世の荒波にあっても心を穏やかにととのえ、幸福に生きるための羅針盤となるものは──? 煎茶道や水墨画を通し「文人趣味」の素晴らしさを伝え続けてきた煎茶道美風流 中谷美風家元が、本来の人間のありようを問いかける珠玉の哲学エッセイを上梓。文人に学ぶ現代人のマインドフルネスの奥義を、入門して3年目のファッション・ディレクター菅野麻子が尋ねる

BY ASAKO KANNO

[春] 啓蟄―白木蓮の華やぎ

春の訪れを知らせる白木蓮は、水墨画家でもある中谷美風家元の作品。二十四節気の季節のうつろいを感じながら、自分を見つめ直すことのできる1冊だ

© BIFU NAKATANI

 人生も後半戦にさしかかる年齢で煎茶道の流派に入門し、はや3年。お点前と教養はなかなか身につかずとも、学び始めた「文人趣味」の美学が、「心のあり方」を大きく変化させてくれたことに気がつく。新たな世界をのぞかせてくださる我が師、中谷美風家元が『四季折々の文人趣味―旅する二十四節気―』を上梓した。人間の本質を知り、心をととのえながら清々しく生きるヒントに満ちたこの1冊を、さらに楽しく深く読み解く秘訣を聞いた。

──入門するまで「文人趣味」という風雅な世界があることを全く知りませんでした。今も「文人」の定義があやふやなところがあります。

美風家元:「文人趣味」における「文人」とは、中国の隋・唐の時代から清朝までの約1300年もの間(日本では飛鳥時代から明治時代にあたる)行われていた「科挙試験」(官僚を選抜する超難関な国家試験のようなもの)に合格した文人官僚のことを指します。

──儒家的な学問はもちろん、詩文や書画の芸術的な才能、さらには人間性に優れた超エリートたちのことですよね。

美風家元:そうですね。そして江戸時代に「文人」たちの生きざまや美学が日本に伝わると、知的階級や文化人たちが模倣していくようになります。これが、「文人趣味」のはじまりです。その後、日本で独自の文化を形成していきました。

──「煎茶道」も、「文人趣味」に根ざした日本独自の文化なのですね。

美風家元:中国の文人がお茶を飲みながら書画や詩を楽しむ喫茶文化を、より形式的に体系化したものが「煎茶道」です。

──一方の中国では、文人思想は途絶えてしまったとか。

美風家元:残念ながら文化大革命(1966-1976)で、文人たちの思想や哲学は根絶され、貴重な書画までも廃棄されました。昨今では教養人たちの間で再評価され、再興の兆しもあるようです。日本でも、社会構造の急激な変化とともに、文人思想は消失していきました。しかし、混沌とした今の時代だからこそ、「文人」の精神性は日本人の助けになると思うのです。この本が、「文人趣味」の入門書となればと願っています。

[夏] 大暑―早朝の蓮の芳香

画像: 泥の中にあっても、“浄らか”な姿と“清らか”な香りを放つ蓮を、文人はこう例えた。「蓮はこのようなことから花の中の君子だと思うのです」周敦頤「愛蓮説」──『四季折々の文人趣味―旅する二十四節気ー』より(左)蓮を生けた文人花のしつらえ(右)美風家元の蓮の水墨画 COURTESY OF BIFU NAKATANI

泥の中にあっても、“浄らか”な姿と“清らか”な香りを放つ蓮を、文人はこう例えた。「蓮はこのようなことから花の中の君子だと思うのです」周敦頤「愛蓮説」──『四季折々の文人趣味―旅する二十四節気ー』より(左)蓮を生けた文人花のしつらえ(右)美風家元の蓮の水墨画

COURTESY OF BIFU NAKATANI

──古代中国の「文人」たちの生き方を教えてください。

美風家元:彼らは、“儒教”を基盤とする国家の中枢で政治を担う立場でした。そして、理不尽な現実や世俗的な争いに心をすり減らすと、“儒教”とは対照的とも思われる“老荘思想”や“禅”の学びを心の避難場所としたのです。

──教養を極め、富と名誉を手にした文人官僚たちもまた、社会での葛藤や虚しさを抱えていたことにも驚きます。現代社会と変わらないのですね。

美風家元:そうですね。いつの時代も人間社会では、人の欲により、学んできた理想とはほど遠い矛盾が生じるものです。そんな時、文人たちは俗世を離れ自然の中に逃避しました。自然を鏡とすることで自分のなかの矛盾に気づき、本来の自分を取り戻していったのです。なぜなら、自然の営みのなかには、矛盾がなにひとつないからです。自分の心の物差しを失ってはいけないのです。

[秋] 処暑―ひもすがら我を忘れて

文人の文房具。墨には、文人に好まれた“金魚”が描かれている。「江戸時代に金魚の飼育が興隆したきっかけは、文人趣味の影響だと思われています」。──『四季折々の文人趣味―旅する二十四節気―』より

PHOTOGRAPH BY BIFU NAKATANI

──日本において「文人趣味」を実践していた人物は誰になりますか?

美風家元:近代においては、夏目漱石や芥川龍之介があげられます。夏目漱石は毎日、漢詩を作ってから自身の執筆にとりかかっていたそうです。漱石の作品には、漢詩のエッセンスが感じられますね。

──ご著書のなかでも、漢詩が多く引用されています。文人が最も大切にしていた教養のひとつ、「漢詩」の魅力を教えてください。

美風家元:たった一字の漢字を巧妙に使い分けることで、描写の解像度をあげる。それが漢詩の魅力です。例えば、「桜が咲いたね」というのはごく普通の表現ですが、「桜が開いたね」と言えば、昨日まで蕾だった情景や心待ちにしていた感情を読み取れます。「桜が香ったね」だと、漆黒の闇のなかで咲く桜を想像するかもしれません。推敲を重ね、情景や自分の感情の機微を一文字に託すのが漢詩です。言葉を大切にしてきた日本人は、漢字を知ったうえで仮名を使いこなしたからこそ、平安時代に豊かな文学作品が生まれたのだと思います。現代社会でも、漢詩の教養はきっと役にたつはずです。

[冬] 立冬― 一碗で仙境へ

画像: 美風家元の運営する、自然栽培の茶園「瑞徳舎」。お茶の花が咲く立冬の季節に製茶された、お茶の花茶。「洗尽人間胸裏埃(茶は、俗世間の塵を洗い流してくれます)」売茶翁 ──『四季折々の文人趣味ー旅する二十四節気ー』より PHOTOGRAPHS BY BIFU NAKATANI

美風家元の運営する、自然栽培の茶園「瑞徳舎」。お茶の花が咲く立冬の季節に製茶された、お茶の花茶。「洗尽人間胸裏埃(茶は、俗世間の塵を洗い流してくれます)」売茶翁 ──『四季折々の文人趣味ー旅する二十四節気ー』より

PHOTOGRAPHS BY BIFU NAKATANI

──現代社会で、私たちはどのように「文人趣味」を生活に取り入れることができるでしょうか?

美風家元:まずは、「文人趣味」を傍観するのではなく、ひとつでもいいので実践してみてください。自然と調和し、絵や詩、お茶などの豊かな文人の美学を模倣する。それが、自分と向き合う時間となり、心の平穏につながっていくのです。ストレス発散のカラオケやお酒なども否定はしませんが、嫌なことを忘れるために、本来の自分に蓋をしているだけかもしれません。社会の枠組みのなかで、誰もが忙しい日々を送っています。でも、もしかしたら自分を見つめることの怖さを先送りにする言い訳になっているかもしれません。心の声を聞く時間は、大切なことだと思います。

──「文人」の精神性は、めまぐるしい日々を送るなかで、心の羅針盤となりました。

美風家元:「文人趣味」は、自分をあからさまにすることでもあります。「“あの時のこと”がなかったら」と思うこともあるでしょう。でも、それは“あの時のこと”が悪いのではなく、起きたあとに自分がどうふるまったかで、“あの時のこと”が悪くなってしまっただけなのです。すでに起こった事実には、良しあしはないのです。大事なのは、明日の自分が、今日あったことをどう理解しているかだと思います。「文人」たちのように教養を深め、今できることを怠らずに精進する。それが、生きるということなのではないでしょうか。

 「過去の歴史を学ぶと、未来への道すじが見えてくる」師匠がよく口にする言葉だ。「文人」たちの残した精神性が、師匠の著書の中で1000年の時空を超えて語りかけてくる時、ほんの少し自分のあるべき姿が見えてくるように思う。古代から変わらない普遍的な教えのなかに、今を生きるヒントがあることを、この本は教えてくれるのだ。誰もが、豊かに心の四季を巡らせていくために。

『四季折々の文人趣味―旅する二十四節気―』著者 中谷美風 
¥2970/城山書房

画像: 中谷美風(なかたにびふう) 煎茶美風流 四世家元。奈良生まれ、高円山在住。水墨画の画号は方外閑人素履(ほうがいかんじんそり)。各地で茶会、展覧会、講演会などを通して、文人趣味の楽しみを伝える活動に取り組む。奈良で運営する「ギャラリー 無一物」「カフェうつぎ」、自然栽培の茶園「瑞徳舎」では、文人趣味サロンをはじめ、水墨画教室、和菓子づくり、お茶摘み&製茶など、文人趣味を体験できる多様なプログラムが開催されている 公式サイトはこちら PHOTOGRAPH BY KAYA NAKATANI

中谷美風(なかたにびふう)
煎茶美風流 四世家元。奈良生まれ、高円山在住。水墨画の画号は方外閑人素履(ほうがいかんじんそり)。各地で茶会、展覧会、講演会などを通して、文人趣味の楽しみを伝える活動に取り組む。奈良で運営する「ギャラリー 無一物」「カフェうつぎ」、自然栽培の茶園「瑞徳舎」では、文人趣味サロンをはじめ、水墨画教室、和菓子づくり、お茶摘み&製茶など、文人趣味を体験できる多様なプログラムが開催されている
公式サイトはこちら

PHOTOGRAPH BY KAYA NAKATANI

菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代を海外で過ごし、帰国後に出版社に入社。「流行通信」「マリ・クレール」のファッション・ディレクターを経て独立。ファッション誌を中心に活動中。旅好きで、現地で必ずチェックするのは民族衣装と手仕事。

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