BY MAKIKO HARAGA
冬のある日、銀色の「りぼん号」が東京都内の児童養護施設・星美ホームにやってきた。扉に大きなリボンがかたどられたこの謎の物体を、学校から帰ってきた子どもたちが不思議そうに眺める。
美しくしつらえた空間で、命の大切さについて楽しく学ぶ。そんな体験を子どもたちにプレゼントするために、りぼん号は生まれた。
コンセプチュアルなブランド「MOMOKO CHIJIMATSU」のデザイナーである幾田桃子と、トヨタ自動車の社員有志による共同制作だ。幾田が手がけるドレスやヘッドピースは、国内外のモード誌の表紙や特集を飾ってきた。一方で、彼女はSDGsが話題になるずっと前から、セールをせず、ゴミを増やさず(在庫消化率99%)、職人を守るという独自の経営理念を掲げ、2003年の創業以来、遵守し続けている。りぼん号にも、トヨタが概念実証のために試作したトレーラーを活用した。
幾田は10年前から、子どもたちが命のつながりを実感し、自尊心を高め、性被害に遭わないようにするための「命の教育」に心血を注いできた。おもに自身が出向いて話をする、個人的な活動を続けてきたが、社会に広く発信するために2021年、「りぼんプロジェクト」を始動させた。その後、プロジェクトの幅は広がり続け、企業や学校などとのさまざまな協働が始まっている。
りぼん号の誕生は、トヨタ「幹の会」(同社の管理職で構成され、社会貢献などの分野で会員が自主的にイベントを企画する活動)に参加する西田恒義(つねよし)が、利他をテーマに勉強会を開催したことに端を発する。利他学を立ち上げた東京工業大学・未来の人類研究センター長の伊藤亜紗が、幾田とともに講師を務めた。「次は利他的行動の実践を」という幾田の呼びかけで、りぼん号のアイデアが生まれ、参加者を募る西田のメールを見て、13人のボランティアが集まった。2022年の秋から、幾田はパートナーの千々松由貴(ゆたか)とともにのべ約2週間、トヨタ本社(愛知県豊田市)の一角で制作にあたった。「幹の会」の面々は、業務の合間に代わるがわる制作現場に顔を出して作業を手伝い、人脈を駆使して社内のさまざまな部署に協力を仰いだ。
「RIBBON PROJECT」と車のロゴのように刻まれたホイールキャップ(のようなもの)は、光造形方式の3Dプリンターでつくった。だが、透明の樹脂でできたそれは、美しくなかった。あるメンバーはホームセンターを回り、幾田のお眼鏡にかなう黒のスプレーを探し出した。手先が器用なメンバーが吹きつけを担当したが、屋外では小石や埃が付着してうまくいかない。すると別のメンバーのつてで、塗装室を借りられることになった。彼らは、発想が斬新でつねに明るくチームを鼓舞する幾田から刺激を受けたと、くちぐちに言う。「子どもたちに自尊心を高めてもらうために活動を始めたのですが、私自身の自己肯定感が高まりました」と西田は振り返る。
別の日、りぼん号は東京都千代田区にある九段ハウス(旧山口萬吉邸)へ向かった。1927年に竣工し、緑豊かな庭園を有する和洋折衷の優美な洋館だ。埼玉県蓮田市立黒浜南小学校の約20人の児童が、先生たちや保護者とともにやってきた。
特別な場所での体験講座は、「命」の授業から始まった。1グループずつ、りぼん号に乗り込む。先生も一緒だ。車内で待っていた幾田は、朗らかな声と満面の笑みで迎え入れるやいなや、フルスロットルで授業を開始。「命の大切さについての学びの冒険に出かけます。エイエイオー!」。幾田が10年前に制作した本を開き、第1章「ぼく、わたしはどこから来たの?」を先生に朗読してもらう。各グループ30分ほどのセッションのあいだ、幾田は繰り返し子どもたちに伝えた。「あなたたちが生まれてきたこと自体が奇跡なのよ」
黒浜南小学校は2022年11月、5・6年生を対象に「職業ワクワク体験講座」を企画し、幾田をはじめ蓮田市にゆかりのある、さまざまな分野で活躍する職業人を講師に招いた。彼女の出張授業に参加した児童たちは、余ったボタンなどの廃材を使ってアクセサリーをデザインした。ただし、自分の好きなようにつくるのではなく、MOMOKO CHIJIMATSUのドレスに合うように、イメージをふくらませるのがポイントだ。のちにそれを、幾田と長年仕事をともにしている職人が加工し、仕上げた。
九段ハウスでは、子どもたちはモデルやスタイリストになってドレスを選び(これも職業体験の一環である)、自分たちがデザインしたアクセサリーをつけて撮影に臨んだ。カメラを向けるのは、第一線で活躍中の写真家・横浪修だ。子どもたちは緊張した面持ちだったが、横浪のリクエストに応じてポージングをするうちに、表現者へと変わった。
うさぎのようなドレスで撮影に臨んだ男子は、「奇抜な服を見て、個性は人それぞれだと思った。個性があってこその社会。明るい未来を感じました」と言う。
校長の中田泰広は、子どもたちが早いうちに魅力的な職業人の姿を見て、自分も誇りをもてる職業に就きたいと思うことが大切だと考える。「小学生のときにワクワクするものに出会うと、中学校で意欲的に学ぶことにつながります。子どもたちには夢をもつだけではなく、夢を実現できるちからをつけてほしいのです」
幾田は「教育は芸術である」と考える。「教育によって怒りを『怒りではないもの』に変え、美しいものをつくることもできる」と言う。「ほんとうに大切なことを心に留めてもらうためには、視覚的に美しいものと内容をしっかりとリンクさせることが効果的です」
幾田が定義する「美しい社会」とは、平等な社会だ。この考えは、りぼん号のデザインにも明確に表れている。りぼん号には、いかにも子どもが喜びそうな、わかりやすい愛らしさはいっさいなく、むしろ神聖で静謐な空気をまとっている。幾田が茶室─そこでは誰もが平等であり、膝を交える─にインスパイアされてつくったからだ。そして、幾田にとっての平等のシンボルが、リボンなのだという。「誰もがかけがえのない存在であり、誰とでも平等につながっていける。それが、私のもつリボンのイメージです」
社会に根強く残る不合理や不平等に対して、「怒りを露わにして責めたてるのではなく、平等な社会は美しいということを、デザインで表現して見せていく」と幾田は言う。「人は、目に入ってくるものは遮断せず、いつの間にか受け入れている。ファッションやアートにはとてつもない可能性があり、私はその部分に魅せられたのです」
幾田が運営する「SAVANT SHOWROOM」が入っている東京・新橋の堀ビル(1932年竣工)は、国の登録有形文化財だが、竹中工務店が所有者から借り受けて改修し、シェアオフィスとしてよみがえった。
幾田は2001年に米国で起業した当初から、古着やヴィンテージの生地などを使って制作し、持続可能なファッションを追求してきた。資源循環や廃棄物削減に取り組む竹中工務店は彼女と協働し、環境問題について発信するプロジェクトを構想している。
その試みのひとつとして、本来であれば廃棄されるはずだったエアバッグ製造用の生地を使い、ドレスを制作した。この生地は傷などの問題があり製品化されず、廃材になったものだ。幾田はこれでボディをつくってレースをあしらい、オーガンジーでやさしく包み込んだ。これらの素材も、肩に使った生地(約15年前に購入)も、すべて廃材である。「エアバッグにならずに廃棄されるはずだったものが、ドレスとして生まれ変わるとは」と驚くのは、提供元である豊田合成の山田浩二だ。同社と縁のある竹中工務店の鍵野壮宏が、命を守るエアバッグと、命の大切さを伝える幾田を引き合わせた。
このドレスのテーマは、「見えないものを見えるようにする」。そこには、幾田の次のような意志が反映されているという。「すでに存在しているけれど、まだ多くの人に見えていない社会問題や、性教育のように大切な、でもタブー視されがちなことを、美しく、そして誰のことも傷つけないかたちで広めていきたい」
こうした試みが企業や人々の意識を変えるきっかけになればいいと、幾田は思っている。「SDGsへの取り組みをしなければいけないからリサイクルやリユースをするのではなく、廃材を使って美しいものが生まれ、それに高い価値がつく。そのことによって経済が循環するという仕組みが主流になっていけばいいと思います」
自分は、モノではなく、思想をデザインしていると、幾田は言う。「デザインのちからをどう使えば、現状をワクワクする方向に変えられるか。価値観を共有できる人と一緒に謎解きをして、『新しい当たり前』をつくっていきたい」
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