ジョナサン・アンダーソンとは何者なのか。ラディカルなまでのクリエイティビティを発揮しつつ、ビジネスでも成功をおさめている。その仕事の現場に密着し、生い立ちからの軌跡をたどり、周囲への取材も重ねながら、当代きってのデザイナーの素顔に肉薄する

BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY JOHNNY DUFORT, FASHION STYLED BY SUZANNE KOLLER, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: ロエベの2016-’17年秋冬コレクションより、メッシュとニットを重ねたトップス、コットンツイルのアシンメトリーなプリーツスカート(ナッパレザーのウエストバンドつき)、カーフレザーのアンクルストラップのパンプス。

ロエベの2016-’17年秋冬コレクションより、メッシュとニットを重ねたトップス、コットンツイルのアシンメトリーなプリーツスカート(ナッパレザーのウエストバンドつき)、カーフレザーのアンクルストラップのパンプス。

 ロエベの2016年春夏のショーには、反射ガラスの破片で覆ったパンツ、2023年春夏のショーでは、前身頃を大きなアンスリウムの造花で飾ったドレスが現れた。彼が服を通して伝えようとする、興味の対象は無限だ。女優のグレタ・リーが言う。「ジョナサンは、インスピレーションを求めて訪れたナポリ旅行の話だけじゃなく、ごく普通のナプキンについても、永遠に語り続けることができるんです」。女優で作家のアイオウ・エディバリーも同調する。「ポップスターのチャーリー・XCXのことを話していたのに、ジョナサンは突然『僕が見つけたこのきれいなベネチア工芸品を見てよ』と言ってきたりする」。アンダーソン自身は「この世の問題は、発見すべきものが多すぎること」と説いている。

 この10年のうちに、アンダーソンは停滞ぎみだったスペイン発のメゾンを、モード界をにぎわせる、革新的なハイプ・マシン(註:SNSマーケティングやファン文化によって熱狂的人気を集め、人びとの思考や購買行動にまで影響をもたらすもの)に変貌させた(ロエベは最もミーム化〈拡散〉されるブランドでもある)。彼はほぼ独力で、レッドカーペットにエンターテインメント性を取り戻させ、おそらく同世代のどのデザイナーより、ファッションのオンライン化に注力している。だが時折彼は、自身が手がけているコレクションに、まるで敵対心を抱いているかのような奇異なデザインをする。モデルにとって着づらく動きづらい、プラスティシン(註:粘土の一種)でできたショートパンツや、巨大なまち針を首元に刺したマキシ丈のドレスは、服というよりファッションの概念に対する挑戦状のようだ。だがもちろんその中には遊び心も含まれている。とぼけたユーモアが得意な女優オーブリー・プラザは2024年1月、第75回エミー賞授賞式で「ふんわりソフトなバター色なのに、鋭く恐ろしい槍が突き刺さったドレス」をまとったとき、「自分自身との精神的なつながりを感じた」とおどけていた。

 アンダーソンによると、ロエベは現在、約20億ドルの売り上げ規模を誇るそうだ(彼自身は30億ドル規模を目指していると言い、この種の野心を「自分のアメリカ人的な部分」だと笑う)。きわめて前衛的なクリエイションを展開しながら商業的に成功している点で、彼はコム デ ギャルソンの川久保玲に似ている。アライアのベルギー人クリエイティブ・ディレクター、ピーター・ミュリエは、このふたりには謙虚さという共通点もあると言う。アンダーソンのパリの家の近所に住んでいるミュリエがこう続けた。「ジョナサンの私生活については誰もよく知らない。ひと昔前はデザイナー自身の世界が、ブランドと同じくらい重視されていたけれど、最近こうした点は少し改善されたようだ」。アンダーソンの第一印象について女優のリーは「ちょっと失礼かもしれないけれど、とても普通」で、そのルックス(大抵はジーンズとTシャツ姿だ)は、アメリカ中西部の大学の「男子の同好会によくいそうな美形の学生風」だったと言う。「彼は“自分の世界に引きこもって人前に姿を見せないアーティストタイプ”ではありません」

 アンダーソンの友人であるダン・レヴィが言葉を紡ぐ。「ファッション業界では、今やクリエイティブな側面でさえオーディエンステスト(註:ターゲットとする消費者からフィードバックを集め、販売前に商品の調整や改善をすること)やアルゴリズムに支配されている。ジョナサンはその流れに乗りながら、どこかでそれに逆らおうともしている」。アンダーソンのクリエイションを早くから評価してきたスコットランドのスタイリスト、ジョー・マッケンナが補足する。「ずっと同じアイデアをベースにしているわけではないのに、どのシーズンの服を見ても、ジョナサンのデザインだとわかる。彼は、独自のクリエイションがぎっしり詰まった箱の中を隅々まで探りながら、次々と新しいものを引き出しているんだ。こういう部分はミウッチャ・プラダに通じるところがあると思う」。アンダーソンが崇拝し、かつての雇用主でもあったミウッチャ・プラダと同様に、彼はありふれた美しいドレスを創るより、素材や革新的技術を探求していくことに関心がある(そもそも彼にとって大事なのは美しさより“違和感”だ。かといってそれだけを求めているわけではない)。「一部のデザイナーは“継続や一貫性”の依存症になっているけれど、僕は彼らとは違って“バッグ中毒”なんだ」

 だがアンダーソンの特異なデザインーーヒール部分に割れた卵がついたパンプス(ロエベ、2022年春夏コレクション)や本物の草が生えたコートやシューズ(ロエベ、2023年春夏コレクション)を着こなせるのはほんのひと握りの人だ。そのため、そこまで大胆ではない人びとに向けたアイテムも展開している。たとえば2014年に発表された、幾何学的なレザーピースをジグソーパズルのように組み合わせたバッグ「パズル」。これは今やエルメスの「バーキン」やフェンディの「バゲット」に匹敵するロエベのアイコンバッグだ。2022-’23年秋冬コレクションの、ハーシーズのキスチョコに似た、レザーのパデッドボンバージャケットは、ケンダル・ジェンナーがこのグリーン版を着た写真を投稿したこともあって完売した。また、アンダーソンはデジタルツールを巧みに使いこなしている数少ないデザイナーでもある。2024年6月、誰かがSNSに上げたエアルーム・トマト(註:長年受け継がれてきた伝統的な品種)の写真に「これはまさにロエベ風」というコメントがつくと、アンダーソンはわずか数日後に、そのトマトによく似たロエベの赤いレザーバッグを発表した。2022年には、女性シンガー、チャーリー・XCXのアルバム『Crash』の発売前夜に、「JWアンダーソン」の「バンパー」(パッド入りチューブで縁取った長方形のハンドバッグ)を持っている彼女の姿がキャッチされた。それから2カ月後、このバッグのキャンペーンミューズとしてチャーリー・XCXが起用された。彼女はこうコメントしている。「ジョナサンが、多様なジャンルのクリエイティブな人びとを惹きつけるのは、彼自身がクリエイティブだから」

 デザイナーとアーティストのコラボレーションには長い歴史がある。自らをスノッブと呼ぶアンダーソンだが、彼はほかのデザイナーと違って、オブジェやあらゆる形態のアートに対して純粋な好奇心を抱いている。とりわけ自身のコレクションに取り入れるリファレンスについてはどこまでも精通している。熱烈なアートコレクターである彼が、ロンドンのマイホームのベッドサイドに飾っているのは、椅子に座る男性のポートレートだ。20世紀半ばに活躍したアメリカ人写真家、ピーター・ヒュージャーの作品である。ほかにも多くのコレクションが並んでいるが、大半はゲイのアーティストによるものだ。1940年代の、写真家ジョージ・プラット・ラインスによる男性のヌード写真や、1960年代にポール・テックが手がけた蠟と鉄でできた肉塊のような彫刻など。これらのコレクションはいずれ、ノース・ロンドンに建設中の家に移動させるそうだ。

 ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で評議員も務めるアンダーソンは、2016年に、陶芸家やテキスタイル・アーティストやその他のジャンルの優れたアーティストを称える「ロエベ財団クラフトプライズ」を創設した(毎年開催されており、2024年はメキシコ人陶芸家のアンドレス・アンサが受賞した)。また彼は何年にもわたって、これまで過小評価され、見すごされてきたゲイのアーティストたちの作品をコレクションに取り入れ、再解釈をしてきた。そのひとつが、1960年代にニューヨーク・スクール(註:ニューヨークを拠点に活動した芸術家の総称で、抽象表現主義の画家を指すことが多い)の非公式メンバーとして活動していた、ジョー・ブレイナードによるパンジーのコラージュ作品だ。パンジーの花々は、ロエベの2021-’22年秋冬メンズ・コレクションのシャツにプリントされ、カーディガンに織り込まれた。同性愛者のフィンランド人イラストレーター、トム・オブ・フィンランドの作品も、「JWアンダーソン」のコレクションに何度か登場している。アメリカ人アーティストでエイズ啓発の活動家でもあったデイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(1992年にエイズの合併症で死去)の作品も頻出する。彼の『無題(いつかこの子が…)』(1990-’91年)はクラッチバッグにプリントされ、「アメリカン・ファッション」がテーマだった2021年のメットガラでダン・レヴィが着た、バルーンスリーブの特注スーツにも別の作品のモチーフが使われた。

 こうしたコラボレーションをシニカルな視点で見ると、アンダーソンは他人の創造性を搾取しているのではと、とがめたくなるかもしれない。だが彼は、素晴らしい功績を残しながらも大きな問題を抱え、追い詰められたアーティストたちと同位置に立つことで、さらに強い反骨心が宿るコレクションを創り出そうとしている。そのアプローチはとても繊細だ。コラボレートするアーティストたちのことを深く理解し、彼らの心情にも注意を払い、意欲的に新しいものを生み出したくなるように導いている。このようなこまやかさとアートへの造詣を持ち合わせたデザイナーは稀にしかいない。リンダ・ベングリス(82歳)は、ワックス・ペインティングやラテックスを流し込んだ彫刻作品で有名なアメリカ人アーティストだ。彼女は2024年春夏のロエベのメンズショー会場に巨大な彫刻作品である噴水を展示したが、それだけでなく、ウィメンズ向けに一連のジュエリーまでデザインした。ロサンゼルスを拠点に活動するアーティスト、リチャード・ホーキンス(63歳)の作品はロエベの2024-’25年秋冬メンズ・コレクションに取り入れられた。ホーキンスによる「憧れの美青年たち」(肉感的なタイプか、血まみれの顔をした人が多い)を主人公にしたコラージュ作品は、スウェットパンツやビーズ装飾のレザーバッグ、ニットチュニックなどを飾った。ホーキンスはコラボレーションの話が舞い込んできたとき、自分の作品が「コーヒーカップやマウスパッド」に成り下がってしまうのではないかと懸念したそうだ。ところがアンダーソンからは、コラージュ作品を動画という新次元で表現してほしいという依頼まで受けた。こうしてホーキンスは、ジェイミー・ドーナンやマヌ・リオス(ふたりともショー会場の最前列付近に座っていた)といった俳優をフィーチャーしたショー用のビデオを制作した。彼はアンダーソンとともに、OnlyFans(註:成人向けサブスクリプションサービスで多くは性的コンテンツ)で配信している俳優もひとりだけ採用したが、自慰行為の描写はしないよう釘を刺されていたそうだ。ホーキンスは言う。「セクシュアリティとクィアネスに関して、ジョナサンはLVMHをぎりぎりのところまで追い詰めている気がする」

画像: ロエベの2015-’16年秋冬コレクションより、エアブラッシュスクエア ケープドレス、ナッパクロスのウエストバンドパンツ、パテントレザーのトレインベルト、2016-’17年秋冬コレクションのパンプス。

ロエベの2015-’16年秋冬コレクションより、エアブラッシュスクエア ケープドレス、ナッパクロスのウエストバンドパンツ、パテントレザーのトレインベルト、2016-’17年秋冬コレクションのパンプス。

 それから2週間後の3月のある日、私はパリ9区にあるロエベのオフィスに向かった。前回彼に会ったのは「JWアンダーソン」の2024-’25年秋冬のショーが開催される前のこと(同ショーでは、モデルたちがグレーのカーリーヘアのウィッグをかぶり、レトロなアンダーウェアや束状の毛糸で編んだチャンキーなミニドレスを着て現れ、どこか奇妙なイギリスのノスタルジアを感じさせた)。先日ロンドンで会ったアンダーソンは、ショーの準備に集中して神経をとがらせ、どことなく横柄な感じもした。そして、ロエベの2024-’25年秋冬のウィメンズショーから3日後のこの日、彼はまるで今にも殺人でも起こしそうな気配を漂わせていた。「ショーのあとは、僕に近づかないほうがいいよ」。曇り空に覆われたこの日の午後、開け放った窓の横でタバコを吸っていたアンダーソンがつぶやいた。このシーズンのロエベは、キャビアのように細かいビーズで刺しゅうしたモーニングコートや、裾に向かって色がにじんでいくタータンチェックのクレープジャージ・シフトドレスなど、どこか奇異な貴族風スタイルを打ち出し、高い評価を得ていた(彼がリスペクトする3人のファッション評論家のうち、ひとりがこのショーを「素晴らしく、感動的」と評していた)。だがアンダーソンはアンティークの木製机の横に立って、感情が爆発しないようにこらえている。きれいに片づけられた彼のデスクの上には、アイスキャンディ色のキンポウゲを差した白い花瓶と、5人の男たちの乱交パーティの絵がついたマグカップだけが置かれていた。パンデミック以前はシーズンで最後のショーが終わると、マイアミかアルゼンチンに飛んでいた。だが2024年は、彼のボーイフレンドであり頻繁にコラボレーションもしているカタロニア人アーティスト、ポル・アングラダ(33歳)とパリで過ごし、筆舌に尽くしがたい心の悪循環に陥った。アンダーソンが今こんな気分でいるのは、自分のコレクションと同等ではないと感じていた別のブランドが、自身と同じ高評価を得たからだ。「スタイルがあるフリをしている」「ありふれている」「ニーマン・マーカスに並んでいそう」……。称賛されるのが自分ひとりでなければ、すべて無意味だとでも言いたげに、アンダーソンは憤慨していた。

 今の立ち位置に上りつめてから勢い込んでいる彼は、自分に並ぶ者はいないと思っている。「周りを見渡しても、誰もいない」と言う。だが戦う相手がいないときは、自らに課題を与える。衣装デザインを手がけた映画『クィア』では、出演者たちの衣装を1940~50年代のヴィンテージウェアで揃えることにした(ダニエル・クレイグの恋人役を演じた俳優ドリュー・スターキーは「ボクサーブリーフまで古着だった」と苦笑いし、クレイグは「スーツにコーヒーでもこぼしたらどうしようと気が気じゃなかった」と漏らしていた)。他人のクリエイションにめったに嫉妬しないアンダーソンだが、いくつか例外はある。そのひとつが、挑発的なデザインで知られるクリエイティブ・ディレクター、デムナ・ヴァザリアが2021年に披露した、バレンシアガのファーストクチュール・コレクションだ。アンダーソンは当時を回想する。「ほかのデザイナーのショーを見て『ちぇっ、やられた』と思えるのは素晴らしいこと。斬新なプロポーションとシルエットだけでなく、ノスタルジーとノン・ノスタルジーが混じり合い、不穏さも帯びたあのバレンシアガのコレクションは画期的だった。クチュールに必要なのはまさにこうした革新性だとも感じたよ」

 アンダーソンの長年の友人で、「JWアンダーソン」のブランドイメージ・ディレクターを務めるアンドリュー・ウェブスターはこんな話をしてくれた。「ジョナサンはとにかくオーバーワークぎみで、周りのスタッフがもうヘトヘトだっていうのに『新しいアイデアが浮かんだ』と言ってきたりする」。同世代のデザイナーたちと違って、アンダーソンにはオフィスで頑張ってくれているスタッフたちに気の利いた言葉をかけなければという気負いもない。デザインミーティングを中断して「何もかも最悪だ!」と言い放ったことも一度や二度ではない。さらにソーシャルメディアの投稿や、キャンペーン広告のいっさいを消してしまうこともあるという話も有名だ。アンダーソンが厚い信頼を寄せるクリエイティブ・パートナーのひとりで、スタイリストでもあるフランス人、ベンジャミン・ブルーノは、アンダーソンとの長いつき合いの中で、何度か「激しくドラマティックな」言い争いをしたことがあると言う。「でも本気で考えているからこそ、意見の対立が起きるんだ」

 アンダーソンはパリとロンドンを往復しながら、毎年、ロエベと「JWアンダーソン」合わせて計8回のコレクションを発表している。ロエベのような大規模なブランドと同時に自身のブランドを牽引しているだけでなく、そのアイデンティティを明確に保ったまま、多くのファンを擁しているデザイナーはほかにあまりいない。アンソニー・ヴァカレロは2016年にサンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任後、自身のブランドを休止しているし、故ヴァージル・アブローは、ルイ・ヴィトン移籍後も自身の「オフ-ホワイト」を続けたが、ルイ・ヴィトンで手がけていたのはメンズラインのみである。アンダーソンにとって「JWアンダーソン」は創造のラボラトリーだ。ロエベを、意外性に満ちたエキセントリックな世界と呼ぶなら、「JWアンダーソン」の世界はどこまでも気まぐれだ。ロエベで、おもちゃの車を内側にはめ込んだドレスを披露した同じ年、「JWアンダーソン」では、BMX(註:競技用自転車)のハンドルバーや壊れたスケートボードなどを差し込んだトップスを提案した。ボッテガ・ヴェネタのクリエイティブ・ディレクター、マチュー・ブレイジーは、アンダーソンのショーを観たあと、「なんて大胆な切り口なんだろう」と驚いたそうだ。「もしも本気でファッションの境界線を押し広げたいと望むなら、ちょっと行きすぎなぐらいでなければ」とアンダーソンは言う。

画像: ロエベの2024-’25年秋冬コレクションより、ビスコースジャージのドレープドレス・ブーツ(ともに参考商品)/ロエベ ロエベ ジャパンクライアントサービス ☎03(6215)6116 PRODUCTION: DOBEDO REPRESENTS. LOCAL PRODUCER: ALANA COMPANY. LIGHTING TECH: ALBERTO GUALTIERI. DIGITAL TECH: PAOLA RISTOLDO. PHOTO ASSISTANTS: DANI TORRES, JAVIER ROMAN. HAIRSTYLIST’S ASSISTANT: REBECCA CHANG. MAKEUP ASSISTANT: PALOMA ROMO. MANICURIST: LUCERO HURTADO. STYLIST’S ASSISTANTS: CARLA BOTTARI, LÉO BOYÈRE

ロエベの2024-’25年秋冬コレクションより、ビスコースジャージのドレープドレス・ブーツ(ともに参考商品)/ロエベ

ロエベ ジャパンクライアントサービス
☎03(6215)6116

PRODUCTION: DOBEDO REPRESENTS. LOCAL PRODUCER: ALANA COMPANY. LIGHTING TECH: ALBERTO GUALTIERI. DIGITAL TECH: PAOLA RISTOLDO. PHOTO ASSISTANTS: DANI TORRES, JAVIER ROMAN. HAIRSTYLIST’S ASSISTANT: REBECCA CHANG. MAKEUP ASSISTANT: PALOMA ROMO. MANICURIST: LUCERO HURTADO. STYLIST’S ASSISTANTS: CARLA BOTTARI, LÉO BOYÈRE

 アンダーソンを「勝つ人間」に育てたのは、彼を取り巻いていた環境かもしれない。故郷は北アイルランドの小さな町、マラフェルト。1984年、つまりイギリスへの帰属維持を望むプロテスタント系ユニオニストと、分離独立を望むカトリック系ナショナリストとの宗教対立「北アイルランド紛争」(1960年代後半~1998年)の時代に生まれた。母親のヘザーは高校の英語教師で、父親のウィリーはラグビーのスタープレイヤーだった(アンダーソン一家を“善良な人びと”と呼んでいるウェブスターは「今でもウィリーと出かけると、みんなが彼と話をしたがり、一杯ごちそうすると言ってくるので、思うように移動できない」と言う)。アンダーソンは、学校へ行く前に、自宅の車の下に爆弾が置かれていないか確認していた。「ああいう環境の中で育ってよかったと思う。おかげで一瞬にして何もかも失ってしまう可能性があるってことを学べたから」

 家族には、「JWアンダーソン」のオペレーション・ディレクターを務める兄トーマスと、妹のクロエがいる。ティーンエイジャーの頃は、地元のデパートでジャン・ポール・ゴルチエのデッドストックが並んだ棚をあさっていたそうだ。「アイルランドでは目立ちたいという考え自体が奇異なこと」らしいが、アンダーソンは同胞のオスカー・ワイルドやフランシス・ベーコン(画家)と同じエキセントリックな血筋を引き継いでいた。同性愛者であるために反感を買い、投獄されたワイルドやベーコンを見て、アンダーソンはウィットを武器に生きていく方法を学んだと言う。「外に出て初めて、母国の素晴らしさに気づくことはある。ジェイムズ・ジョイスも、母国を離れてからアイルランドについて書くようになった」。18歳になるとアンダーソンはワシントンD.C.に移住し、「スタジオ・アクティング・コンサバトリー」で数年間、演劇を学ぶことにした。彼を応援してくれた両親に「好きなことをしたらいい、でも持ってもいない金は使うな」と当時言われたことを、彼は今も覚えている。

 ワシントンD.C.ではデュポン・サークルというゲイエリアにある、ジョージ・スタンフ・ハウス(註:インディアナポリスにある19世紀築の2階建てレンガ造りの住居)風タウンハウスの地階に暮らした。北アイルランドでは孤独を好んでいた彼だが、アメリカでは誰もが親友のようだった。だがあいにく演技の勉強には専心せず、「マドンナの『Girl Gone Wild』という曲名と同様、いい子だった自分はワイルドに変わった」。そこに暮らし始めて一週間もしないうちに、酒を飲み、タバコを吸い始めた。あるとき、ボルチモアでのパーティに参加し、そこに一晩だけいたつもりが、その後じつは3日もたっていたことに気づいた。「もともとは行儀のいい子だったけど、あの頃はタガがはずれてクレイジーになっていた」

 それから数年がたち、資金が底をついたアンダーソンは北アイルランドへ戻った。ラグビーチームのコーチとして、それまで自宅から離れたレインスター州まで通勤していた父親ウィリーは、アンダーソンと住むためにダブリンにアパートメントを借りた(「父はこのアパートメントに週2日くらいしかいなかった」と言って彼はにやりとした。「そのときに自分がどういう人間なのかよくわかったよ」)。アンダーソンはアパレルショップでメンズウェアの販売の仕事を始めた。当時はメンズファッションシーンの隆盛期で、トム・フォードがグッチに謎めいた官能性をまとわせ、エディ・スリマンはディオール・オムで斬新なスーパースキニースタイルを打ち出していた。仕事が終わると、アンダーソンは勤務先のショップからこっそり服を借りてクラブに繰り出した。誰かにタバコの焦げ跡をつけられたらどうしようかとビクビクしていたが、万が一そうなっても、彼はその服をそっと店のラックに戻していたにちがいない。

 やがて夜遊びのきらめきは色あせ、彼がいうところの「奇妙なムードボード」を一冊にまとめて複数の大学に出願したところ、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションから合格通知が届いた。授業の合間に彼は、ミウッチャ・プラダが信頼する同僚であり親友でもあったファッション・ディレクターのマヌエラ・パヴェージ(2015年死去)のもとでビジュアル・マーチャンダイザーの仕事をすることになった。パヴェージが、パジャマにダイヤモンドを合わせた格好を好んでいたのを知って、アンダーソンは、膝丈にカットしたペイズリー柄のガウン(当時、プラダでアンダーソンの指導役だったウェブスターはそのガウンを「ちょっとふしだらな感じだった」と笑う)に、ディオールのジーンズとプラダのブーツを合わせて面接に臨んだ。また、ウェブスターによると、ふたりでウィンドウ・ディスプレイの仕事をしていたとき、アンダーソンが突然消えたことがあったという。ウェブスターが捜しに行くとアンダーソンは道端にいて、自らデザインしたアクセサリーをたくさんつけたロングコートをまとい、雑誌『i-D』向けに撮影されているところだったらしい。ウェブスターが言葉を加える。「ジョナサンはどんなチャンスも絶対逃さないタイプ。そのうえ人びとを自分の世界に引き込む力があって、周りの人はいつの間にかそこに巻き込まれてしまうんだ」

 2005年には、ロンドンのナイトクラブで卒業コレクションを披露した(アンダーソンはこれを「もっともみじめで滑稽」なショーだったと言う)。キャバレーの有名なパフォーマー、ジャスティン・ヴィヴィアン・ボンドに出演を依頼し、モデルがランウェイに現れると同時に歌ってもらうという演出をした。ボンドの衣装として用意したのは、アーミン(ヨーロッパ産のオコジョの毛皮)のファーストールと、プラスチック製のハエとネットで飾ったヘッドピースだった(アンダーソンとウェブスターは、2004年にカーネギーホールで開催された、ボンドとケニー・メルマンによるドラァグ・キャバレーショーのアルバム『Kiki and Herb Will Diefor You』を、「JWアンダーソン」のアトリエで今もよくループ再生して聴いているそうだ)。ボンドはこんなコメントをくれた。「ドラァグ・パフォーマーのディヴァイン(1944-’85年)はクィアで、たとえば18世紀の有名なイギリス人画家トマス・ゲインズバラなんかよりずっと現代的なアーティスト。でもジョナサンには、ディヴァインのパフォーマンスが真の傑作だと見抜ける眼識がある。ジョナサンは多様なコンテクストの中で、何が特別で非凡であるかを理解しているから」。「JWアンダーソン」では、20世紀初頭のロシアの神秘主義者グリゴリー・ラスプーチンや、ウィリアム・ゲドニーによる1960年代のアメリカン・ティーンエイジャーの写真などが創作の下敷きになっている。デザイン画を描かないアンダーソンは、こうした素材をもとにパスティーシュ(註:寄せ集め・模倣)というアプローチを編み出した。彼が創作のプロセスで一番好きなのは今も「自分の頭の中から、カラーや絵画など“何か奇妙なもの”を取り出すこと」らしい。文学や美術評論分野のバックグラウンドを持つスタイリストのベンジャミン・ブルーノは、アンダーソンの服が「シアリングムートン」や「SF」といった単純なキーワードから生まれることは稀だと言う。「もう少し心理的な何かが必要なんだ」

 ブルーノ、ルカ・グァダニーノ、ラッパーでファッション・デザイナーのエイサップ・ロッキーなど、アンダーソンの親しい仲間やコラボレーターたちは――彼の表現を借りれば――「生まれつき奇妙なものへの探求心をもつ人びと」だ。そんなわけで当然、彼らはみな好奇心旺盛で博識であり、千変万化する強烈なビジュアル・アイデンティティを備えている。2016年に、「JWアンダーソン」のカプセル・コレクションのコラボレーターを務めたロッキーが当時を振り返る。「ジョナサンはいい意味でクレイジー。自分が壁にぶちあたったとき、彼はいつも『こうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないか』と助言してくれた。逆に彼からアドバイスを求められたときは、『次のショーにあんなダサいセレブたちを招かないほうがいいのでは』といった感じではっきり意見を言わせてもらった」。ブルーノが補足する。「ジョナサンはもちろん人を信用するけれど、信用するのは抜きんでた才能の持ち主だけ」。またアンダーソンの、リーダーとしての信条とはこういうことらしい。「士気をそがない程度に、目標を掲げて挑戦してもらうこと。僕のビジョンを受け入れてもらったうえで、スタッフたちがくじけたり、ためらったりしないように、ともに手を携えること」

 アンダーソンとブルーノが、夜更けまでロンドンのアトリエの床に座り、買えるだけのスワッチ(註:素材見本)を使って、ブルーノが「布でできたオバケ」と呼ぶ服を創っていた頃、物事はずっとシンプルだった。アンダーソンはジェンダーレスファッションをいち早く提案したが(メンズとウィメンズは別々に発表しているが、彼は誰もが自由に好きなものを着ればいいと考えている)、ある意味、これは現実的な制約から生まれたとも言える。「アトリエでメンズとウィメンズ両方のパターンを創る余裕がなかったので、ひとつの型紙を使っていただけなんだ」とウェブスターが吐露する。ブルーノは当時をこう振り返る。「ジョナサンの情熱は純粋で伝染力があって、周りの人はイエスと言わざるを得なかった。まだ人生をよく知らないときに抱く、若さゆえの希望に胸を膨らませていたんだ」。ロエベで過ごしてきた10年のうちに、アンダーソンはいくつかの苦い教訓も得た。「たとえば、これで充分と納得できるものなど存在しないってこと」。まるで妥協を許さないアーティストのように、彼はそうつぶやいた。「10年間、毎週ふたつの国を行き来しながら、ふたつの仕事をこなしていく人生はとても孤独なものだよ」。そうはいってもアンダーソンが、ファッションと手を切ることなどできないだろう。ファッションは、彼の創造的な探求と多様なコラボレーションを可能にする手段であり、媒体なのだ。そして形として生み出す服以上に、彼は「クラフト」に魅了され続けてもいる。

 2024年5月に行われたメットガラの前夜、イギリス人俳優ジョシュ・オコナー(34歳)はニューヨーク・アッパーイーストサイドにあるカーライルホテルのスイートルームにいた。彼は「さわってごらん、結構硬いから」と言いながら、幾千の小さなキャビアビーズで覆われた、ロエベのカスタムメイドである白いベストを指さしていた。だがアンダーソンと、そこにいた十数名のスタッフは、オコナーがはいているボトムのほうに気を取られていた。オコナーのスタイリストであるハリー・ランバートが、緻密なビーズでフラワーモチーフが施されたブーツが大きすぎて、ボトムの裾が足首のあたりでもたついてしまうのではないかと心配している、と聞きつけたからだ。

 ランバートのアシスタントが、プレーンなブラックのブーツを手に、部屋に入ってきた。アンダーソンは「まさか、冗談だよね?」と言いながら、すっかり恥じ入った表情で自分の足もとを眺めているオコナーに目を向けた。メットガラのテーマに合わせるために、シューズにはどうしてもフラワーモチーフが必要なのだ。「ボトムにちょっとサテンの布を足してみますか」。アンダーソンのチームのひとりがそう言い、ボトムの裾を広げるよう別のスタッフに依頼する。しかし、日曜の夜に開いている生地屋などないと言う。「じゃあ、ブーツの上の部分をカットすれば」。アンダーソンがどこかイライラした様子で言うと、スタッフが「さすがにそれは」と答えた。たしかにそんなことをしたらブーツは台なしだ。「じゃあボタンで調節してみましょう」とスタッフが代替案を出した。

 ドリー・パートンの曲がかすかに響いているだけで、部屋はしんとしている。まるでテニスの最終セットのように、どちらも一歩も譲らない。永遠のような時を経て、アンダーソンがとうとう折れた。彼は「ボタンは後ろ側につけて。でも丸すぎるボタンはダメだよ」と言って肩をすくめた。だが結局、折り合いをつけ、紐でブーツの上部を締めることにした。どうにか危機を切り抜けると、チームは荷物をまとめ始めた。これから夕食をとり、そのあとは明日のメットガラでロエベのドレスを着る女優グレタ・リーとの打ち合わせがある。アンダーソンが「新タイプのストラクチャー」と称するその服は、一面のフラワーアプリケ装飾と、外側上方へと伸びるウィンドシールド風のネックラインが印象的な純白のロングドレスだ。

 アンダーソンの携帯が鳴った。彼の母親からで、パーティの写真を送ってほしいという催促の連絡らしい。週が明けたら彼は、2024年ロエベ財団クラフトプライズの表彰式に出るためパリに戻る。その後、ランニングブランド「On」との最新コラボ・コレクションを発表し、続いて2025年春夏の「JWアンダーソン」とロエベのメンズウェア・コレクションを披露する(テーマは「A Radical Act of Restraint〈ラディカルな節度〉」。インスピレーションソースは、写真家ピーター・ヒュージャーやアーティスト、ポール・テックなどの作品だ)。その数カ月後には、ダニエル・クレイグとドリュー・スターキーを起用したロエベの最新キャンペーンを発表する。実はこれが映画『クィア』プレスツアーの非公式のキックオフで、『チャレンジャーズ』以上の規模のツアーになる可能性がある。スケジュールに目を通すと、彼の顔に不安の色が広がり、こう漏らした。「息子であり、兄弟であり、ボーイフレンドでありたいだけでなく、いい人でありたいとも思っている」。そんな彼はストレスがたまると呼吸エクササイズをしているという。そして少年のような、満面の笑みを浮かべてそっとつぶやいた。「今が人生で一番楽しいよ」

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