きっかけは小学生のとき、着ていた母の手編みのセーターをからかわれたこと。2025年LVMHプライズのショートリストに選出、国内外から注目を浴びる「ピリングス」。そのデザイナー・村上亮太が求め続けるもの、表現したいものは何か。村上の来し方を知る山縣良和が、ファッションのもつ力と新たな可能性を見つめる。

BY YOSHIKAZU YAMAGATA, PHOTOGRAPHS BY MARI SARAI

画像: 手前は村上亮太、奥は山縣良和。村上は「リトゥンアフターワーズ」でインターンをし、山縣が主宰する「ここのがっこう」の卒業生でもある。大輪の薔薇を配したドレスはニッターたちとともに作り上げた「ピリングス」の作品。

手前は村上亮太、奥は山縣良和。村上は「リトゥンアフターワーズ」でインターンをし、山縣が主宰する「ここのがっこう」の卒業生でもある。大輪の薔薇を配したドレスはニッターたちとともに作り上げた「ピリングス」の作品。

村上亮太(むらかみ・りょうた)
1988年大阪府生まれ。2014年「RYOTAMURAKAMI」設立。デザインを母と協働で行っていたが、2018年より単独で手がけている。2020年にブランド名を「pillings(ピリングス)」に改称。2022年「東京ファッションアワード」受賞。ニットスクール「アミット」も主宰し、手編み文化の継承に注力する。

 僕が村上亮太と出会ってから、かれこれ15年以上がたつ。 当時、おそらく彼は22歳、僕は30歳。ファッション専門学校を卒業したての彼は、『ドラえもん』をテーマにした卒業制作に取り組んでいた。水色と白の配色がどこか『ドラえもん』を彷彿とさせる、コズミックワンダーのかわいい洋服を纏っていた姿が今も記憶に残っている。
 関西出身の息子と「おかん」の間で編まれ始めたファッションの物語は、『じゃりン子チエ』のような人情喜劇味あふれる日常から、やがて映画版『大長編 ドラえもん』のように、時に非日常へと誘う壮大で純粋な世代を超えた物語へと広がっていく。

 物語の萌芽は、手芸を趣味とするおかんが、息子のために編んだ一着のセーターだった。ある日、村上はその特製セーターをクラスメイトにからかわれる。学校になじめず、友人も少なかった少年時代、彼は昼休みの孤独を太宰治の乱読で埋めた。やがて芽生えたファッションへの強烈な憧憬は、おかんへの反発、あるいは反動でもあったのだろう。専門学校時代、課題はガールフレンドに任せきりで、自身は国内のコンクール応募に明け暮れる日々を送った。

画像: 中央の"じゃじゃまる"セーターは村上が幼少時のもので、母・千明の手編み。「ここのがっこう」で、村上が自身のアイデンティティや創作の方向性を見いだせずに悩んでいた頃、ふと持ち込んだこのセーターを講師や仲間が絶賛。村上が自らの原点と進むべき道を自覚するきっかけになった一枚である。周囲の小物は千明の熱い創意あふれる作品。

中央の"じゃじゃまる"セーターは村上が幼少時のもので、母・千明の手編み。「ここのがっこう」で、村上が自身のアイデンティティや創作の方向性を見いだせずに悩んでいた頃、ふと持ち込んだこのセーターを講師や仲間が絶賛。村上が自らの原点と進むべき道を自覚するきっかけになった一枚である。周囲の小物は千明の熱い創意あふれる作品。

 そんな彼が上京し、僕が主宰するファッション表現の学び舎「ここのがっこう」在籍時にスランプに陥る。旧東京電機大学の廃校舎で行われた芸術祭『TRANS ARTS TOKYO』に参加した際、暗い部屋で文机に向かう彼の背中は、まるで文豪の霊が憑依したかのようだった。その窮地で彼が助けを求めた相手こそ、おかんだった。兵庫の実家へ帰り、夏休みの宿題の手伝いを頼む子どものように、おかんにデザイン画を描いてもらう。後日、学校のプレゼンテーションで、彼が恐る恐る段ボールから取り出したその絵を、僕は忘れられない。ユーモアと衝動、そして無垢な熱量が混ざり合うそれらのデザイン画は、居合わせた受講生たちの目を一瞬で釘づけにした。
 こうして、おかんとの二人三脚による破天荒なキャリアが幕を開ける。二人のタッグは世界的なコンテスト「ITS」へのノミネートを果たし(おかんは歴代最年長参加者となった)、クリエーションは加速していく。

画像: 2020年秋冬コレクションで発表した《Google Map》。ショー開催を楽しみにする全国のニッターたちとの「渋谷ってどこ?」「迷子にならん?」という会話から着想を得た作品。まずショー会場界隈の地図をデータ化し、それをニッターがドット状の編み図に起こし、さらに編まれたピースを手作業でまつり……と膨大な手間ひまをかけて完成した。 TOMOHIRO HORIUCHI

2020年秋冬コレクションで発表した《Google Map》。ショー開催を楽しみにする全国のニッターたちとの「渋谷ってどこ?」「迷子にならん?」という会話から着想を得た作品。まずショー会場界隈の地図をデータ化し、それをニッターがドット状の編み図に起こし、さらに編まれたピースを手作業でまつり……と膨大な手間ひまをかけて完成した。

TOMOHIRO HORIUCHI

 いつしか彼は、日本の手芸ニット界を代表する「息子」へと成長していた。驚かされたのは、全国から卓越した技術をもつ「おかん」たちを組織し、チームへと招き入れたことだ。日本では戦後、爆発的な洋装化とともに全国に洋裁学校が誕生し、若者たちがこぞって服作りに励んだ歴史がある。物価安を背景に「作れば売れる」空前の洋服ブームは、日本人女性にとっても高度経済成長を支える花形産業となった。現在、日本人の実直さが育んだその技術力は、プロ・アマを問わず世界的な評価を得ており、日本は世界でも稀に見る「服を作れる人口」が多い国となった。近年では手芸業界も東京ドームで大きなイベントを開催するなど、プロの業界とはまた別の広がりをもっている。

画像: タグには担当したニッターの名前が記される。日本の手編みの技と職人を守っていくという村上の思いがここにも表れている。

タグには担当したニッターの名前が記される。日本の手編みの技と職人を守っていくという村上の思いがここにも表れている。

 村上のクリエーションは、家庭の内と外、パブリックとプライベートを往復する際に生じる、どこか「こそばゆい情感」に根ざしている。思春期の息子にとって、母という存在は往々にしてこそばゆい。参観日で子ども扱いする姿、愛情過多なお弁当、そして、おかん自身の装いや、手製の毛玉だらけのセーター。変わらぬ態度で接する母と、子どもから脱皮したい息子。そこには、心の置きどころを見失うような、相容れないコミュニケーションのズレがある。多くの息子にとって、おかんは最も身近でありながら、ファッションからは最も遠い「Out of fashion」な存在だ。そこからいかに巣立つかこそが、古今東西、ファッションの王道であったはずだ。

画像: 2026年春夏コレクションに「にこにこ、ぷん」とのコラボレーションカーディガン登場。胸に刺しゅうでさりげなく。 TOMOHIRO HORIUCHI

2026年春夏コレクションに「にこにこ、ぷん」とのコラボレーションカーディガン登場。胸に刺しゅうでさりげなく。

TOMOHIRO HORIUCHI

 だからこそ、おかんと正面から対峙し、それをファッションへと昇華させる試みは、最も難易度の高いデザインであり、本来なら避けるべき領域である。それゆえに彼のナイーブな作品を前に、僕たちは懐かしさや新鮮さを覚えると同時に、照れくさくも共感の笑みがあふれる。
 村上亮太がファッション界に持ち込んだもの。それは世代を跨またいだファッションデザインにおいて長らく不文律とされてきた母と息子の共演である。中心地から遠く離れた極東の島国で、戦後の復興が生んだ特殊な環境から立ち現れた、妄想豊かな青年の夢と、人情味あふれる家内制手工業の物語。彼は、戦後日本が描いた「夢のマイホーム」には目もくれず、日本発の「毛玉のメゾン(家)」を夢見て、今日もファッションという荒野を歩み続けている。

山縣良和(やまがた・よしかず)
1980年鳥取県生まれ。2005年、セントラル・セント・マーチンズ美術大学卒。2007年にファッションレーベル「writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」を設立。ファッション表現の実験と学びの場として「coconogacco(ここのがっこう)」も主宰する。著書に『ぼくは0てん』、共著『ファッションは魔法』(ともに朝日出版社)など。

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