振付家アクラム・カーンとイングリッシュ・ナショナル・バレエの芸術監督タマラ・ロホが、ニューヨークのブルックリン音楽アカデミーで上演された『ジゼル』について語った

BY ROSLYN SULCAS, PHOTOGRAPHS BY LAURENT LIOTARDO, TRANSLATED BY T JAPAN

画像: 2019年、アクラム・カーン版『ジゼル』で主役を踊るタマラ・ロホ(中央)。共演はジェームズ・ストリーター。ロホはこの役をブルックリンで2回踊った

2019年、アクラム・カーン版『ジゼル』で主役を踊るタマラ・ロホ(中央)。共演はジェームズ・ストリーター。ロホはこの役をブルックリンで2回踊った

 ロンドン ―この街で成功できるかは賭けだ。バレエの観客は長編のストーリー作品を好むが、オペラとは異なり、不朽のストーリー・バレエのリストはそれほど長くない。バレエ団のディレクターは、もっと多くの作品を必要としているが、金銭的にも批評的にも長期的な成功を収める可能性が高くないことを知っているため、資金と時間の投資に及び腰だ。

 イングリッシュ・ナショナル・バレエの芸術監督、タマラ・ロホがアクラム・カーンに19世紀の名作『ジゼル』の新バージョンを依頼したとき、この賭けは特に大きなものだった。スペイン生まれのバレリーナ、ロホは、イングリッシュ・ナショナル・バレエの芸術監督に就任してわずか2年目、それまでプリンシパル・ダンサーとして活躍していた、規模も資金力も大きな英国ロイヤル・バレエと差別化できるようなアイデンティティを確立しようとしていたところだった。バングラデシュ系イギリス人の振付家で、インドの古典的なカタックとコンテンポラリーダンスを融合させた作品で有名になったカーンは、バレエにはほとんど興味がなく、長編作品を作ったこともなかった。

「これがうまくいく確率は100万分の1くらいだった」とカーンは言う。

画像: カーンとロホ。2015年、『ジゼル』のリハーサルの様子

カーンとロホ。2015年、『ジゼル』のリハーサルの様子

 しかし、それはうまくいった。この『ジゼル』は、2016年にマンチェスター国際フェスティバルでイングリッシュ・ナショナル・バレエが上演すると、すぐに人気を博した。カーン版では、主人公のジゼルは移民労働者の一人で、働いている衣料品工場のシャッター付きの高い壁の裏側にテントを張って暮らしている。(オリジナル版では王子の)アルブレヒトは工場の裕福な経営者だが、移民労働者のふりをしている。そして、物語に必須の欺瞞、裏切り、死が展開される。(恋人に裏切られ未婚のまま死んだ女性の霊であるウィリは、ホラー映画の色合いを強めながらもウィリとして描かれる)。

 ブルックリン音楽アカデミーの芸術監督であるデヴィッド・バインダーは上演に先立ち、「アクラムはこの作品をまったく新しいものに変身させたが、それは我々の時代を語ると同時に、オリジナルをも語っている。私たちが最近上演した"シラノ “の新プロダクションと少し似ている」と述べている。

 さらに、「伝統的な『ジゼル』を期待して来た人は、素晴らしい夜を過ごせるだろうし、『ジゼル』を全く知らない人でも、素晴らしい夜を過ごせるだろう」と付け加えた。

 初演以来、ヴィンチェンツォ・ラマーニャの音楽と、ティム・イップのビジュアル・衣装デザインによるこの作品は世界各地を巡り、冒険的な現代バレエに挑戦するカンパニーの柔軟さと、リスクを恐れないロホのビジョンと運営に対する評価を確固たるものにした。(ロホは今年の年末には、ヘルギ・トマソンの後任として、サンフランシスコ・バレエの芸術監督に就任する予定だ)。

 48歳のロホは、この6月にブルックリンで2回『ジゼル』を踊り、10月のパリで公演は幕を閉じるが、これらは彼女がこの役を踊る最後の機会になるだろう。

 ロホとカーンはビデオ通話で、『ジゼル』がイングリッシュ・ナショナル・バレエにとって特に重要な作品である理由、ポアント(トゥ)で踊る苦痛、バレエが自分のキャリアに与えた影響などについて話し合った。以下は、その対談の抜粋である。

――19世紀のバレエの中で、今でも完璧だと感じられる数少ない作品である『ジゼル』を、なぜ再構築したのでしょうか?

タマラ・ロホ:『ジゼル』は、イングリッシュ・ナショナル・バレエにとって特別な意味を持つ作品です。なぜなら、1950年にカンパニーを設立したアリシア・マルコヴァとアントン・ドーリンが、『ジゼル』のパートナーシップで有名だったからです。
 ビョークが主演した映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観て、ジゼルの物語を現代的な文脈で表現しているように感じたのです。アクラムがカンパニーのために振り付けた最初の作品『Dust』は、私たちにとって大きな変化をもたらすものでした。彼が、物語を紡ぐ驚くべき能力と、抽象的で精神的な面を持っていることを知っていました。この人ならできる、純粋にそう思ったのです。

画像: 2016年の『ジゼル』公演。イングリッシュ・ナショナル・バレエのダンサーたち

2016年の『ジゼル』公演。イングリッシュ・ナショナル・バレエのダンサーたち

――アクラムさんは、その時点でバレエをほとんど見ていなかったそうですね。どのように『ジゼル』に取り組んだのですか?

アクラム・カーン:一つの世界にただ足を踏み入れるのではなく、誰が手を取ってくれるかが重要なのですが、タマラがそれをやってくれました。彼女は、まるで観光ガイドのように、物語の細部をすべて説明してくれたのです。後半のパート(第二幕)が、私にとっての世界への入り口だということがはっきりしました。おそらく私が、体で表現できても言葉では語れない、形のないものに対してより大きな好奇心を抱いているからでしょう。しかし、ポアントシューズ(トゥシューズ)については、どうしたらいいのかわかりませんでした。
 そこで、タマラがポアント(つま先で立つ技法)の歴史を教えてくれたのですが、ポアントによって、精霊や幽霊が舞台上でより信じられる存在になったことが分かりました。それが、私にとって最もエキサイティングなプロセスでした。私はあまりに知識がなくて、ポアントで立ち続けることが実際どれほど苦痛か知らなかったので、いろいろ考えている間、ずっと女性ダンサーたちをポアントで立たせたままにしていました。誰かが泣き出したので、タマラは私に説明しなければなりませんでした。今でも申し訳なく思っています。

――あなたのバージョンの『ジゼル』では、オリジナル版の村人たちが移民労働者という設定になっていますね。政治的な主張がしたかったのでしょうか?

カーン:難民危機は、私にとって大きな問題でした。パブにいたとき、ギリシャの島の海岸に打ち上げられた少年の映像をテレビで見たのを覚えています。実際、難民危機は始まったばかりです。今ウクライナで起きていることを見てください。オリジナル版の『ジゼル』も、今回の『ジゼル』も、強者と弱者の間にある緊張関係が物語の原動力になっています。

画像: 振付家アクラム・カーン PHOTOGRAPH BY MAX BARNETT

振付家アクラム・カーン
PHOTOGRAPH BY MAX BARNETT

――この作品の成功は、お二人のキャリアにどのような影響を及ぼしましたか。

ロホ:イングリッシュ・ナショナル・バレエにとっては、大きな変革でした。ピナ・バウシュの『春の祭典』とヴッパタール舞踊団のように、あるカンパニーと必然的に結びついてしまう作品というのがあります。この『ジゼル』は、私がカンパニーのアイデンティティと、そのあり方を定義するのに役立ちました。
『ジゼル』をアクラムに依頼すると発表したとき、バレエ界からは、私がダンサーのテクニックを台無しにするつもりだとか、クラシックバレエに興味がないのだ、といった批判がたくさんありました。しかし後に、この作品がダンサーの表現のボキャブラリーや体力、知識の幅を広げたということが理解されました。そして、この作品の成功は、カンパニーの役員やサポーターからの信頼と、リスクのある道を進み続けるエネルギーと強さを与えてくれました。

カーン:イングリッシュ・ナショナル・バレエと仕事をして、構造、規律、テクニックの重要性を再認識させられました。ダンサーたちの歴史や、コール・ド・バレエの美しさ、力強さを感じました。共通の目的に向かって、一丸となってひたむきに努力する、その姿はとても力強いものです。
 コンテンポラリーダンスにおいて、少なくともヨーロッパでは、そうしたものが少し失われてしまったように感じます。新しい声や才能は重要ですが、知識、知恵、伝統に対する敬意も必要です。自分が何者で、どこにいるのかを知りたければ、過去を見なければならないのです。

――ストーリー・バレエは以前にも増して人気があるようですが、それはなぜだと思いますか?

ロホ:物語を語り合うことは、社会を作り、お互いを認め合い、人生や道徳の教訓を学ぶことです。ダンスは誰でも理解できる言語であり、言葉では伝えられないことを動きで伝えられるという大きな利点があります。
 もちろん、流行はあります。現在、新しい物語バレエの波が来ていますし、おそらく、その次には抽象バレエの波も来るでしょう。しかし、人間はあらゆるものに意味を見出すものであり、ダンスで物語を語ることがなくなることはないと思うのです。

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