酒蔵を持たずに日本酒造りと販売を行う「日本酒応援団」。全国6蔵とともに、地域の名を冠した日本酒を造っている。彼らがパートナーを組む3つの蔵を取材。確固たる信念のもとに独自のスタイルを貫くそれぞれの酒蔵の、個性豊かな流儀を紹介する最終回

BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY TETSUYA MIURA

 岡山県の西南部に位置する浅口市鴨方町。瀬戸内の温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、晴天率が高いことから国立天文台があることでも知られている。美しい星空に抱かれたこの土地で、「丸本酒造」は慶応3(1867)年から酒造りを続けてきた。このあたりは、古くから技能の高さで名を馳せる「備中杜氏」を輩出してきた酒造りの盛んな地域だ。

画像: 周囲を低山に囲まれたのどかな里、鴨方。これから田植えをする水田越しに見る丸本酒造。平成15年、国の構造改革の一環として、丸本酒造の働きにより、鴨方町は「酒米栽培振興特区」に認定された

周囲を低山に囲まれたのどかな里、鴨方。これから田植えをする水田越しに見る丸本酒造。平成15年、国の構造改革の一環として、丸本酒造の働きにより、鴨方町は「酒米栽培振興特区」に認定された

 梅雨の晴れ間、日本酒応援団と「丸本酒造」のコラボレーションによる酒「KAMOGATA 純米大吟醸」のための田植えが行われた。この日は、日本酒応援団と酒蔵、日本酒応援団の酒を販売する「髙島屋」のメンバーに加え、髙島屋が田植えイベントとして一般から募集した人たちも参加。田植えに先立ち、朝10時から酒蔵の2階で、丸本酒造と日本酒応援団についての紹介や、日本酒応援団社長の古原忠直によるセミナーが行われた。

 田植えは、丸本酒造の建物から徒歩数分、目と鼻の先にある自社水田で行われた。前日、水を流し入れて準備が完了した田の水面は、太陽の光を受けてキラキラ輝いている。丸本酒造の農業専従社員の戸田さんから、苗の植え方の手ほどきを受ける。40日前に種を蒔き、青々と20㎝ほどに育った稲を、ふつうは1坪45株のところここでは33株を、より間隔をあけて植えるのだという。この植え方によって、酒造りに適した大粒の米に育つ。

画像: 高台に位置する水田で田植え開始。チーム一丸となり、一列になって苗を植えてゆく

高台に位置する水田で田植え開始。チーム一丸となり、一列になって苗を植えてゆく

画像: みんな裸足になって手も足も泥だらけ。慣れない中腰での田植えに悪戦苦闘しつつも楽しそう

みんな裸足になって手も足も泥だらけ。慣れない中腰での田植えに悪戦苦闘しつつも楽しそう

 全員、裸足で田んぼに入り、一列に並んで2~3株ずつ苗を植えていく。9,000株を20名で手分けし、手際よく1時間半ほどで田植えは終了。泥だらけの手足を洗い、蔵の2階で、酒蔵の女性たちによる心づくしのお昼ごはんが振る舞われた。

 一般の参加者を前に、酒のこと、田んぼのことを熱く語っていたのは、故・坂東三津五郎似の丸本酒造6代目当主、丸本仁一郎。この日も田植えを一緒に行った日本酒応援団の古原は、尊敬の念を込めて丸本のことを“宇宙人”と呼ぶ。「酒造りへの情熱が突き抜けている。30年前、酒造りにおける米の重要性を理解し、自社栽培を手がけた人なんてほかにいなかったでしょう」。10年ほど前、古原が初めて一升瓶で地酒を買ったのが、丸本酒造の銘柄「竹林」だった。あまりにおいしくてのけぞったと当時を振り返る。「憧れの酒蔵でした。日本酒応援団を始めてしばらく経った頃、あるイベントで丸本さんと隣り合わせになり、僕からすぐにアプローチしました」

画像: 6代目当主、丸本仁一郎。大学は理系で学び、その見識の深さと広さで、自ら杜氏として「米作りをする酒蔵」を牽引する

6代目当主、丸本仁一郎。大学は理系で学び、その見識の深さと広さで、自ら杜氏として「米作りをする酒蔵」を牽引する

 丸本仁一郎は22歳で蔵を継いだ。「親父が早よ死んだもんでね。いやおうなしに経営者になったんです。帳簿を見ていて、製造原価のほぼ半分が米代だとわかった。米価や流通は国の管理の下で一律に行われ、大きなメーカーもうちのような小さな酒蔵も同じ条件で仕入れなきゃいけなかった。これはなんとかせんといかん。日本酒業界の未来に不安を感じました。米に投資すれば、原価も下げられるし、酒の味もいい方向に変わるかもしれない。それには自家栽培だと考えました」

 

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