ニコラ・ジェスキエールは確固たるビジョンで現代のファッションを作り替えた。その影響は今のモードの底流に広く深く根づいている

BY ALICE GREGORY, PHOTOGRAPHS BY PIETER HUGO, STYLED BY MELANIE WARD, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: 2020年クルーズ・ コレクションより。 刺しゅうを施したトップス¥1,345,000、中に着たトップス<参考商品>、パンツ<参考商品>、ベルト¥76,000、グローブ<参考商品>、イヤリング¥105,000/ルイ・ヴィトン ルイ・ヴィトン クライアントサービス フリーダイヤル:0120-00-1854

2020年クルーズ・ コレクションより。
刺しゅうを施したトップス¥1,345,000、中に着たトップス<参考商品>、パンツ<参考商品>、ベルト¥76,000、グローブ<参考商品>、イヤリング¥105,000/ルイ・ヴィトン
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 コレクションの着想源は、米DCコミックスの『バットマン』に登場する架空都市「ゴッサム・シティ」と、ニューヨークのマンハッタンだ。ジェスキエールは、1990年に初めて訪れたマンハッタンの、エネルギーとパワーと特権のイメージを今も覚えている。ショーの中でとりわけ斬新だったのは、“普通の人間でスーパーヒーローでもある”バットマンに通じる“多面性”のあるデザインだ。たとえば、上半分は赤と白が効いたバイカージャケットで、下半分がつややかな水色のブレザーというルック。その真ん中にはラインストーンやビーズで飾った幅広のラッフルが飾られている。開閉部のデザインがダッフル風のコートは、エナメルレザーとバブルガムピンクのカシミアをドッキング。制服のようなシルクギャバジンのハイウエストパンツは、膝あて風のパネル切り替えが特徴だ。ほかにはメノナイト(註19:世紀の質素な生活を続けるキリスト教の一派)風プラストロン、ビクトリアン様式のラッフル、ストライプのベルトつきサファリドレス、タン(靴紐の下のパーツ)にモノグラムを刻んだコンバットブーツなどが登場した。

 メイクは一貫して、ゴシック・ロックの元祖スージー・スー風。クライスラービルの頭頂部を模したパーティバッグや、映画『ブレードランナー』のような街の景観を映し出す“フレキシブルディスプレイ”のついたバッグは新鮮な驚きをもたらした。モデルたちは、周到に配置された曲線状のベンチの間を歩いたので、誰もがフロントロウにいるようにショーを堪能できた。平等さとは無縁な世界で唯一感じた、ささやかなデモクラシーである。壮麗なファッションショーとは、もっとも古典的で純然たるラグジュアリーのシンボルだ。オリジナルのサウンドトラックが響くなか、ドラマティックに照らし出されたランウェイを、世界で最も美しい人々が練り歩く──20分弱のこのパレードは卓越した技術者と職人のコラボレーションのたまものなのだ。その紛れもない美しさはどんな人の心も捉えてしまう。ショーにかかる巨額の費用で、無数の命を救えたのにと考えずにはいられない人でさえ、思わず息を呑んで見入ってしまうのだ。

 翌日の午後、ジェスキエールは二日酔いだった。彼はここ数週間のうちに、飛行機で大西洋を横断し、120点の仮縫いサンプルをチェックし、9件のインタビューを受け、「メットガラ(註:世界のスターが集うモードの祭典)」でルイ・ヴィトンのアンバサダー、女優エマ・ストーンのエスコートをした。続いてマンハッタンとケネディ国際空港があるクイーンズ区を6回往復し、ショーを披露して、ニューヨーク近代美術館の別館「MoMA PS1」でのアフターパーティに出席。「ザ・グリニッジホテル」のペントハウスで自身の48歳のバースデイを祝い、そこを出たのは明け方4時だった。

 ここ何カ月、仕事をしなかった日はない。一日たりとも休んでいない。今の彼が待ち望んでいるのは、パリに戻り、ステイケーション(註:自宅や近所でバカンスを過ごす)を楽しむこと。ステイケーションーー確かに夢をもたらす言葉だが、それが実際にどんなものだったか今の彼には思い出せもしない。ジェスキエールを消耗させるのは、創作に費やす労力ではなく、そこにまつわる大小さまざまな出来事だ。常に人に会うこと、企業側の要求に応えること、ミーティング。ありとあらゆる決断。あるいは、決断とまではいかないが決めなくてはいけないことの連続。仕事に対して情熱が薄れたことはないが、きついと思うことはよくあると言う。「ときどき疲れ果てて抜け殻みたいになるんだ」とつぶやくと、彼はため息をついた。

 ルイ・ヴィトンにおけるジェスキエールの役割は広範囲かつ重要で、人々の注目を浴びるものだ。一方、彼が与えた影響は広く知られているものの、奥深くに染み込んでいて、はっきりとは捉えきれない。すでに数十年もモード界に君臨してきた彼のインパクトは、ランウェイでもそれ以外でも、表面には見えない根底に漂っているからだ。一歩街に出ればその“底流”に気づくかもしれない。くたっとしたソフトなデイリーバッグが好まれるのも、ここ数年、カフィーヤ(アラブ男性が頭に巻く柄布)柄のスカーフを巻いた30代以下の若者をよく見かけるのも、ジェスキエールの影響なのである。人の心を動かすのは強要でなく、切々と訴え続ける誠意だ。だからこそ、あらゆることに精魂を注ぎすぎたジェスキエールは、ただ、疲れきっていた。

 彼のアパルトマンはオフィスから歩いて15分の場所にある。ニューヨークからパリに戻ると、改修工事の第一段階がようやく終わっていた。オフィスから30分離れた場所には、もう一軒、10年ほど放ったままの小さなアトリエがある。そこを埋め尽くしている資料は、彼が最近確保した別の場所へ移される予定だ。

「僕は、自分の過去と現在と未来をシンボライズしたくなるタイプだって気づいたんだ」。彼は笑ってつぶやいた。「未来のことだけは、まだどうなるかわからないけれど」

MODELS: JING WEN(WOMEN MANAGEMENT)AND SARA GRACE WALLERSTEDT AND BLESNYA MINHER(THE SOCIETY). HAIR BY JIMMY PAUL FOR SUSAN PRICE NYC. MAKEUP BY DIANE KENDAL(JULIAN WATSON AGENCY). SET DESIGN BY ANDREA STANLEY(STREETERS). CASTING BY NICOLA KAST(WEBBER REPRESENTS)

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