BY ALICE GREGORY, PHOTOGRAPHS BY PIETER HUGO, STYLED BY MELANIE WARD, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO
読み手の心をぐっとつかむ新聞や雑誌の記事が、無味乾燥な情報源(裁判記録、財務記録、保管庫で埃をかぶった証書など)から生まれるように、スペクタクルな演出のショーは非常に地味な作業から生み出される(電球ソケットの取り替え、配線をまとめるジップタイの取りつけ、スピーカーシステムの再配置など)。ジェスキエールは“成功した人なら普通やらなそうなこと”にも誠意を込めて取り組む。巨大な室内の角からもう一方の角まで延長コードを引っ張り、「ペルソール」のアビエイターグラスをかけて、何種類もの床面の処理剤をチェックしたあと、ようやく彼はエスプレッソをひと口飲んだ。斬新なデザインで知られた男性デザイナーたちは、なぜか行きすぎたほどシンプルな服を好むことが多いが、彼もその例にもれない。
この日はネイビーのクルーネックセーターにブラックジーンズと黒のナイキのシューズを合わせていた。その雰囲気はどこかミケランジェロ・アントニオーニの映画の主人公を思わせた。「グレーのコンクリート? それともテラゾ(人造大理石)?」。数人のスタッフに囲まれたジェスキエールが考え込んでいる。アメリカ人はあんな至近距離でボスに近づかない。「これはいい」「いいところに気づいたね」「きれいだ」と彼らの話すフランス語が響いてきた。
それから3日後、ポンピドゥーセンターのレプリカはようやくルーヴル美術館に設置された。ジェスキエールの狙いは、フランス文化の権化であるルーヴル美術館と、かつて醜悪と冷評されたポンピドゥーセンターを物理的に対峙させること。異なる美学の衝突とパラドックスを得意のテーマにしている彼らしいアイデアだ。設営がすむとその翌日に、2019-’20年秋冬コレクションが開催された。
ショーで目を引いたのは、デカダンスなムードを演出するレザー・スカルキャップ(縁なし帽)や、オーバーサイズのラッフルやプラストロン(胸元の装飾)。渦巻いたルースター柄のピンクと青のミニドレス、キャサリン・ヘップバーン風のキャビア・ウールのボトムにタックインしたピエロのようなシャツ。レース地にシルバースパンコールを刺しゅうしたアンサンブル、スカーレット色のつややかなラムスキンのジョッパーズ、ロイ・リキテンスタイン風のグリーンが鮮やかなフェイクファーのアシンメトリーケープも印象に残った。
異要素のコントラストが目を奪う圧巻のショーだったが、米英の新聞のレビューでは評価が割れていた。一方は“プリントモチーフも時代も素材も混ぜこぜで実際には着られない服”という意見、もう一方は“ここ長いこと見たことがない斬新なスタイル”という見方。つまりは、とんでもなく独創的で、古くて同時に新しい服ということになるだろう。
パリのショーからわずか2カ月後、ジェスキエールは2020年クルーズ・コレクションの開催地であるニューヨークに向かった。この街でショーを催すのは彼にとって約20年ぶりのことだ。普通の人にとって2カ月という期間は、インターネットのプロバイダーを変更したり、マヨネーズを1本使いきったりするうちに過ぎてしまうものだが、彼はその短期間に59点の新作をデザインし、完成させた。会場はニューヨークのクイーンズ区にある、エーロ・サーリネン設計のジョン・F・ケネディ国際空港TWAフライトセンター。約1,500名のゲストを招いた。
陽光が差し込むこの空港ターミナルは、有機的な曲線が際立った、アメリカが誇るネオ・フューチャリズムのランドマークだったが、20年前に閉鎖。最近ホテルに生まれ変わり、目前にオープンを控えていたが、ジェスキエールはここが“もし放置され続けていたらどうなるか”を想像した。本物の林冠(高木の枝葉部)を運び入れた会場は、鬱蒼としたジャングルの様相を呈し、隠れたスピーカーからは、かすかに鳥の鳴き声が響いていた。ショーに先立って会場に現れたのは、メゾンのミューズや女優たち(ジェニファー・コネリー、ミシェル・ウィリアムズ、レア・セドゥなど)だ。誰もがジェスキエールの服をまとっている。そこに交じって、億万長者や整形顔のロシア女性の姿も見られた。客席のほうには、ルイ・ヴィトンから招待された地元ファッションスクールの学生、くだけた格好が悪目立ちした若者のほかに、一般人には素性が不明などこかの都市(やスキーリゾート)から来た富豪然とした人々がいた。ブティックで大枚をつぎ込んでくれている彼らに、ルイ・ヴィトンは感謝の気持ちを表してこのショーに招いたのである。