歌舞伎の未来のために奮闘する令和の花形歌舞伎俳優たち。彼らの熱い思いを、美しい姿撮り下ろし舞台ビジュアルとともにお届け。13回目は4月の歌舞伎座で大曲『春興鏡獅子』に挑んでいる尾上右近が登場。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

画像1: 『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

『春興鏡獅子』は1893年に歌舞伎座で初演され、後に「新歌舞伎十八番」の一つに加わった歌舞伎舞踊の中でも屈指の人気作。今回、歌舞伎座で主役の小姓弥生と獅子の精を踊る尾上右近にとって、自身の人生の目標とまで語るほど、強い思い入れがある作品である。彼が初めてこの作品に出合ったのは3歳の時。祖母の家で「ひいおじいちゃんの踊りを観る?」と聞かれて目にした映像だった。前シテの弥生にはふくよかさ、まろやかさ、可憐な美しさを、後シテの獅子には神々しさを感じて、幼いながらもその姿と動きに心を奪われ、後に歌舞伎俳優を目指すきっかけにもなった。その映像は映画監督の小津安二郎が手がけたたった一つのドキュメンタリー作品で、演じ手は右近の曾祖父にあたる六代目尾上菊五郎だった。

 『春興鏡獅子』を目標に歌舞伎の道を歩んできた右近は、2015年に開催した自主公演「第一回 研の會」で、すでにこの大役に挑んだ経験がある。それから10年。今月、歌舞伎座の大舞台で勤めることになった。32歳にして掴んだこのチャンスをどう捉えているのだろうか。

──『春興鏡獅子』を控えた3月は『仮名手本忠臣蔵』にご出演でしたが、久しぶりの通し狂言の舞台に立つということはどういう心境でしたか?

右近:『仮名手本忠臣蔵』のおかげで自分が歌舞伎の世界にいることをすごく実感でき、歌舞伎の本質的なものを味わう時間になっていたように思います。出演者は口上人形の読み上げが始まる前には舞台にいてそれぞれの場所に座って待っているという儀式的なことも経験できましたし、客席の空気からもお客さまが期待してくださっているのを感じました。そうした真剣勝負の時間を過ごさせていただいたので、ここから『春興鏡獅子』に入れることがすごく嬉しいです。歌舞伎に自分のすべてを捧げるような思いで取り組みたいと思います。

──『春興鏡獅子』を歌舞伎座で演じるということが、ご自身にとってどんな意味があると感じていらっしゃいますか?

右近:『春興鏡獅子』は、自分にとって“生きる意味”でもある作品。“役に役者が選ばれる”という目に見えない力があるとしたら、この強い思いが通じたのかもしれないとも思います。
 2015年に行った自主公演『研の會』の第一回で『春興鏡獅子』を初役で勤め、2度目となる今回、いきなり歌舞伎座という劇場で勤めさせていただけることになりました。責任を感じていますし、これは“飛び級”でいただいた機会だと肝に銘じて、その空白の部分を埋めてしかるべきものをご覧いただけるように努めます。

画像2: 『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

画像3: 『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

──初めて『春興鏡獅子』に挑んでから10年経った今、”あの経験があったからこそ今の自分がある”と思える出来事があれば教えてください。

右近:歌舞伎座で『京鹿子娘道成寺』(2024年1月)を演らせていただいたことはすごく大きいと思います。大曲で、女方の基本的な踊りで、体に後から後になるほど効いてくるということも体験できましたし、自分なりの踊りを創り上げていく上でとても重要でした。(中村)壱太郎さんとのダブルキャストでしたので途中交代という形ではありましたが、一定期間を歌舞伎座の舞台で演らせていただけたのは貴重な経験だったと思います。

──『春興鏡獅子』のお稽古をなさってみて、10年前とはどんなところが違いますか?

右近:「研の會」の時はとにかく精一杯でした。今と比較すれば集中力も筋力もなかったので、踊りがぶつ切れになるようなところがあったと思います。腰が高いといいますか、地に足がついていないような踊りだったところもありました。今回は3月の頭からお稽古を始めて、10年前との違いは自分でも感じています。前シテの弥生は、役としてはお殿様に楽しんでいただくために、もてなす気持ちで踊ることに徹しますが、同時に観に来てくださっているお客さまのために踊るということが体に身についたと実感しています。これもまた『道成寺』での経験を通して踊りにおける集中力を培うことができたので、自分にとってとても大きい事だと思いました。

──2021年の「團菊祭」で尾上菊之助さんが『春興鏡獅子』をなさった時に後見(舞台上で演者に小道具の受け渡しや衣裳を整えるなどのサポートをすること)をされたそうですが、ご自身にとってどんなご経験でしたか?

右近:当時、菊之助のお兄さんが『春興鏡獅子』をなさると伺って、「僕もいつか『鏡獅子』を踊りたいので、勉強として後見をさせていただきたい」とご本人にお願いして、承諾してくださいました。
 後見に志願した理由は、『春興鏡獅子』という演目が持つ空気感を感じてみたかったからです。例えば外国に旅行すると、その土地にしかない空気感があると思いますが、それと同じで後見を勤めさせていただいたおかげで『鏡獅子』の持っている空気を肌で感じることができました。それは、お正月の華やかさが漂うお城の中の雰囲気でした。緊張感があるけれども決して堅苦しいだけではなく、余興で小姓に踊らせようというお殿様の洒落も通じる。そうした賑やかさを楽しめる『鏡獅子』ならではの空気感がありました。
『鏡獅子』に少しでも触れておきたいという気持ちで手を挙げたものの、後見の難しさは想定外でした。格闘技の試合で選手をサポートするセコンドと同じで、演者が客席に背を向けている間、お扇子を取り替えたり、小道具を渡したりします。僕自身が踊った時は今回と同じ(尾上)菊三呂さんが引き受けてくださったのですが、頼りがいのある後見の方が目の前にいると気持ちもほっとします。僕の場合は後見の仕事をすることに必死で気遣うこともできなかったので菊之助のお兄さんは演りづらかったと思いますが、機会をくださったことに感謝しています。『鏡獅子』にまつわることとして、子どもの頃に勤めた胡蝶(の役)も、後見も、どちらも大きな経験でした。

画像4: 『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

画像5: 『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

『春興鏡獅子』小姓弥生=尾上右近

──今回の『春興鏡獅子』では衣裳も、小道具の手獅子も新調されたとのことですが、どういう意図があってなさったのでしょうか?

右近:理想のお弁当を作る”というこだわりを貫くには、どこのどういう人が作ったお米なのか、素材を吟味して選ぶのと同じで、自分の『鏡獅子』に対する絶対的な愛情を注げるところにはとことん注ぎたいという意識につながっているのだと思います。僕の尊敬する先輩の舞台は、幕が開いた時にその人の匂いのようなものが漂っているのを感じますが、それが僕の目指していること。尾上右近の『春興鏡獅子』ということが伝わるといいなと思います。幕開きにはお城に勤める家老、用人、老女、お局の4人が出てきますが、(市村)橘太郎さん、(市川)青虎さん、(中村)梅花さん、(中村)京妙さんがそれぞれ勤めてくださっていて、とてもありがたいです。

──胡蝶の精(後シテの獅子と踊る重要な役で、子どもが演じることが多い)は坂東亀三郎さんと尾上眞秀さんがなさいますが、お二人をご覧になってどんなことを感じていらっしゃいますか?

右近:亀三郎くんと眞秀くんを見ていて、弥生と獅子を演じる先輩に対する気持ちや胡蝶として関わることへの尊い気持ちを思い出しました。僕がまだ9歳で(十八世中村)勘三郎のおじさんが勘九郎を名乗っていた時のことですが、鮮明に甦ってきます。『鏡獅子』という作品が持つ空気感が彼らに伝播していることが確かに感じ取れて、本番がより一層楽しみになりました。

画像1: 『春興鏡獅子』獅子の精=尾上右近

『春興鏡獅子』獅子の精=尾上右近

画像2: 『春興鏡獅子』獅子の精=尾上右近

『春興鏡獅子』獅子の精=尾上右近

──初日を迎えて 4月7日に新橋演舞場にて取材
『春興鏡獅子』の稽古から初日を迎えるまで、大役を勤めることにプレッシャーを感じるようなことはありましたか?

右近:本番は、とてもフラットな状態で毎日過ごすことができていますが、初日を迎える前は不安な気持ちになったこともありました。自分が踊った稽古映像を観て、今まで憧れてきた演目なのに、全く『鏡獅子』ではない感じになっていると思って、とてもがっかりしたんです。あまりにも自分がイメージしていたものとはかけ離れていたので、“役者を辞めた方がいいかもしれない”とまで思ったほどでした。一生懸命になりすぎていたのだと思います。支えてくださっている方々のおかげもあって、舞台稽古を経て初日が近づくとともに徐々に気持ちも持ち直してきて、初日が開いた時はとても落ち着いていて、いいタイミングで気持ちが間に合いました。

──今日は「思い出の松竹銀幕セレクションin 新橋演舞場」で上映された六代目菊五郎の「菊五郎の鏡獅子 4K デジタル修復版」(松竹大谷図書館 所蔵)をご覧になって「これまでとは見方が変わった」という感想を述べられていましたが、どんなふうに変わったのですか?

右近:この映画を初めて観たのは3歳の時でしたが、自分の志のきっかけとなった作品なので、今もなお、月に20回ほど観ています。今日観ていていつもと違ったのは、衣裳の着方、お扇子の使い方、体の使い方、首の使い方、間の使い方など、つまり、表現の仕方という部分に着目したことです。今月『春興鏡獅子』を踊らせていただくことで、今までとは違うことに気づけたのかもしれません。
 また、今日はその映画の前に、六代目(尾上菊五郎)が14歳の頃、九代目(市川團十郎)の『紅葉狩』で山神を勤めた映画も拝見したのですが、それにも気づきがありました。当時もその存在感から神童であることが一目瞭然なのですが、それから30年ほどを経た『鏡獅子』がとてつもなく洗練された踊りになっていて、六代目がその一生のうちに芸を磨き上げて進化を遂げていった過程を目にすることができました。舞台作品というものはその場で消えてしまうものですが、こうして映像として残っていたことで、憧れを抱くことができたことには感無量です。

──ご自身の“命の演目”だとおっしゃっている『春興鏡獅子』の初日を無事に迎えられたことは、1つの夢を達成したような心境でしょうか?

右近:アニメーションの『母をたずねて三千里』のように、実の親に会えずにいた子どもが親と再会できたような感じでしょうか。“僕はやっぱりこの人の子どもだ”と思った時に、“ここに心のふるさとができた”と感じるのと同じ心境だと思います。かなり特殊な環境に喩えましたが、それくらい心がほっとしたのだと思います。
 初日は夢中になって勤めました。「四月大歌舞伎」では僕が出演するのは『鏡獅子』だけで一球入魂のような感じで取り組めるので、この状況や心境は初舞台の時に似ていると思いました。毎日、『春興鏡獅子』を踊れるということが嬉しいですし、これからこの作品と改めて向き合うための特別なスタートに立つことができたという、とても純粋な気持ちですね。これが再演となりますと、また違う魅力というものが求められると思いますので、今回はこのままこの純粋な気持ちを維持していきたいと思います。
 僕は“無限階段”という言葉でよく表現しているのですが、何かに取り組むということは1つの課題がクリアできたら、また1つ、次の課題が現れるものだと思っています。上っても、上っても階段は続いていく。僕にとって『鏡獅子』は、これまでにない”究極の無限階段“という存在になるかもしれません。
 初日を迎えるまでは六代目の踊りとはかけ離れた自分がいて、それは仕方がないことだとも思っていたのですが、初日が開いてから、自分の踊りが六代目に寄っていくのを感じています。僕はどちらかというとシャープになってしまうのですが、自分の映像を観たらなぜかはわかりませんが、いつもより少しふくよかな踊りだと感じました。演奏家の皆さんの力にも助けられていると思いますが、イメージと表現がこれからどんどん一致していくような気がしていて、不思議だなと思います。

画像3: 『春興鏡獅子』獅子の精=尾上右近

『春興鏡獅子』獅子の精=尾上右近

画像4: 『春興鏡獅子』獅子の精=尾上右近

『春興鏡獅子』獅子の精=尾上右近

尾上右近(ONOE UKON)
東京都生まれ。曽祖父は六代目尾上菊五郎。2000年4月歌舞伎座『舞鶴雪月花』の松虫で岡村研佑の名で初舞台。七代目尾上菊五郎に預けられ、05年1月新橋演舞場『人情噺文七元結』の長兵衛娘お久、『喜撰』の所化で二代目尾上右近を襲名。18年2月七代目清元栄寿太夫を襲名。2015年より始めた自主公演の「研の會」で大役の挑戦を重ねてきた。歌舞伎俳優、清元節の太夫としてだけでなく、映画やドラマ、バラエティー番組など多方面で活躍している。

四月大歌舞伎
昼の部 11:00開演
一、新作歌舞伎『木挽町のあだ討ち』
二、『黒手組曲輪達引』
夜の部16時15分開演
一、『彦山権現誓助剱』杉坂墓所 毛谷村
二、新歌舞伎十八番の内『春興鏡獅子』
三、新作歌舞伎『無筆の出世』

※尾上右近さんは、夜の部『春興鏡獅子』に出演。

会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2025年4月3日(木)〜25日(金)
休園日:10日、18日
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。

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