エルメスのメンズ部門で、長年アーティスティック・ディレクターを務めるヴェロニク・ニシャニアン。眼識のある男性のために、くつろいだスタイルでありつつ細部までこだわり抜いた彼女の服づくりは、マーケティング戦略やブームとは無縁のものだ

BY ALICE NEWELL-HANSON, PHOTOGRAPHS BY BRUNO STAUB, STYLED BY DELPHINE DANHIER, PORTRAIT BY KRIS KNIGHT, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

「もし20歳だったら、きっとグリーンかピンクに染めていたはず」。そうヴェロニク・ニシャニアンが切りだした。カラッとした暑さが心地よい6月のパリの午後、この街のライムストーン(註:石灰岩)の建物のてっぺんは太陽に照らされて、まるで金メッキをしたみたいにまばゆく輝いていた。ここはマレ地区にある17世紀建造の壮麗な大邸宅、エックヴィリー館。ニシャニアンと私は、その裏手にある芝生の小庭に設けられたパーゴラの下にいた。

 現在、67歳の彼女が話していたのはヘアカラーのことだ。エルメスで“メンズ・ユニバース”と呼ばれる部門全体(年に2回発表されるプレタポルテ・コレクションだけでなく、シューズ、アクセサリー、ウォッチなども含まれる)のアーティスティック・ディレクターを務める彼女は、33年の在籍期間中ずっと、つややかで自然な栗色のロングレイヤーボブを保っている。だが最近は街で見かける女の子たちの、ビビッドなネオンヘアカラーに惹かれるそうだ。この日の彼女は、パリッとした白いシャツにダークカラーのブーツカットのジーンズを合わせ、シルバーのシンプルなアクセサリー数点をさりげなくあしらっていた。まさに典型的な“シックなパリジェンヌ・スタイル”だったが、そのじつ彼女が一目置くのは「普通とちょっと違う感じの人」なのだと言う。

画像: カナダのトロントを拠点にする画家クリス・ナイトが、『T マガジン』のこの特集のために描き下ろしたポートレート《ヴェロニク・ニシャニアン》(2021年) KRIS KNIGHT, “VГRONIQUE NICHANIAN,” 2021, OIL ON PAPER, COURTESY OF THE ARTIST. SOURCE PHOTOGRAPH: OLIVIER METZGER

カナダのトロントを拠点にする画家クリス・ナイトが、『T マガジン』のこの特集のために描き下ろしたポートレート《ヴェロニク・ニシャニアン》(2021年)
KRIS KNIGHT, “VГRONIQUE NICHANIAN,” 2021, OIL ON PAPER, COURTESY OF THE ARTIST. SOURCE PHOTOGRAPH: OLIVIER METZGER

 その着こなしと同じように、彼女を取り巻く景色も“フランスの伝統”をテーマに描いた挿絵のような佇まいだ。バロック様式の個人邸、エックヴィリー館は1638年にパリの貴族のために建てられたが、のちにルイ15世に仕えた狩猟長の居住地となり、この人物の要望で施されたイノシシや犬の精巧な浮き彫りは今も外壁に残されている。寄木張りの床が一面に広がる館内のボールルームでは、ニシャニアンのチームが、最新のメンズコレクションのフィッティングを行なっていた。エックヴィリー館を利用するのはコレクションが終わるまでの短期間のみだが、ケータリングサービスや、アイスクリームを運んできてくれるエプロン姿の女性を見ていると、エルメスがすでに何世紀もの間、この場所を拠点にしてきたかのような印象を受けた。創業から184年、世代を超えて継承されてきたフランスのサヴォワールフェールの宝庫と呼べるエルメスの、あらゆる点におけるこうしたこまやかな配慮こそが、他社と差をつける強みなのだろう。

 エックヴィリー館の歴史には、時代を画するような出来事も刻まれている。フランス革命期に家主だった貴族は永久に追放され、2014年にはギャラリストのエマニュエル・ペロタンがボールルームを購入し、村上隆やKAWSといったコンテンポラリーアーティストの作品を展示してきた。

 エルメスの歴史も同様に、度重なる革新に彩られてきた。このメゾンが基盤とするのは伝統やレガシーだが、それだけがすべてを築いてきたわけではない。馬具工房として創業し、今もなおシルクスクリーンプリントのシルクスカーフやアイコニックなレザーバッグといったアイテムと、緻密なものづくりで広く知られ、パリに点在する何十ものアトリエでは、数千人の職人たちが何世紀にもわたって受け継がれてきた技術を守りつづけている。

 だがこうした職人技と並んでエルメスに豊かな広がりを与えているのは、イノベーションの精神だ。1920年代に交通手段が馬から自動車へ変化するとすぐに馬具以外のレザーアイテムを展開し、1970年代には大規模なラグジュアリーメゾンへと転身した。2010年には、複数の部門で不要となった素材を再利用して、アニマルモチーフのレザーキーホルダーやシルクのコインケースといった新しいオブジェを生みだす実験室「プティアッシュ」を立ち上げている。創業者のティエリ・エルメスから6 代目にいたる歴代のリーダーたちは、長い歴史を重ねるなかで、変化なくして生き残れないことを痛感してきたのである。

 ニシャニアンのコレクションは、トレンドに左右されない、洗練された控えめなスタイルでよく知られている。だが彼女が長年、不動の地位を保っているのは同じようなものを創りつづけているからではない。常に変化をもたらしてきたからだ。フランスのどのメゾンを見ても、創業デザイナー以外で彼女ほど長い期間にわたり活躍してきた人はほとんどいないだろう。

 キャリアの円熟期にあるアーティストのように、自らの役割を熟知しきったニシャニアンは、イノベーションなくして未来は築けないということをよく心得ている。彼女は何十万時間もの経験に裏打ちされた余裕を見せながら、いとも簡単なことのように新境地を開いていく。「もう何年も数えきれないほどのコレクションを手がけてきたけれど、それでもまだ私は新しいものを創りつづけているのよ」

画像: (モデル左)コート¥559,900、ニット¥243,100、パンツ¥1,155,000、(右)ニット¥454,300、パンツ¥139,700、ネックレス¥107,800、スカーフ<65×65㎝>¥56,100/エルメス エルメスジャポン TEL. 03(3569)3300

(モデル左)コート¥559,900、ニット¥243,100、パンツ¥1,155,000、(右)ニット¥454,300、パンツ¥139,700、ネックレス¥107,800、スカーフ<65×65㎝>¥56,100/エルメス
エルメスジャポン
TEL. 03(3569)3300

 20世紀のメンズファッションの歴史をたったひとことで説明すると「フォーマルなスーツから、個性的で自由な服装への段階的な変化」と言えるだろう。何世代にもわたって、年齢や文化や職業の違いにかかわらず、スーツは事実上、男性のユニフォームだったが、スポーティなシルエットと多様な素材を取り入れながら、徐々に新しいスタイルが登場し始めた。

 ニシャニアンにとってのメンズモード史のマイルストーンは、1971年5月、南仏のサントロペで行なわれたミック・ジャガーとビアンカのウェディングだ。ジャガーは「スーツにスニーカーを合わせた最初の男性」、あるいは少なくとも、この独特な着こなしで最も多くの写真を撮られた人だと彼女は言う。彼がサヴィル・ロウ(註:ロンドンの名門紳士服店が集まる通り)のテーラー「エドワード・セクストン」で仕立てたワイドラペルのスリーピースに合わせたのは、擦り切れたスニーカーだった。

「みんな口を揃えて『あんな組み合わせはエレガントじゃない』って言っていた」。だが当時ティーンエイジャーだった彼女はその型破りなスタイルに感銘を受け、今後のファッションはこんなふうに気負わず、個性的なものになるだろうと確信した。常識に逆らい、人との違いをアピールするジャガーの姿勢は彼女の心に響き、その後の長年にわたる服づくりの指針にもなってきた。

 ここ数年多くのブランドがスポーツウェアそのものと言えるようなワードローブを提案しているが、ニシャニアンはそんな安易なアプローチはしない。彼女は持ち前の洞察力と好奇心で、スポーツウェア特有の最新技術や着心地といった要素だけをうまく取り込み、伝統的なテーラリングのルールをアップデートしながら、上品さと遊び心をバランスよく備えた服を編みだしている。たとえばトレンチコートにはコットンキャンバスといった普通の素材と、スポーツウェア風のテクニカル素材(エルメスが特許を取得した、つややかで撥水性に優れた“トワルブライト”など)を組み合わせる。フォーマルなシルエットのブレザーは、リバーシブル仕様にしたり、ジッパーつきのポケットを添えたりする。

 さらにニシャニアンの服は何よりも着心地が、もっと言えば肌ざわりがよい。やさしく肌になじみ、実用性も備え、気になる体型やパーツもカバーしてくれる。見る人を感動させるというよりも、審美眼と豊かな感性をもつ“着る人”をそっと包み込む服なのだ。袖を通せば自然と自信がみなぎり、どこか謎めいたオーラさえ醸しだす。「服はその人らしさを表す、パーソナルなものでなければ」と彼女は言いきる。

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