映画界で輝く実績を残している海外俳優・映画監督たちへの特別インタビューを厳選。エマ・ストーンやシャルロット・ゲンズブールなど錚々たる顔ぶれに、話題を呼んだ出演作に込めた想いや見どころを聞いた。配信サイトで見られる作品なので、ぜひチェックして!

BY KURIKO SATO

『ジェーンとシャルロット』
シャルロット・ゲンズブールが語る母ジェーン・バーキンへの熱い想い

画像: シャルロットのインタビューは、2021年のカンヌ国際映画祭で本作が披露された折に行われた ©️Manabu Matsunaga - ReallyLikeFilms

シャルロットのインタビューは、2021年のカンヌ国際映画祭で本作が披露された折に行われた

©️Manabu Matsunaga - ReallyLikeFilms

<2023年7月掲載記事>

『ジェーンとシャルロット』を観たなら、きっと誰もがこの母子に意外な秘密があったことに驚くことだろう。それぞれ父親が異なるジェーン・バーキンの3人の娘(姉ケイト・バリー、妹ルー・ドワイヨン)の中で、フランス人が愛して止まない国民的なミュージシャンのセルジュ・ゲンズブールを父に持ち、十代で女優としての才能を発揮して成功を収めた次女のシャルロット・ゲンズブールは、端からからみれば「目に入れても痛くない自慢の娘」に見える。

 だが実は長いこと、ジェーンにとってシャルロットはミステリアスな娘で、「自分は母として必要とされていない」と感じていた。一方シャルロットも、自分は姉妹のなかでもっとも母親に愛されていないと思い続けていたと語る。お互いの遠慮や慎みも手伝って、解けることのなかったすれ違いの感情が、シャルロットが監督したこのドキュメンタリーのなかで率直に語られ、両者が近づく感動的なプロセスが記録されているのだ。

画像: 母と娘がまるで少女のようにベッドでお互いへの思いを語りあう姿が印象的 © 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

母と娘がまるで少女のようにベッドでお互いへの思いを語りあう姿が印象的

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

 不幸な巡りあわせか、ジェーン・バーキンは本作の日本公開を直前にした、7月16日に他界した。このインタビューは、2021年のカンヌ国際映画祭で本作が披露された折に行われた。母を伴ってレッドカーペットを歩いたシャルロットは、4年に及んだ制作期間を振り返りながら、その胸中を打ち明けてくれた。

「母のドキュメンタリーを撮ろうと思ったのは、とても自分本位な理由からだった。母に近づきたい、母のことをもっと理解したい、そのための口実だった。親密な関係をみんなに披露したいなどと思ったわけではまったくなかった。ただ、面と向かって話をするのはお互いの性格が邪魔をする、何かきっかけを必要とした。それに姉のケイトが死んだとき(註:2013年12月に自宅の窓から転落死)、わたしはニューヨークに自分の家族とともに引っ越して6年滞在し、ずっと母と離れていた」

画像: 年月を重ね、人生の経験値を物語るように刻まれた皺もジェーンの魅力だ © 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

年月を重ね、人生の経験値を物語るように刻まれた皺もジェーンの魅力だ

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

「以前、母のインタビューを読んで驚いたことがある。彼女は、『シャルロットは父(セルジュ)のことだけを気にかけていて、わたしは母親として必要とされていないように感じていた』と語っていた。たしかにわたしが父を亡くしたのはまだ19歳のときで、両親が別れた後、わたしは父といることが多かったから、突然大きな存在を失ってとても苦しんだ。だから父のことを沢山喋っていたのはたしか。でも母を軽んじていたわけではない。だから自分の気持ちを彼女に言う必要があったし、訊きたいことも沢山あった」

「企画の当初は、まだ映画の全体像も決まっていなくて、手探り状態だった。それで母について知りたい質問を考えて、リストにした。それが4年前。でも質問攻めにすることは母を恐れさせたのだと思う。日本でのツアーに同行して、旅館でカメラを回しながら質問を始めると、母は『続けたくない、やめましょう』と言った。それで企画はストップした。でも2年ほど経って、母がニューヨークに来る機会があったとき、わたしは撮影したフッテージを見せた。何がいけなかったのか、知りたかったから。で、映像を観た母は結果的に気に入って、『続けましょう』と言ってくれた」

画像: シャルロット自身も3人の子の母として、ジェーンとの対話に臨む姿が観る者の心を動かす © 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

シャルロット自身も3人の子の母として、ジェーンとの対話に臨む姿が観る者の心を動かす

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

──彼女にとってあなたはミステリアスな存在だったそうですが、あなたも彼女に同じことを感じていましたか。

「いいえ。母はつねにオープンで誠実な人だから。わたしだけではなく、一般の人に対してもそうだと思う。いつも彼女自身であり、率直だった。一方わたしはとてもシャイで、羞恥心があって。自分を見せないようなシールドを必要とした。一般の人にとってだけではなく、家族に対しても。母に気後れしていたことと、誤解もあった。というのも、母はケイトと妹のルー(註:映画監督ジャック・ドワイヨンの娘)とはとても親密だったから、わたしだけどうして違うのだろうと感じていた。姉妹に対するジェラシーではないけれど、何がいけないのだろうとずっと考えていた。

 この映画は個人的な探求から始まって、最後は母に対するラブストーリーになったと思う。少なくともわたしにとっては、彼女を見つめ、母親として、女性として、アーティストとして理解することだった。そして彼女を美しく描きたかった。いろいろ考えあぐねて、最終的に自分でカメラを手に取り、母にはノーメイクで、素のままで写って欲しいと思った。おばあちゃんとして家族を気にかけるようなところや、自分が見ている母のリアルなポートレイト、わたしなりの愛情を表現したものにしたかった。つねに誠実だった彼女にふさわしい、正直な作品にしたかったから」

画像: 本作には、すでに亡くなったセルジュ・ゲンズブール(シャロットの父でジェーンの2人目のパートナー)や、ケイト・バリー(シャルロットの姉でジェーンの長女)の思い出も徐々に語り合えるようになる二人の経過が記録されている © 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

本作には、すでに亡くなったセルジュ・ゲンズブール(シャロットの父でジェーンの2人目のパートナー)や、ケイト・バリー(シャルロットの姉でジェーンの長女)の思い出も徐々に語り合えるようになる二人の経過が記録されている

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

──あなたとジェーンが一緒に、パリのセルジュ・ゲンズブールの自宅を訪れるシーンは感動的です。今まで機会がなかったということに、とても驚きました。

「わたしはずっと母は訪れたくないだろうと思っていたし、母もわたしに遠慮をして頼むことがなかったのだと思う。でも6年ぶりにニューヨークからパリに戻ったとき、わたしはとても鬱になった。そのとき知り合いにこう言われた。『母親のドキュメンタリーを作って、父の家を一般に開放すれば、君の人生はもっと軽くなるだろう』と。そのとき、たしかに自分もそれを必要としていると思った(註:現在セルジュ・ゲンズブールの元自宅を美術館にする計画が進行中)。それに父と母のものを、とてもパーソナルなやり方でみんなとシェアできるのは素晴らしいことだと思えた」

 ドキュメンタリーの定型を避け、即興的にふたりの対話を取り込んだ本作には、何度も感動的な瞬間が訪れる。だがもっとも胸を打つのは終盤、ふたりがケイトの映ったホームビデオを観ながら会話をする場面だろう。ケイトが亡くなって以来、一度も彼女の映像を観たことがなかったジェーンが、映像を観始めるものの、「やはり観たくない」とシャルロットに告白し、母としての自分の悔恨を明かす。

画像: カメラを片手に母と語り、問い、自省に至るシャルロットのストーリーテリングが共感を呼ぶ © 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

カメラを片手に母と語り、問い、自省に至るシャルロットのストーリーテリングが共感を呼ぶ

© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

「わたしは父が亡くなったときは長らく彼のものを見ることができなかったし、彼の音楽も聴くことができなかったけれど、ケイトのときは不思議と家族アルバムを見たくなった。でも母を傷つけないように細心の注意を払っていたつもり。母はとても芯が強い一方で、脆さもある。母としてつねに子どものことを考え、支えていたけれど、ケイトを失ったときのショックは途方もなく、他に注意を払うことができなかったのだと思う。わたしはそんな母を置いて、自分の家族とニューヨークに行ってしまったことに罪悪感を持っている。だからそのこともちゃんと伝えたかった」

「今日、母の映画を作って、もっと早く気安い関係になれたら良かったと思う一方、この時間はやはり必要だったのだということも感じている。この映画を作っているうちに気づいたことは、これはわたしと母の物語であると同時に、母としての自分と子供たちの関係にも影響しているということ。まったく個人的な感情、わたしの家族についてのストーリーではあるけれど、観た人が普遍的な親子の関係、自分の母親のことなどを考えてくれたら、とても嬉しい」

 ジェーンが亡くなってしまった今、本作を観ると一層、子どもが母親に生前伝えることができた奇跡のようなラブレターに思える。ラストシーンで、ブルターニュの浜辺でジェーンとシャルロットが抱き合う後ろ姿に、母と子の普遍的な愛情が立ち上る。

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女3人の熾烈な三角関係!
エマ・ストーン『女王陛下のお気に入り』を語る

<2019年2月掲載記事>

 エマ・ストーンが多才な女優であることは、誰もが認めるところだろう。世界中でヒットした『ラ・ラ・ランド』で、演技のみならず歌と踊りの才も披露し、昨年のアカデミー賞主演女優賞を受賞したことは記憶に新しい。その後も『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』など話題作が続く、ハリウッドを代表する若手売れっ子女優だ。だがそれでも、次回作で純英国調のコスチューム劇に挑戦するというニュースを聞いたときは意外に思えた。

 その新作は、ギリシア出身で『ロブスター』『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』など問題作を発表し続ける映画界の異端児、ヨルゴス・ランティモス監督がメガホンを握る『女王陛下のお気に入り』。18世紀初頭、イギリスがフランスと戦争を重ねる時代を舞台に、時のアン女王(オリヴィア・コールマン)と、彼女の幼なじみで秘密裏の恋人でもあり、陰で政治を操るサラ(レイチェル・ワイズ)、そしてふたりの中に割って入る没落貴族のアビゲイルが織りなす三角関係が濃厚に描かれる。もともとランティモス監督のファンだったというストーンは、監督との出会いを振り返ってこう語る。

画像: 宮廷に下働きとして仕えることになったアビゲイルは、女王のご機嫌をとり、徐々にのし上がっていく

宮廷に下働きとして仕えることになったアビゲイルは、女王のご機嫌をとり、徐々にのし上がっていく

「初めて会ったのは、この作品の制作の2年ほど前だった。当時はまだ『聖なる鹿殺し〜』はできていなかったけれど、私は『ドッグティース』と『ロブスター』が大好きだったの。こんなに尋常ではないものを作る監督がいるなんて、と驚いたのよ(笑)。でも彼に会ってとてもナイス・ガイだったので、さらに驚いたわ。ヨルゴスのような人がああいう映画を作るなんて、すごく不思議な感じがした。彼の視点はとてもユニークよ。しかも彼は(声音を真似て)『この役にアメリカ人を起用するとは考えてはいなかったけど、まあそれもいいんじゃないか』って、すごくイージーな感じだった(笑)。もちろんオーディションは受けたけれど」

画像: 如才なく振る舞うアビゲイルに、はじめはサラも気を許すが、やがて熾烈な争いに発展する

如才なく振る舞うアビゲイルに、はじめはサラも気を許すが、やがて熾烈な争いに発展する

 こうして、ストーンの徹底的な役作りが始まった。周囲がほとんど英国人俳優のなか、彼女はまずコーチについて英国式のアクセントを学んだ。「アクセントのことを自分で気にしなくなるぐらいになりたかったの。現場ではいつも聞き耳をたて、いろいろなことを観察もしていた。チャレンジだったけれど、結果的にはそういう環境はアビゲイルと共通していたし、よかったと思っている。彼女も慣れない宮廷の中で、いつも周りを観察しているから。もっとも、彼女の場合はそこからののし上がり方がすさまじいけれど(笑)」

 ストーンが演じるアビゲイルは、サラのお情けで宮廷の下働きに雇われる。だが同僚たちからは手ひどい嫌がらせを受け、いつかこんな境遇におさらばしたいと、むくむくと野心を膨らませる。有象無象の策略が渦巻くなか、彼女は機転を利かせて女王に近づき寵愛を受け、やがてサラの地位を脅かすほどになる。ストーンは自身の役柄をこう分析する。

「アビゲイルはサバイバーよ。彼女がこうむってきたさまざまなことから生き延びて、新たな地位を手にいれる。決して性格がいいとは言えないけれど(笑)、頭が切れて人を操作するのにも長けている。でも私は彼女をジャッジしたくはなかったし、彼女の行為を正当化するつもりもなかった。ただ演じる上で、どうして彼女はこうなったのかという自分なりの解釈を持っただけ。たぶん映画を観た人は私同様、彼女のやり方には共感できなくても、感情的にはどこかで部分的に共感するのではないかしら。同じような立場に立たされたら、自分もそうするかもしれない、というふうに」

画像: キャラクターの特徴を表現するコスチュームや、絢爛豪華な舞台美術も本作の見どころのひとつ

キャラクターの特徴を表現するコスチュームや、絢爛豪華な舞台美術も本作の見どころのひとつ

 ストーンにとってはまた、初めてのコスチューム劇であることもハードルが高かった。「本当に息ができないぐらいコルセットが苦しかったわ! でもそれは一方で、役作りの助けにもなった。ふだんとは異なる思考を得るためにね。そして彼女の地位が上がっていくに連れ、コスチュームも立派になっていくの」
 素顔のストーンは陽気でユーモアに満ちた、天性のポジティブ思考の人という印象がある。取材の受け答えも、ときにランティモス監督の声音を真似たりしながら、表情豊かに語ってくれる。

「この物語はまったく異なる女性3人を核にした、とても珍しい脚本よ。しかも3人それぞれが欠点を持ち、とても複雑で、コミカルな味もある。一見特殊な世界だけど、複雑な現実のリアリティを反映していて、だからこそとても面白い。女優同士、ライバル意識はなかったかって? あったと言いたいところだけど(笑)、実際はその反対。こういう話だからこそ逆に、俳優たちの団結が大切だったの。わたしたち3人は、打ち解けて信頼し合えるように、ヨルゴスと一緒にセットに入る前に3週間、リハーサルをした。そのおかげで、どんなことにも一緒に立ち向かえるようなチームワークが生まれた。私にとってはとても貴重な経験よ」

画像: アビゲイルの存在はやがて、公私ともに蜜月にある女王とサラの仲をも揺るがすようになる PHOTOGRAPHS: © 2018 TWENTIETH CENTURY FOX

アビゲイルの存在はやがて、公私ともに蜜月にある女王とサラの仲をも揺るがすようになる

PHOTOGRAPHS: © 2018 TWENTIETH CENTURY FOX

 最近30歳を迎えたストーンにとって、本作はまさに20代最後の記念すべき作品になったようだ。だが、30歳になった感想を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「30歳になって嬉しい! どうしてって、20代は自分が何者であるかということを模索するうちに、足早に過ぎていった感じがするから。キャリアに関してはとてもラッキーだったと思うけれど、息をつく間もないぐらい忙しかった。30代になったらもう少し落ち着いたペースで、じっくりと好きな仕事に集中できるような気がするの」

 果たしてその前途洋々な30代に彼女がどんな軌跡を残すのか、それもまた、われわれの楽しみのひとつである。

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『ローズメイカー 奇跡のバラ』
主演・大女優のカトリーヌ・フロに迫る

<2021年5月掲載記事>

 カトリーヌ・フロと聞いて、すぐにその代表作が浮かぶ方は、フランス映画通と言えるかもしれない。フランス女優のなかでは、もうひとりのカトリーヌ(・ドヌーヴ)や、同世代のイザベル・ユペールに比べると、彼女は下積みが長く脇役を演じることが多かったからだ。だが本国では庶民的な人気を誇る大女優。映画から演劇まで、その出演作は毎回、話題にのぼる。

 女性シェフの先駆けとなるような、フランス官邸の女性料理人に扮した『大統領の料理人』(2012年)は、日本でもヒットを記録した。『偉大なるマルグリット』(2015年)では、自分が音痴であることに気付かない、歌うことが大好きな貴族のマダムに扮し、フランスのアカデミー賞と言われるセザール賞の主演女優賞に輝いた。近年では、ドヌーヴと共演した『ルージュの手紙』(2017年)が記憶に新しい。スター然としたオーラではなく、親しみやすくチャーミングな魅力の彼女が幅広い層に支持されるのも頷ける。

画像: カトリーヌ・フロ(写真左)はフランスで最も栄誉あるセザール賞でこれまでに10回ノミネートされ、2度受賞している実力派

カトリーヌ・フロ(写真左)はフランスで最も栄誉あるセザール賞でこれまでに10回ノミネートされ、2度受賞している実力派

 新作『ローズメイカー 奇跡のバラ』のピエール・ピノー監督にとっては、そんな彼女こそがヒロイン、エヴにぴったりだったと言う。
「僕にとって、彼女はどこかフランス的なエスプリを体現する人なのです。彼女の佇まい、喋り方、そして人間味。さらにコミカルな演技からシリアスなドラマまで自在に演じられる、幅広い演技力も魅力でした。この物語にはちょっと荒唐無稽なところがありますから、真実味を持って演じられる彼女のような女優が必要でした」

 世界に名高いフランスのローズメイカー、ドリュ社の全面協力を得て撮影された本作は、父親のバラ園を受け継ぎ、その天賦の才で新種のバラを開発し成功を収めながらも、いまは破産寸前にある主人公が人生を立て直す物語だ。社員を雇う余力もないなか、苦肉の策で職業訓練所から来た3人の素人の手を借りることで、思いもよらない転機が訪れる。本作の魅力をフロはこう語る。
「これは感情の交流を描いた美しい物語です。ひとりでは八方塞がりでも、人と連帯することで道が開ける。この物語の場合は赤の他人が集まって、結果的にそれぞれにとって未来への希望が見えてくる。そこに心を動かされました」

画像: バラにしか関心を持ってこなかったエヴ(カトリーヌ・フロ)が、バラの素人3人との出会いを経て友情や愛情、人を信頼することに目覚めていく

バラにしか関心を持ってこなかったエヴ(カトリーヌ・フロ)が、バラの素人3人との出会いを経て友情や愛情、人を信頼することに目覚めていく

 両親に捨てられたフレッドは、エヴのもとで自分に特別な嗅覚が備わっていることに気づき、新たな一歩を踏み出す。かたやバラに人生を捧げ、父なき後は天涯孤独に自分の世界に籠っていたエヴは、フレッドにより再び人を信頼する心を取り戻す。
「エヴは母親にはなれなかったけれど、フレッドを通して母性にめざめる。それによって彼女自身の閉ざされた心の扉が開くのです」

 本作にはまた、大企業対、職人技にこだわる個人企業という現代社会に顕著なテーマも含まれている。エヴのバラ園は、大量生産の巨大企業によって次第に居場所を追われ、借金が嵩んでいくのだ。
「残念ながらそれは、今の世の中の風潮ですね。大企業がつねに大量生産によりもっと安く、もっと売ることを目指すなかで、エヴのような職人気質の人々は商売がやりづらくなっている。でも彼女にとって、バラは単なる商品ではありません。人生であり、ポエジーです。エヴは不可能な闘いに挑む戦士なのです。抵抗することをあきらめない。そんな彼女のキャラクターにも、とても共感します」

画像: 今作への出演にあたってはバラの育成や交配などさまざまなことを学んだという PHOTOGRAPHS: THE ROSE MAKER © 2020 ESTRELLA PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINÉMA – AUVERGNE-RHÔNE-ALPES CINÉMA

今作への出演にあたってはバラの育成や交配などさまざまなことを学んだという

PHOTOGRAPHS: THE ROSE MAKER © 2020 ESTRELLA PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINÉMA – AUVERGNE-RHÔNE-ALPES CINÉMA

 カトリーヌ・フロのキャリアを振り返れば、彼女もまたある意味で戦士だったことがわかる。映画界では遅咲きの感があるフロだが、早くから演劇に目覚め、19歳で友人たちと自身の劇団を立ち上げる。フランスの名門、コメディ・フランセーズ(パリの国立劇場)の入団試験を受けるものの、不合格になったことがきっかけだった。ちなみにこのとき、最後まで競って入団したのはイザベル・アジャーニだ。

「権威あるところに所属することを望んでいた両親は、失望しました。とくに父はわたしに対して批判的で厳しかったので、とても辛かった。でも却ってやる気が起きました。それでわたしは両親のもとを早くに離れて劇団を始めた。もともと内向的で控え目だったのですが、演劇を通して自分を開放することに喜びを覚えたのです」

 彼女の努力はやがてゆっくりと実を結ぶ。演劇仲間の縁で知り合ったアラン・レネの監督作、『アメリカの伯父さん』(1980)で映画デビュー。1985年、『C階段』が高く評価され、1996年、セドリック・クラピッシュの『家族の気分』でセザール賞助演女優賞を受賞し、広くその実力が認められる。

 現在もスクリーンから舞台まで、自在に活躍を続ける彼女だが、俳優の醍醐味について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「この仕事で好きなところは、演技を通してさまざまなことを学べる点です。この映画ではバラのことはもちろん、その交配についても学びました。バラの交配のシーンを演じるために、ドリュ社のドリュ夫人が直々に手ほどきをしてくれました。彼女の仕事は美の探求。信じられないくらいに繊細な世界であると知って感動しました。

 わたしの職業は<フリ>をすることです。本当は良く知らないのに即席で覚えて、さも専門家のように振る舞う(笑)。でもそのたびに好奇心を刺激され、まるで旅をするように異なる領域を訪れることができるのは、とても恵まれたことだと思います」

 我々、観客の好奇心も満たしてくれる彼女の旅は、これからも続いて行く。

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じつは無口で内省的?
怪優 ホアキン・フェニックス『ドント・ウォーリー』を語る

<2019年4月掲載記事>

 ホアキン・フェニックスをインタビューするのは容易ではない。いや、少なくともこれまではそうだった。彼には何度か取材をしているが、ずっと下を向いたままぼそぼそと話すこともあれば、センテンスにならないうちに黙り込んでしまうこともあった。「説明するのが苦手」「見知らぬ人に囲まれると居心地が悪くなり、どうしていいかわからなくなる」と、よく語っていた。

 10歳から子役としてスタートし、『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』『ザ・マスター』『ビューティフル・デイ』など、多くの作品で評価されてきたキャリアを考えれば意外ではあるものの、そんな佇まいが逆に彼の不器用で正直なパーソナリティを映し出し、どこかほほ笑ましくもあった。
 だが、いま目の前にいる彼は晴れやかで、以前に比べ、少なくとも答えることに能動的に思える。その雰囲気につられていささか厚かましくも、「年齢を経たせい?」と尋ねると、彼は笑って答えた。

画像: 最新作『ドント・ウォーリー』でホアキン・フェニックス演じる風刺漫画のジョン・キャラハン。彼は、その毒とユーモアのある作品を積極的に人に見せては意見を求めた

最新作『ドント・ウォーリー』でホアキン・フェニックス演じる風刺漫画のジョン・キャラハン。彼は、その毒とユーモアのある作品を積極的に人に見せては意見を求めた

「いや、今でも取材は苦手なことに変わりはないよ。とくに記者会見みたいに人がたくさんいるところでフラッシュを浴びると、すごく居心地が悪くなる。この仕事を25年やってきて、少しは慣れるかと思ったけど、まったくだめだ(笑)。マイクを通した自分の声を聴くのも奇妙な感じで……。質問にうまく答えられればいいと思っているし、みんなをいい気分にさせたいけれど、だからといってパフォーマーみたいにはなりたくないし、難しい。年齢を経て変わってきたかどうかは正直わからないな。いまでも自分を二十歳のように感じることもある。滑稽だけどね」

 とはいえ、いつになく彼の舌が滑らかなのは、今日の話題がガス・ヴァン・サント監督による新作『ドント・ウォーリー』だからかもしれない。自動車事故による障害を負った、毒のあるユーモアに満ちた実在の風刺漫画家ジョン・キャラハンを描いた本作で、フェニックスはヴァン・サントと二度めのタッグを組んだ。最初の出会いとなった『誘う女』(1995年)から、じつに23年ぶりの再会だ。彼は当時を振り返りこう語る。

画像: キャラハンは、酒浸りであった若い頃、パーティで出会ったお調子者と一緒に泥酔。そのまま彼の車に同乗して事故に遭う。運転手はかすり傷だったがキャラハンは重傷を負い、車イス生活となる

キャラハンは、酒浸りであった若い頃、パーティで出会ったお調子者と一緒に泥酔。そのまま彼の車に同乗して事故に遭う。運転手はかすり傷だったがキャラハンは重傷を負い、車イス生活となる

「初めてガスに会ったとき、僕は19才だった。僕にとっては映画における最初の『大人』の役柄で、多くのことを学ばせてもらった。彼の演出はとても繊細で、決して俳優に自分のやり方を押しつけたりはしない。覚えているのは、あるシーンで僕がどう動くべきか迷っていたとき、ガスが『自由にやっていいよ。なんでも試してごらん』と言ったこと。僕はそれまでテレビドラマなどで子役として、言われたことを素早く理解して素直に演じるということに慣れていたから、ガスにこう言われて目からウロコが落ちる気がした。突然そこに空間が開けて、部屋を見回して、なんでもできるんだと思えた。その感覚は、僕にはとても大事なもので、そのやり方を今でも心がけている。彼が俳優としての僕を形成した。そのことにとても感謝しているよ」

 そんな彼らの新たなコラボレーションとなった『ドント・ウォーリー』は、先行公開されたアメリカでヴァン・サント監督の最高傑作のひとつと評された。キャラハンに扮するフェニックスを囲み、ルーニー・マーラ、ジョナ・ヒル、ジャック・ブラックといった芸達者たちが見事なアンサンブルを生み出している。このプロジェクトの経緯を、フェニックスはこう説明する。

「僕自身はジョン・キャラハンのことは知らなかったけれど、ガスがずいぶん前からやりたがっているプロジェクトだということは知っていた。監督がそこまでこだわりを持って長年取り組んでいる企画というのは、とても興味をそそられる。とくに僕が信頼しているガスの場合はなおさらだ。あるとき彼から脚本が送られてきて、それを読んでとても心を動かされた。本当に素晴らしいと感じたんだ。僕はふつう伝記映画には興味が持てないんだけれど、ガスの場合は通常の伝記映画とは異なっていた。キャラハンの体験をとても興味深く、ユニークなやり方で描いていると思ったよ」

画像: 病院で世話になったお気に入りのセラピスト、アヌーと偶然にも再会。今はCAとして活躍する彼女との本格的な交際が始まる

病院で世話になったお気に入りのセラピスト、アヌーと偶然にも再会。今はCAとして活躍する彼女との本格的な交際が始まる

 59歳で短い生涯を閉じたキャラハンの人生は、波瀾万丈そのものだった。幼いときに母親に捨てられ養子となるも、うまく環境になじめずに13歳で酒の味を覚える。それ以後一気にアルコール依存症の道を突き進み、21歳のとき、酔った友人の車に同乗して事故に遭い、重度の麻痺を負う。退院後もすさんだ酒浸りの生活が続くなかで風刺漫画を描き始め、ついに27歳のときに禁酒に成功。そこから本格的に風刺漫画家として再生を果たす。その作品は、彼の地元、オレゴン州ポートランドの地方紙に27年間にわたり掲載されたほか、50紙以上で紹介された。

 この映画は自伝をもとに、彼が事故から再生を果たすまでの時期にスポットを当て、救済、赦し、再生といったテーマを、まるで一陣の風のように清々しく描ききっている。役柄について徹底的に研究することで知られるフェニックスは、出演が決まったあと、キャラハンの漫画の描き方から車いす生活の細部、そして彼の抱えていたトラウマについてリサーチをした。

「ガスが生前のキャラハンに7時間ぐらいインタビューをしたテープがあったから、まずそれを観て参考にした。もちろん自伝も読んだよ。彼はとてもユニークな考え方の持ち主で、独特のユーモアに満ちている。本を読むと、彼が啓発されていく過程がよくわかる。彼は禁酒をしてから本当に変化し、風刺漫画家として生きて行く決心をした。僕自身はまったく絵を描かないから、彼の描き方を表現するのに苦労したよ。彼は後遺症のせいで、手首ではなく、腕を使って描いていたんだ。車いす生活のことを研究するために、病院にも通って観察した。ドアをどうやって開けるのかとか、細かいことをひとつひとつ学ぶためにね」

画像: アヌーと街に出かけ、レコード屋などを散策するキャラハン。やさしい彼女の存在は、事故後精神的に不安定だったキャラハンの心のよりどころとなっていく PHOTOGRAPHS: © 2018 AMAZON CONTENT SERVICES LLC

アヌーと街に出かけ、レコード屋などを散策するキャラハン。やさしい彼女の存在は、事故後精神的に不安定だったキャラハンの心のよりどころとなっていく
PHOTOGRAPHS: © 2018 AMAZON CONTENT SERVICES LLC

 そんなリサーチを経たフェニックスの演技は、完璧に作り込んだというよりはいかにも自然にそこに存在し、あたかも彼自身がキャラハンであり、その喜怒哀楽を生きているかのように感じさせる。それはおそらく、ヴァン・サントが彼から引き出した最良のものだろう。だからこそ、映画はセンチメンタリズムとも説教臭さとも無縁に、大きな感動をもたらす。

 役を演じているときの意識について尋ねると、こんな答えが返って来た。「ときどき、まるですべてがあらかじめ決まっていたように思えることがある。自分の骨の中に組み込まれているような感じというか……。僕にとって一番調子がいいときは、一日の撮影が終わったときに、どんな風だったかわからないほど集中できた場合。この映画では、最後のシーンを撮り終わったときに、はっと気づいて急に悲しくなった。もうこの経験は終わりなんだ、もう味わうことはできないのか――とね。演じているとき、何を考えているのかは自分でもわからない。でもたぶんその瞬間、真実の感情を求めているのだと思う」

 そう語る彼の横顔に再び、不器用で内省的な青年の面影が重なった。

注目を集める女優リナ・クードリ
映画『オートクチュール』でさらなる輝きを放つ

<2022年3月掲載記事>

「お待たせしてごめんなさい。疲れていないですか?」

 冬の日も暮れかかった夕方、インタビュー・ルームに現れたリナ・クードリは、自身が朝から撮影と取材の連続だったというのに、こちらを気遣う気配りを見せてくれた。「足が痛くて、脱いでもいいかしら」とちょっと恥ずかしそうに言うと、撮影で使った10センチ以上はありそうなピンヒールのディオールのパンプスを脱いで裸足になった。その自然な物腰に、思わず微笑みが漏れた。

 彼女にはその半年ほど前に、カンヌ国際映画祭に出品されたウェス・アンダーソン監督の新作、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊』の取材で会っていた。そのときは共演のティモシー・シャラメと一緒に多くの記者に囲まれていたが、雰囲気に飲まれるわけでも舞い上がるわけでもなく、とても自然体であり、率直で熱意に満ちていた。その好印象を、目の前の彼女から再び感じることができた。

画像: 本作の主演は、フランスを代表するベテラン女優、ナタリー・バイ(写真左)。ディオールのオートクチュール部門のアトリエ責任者、エステルを演じる。また、ディオール専属クチュリエールが作品を監修し、初代“バー”ジャケットなどの名作や直筆スケッチ画など、貴重なアーカイブ作品の数々もスクリーンで堪能できる © PHOTO DE ROGER DO MINH

本作の主演は、フランスを代表するベテラン女優、ナタリー・バイ(写真左)。ディオールのオートクチュール部門のアトリエ責任者、エステルを演じる。また、ディオール専属クチュリエールが作品を監修し、初代“バー”ジャケットなどの名作や直筆スケッチ画など、貴重なアーカイブ作品の数々もスクリーンで堪能できる
© PHOTO DE ROGER DO MINH

 アルジェリアに生まれ幼い頃、内戦によって両親とともにフランスに移住した彼女は、映画デビュー作『Les Bienheureux』(2017)で、早くもヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門の主演女優賞を受賞。同じくアルジェリア出身の女性監督ムーニア・メドゥールの初監督作『パピチャ 未来へのランウェイ』(2019)では、フランスのアカデミー賞にあたるセザール賞の有望新人女優賞を受賞し、フランス映画界で広く知られることになった。その後は、先出のアンダーソン作品、『ガガーリン』、そして新作『オートクチュール』と、出演作が後を絶たない。

 本作で彼女が演じるのは、オートクチュールとはまったく無縁の、パリ郊外の団地に住み、病弱な母の面倒を見ながら、時々スリを働く少女ジャド。自らの手で現状を変えることができず、将来に希望が持てないなか、オートクチュールのアトリエ主任であるエステル(ナタリー・バイ)と出会い、お針子にスカウトされたことで道が開ける。クリスチャン・ディオールが全面協力したという本作に出演を決めた理由を、クードリはこう語る。

「わたしはファッションに特に詳しいわけではありませんが、ジャドと同様に郊外の団地で育ったので、彼女の環境は手に取るようにわかりました。ただ脚本を読み始めたときは、冒頭、彼女の仲間がエステルのバッグをひったくる場面で、ちょっとひるんでしまった。というのも、映画で描かれる郊外の少年少女たちは大抵不良で、暴力やドラッグに身を浸す悪い子供たちとして描かれるから。それはわたしの知る郊外の生活ではない。でも読み進めるうちに、この物語がそんな紋切り型のイメージを覆すものであること、ジャドとエステルが立場を超えて理解し合う様に心を惹かれた。それぞれの登場人物が複雑さを持ち、単純なおとぎ話として描かれていないところも魅力でした」

 そんな印象を確信に変えたのが、シルヴィー・オハヨン監督との出会いだった。脚本を自身で書いたオハヨン監督もパリ郊外の出身で、この物語は多かれ少なかれ彼女の実体験から発想されたものだった。

「彼女が育った地域は、わたしの地元と隣同士で、隣人みたいなものでした。そして彼女自身が夢を諦めず、とても努力をしていまの地位にあることを知って、彼女が描くなら偏見や先入観に満ちたものになるはずがないと思ったのです」

画像: 今年公開された『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊』では、並み居るベテラン俳優陣の中でもまったく引けをとらず、みずみずしい存在感と確かな演技で観客の心をつかんだ実力派 © PHOTO DE ROGER DO MINH

今年公開された『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊』では、並み居るベテラン俳優陣の中でもまったく引けをとらず、みずみずしい存在感と確かな演技で観客の心をつかんだ実力派
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 ジャドはこれまで想像すらしたことのないオートクチュールのアトリエで、ときにはエステルとぶつかりながらも、繊細な指の動きを生かしてクチュールを学んでいく。

「知らない世界への好奇心と、羽ばたきたいという欲求がジャドを後押しする。もしもエステルに勧められなかったら、彼女は自分の才能すら知らないままだったでしょう。一番最初に自分を信じてくれる人というのは、人生でとても大事だと思います。わたしが今の仕事をやることができたのは、劇団時代に自分を信じて励ましてくれた先生、最初に役をくれたキャスティング・ディレクターのおかげ。その恩は今でも忘れません」

 トントン拍子のキャリアに見えるものの、クードリにとって25歳でデビューするまでの道のりは長かった。

「ずっと映像に関わる仕事や、ニュースキャスターに憧れていました。そのあと俳優の仕事は直接的に映像に結びつくことに気づき、俳優になりたいと思った。でも自分が育った地域にはそんな知り合いは誰もいなかった。18歳から22歳の4年間、学校の専攻を変えたり、学業をストップして働き始め、それからまたシアターに入り直したりと紆余曲折を経た。自分を信じることは勇気がいるし、やりたいことを貫くのは断固とした意志が必要なのだと思います」

画像: ナタリー・バイとの共演で、学ぶことも多かったというクードリ。演じることに真摯に向き合う姿が印象的で、ますます目が離せない存在になりそうだ © PHOTO DE ROGER DO MINH

ナタリー・バイとの共演で、学ぶことも多かったというクードリ。演じることに真摯に向き合う姿が印象的で、ますます目が離せない存在になりそうだ
© PHOTO DE ROGER DO MINH

 彼女はまた、仕事で出会った人々からも多くを学んできたという。

「メドゥール監督は、わたしがセリフを変えたりコラボレーションをする自由を与えてくれた。ティモシー(・シャラメ)は、毎回テイクごとに微妙に反応が違って、その創造性にインスパイアされました。そしてナタリー・バイからは勤勉であること、謙虚であることを学びました。彼女と一緒にアトリエで縫製の基本などを学びましたが、大女優なのに驚くほどに謙虚で寛大なんです。ディオールのアトリエの人々もとても協力的で、彼女たちの規律正しい仕事ぶりや多大な情熱など、未知の世界について知ることができました」

 次回作は、ヴァンサン・カッセル、エヴァ・グリーン、ロマン・デュリスらの共演により、二部作になることが決まっている大作『三銃士』が控える。その華奢な身体に芯の強さと繊細さを備えた29歳の大輪は、今後もしなやかに独自の道を切り開いていくに違いない。

画像: 『オートクチュール』予告編 ©2019-LES FILMS DU 24-LES PRODUCTIONS DU RENARD-LES PRODUCTIONS JOUROR

『オートクチュール』予告編
©2019-LES FILMS DU 24-LES PRODUCTIONS DU RENARD-LES PRODUCTIONS JOUROR

『オートクチュール』
2022年3月25日より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国公開
公式サイトはこちら

『男と女』から53年後の奇跡。
ルルーシュ監督が伝えたい“人生最良のこと”とは

<2020年1月掲載記事>

 フランスの名匠、クロード・ルルーシュ監督の名を、かつて世界に知らしめた不滅の恋愛映画、『男と女』から53年。再びオリジナル・キャストで続編が作られるという、“奇跡”が起こった。

 主演のジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ、そして監督の3人ともが80代というトリプル・シルバー・チームによる新作『男と女 人生最良の日々』は、穏やかななかにも以前と変わらぬ情熱と純粋さを秘め、観る者を永遠のロマンティックな時間に誘ってくれる。このような作品をいかに生み出すことができたのか、ルルーシュ監督に話しを聞いた。

画像: CLAUDE LELOUCH(クロード・ルルーシュ) 映画監督。1937年、フランス・パリ生まれ。ユダヤ系アルジェリア人の家庭に育ち、幼い頃から映画に興味を持つ。報道カメラマンとしてキャリアをスタート。1956年から映画を撮り始める。’66年『男と女』が世界的な大ヒットを記録。カンヌ国際映画祭パルムドールをはじめ、アカデミー賞®外国語映画賞など40以上の賞を獲得。主な監督作に『パリのめぐり逢い』(1967)、『恋人たちのメロディー』(’71)、『愛と哀しみのボレロ』(’81)、『レ・ミゼラブル』(’95)、『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』(2015)など © 2019 LES FILMS 13 ‐ DAVIS FILMS ‐ FRANCE 2 CINÉMA

CLAUDE LELOUCH(クロード・ルルーシュ)
映画監督。1937年、フランス・パリ生まれ。ユダヤ系アルジェリア人の家庭に育ち、幼い頃から映画に興味を持つ。報道カメラマンとしてキャリアをスタート。1956年から映画を撮り始める。’66年『男と女』が世界的な大ヒットを記録。カンヌ国際映画祭パルムドールをはじめ、アカデミー賞®外国語映画賞など40以上の賞を獲得。主な監督作に『パリのめぐり逢い』(1967)、『恋人たちのメロディー』(’71)、『愛と哀しみのボレロ』(’81)、『レ・ミゼラブル』(’95)、『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』(2015)など
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「奇跡は説明しようがありません」。82歳を迎えてもなお、かくしゃくとした様子のクロード・ルルーシュ監督は、笑みを浮かべながらこう語る。
「1966年に『男と女』を作ったときは、まさかこの映画が世界でこれほど成功するとも、こんなに長く人々に愛され続けるとも思っていませんでした。そして今日、50年以上も経て、オリジナル・キャストで続編を作ることができ、なおかつ、一作目と同じようにカンヌ国際映画祭で披露できたのは、まさに奇跡としか言いようがありません」

 たしかに、フランス映画に限らずどこの映画界でも類をみないと言える。名作曲家フランシス・レイによる、あの“シャバダバダ〜”のメロディも有名な『男と女』が、カンヌでパルムドール(最高賞)を受賞したとき、このフランス的な洗練に満ちた大人のラブストーリーを、世界は熱狂的に讃えた。

画像: 日々、記憶が薄れていくジャン・ルイだが、数十年ぶりにアンヌと再会し、かつての思い出が蘇る。いくつになってもチャーミングで、素敵なカップルを体現するジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメの共演が魅せる © 2019 LES FILMS 13 ‐ DAVIS FILMS ‐ FRANCE 2 CINÉMA

日々、記憶が薄れていくジャン・ルイだが、数十年ぶりにアンヌと再会し、かつての思い出が蘇る。いくつになってもチャーミングで、素敵なカップルを体現するジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメの共演が魅せる
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 そして53年後の2019年、再びカンヌの地で披露された新作『男と女 人生最良の日々』は、以前に勝るとも劣らぬ興奮をもって迎えられたのである。もっとも、バラ色の出来事ばかりだったわけではない。じつは一作目の続編にあたる二作目、『男と女Ⅱ』(日本公開1986年)は、批評家から酷評され、興行的にも失敗に終わっている。ルルーシュはこう回想する。

「二作目はまだ早すぎたのです。わたしは主人公たちがもっと年齢を経るのを辛抱強く待つべきだった。ただし三作目をいつか作ろうと思っていたわけではありません。きっかけは『男と女』の50周年を記念して、ふたたびジャン=ルイとアヌークとともにオリジナルを観直したことでした。映画を観ながら、彼らが楽しそうに囁きあったり、笑ったりしているのを見て、もう一度、彼らを映画のなかで再会させたいと思ったのです。

 このシリーズが他の映画と異なることは、作品がわたしたち作り手だけでなく、観客にも属しているということです。恋をしたことがある人なら、誰でもこの作品に共感するでしょう。長年の反響から、わたしはそれを感じていました。ですから今回新作を撮るなら、観客もまた参加できるような、つまり『これは自分の物語だ』と感じられるようなものにしなければだめだと思ったのです。それにある年齢になると子供ができたり、家族が増えたり、いろいろな経験をしますよね。観客が共感できるような、そんなさまざまな要素がこの映画にはあります」

 とはいえ一作目を愛する観客なら誰もがこう思うだろう。果たしてセンチメンタリズムではない、新たな喜びを新作に見出せるだろうか。それは監督のみならず、俳優たちの恐れもでもあったとルルーシュは語る。
「ジャン=ルイもアヌークも乗り気になってくれた一方で、とても不安を抱えていました。ですからわたしはこう言いました。最初のシーンを撮ってみて、もしもそれが気に入らなければ中止にしよう、と。果たして彼らは最初のシーンの結果をとても気に入り、わたしを信頼してくれたのです」

画像: ジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメを演出中のルルーシュ監督。主人公のジャン・ルイが元レーサーという設定は、車好きを自負する監督の投影でもある。映画のアイディアも運転中に浮かぶことが多いとか © 2019 LES FILMS 13 ‐ DAVIS FILMS ‐ FRANCE 2 CINÉMA

ジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメを演出中のルルーシュ監督。主人公のジャン・ルイが元レーサーという設定は、車好きを自負する監督の投影でもある。映画のアイディアも運転中に浮かぶことが多いとか
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 元レーサーとして活躍したジャン・ルイは、いまや日々記憶が薄れていくなか、余生を施設で送っている。息子はそんな父を気遣い、かつてジャン・ルイが本気で愛した女性、アンヌを探し出し、父と会ってくれるように頼む。アンヌは動揺するが、かつての思いが蘇ることに逆らえず、ジャン・ルイを訪ねる。果たして彼はまだ自分を覚えているのか。あの時のことを、彼はどう思っているのか。

 本作が素晴らしいのは、人生の終幕を前にした諦観やノスタルジーだけではない、生き生きとした喜びや情熱をたたえているからだ。年齢とは心の問題でもあるということ、そして愛し方は変わっても、人を愛すること自体に年は関係ないのだということを、本作は教えてくれる。それはルルーシュ監督自身の生きる哲学でもある。彼はこう続ける。

「この世で最良のことは何かご存知ですか? 誰かを愛することができること、そしてそんなとき、自分のことよりもその人を愛せるということです。まったく常軌を逸しているようですが(笑)。でもそんなとき、人生はとても興味深くなる。わたしは、愛はヒューマニティのもっとも大切な要素だと思うのです」

 だからこそ、年齢を経てもその情熱が薄らぐことはないのだろう。
「わたしもこの映画のジャン・ルイとアンヌと同じように、人生の最終コースに到達しました。この年になると、人は本質を見るようになり、もはや怖いものもなくなります。恐怖がなくなれば、人生の素晴らしさを十分に享受することができる。そして人生がますます愛おしく思えるようになるのです」

 今後も企画が数本あり、すでに編集を終えた次回作もあるというルルーシュ監督。彼の生きる哲学を反映したかのようなエネルギッシュな姿勢に、こちらの方がパワーを授けられた思いがした。

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