしていた。彼女が再びアプリをチェックすると、数千の「いいね」とコメントが書き込まれており、しまいにはカーディ・B本人が、その動画をリツイートするに至った。

 耳が聴こえる聴衆は、長い間ASLを無視してきたか、もしくは、少なくとも手話については何も知らず、ASLには創作表現をするうえで、ほぼ無限の可能性があることも知らなかった。そんな彼らにとって彼女の動画は好奇心をそそられるものだった。サットンの振り付けがあまりにもエキサイティングなので、あなたは本当にろう者なのかとサットンに尋ねた人もいる。また手話通訳者を介してのビデオ通話でわかったことだが(この記事のためのインタビュー取材はすべてこの形式で行われた)、サットンが、この歌のタイトルでもある繰り返しのフレーズ(註:『WAP』には女性器を意味する言葉が含まれている)を何種類かの違った手話の形で表現したのはなぜなのか、と尋ねた人たちもいたという。両手をVの字型にしたり、腰を素早く回したりしたのはなぜなのかと。ろう者の言語として200年以上前に確立されたアメリカン・サイン・ランゲージが、これまでいかに多くの人に誤解されてきたかを考えれば、こんな質問を受けることも想定内だ。

画像: 《楽譜を書くこと、書き残すこと、書き残すこと》(2021年) この記事のために、ベルリン在住のアメリカ人アーティストでろう者のクリスティン・スン・キムが作品を描いてくれた CHRISTINE SUN KIM, “NOTATING TRANSCRIBING TRANSCRIBING,” 2021, CHARCOAL ON PAPER. PHOTO BY STEFAN KORTE

《楽譜を書くこと、書き残すこと、書き残すこと》(2021年)
この記事のために、ベルリン在住のアメリカ人アーティストでろう者のクリスティン・スン・キムが作品を描いてくれた
CHRISTINE SUN KIM, “NOTATING TRANSCRIBING TRANSCRIBING,” 2021, CHARCOAL ON PAPER. PHOTO BY STEFAN KORTE

ASLは、健聴者がしばしば想像するように、英語をジェスチャーで表現したり字訳したりするだけではない。文法や構文のうえでもほかの言語に引けを取らないほど進化した視覚言語であり、表現の仕方や文の構造には空間と時間が多面的に使われている。手話では、あるひとつの状況を設定することが多い。そして、それにふさわしい文字を、お互いの空間での位置関係を考慮しつつ配置していく。その点では、演劇の演出に似ているのだ。ASLが英語とかなり違うのは、主語と述語の構成だ。目的語がまず先にくることが多い。たとえば「本が好きだった」(註:英語では"liked a book"の語順)と言いたい場合、手話では「本」が最初にきて、その次にそれについてどう感じているか、がくる。サットンにとって、この曲の常識を覆すほど挑発的なタイトルを繰り返すフレーズは、歌詞で語られる状況に合わせ、ASLを使って、その都度さまざまな形で表現することができるのだ。「ミーガンが、違った種類の…について語る箇所があるけど」と彼女は歌の題名を口にするのをためらいつつ笑いながらそう言った。「彼女はいくつもの違った状況での話をしているでしょう? 彼に大学の学費を払ってと言っていたり、携帯で写真を撮ることを言っていたり」

 この動画がネット上で話題になって以来、サットンはTikTokを使ってダンスを披露しつつ、大勢の健聴者のフォロワーたちにASLを教えてきた。パンデミックの最中に自宅待機を強いられているろう者のクリエイター一派のひとりとして、自分の人気を上手に使い、ろう者の現状を世に知らしめ、さらに、人々の手話への理解が深まるように尽力している。「デジタル・コミュニケーションのさまざまな手法に対し、ろう者たちは非常に素早く適応してきた」と語るのは、テキサス州オースティンにある全米ろう者センターのディレクターで、41歳のキャリー・ルー・ガーベログリオだ。このセンターは「Deafverse(ろう者の詩)」という名の、初のASL話者用のアドベンチャー形式のビデオゲームを2019年に開発した。それ以前にも、ろう者たちは、テキストを送るテレタイプライター(TTY)の技術や絵文字を使いこなし、ろう者同士の仲間内のコミュニティをインターネット上で形成し、育んできた実績がある。ソーシャルメディアが普及すると、SNSはコミュニティをまとめるパイプラインの役割を果たし、これまで伝統的にろう者たちの進出を阻んできた組織や企業の権力という門番を通さずに、彼らが自由に活躍できるようになった。

 また、過去10年ほどの間に、インターネット以外の領域でも、多様性に富んだ人々を描いた膨大な数の作品が登場し、その中には、ろう者たちが手話で表現するコンテンツもかなり増えてきていた。さらに、これまで何年も無視されてきたろう者コミュニティにとって、史上初の出来事が最近続いている。まず、最新シーズンのテレビ番組『バチェラー』にろう者の参加者が登場し、今年の後半には、トニー賞ノミネート経験のある女優、ローレン・リドロフが初のろう者のスーパーヒーロー、マッカリを演じるマーベル映画の『エターナルズ』が公開される予定だ。

 そして、「ろう者の両親を持つ子ども」を意味する言葉の頭文字を題名にした映画『Coda コーダ あいのうた』が、今年のサンダンス映画祭で大好評を博し、アップルスタジオが2,500万ドル(約27億円)という同映画祭史上最高額で配給権を獲得した(註:さらに第94回アカデミー賞では、作品賞、助演男優賞、脚色賞の3部門を受賞)。各州が新型コロナウイルス感染症の状況を発表する記者会見の場ですらも、視聴者に生死に関わる情報を伝える手話通訳者たちが、ちょっとした有名人になるほどだった。そのおかげで、ASLにも注目が集まり、ろう者たちがこれまで、いかにさまざまな場面で端に追いやられていたかも白日の下に晒された。昨年秋、全米ろう者協会がトランプ政権を正式に裁判で訴えたのは史上初のことだ。ホワイトハウス側がコロナウイルス関連の説明記者会見に手話通訳を提供しなかったためだ。一方、バイデン大統領が就任して1 週間もたたないうちに、新政権の報道官は、日々の記者会見のすべてにおいて手話通訳者が出席すると発表した。

これは歴代大統領の中でも初めてのことだ。過去数年の間、こういったいくつかの快挙は起こるべくして起こったように見える。しかし、こうした扱いを受けることが、ろう者の当然の権利なのだという認識が広まったから実現したというわけではなく、チャンスとそれを可能にする状況がたまたま揃ったために実現したわけだ。だが、今、パンデミックの最中にそうした変化がさまざまな所で起きているのは、単なる偶然ではない。デモや動乱をきっかけとして、機会と平等についての率直な会話が活発に行われるようになった。さらにパンデミックにより対面から画面にコミュニケーションの場が移り、ビジュアルの量が音声の量を凌駕する中、改めて、切羽詰まった状況下での共感が深まり、お互いを理解しようという試みが触発されてきた。今、私たち全員が、人とのリアルなつながりに飢えている状況で毎日を送る中、今までになかった新しいつながり方を受け入れ始めている。そこから、言語が、必ずしも音やテキストから発したものである必要はなく、手話がその源になってもいいのだ、という認識もまた生まれてきた。

 最も著名なろう者クリエイターたちや、今実際に活動しているアクティビストたちの多くと話すと、彼らの中にワクワクする気持ちと懐疑の念が混じり合っているのを感じる。ろう者の世界と健聴者の世界の間の溝を埋めたい、という気持ちがあるのと同時に、それを達成するのに何年も根気強く頑張らねばならないことに、彼らは疲れ果ててしまうのだ。「時々ね」とベルリン在住の40歳のビジュアル&サウンドアーティスト、クリスティン・スン・キムは言う。「健聴者はろう者に出会うと、どうしていいかわからない。だから結局私たちは、彼らのやり方でコミュニケーションするはめになってしまう」

活力あふれるキムの作品の中でも、最近ロサンゼルスのフランソワ・ゲバリー・ギャラリーに展示された《Trauma, LOL(トラウマLOL)》と題されたシリーズは出色だ。「ろう者ではない人々に何度も何度も何度も説明しなくてはならず、彼らのおかげで私たちの仕事が倍に増えている」という、思わず脱力してしまう心境を描いているからだ。2013年にキムがTED(註:「TEDトーク」と呼ばれる講演を通じ、先進的なアイデアを発信するカンファレンスメディア団体)のフェローに選ばれ、さらにその6 年後にホイットニー美術館のビエンナーレの展示メンバーに選ばれると、美術館やギャラリーは彼女を少しは厚遇するようになったが、それでも彼女は手話通訳者が必要だと彼らを説得しなければならず、さらにキュレーターに子ども扱いされたり、展示させてもらえるだけでありがたいと思えと言わんばかりの態度をとられたりしたという。「私たちは、必要最低限のニーズを満たすためにすら、もっと抗議しなければならない」と彼女は言う。「もし自分だけのことを考えるなら、私はアクティビストでいたくはないけれど」

 何世代もの間、理解の進歩の速度はゆっくりで、しばしば遅々として進まない状態を経てきたため、ろう者が健聴者との交流に懐疑的になっても仕方がなく、ろう者のコミュニティは、それ自体で完結していた。その結果、彼らの間に、ASLは自分たちのものであるという意識が芽生え、ASLがバカにされたり商業化されたりすると、外界からの攻撃に必死に抵抗する姿勢が、ろう者たちの間に生まれるようになった。ネルソン・マンデラの葬儀で起用された手話通訳者のジェスチャーが、ほとんど理解できないほど意味をなさず、手話の質は最低だった。それをろう者たちが目撃したのは今からたった8 年前のことだ。しかし今や、米国現代語学文学協会の2018年の報告によれば、ASLはアメリカの大学でスペイン語とフランス語に続いて3番目に多く履修されている非英語の言語だという。

さらにインターネット上には健聴者によるASLの教習ビデオが大量にアップされている。これはやや困惑させられる指標ではあるが、手話がどれだけメインストリームの人々の間で認知されるようになったかを物語っている。「多くの場合、教習ビデオの手話は正確ではない。顔の表情、身体の動き、位置、手の形。教えるときにはそれらすべてが大切だから」とサットンは言う。彼女はワシントンD.C.にある、全米初で唯一の、ろう者のためのリベラル・アーツ専門のギャローデット大学出身だ。「結局のところ、彼らは自分がインフルエンサーになるために、私たちの文化や言語を使っているわけ」

 こうした不信感を理解するには、祝福と抑圧という激しい転換を経てきた手話の歴史を学ぶ必要がある。手話はフランスからアメリカに伝わった。18世紀半ばに宗教指導家のシャルル・ミシェル・ド・レペー神父の庇護の下で、フランスのろう者たちの教育の第一歩が踏み出された。それまで手話は、地域の土着の手話とフランス語の文法が融合したような形で非公式に存在していた。ド・レペーは二人のろう者の少女たちと出会い、彼女たちがコミュニケーションするのを見た。当時、彼女たちは、教育するには価しない存在だと思われていたが、実際、二人は賢い生徒だった。そこでド・レペーは彼女たちが使っていた手話とジェスチャーに、洗練された構造を与え始める。

彼が考案した手法は1760年に正式に完成し、同年、ろう者のための初の無料のろう学校が設立された。それがのちのパリ国立ろう学校だ。「ド・レペー神父は手話の発明者や創造者ではない」と書いたのはろう者のピエール・デロージュで、1779年出版の彼の著書は、ろう者についに人権が与えられたその記念すべき活力あふれる時代の空気を反映している。「事実は逆で、ド・レペー神父はろう者から手話を学んだのだ。彼は不具合を見つけ、それを修正したに過ぎない」

 ド・レペーが1789年に死去したのち、彼の弟子で、シカール神父として知られる文法学者のロシャンブロワーズ・キュキュロン・シカールが学校を引き継いだ。のちの1989年に発行された影響力のある書籍『手話の世界へ』で筆者のオリバー・サックスが「ろう者の歴史上の黄金時代」と呼んだ時代の導入部分を牽引したのが、シカールだ。当時、手話はろう者にとって最も「自然な」言語だと認識されており、パントマイムの単なる子どもっぽい一形態などではなかった。その後、シカールは、アメリカ人教育者のトーマス・ギャローデットと出会う。ギャローデットは1817年にコネチカット州のハートフォードで、のちのアメリカろう学校の前身となる学校の設立に尽力した。その学校では、フランスの手話とアメリカ独自の手話のやり方を融合させた。当時、マサチューセッツ州のマーサズ・ヴィニヤードの西側の端に位置するチルマークや、ニューハンプシャー州のへニカー、そしてメイン州のサンディ・リバー・バレーなどには多数のろう者が住んでおり、彼らがそれぞれ違う独自のサインを使っていたが、それらがひとつに統合された結果、アメリカン・サイン・ランゲージが生まれたのだ。

画像: キムの作品《翻訳すること、通訳すること》(2021年) 「これら2枚の絵は、いかにコミュニケーションの手法が常に競争状態にあるかを描いたもの。手話通訳者と一緒に仕事をすると、大抵は私が言うことを通訳してくれるだけだけど、もしその人が私のことをよく知っていたら、だんだんと翻訳レベルにまで達する。そのほうがより正確だから。私のアートのやり方は、楽譜を書くことと、言葉を書き残すことの境目を曖昧にするような作品を描くこと」 CHRISTINE SUN KIM, “TRANSLATING INTERPRETING,” 2021, CHARCOAL ON PAPER. PHOTO BY STEFAN KORTE

キムの作品《翻訳すること、通訳すること》(2021年)

「これら2枚の絵は、いかにコミュニケーションの手法が常に競争状態にあるかを描いたもの。手話通訳者と一緒に仕事をすると、大抵は私が言うことを通訳してくれるだけだけど、もしその人が私のことをよく知っていたら、だんだんと翻訳レベルにまで達する。そのほうがより正確だから。私のアートのやり方は、楽譜を書くことと、言葉を書き残すことの境目を曖昧にするような作品を描くこと」
CHRISTINE SUN KIM, “TRANSLATING INTERPRETING,” 2021, CHARCOAL ON PAPER. PHOTO BY STEFAN KORTE

 1864年に米国議会が連邦政府の資金を使い、ろう者専門の大学、つまりのちのギャローデット大学となる機関を設立することを認めた。だが、当時、口話法の提唱者として有名だったアレクサンダー・グラハム・ベルらが、教育改革者ホーレス・マンたちの伝統を継承し、ろう者は口の動きから言葉を読み取る読話と口話を習得すべきだと主張した。ベル本人は彼が電話を発明する以前に、ろう者と苦渋を伴う縁があった。彼の母と妻の両方がろう者だったのだ。ベルは障害は完全に取り除かなければならないと考えており、1883年に、米国科学アカデミーのスピーチで、ろう者同士の婚姻には反対だと表明したほどだった。

 ベルが手話教育の発達を阻み、ろう者の文化を軽視したことについて、キムは彼をろう者コミュニティ史上、最大の禍だと考えている。その忸怩(じくじ)たる思いを形にしたのが、セントルイスにあるワシントン大学のために彼女が造った壁画だ。今年の2月に彼女が公開した高さ25フィート(約8メートル)のこの作品は、特にろう者を悩ませてきた三つの要因を表現している。タイトルは《Stacking Traumas(トラウマの積み重ね)》。巨大な音符がそれぞれ重なり合うように描かれ、全体で一連の惨めなやりきれない気持ちを表現している。三つのうちの最初が「ディナーテーブル症候群」もしくは健聴者に囲まれた場所でひとり浮いてしまう気まずさ。

二つ目は「健聴者が感じる不安」で、ろう者と健聴者の間にある分断を行き来する際に生まれるストレスを意味している。そして梯子のてっぺんのような高い位置に鎮座しているのが「アレクサンダー・グラハム・ベル」だ。彼の名前がほかの二つよりもはるかに高い位置にそびえており、克服すべきハードルとして存在している。

 昨年秋、Netflixが『ろう者たちのキャンパスライフ』というドキュメンタリー番組のシーズン1 を公開した。ギャローデット大学の数人の学部生の生活を切り取ったソープオペラ的な番組で、統括プロデューサーはろう者で俳優のナイル・ディマルコ(31歳)だ。彼もこの大学を2013年に卒業している。このシリーズは、一見よくあるリアリティショーのように見えるかもしれない。恋愛の三角関係、予期せぬ妊娠や、学生と父親との葛藤など、視聴者にとってなじみ深い話題が満載だからこそ、逆にその中にある斬新さが際立つのだ。若者たちのメロドラマの面白さと同時に、シリアスな側面も描かれており、過去から現在までを振り返るようなシーンもある。ニューヨークにあるバーのストーンウォールがゲイの人権を象徴する場所となったように、ギャローデット大学は現代のろう者運動の中心なのだ。1988年にこの大学の学生たちは、健聴者の学長の罷免を求めて、ろう者を新学長に据えるという、同大学史上初の快挙を成し遂げた。

 手話を通して見慣れた大学生活の情景を表現することで、この番組『ろう者たちのキャンパスライフ』は、ASLが実際にどう使われているかを徹底的に伝えると同時に、キャンパスライフに深く根づく社会階層をもあぶり出している。親の代からのろう者や生まれつきのろう者は、手話を完璧にマスターしているため、学生カーストの最上位に君臨する。一方、ろう者らしくない、と見られている学生たちもいる。

特に補聴器や人工内耳を装着している者は半人前のろう者と見られる。たとえば、ギャローデット大を卒業したろう者の両親を持つ白人の女性、アレクサは、上流階級出身とされ、学校のろう者の「エリート」だ。彼女はロドニーとディーコンという二人の黒人学生と同時につきあっている。この二人は完全なろう者ではなく、聴力が若干ある。この三人が、外界から閉ざされた独自の生態系である自分たちの世界で、これまではっきり語れなかったタブーについて率直に話すのだ。この番組の製作プロダクションのメンバーの多くがろう者だ。彼らは何の変哲もない会話の場合、撮影を切り上げ、ほかの場所で行われているもっと刺激的な会話を求めて動き回り、しばしば撮影を中断する。「多くの言語は顔の表情にこそある」とディマルコは言う。「それは、ごくわずかな表情の動きや眉毛の動きだったりする。だからカメラを操作する側にろう者がいて、こういう微妙なニュアンスに気づく能力があることが、撮影には不可欠なんだ」

アレクサがキャンパスの中庭のベンチに座り、首を鶴のように伸ばして周囲に誰もいないことを確かめてから、ディーコンに、自分を妊娠させたのはわざとかと聞くシーンがある。そのときアレクサは、まるでささやくかのように、太腿の下あたりの位置で手話をするのだ。『ろう者たちのキャンパスライフ』の副産物は、こうした特徴的なしぐさや表現への理解が深まることだ。すべての言語にはその言語特有の動きや特徴があるが、ASL独特の習慣をほかの言語で表すことは極めて難しいという思い込みが前提にあり、これまでは注目されずに見すごされてきた。言語というものがどんな範囲でどう使われるべきかを決めてきたのが常に健聴者だったため、長い間、言語とは音の領域なのだと考えられてきた。だが、クリスティン・スン・キムは2015年のTEDトークで、音を「身体で感じることができるし、または、映像やアイデアとして経験することもできる」と説明している。

 1960年に言語学者のウィリアム・ストーキーが『Sign Language Structure(手話の構造)』と題した論文を出版して初めて、それまで口語推進運動によって発展を阻まれていたASLの評判がやっと回復し、正式な言語として学問上で扱われるようになった。それから60年がたち、ろう者たちは再び彼らの母語である手話で話すことを奨励されるようになった。それはつまり、聴こえないことはハンディキャップではなく、正真正銘のひとつの文化なのだという理解が進み、それによって、その文化をいち早く支えてきた手話が再び見直され、尊重されるようになったのだ。手話かそうでないかにかかわらず、あらゆるアメリカの言語が、その領域を超越して進化を遂げつつあるのは単なる偶然ではない。

たとえば、黒人やラテン系や性的マイノリティなどの視点を通し、そのグループ内で共有される独特の言い回しや用語が生まれてきた。だからこそ、TikTok上にあるすべてのASLのコンテンツがある意味革命的と言えるのだ。TikTokの動画には字幕がついていることが多い。さらに、ろう者がスターバックスなどのドライブスルーで、手話を使って店員に商品を注文する光景を紹介する短いチュートリアル動画を、TikTok上で視聴者が目にする機会も多い。

TikTokのアプリは、本来であればほかの言語に翻訳しにくく消滅する危険に常にさらされている視覚言語を、完全保存できるアーカイブとしても機能している。テキサス在住の22歳のナキア・スミスは自らの動画の導入部分でまず、手にローションを塗る。これは、スピーチをする前に咳払いする習慣みたいなものかもしれない。スミスは、ろう者の家系に生まれた。彼女が4世代目だ。自作動画の中で彼女はブラック・アメリカン・サイン・ランゲージ(BASL)の細かいニュアンスを彼女のフォロワーたちに紹介している。スミスは手話の方言であるBASLを「ASLに薬味を振りかけた感じ」だと形容する。彼女はまた、字幕のない動画や手話通訳者のいない教室などの情報へのアクセスの悪い環境が、ろう者が社会参入しづらい状況を生んでいると指摘する。

 昨年10月、スミスと彼女の祖父がBASLの歴史を紹介した動画がネット上で話題になると、Netflixから連絡があり、両者がソーシャルメディアを通して協業することになった。その1 回目の放送では、スミスがBASL、つまり黒人のろう者たちの間で使われていた「方言」の歴史の源には、人種隔離政策があったことを解説した。多くの黒人ろう者と同様に、スミスは対話する相手に合わせて、ASLとBASLの両方を使い分けている。彼女いわく、BASLを使う人は、胴体の位置ではなく、必ず額の前あたりの位置で手話をする。また、ASLでは片手だけを使うことが多いが、BASLは両手を使う。今日、手話の方言に関する言語学の研究がほとんど存在しないのは、ろう者への差別と人種差別の両方の結果だと彼女は語る。だが、昨年夏のブラック・ライブズ・マターのデモには黒人ろう者たちが主要な参加者として含まれており、それが黒人ろう者の研究の必要性を急速に認知させ、最近、実際に調査が開始された。それとともに、インクルージョンを加速させる動きが高まり、ギャローデット大学に黒人ろう者研究センターが今年初めに設立され、黒人ろう者の人権運動の先駆けとなったさまざまなビデオ・キャンペーンも展開された。

 スミスたちは、多くのフォロワーを獲得したSNSのプラットフォームを、拡声器としてだけでなく、手話を記録し、歴史を保存する手段としても使っている。しかし、書き言葉にしてしまうとその複雑さが損なわれてしまう視覚言語を、どうやって質を保ったまま保存することができるのだろうか? この問題は演劇の分野で特に顕著だ。ASLを用いた演劇のビデオ製作では、ビデオ映像の権利は守られるが、手話の会話の表現はその権利の中に含まれない。それを避けるため、ニューヨークを拠点として活躍するろう者で劇作家であるガレット・ザーカー(41歳)は英語とASLの両方で作品を書いている。それは一般的な劇作と比べて、想像以上の労力を使う作業だが、彼はもう慣れてしまったと言う。「私の劇作では常に二つの言語を使っているし、ろう者のコミュニティではみんな日常で当たり前にやっていることだから」

 このパンデミックが始まった当初、ライブ・パフォーマンスが一気にオンラインの場になだれ込んできた。耳がよく聴こえない観客のために、字幕がつけられた演劇の映像を見たザーカーには、その字幕が十分だとは思えなかった。今、多くのろう者クリエイターらは、自宅待機の時代に、期せずして生まれた神器であるオンライン会議で会話しており、その場には、手話通訳者も現地に実際に行かずにリモートでログインして参加できる。さらに、ここ数年の間に、画面上に字幕が追加される機会も増え、聴覚補助の技術も進歩した。だが、そんな技術が進歩すると、手話コミュニケーションの多くの利点が軽視される可能性もまた出てくる。ロックダウンが始まってから数週間後にザーカーと、ろう者の演劇コミュニティの数人がスティーヴン・ソンドハイムのミュージカル『スウィーニー・トッド』(1979年)を観るためにリモートで集まった。全員がソンドハイムの作品に詳しいだけに、彼らは、会話が重なり合う部分や、歌詞の多くの部分が、いかに字幕ではカバーすることが不可能かという点に気づいた。「あれはまるでソンドハイムの作品を水で薄めたような感じだった」とザーカーは私に言った。

 その後すぐに彼と、ローレン・リドロフを含む彼の友人たちが手話を使って独自の『スウィーニー・トッド』の朗読会を開いた。その試みはまるで修復作業のようだった。字幕によって失われた言葉のリズムがきちんと表現され、それが視覚ではっきり確認できたのだ。彼らはほかにも『Company(カンパニー)』(1970年)と『イントゥ・ザ・ウッズ』(1986年)の2作を手話で朗読した。そしてそれが劇団「Deaf Broadway(ろう者のブロードウェイ)」の誕生となった。ロサンゼルスで30年間続いている「Deaf West Theatre」の東海岸版のようなものだ。字幕は、音を聴くことが難しい視聴者にとっては非常に役立つツールだが、やはり劇を自分のネイティブ言語で楽しめると、誰しも思わず力がみなぎって元気になる。ある母親が「Deaf Broadway」に連絡してきて、彼らにこう言った。彼女の健聴者の子たちは2014年の映画版の『イントゥ・ザ・ウッズ』がお気に入りだが、そのきっかけは、兄弟のうちのろう者の子が、手話バージョンの『イントゥ・ザ・ウッズ』を観て楽しんでいたことで、そこから映画版があることを発見したのだという。ザーカーにとっては「この話はつまり、字幕では足りないってことの証明だ。手話によって体験すると、深い意味まで理解することができるから」ということだ。

 それと同様に、手話の使い手が画面に映っている自分自身の姿を見ることもまた、重要な経験だ。ペンシルバニア在住の俳優、ミリセント・シモンズ(18歳)にとっては、画面の中の自分を見て現実を再認識するのは怖い体験でもあるという。映画やドラマに出てくるろう者の登場人物は、大抵、健聴者の俳優によって演じられている。また、たとえば、ろう者の俳優マーリー・マトリンが、1987年にアカデミー賞主演女優賞を受賞した映画『愛は静けさの中に』ですら、アメリカン・サイン・ランゲージを使った会話が編集作業によって意味が通らないものになってしまっている場面が多々ある。シモンズは、そんな歴史があるからこそ、自分の出演映画作品をあえて観ようという動機づけになるという。『ワンダーストラック』(2017年)や『クワイエット・プレイス』(2018年)と、今年公開されるその続編まで、全部まとめて観るつもりだ。もし手話がなかったら、と彼女は言う。「私は自分の家族とも親しい関係を築くことができないし、会話すらできない」

 耳が聴こえないことは、ひとつの生き方であり、劣っている生き方ではないのだと認識するプロセスは、ダリウス・マーダー監督の最近の映画『サウンド・オブ・メタル―― 聞こえるということ』(2019年)でも描かれている。主演のリズ・アーメッドはこの作品のために手話をイチから学んだ。映画の中盤にさしかかる頃、アーメッドが演じる役ルーベンは、何年もヘビーメタルバンドのドラマーとしてツアーをしているうちに耳が聴こえなくなってしまう。彼は人工内耳を入れる決意をする。神経機能の代替となるデバイスが聴覚神経を刺激し、聴覚に近い感覚を作り出すのだ。だが、映画の中で、彼が暮らすことになるろう者のコミューンでは、人工内耳を入れることは侮辱だと受けとめられている。「ここにいる誰もが、耳が聴こえないことを、治療すべきことだとは思っていない」と彼のメンターはルーベンに言う。

 映画『サウンド・オブ・メタル』は依然として存在するイデオロギーの違いによる分断を描き、その問題点を掘り下げながらも、ジャッジすることはしていない。そのかわりに、この映画は、音なしで、手話を使って豊かな人生を送ることができるのだと提示している。聴力がないということは、そのぶん、人生の苦難も感じなくなる、ということでは決してない。筆者の私自身、聴覚障害を抱えており、数えきれないほどの時間を視聴覚訓練に費やしてきた。だからこそ言えるが、マーダー監督はその苦難の非情さと恥辱を上手に表現している。特に、ルーベンが人工内耳を入れて最初に聴く音が、どこかぼんやりとしていて、機械的に響き、彼が覚えていた音とはまったく違っている、というシーンは秀逸だ。この作品は、ほかの映画作品でよくあるような、耳が聴こえないことの原因と結果を分析したりはしないし、ろう者を感覚的弱者、またはスピリチュアル的弱者として捉えてもいない。

 ろう者が体験することを真摯に表現する手助けになればと、マーダーは、32歳のジェレミー・リー・ストーンを起用した。ストーンはアーメッドのブルックリンの自宅に行き、彼に手話を教えた。ストーンはこの映画の中で端役として登場している。ストーンとアーメッドがまず最初に話したのは、ろう者のアイデンティティについてだった。「大文字のD。文化と歴史を含めた意味だ。医学的な意味でのろう者を表す小文字のdではないんだ」とストーンはその違いを説明する。次第にストーンはアーメッドにASLの特訓をしていく。ストーンいわく、その過程でアーメッドは「彼自身のアイデンティティをはぎ取って、違う人間にならなければならなかった」。二人がカフェで手話の実演練習をしているときに、ウェイターが注文を取りに来ると、ストーンはアーメッドに口語で対応することを許さず、アーメッドが演じる役になりきって、飲み物を注文させた。「彼に経験してもらいたかったんだ… きちんと言いたいことが伝わらなくてイライラする気持ちや、誤解されてしまうことなんかを」とストーンは言う。

 Zoomを使ってストーンと会話をしているときに、彼に、ASLについて一番誤解されていることは何だと思うかと聞いた。すると彼は少し考えてから、もし、“百聞は一見にしかず”が本当ならば、「手話ひとつは100万語に匹敵する」と答えた。だが、すぐに彼はこのフレーズは、多面体のような言語である手話の力を十分に表現しきれていないことに気づいた。言葉で表すといくつかの文になるコンセプトや行動は、手首をしならせる動きや、眉間にシワを寄せるだけで表現できてしまう。つまり、身体が舞台の開口部のような役割を果たし、話し手はそこから無限の情景を伝えることができるのだ。「これは伝えるのがちょっと難しいな」と彼は言い、それならと、実際に手話をやって見せてくれた。

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