BY YUKINO HIROSAWA, PHOTOGRAPHS BY TAKASHI EHARA
テレビやネットのドラマで、映画で……何年も、何十年も、俳優の光石研さんを見ないクールがない。どんな作品にもするりと溶け込み、当たり前のようにその世界に佇む。自身を「オバちゃん気質でおやつ好き」だと語る素顔が垣間見えたとき、人に、仕事に、作品に愛され続ける理由がわかった。
生まれ育った北九州の黒崎は、当時の主要エネルギー源である石炭の産出量日本一を誇る筑豊炭田があった場所。「高度経済成長期の真っ只中、街全体が活気にあふれ、ケーキ屋さんやパン屋さんも多くあって。うちは喫茶店を営んでいたことがあったので、両親がコーヒーとおやつを味わう姿はよく見ていました。民芸の木の器には、福岡名物の『チロリアン』やビスケット類がたくさん詰んであった記憶があります」
「おふくろが子どもに甘いものを多くは与えないようにしていたせいか、誕生日やクリスマスのケーキや、一緒に買い物に行った時にたまに買ってもらえる『シロヤベーカリー』のオムレットなどの洋菓子は特にうれしくて。まぁ、小学生ともなると、友達とこっそり駄菓子を買ってはいたけれど(笑)、ケーキ屋さんもパン屋さんも子ども一人で行くには勇気がいる場所だし、わざわざ行かないと味わえない特別感があったんでしょうね」。おやつは「長い付き合いとかいう感覚もなく、当たり前の存在」だと言う。
16歳の時、地元で撮影が行われた映画『博多っ子純情』のキャスト募集に応募してみたら、ひょんなことから主演に大抜擢。俳優への思いをたぎらせ、18歳で単身上京した。下積み時代の俳優と言えば、居酒屋で浴びるようにお酒を飲みながら演劇論や役者魂について、仲間と激論を交わすようなイメージがあるけれど? 「そういう飲み会はたくさんあったと思うけど、僕はぜーんぜん行かなかったな。家で大好きなソウルミュージック聞きながら、夜食を作ったり、買ってきたチーズケーキを食べてました(笑)」
仕事が少なかった20代を振り返ると、「俳優は自意識がないとできない仕事だけど、それが過剰だったのかな。30代半ば頃から“自分ではない、作品を撮っているんだ”と気持ちの変化があって。ちょうど今年3月に亡くなられた青山真治監督の初監督作品『Helpless』のあたり。具体的なエピソードがあるわけじゃないけれど、青山さんの作品に携われたことで、体感としてどんどんそういう意識になっていったというか」。その直後から、今に至るまでの快進撃は言わずもがな。
俳優人生40年以上、60歳になった今も、光石さんは毎日、あちこちの撮影場所で色とりどりの役を背負って生きている。「現場の差し入れで出会ったのが、『ナタ・デ・クリスチアノ』のエッグタルト。当時はまだ珍しく、その味に感動して、『デザイナー 渋井直人の休日』のロケ撮影でお邪魔したときは、思わず店主に感謝を伝えてしまったほど。今も現場に差し入れされていると、必ず1個キープしています」。
一方、光石さんが現場に差し入れることが多いのは、「アルパジョン」のシュークリーム。「定番の柔らかい皮のものと、パイ生地の2種類があるんです。前日に同数ずつを注文しておき、朝、ピックアップして持って行きます。いいチームになってくると、『明日、差し入れする?』『じゃ、その次は俺が入れようかな』なんて会話が飛び交い、俳優たちが順番に差し入れをすることも」。聞けば差し入れ(お弁当やおやつ)とは、俳優のためではなく、それ以外のスタッフのためにあるものだと言う。「僕らは呼ばれた時間に行って撮影してもらったら、はい終わり。だけど、スタッフさんは早朝から深夜にかけての準備や重い機材を大量に運ぶ肉体労働、さらに知的作業まで、表には出にくい業務が山ほどある。“よろしくお願いします”、“本当にお疲れさまです”という気持ちを込めた贈り物なんです。俳優たちもいただきますが、基本はスタッフのみなさんのためのもの」
光石さんは、トーク番組でも、現場の控え室でも、取材中も、みんなに話を振ったり、深〜く相づちをうったり、大声で笑ったり……そこにいる全員が自分らしく、のびのびいられるような風が通る空間を作ってくれる。それを伝えると、「え!? そんな器用なことはしてないですよ。ただ、僕はオバちゃん気質だから、みんなと食事に行ったときとか、『ちゃんと食べてる?』『遠慮してない!?』と気になっちゃう。あえてというよりは、僕が一人っ子かつ、学生時代ものすごく背が低くて、男子からも女子からも『研!』って呼ばれる年下気質だというのが根底にあり、未だにそれが抜け切れていないんだと思います。あと、年齢で分けることではないけれど、今の若い世代の人って、芝居もテクニックがあるし、ハートもいい。変に圧をかけて萎縮させるようなことはしたくないですよね。デジタル世代の彼らは、情報をたくさん持っていて学ぶことも多い。待ち時間に流行りの音楽や携帯電話の使い方を教わったりも」
そんな人だから、日本を代表する映画監督、脚本家、演出家から直々のご指名やアテ書きの対象となり、作品の重要なポジションに携わる出演オファーがどんどん舞い込む。どうやって仕事を選び、どれくらいのペースで、どんな風に向き合っているのか?「1ヶ月スパンで考えると3本くらいの作品に関わる感じ。僕の担当になって6年近くの女性マネージャーと相談しながらですが、『こんなオファーが来たので、やろうと思っています』と彼女の報告を聞くのが8割、僕の希望は2割程度でしょうか(笑)。ほぼお任せしているのは、本来は怠け者でのらりくらりしたがる自分の尻を叩いてもらうため。あとは、自分で選ぶと想定内のことしか起こり得ないけれど、マネージャーが選ぶと、予想を超える何かがありそうでワクワクするんです。僕にとってもマネージャーにとっても、いいことなんじゃないかって思うから」
仕事での苦労を伺うと、「台詞を覚えること(苦笑)! まぁこれが大前提なので、仕事の日は移動の車中、休日は朝9時から14時くらいは自室でぶつぶつ言いながらお勉強します。朝からするのは、午後からはお茶を淹れておやつを摂取して豊かな気持ちになりたいし、ランニングをしたり音楽も聴きたいから。まぁ一番大きいのは、18時以降は40歳過ぎてから覚えた晩酌をしたいがためなんだけど(笑)」
台詞を完璧に覚え、特殊な役の場合はトレーニングを積んでスタンバイ。極悪非道なヤクザ、善良な父親、ピアノの調律師、倒産寸前の町工場のおやじ……あらゆる役を、本物と地続きで演じきる。「事前に役作りすることはなく、現場に入ってから。衣装部の方が用意してくれた衣装を身につけ、本読みとかリハーサルを経て、みんなとの息を合わせながら自然と決まっていく感じでしょうか。基本は台本通りですが、一字一句そのままのほうがいいのか、+αやアレンジするかは、作品の監督やチームスタッフによって変わります。“作品がさらによくなること”を大前提に、オーダーにはできる限り応えたいと思うので。どの役にも正解はないし、キャストとの絡み方によって化学変化はあるかもしれないけれど、ただそれは、作品に携わったスタッフや観てくださる方が感じることなのかもしれないですね」
“与えられた役を精一杯、悔いなく生きます。あとはお任せします” ──そのスタンスは、まるで職人、プロフェッショナル。どんな役柄でも見事に演じきる数えきれないほどの技をしのばせ、多くの視点を併せ持つ光石研さんは、まるで俳優界の千手千眼観音みたいだ。
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