BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPH BY KYOKO HAMADA, SET DESIGN BY SUZY KIM, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
ひとり135ドル(約2万円)のお任せコース料理のテーブルに着く前に、客は手を洗うようにそっと店のスタッフから促される。手洗い用のシンクは壁に面して設置されている。皆が見ている前で両手を洗い、テーブルに着く人々全員に自分の手が清潔であると示すことが大事なのだ。昨年の12月にマンハッタンのイースト・ヴィレッジにオープンしたフィリピン料理レストランの「ナクス」ではテーブルの上にフォークはない――いや、フォークだけではなく、食器はいっさい何も置かれていない。
だが、客は最初そのことにほとんど気づかない。まず、上部がぱっくりと開いた卵の殻の中に、酸っぱくて色鮮やかなビリンビ(ナガバノゴレンシの果実)と、ココナツの実から抽出された酢が入ったアヒルのスープが出てくるが、これをぐっと飲み干すのは簡単だ。次にシェフのエリック・ヴァルデズがウインクすると同時に、フィリピンの路上でよく売られているバロット(孵化直前のアヒルの卵をゆでたもの)が出てくる。そして、白とうもろこしの粉から作ったパンの上にウニがのったカナッペが、指輪の箱にすっぽり入ってしまうくらいの小さなサイズで出てくる。それを指でそっとやさしくつかんで食べるのもたやすい。シャキシャキしたキュウリの間に挟まった、つるっとした食感のナマコ。さらに、牛肉のチチャロン(カリカリになるまで高温で揚げられたもの)で、牛ヒレの生肉を挟んだサンドイッチも出てくる。全体が牛の胆汁に漬け込まれており、口にすると、舌の上に後をひくような苦みがかすかに残る。その後、カトラリーのかわりになるような、面白い一品が運ばれてくる。一見ドラムスティックのように見える、一点の曇りもなく磨き抜かれた骨の先に、鶏肉とエビのミートボールが突き刺してある。それに、カリッとしつつも柔らかい食感の鶏皮の焼きとりが、木の枝に刺されて出てくる。
このコース料理の合間に、店のスタッフたちは蒸しタオルを客に渡し、客が手を拭いたあとはタオルを静かにさっと下げていく。そしてここから、タガログ語で「カマヤン」と呼ばれる「素手で料理を食べる」行為が本格的に始まるのだ。テーブルの上に敷かれたバナナの葉の上に、牛肉の煮出し汁がたっぷりきいたパンシット・バティル・パトンという名の麺料理が、じかにどさっとのせられる。指の周りに麺を巻きつけ、つるつるとした麺の表面を素肌で感じるのは、生まれて初めての体験だという客もいる。次に出てくるのはレチョン・リエンポ(豚バラ肉の炙り焼き)だ。レモングラスとしょうが、にんにく、ねぎと青唐辛子を束にし、それにジューシーな肉をぎゅっと巻きつけてある。豚肉の皮は濃い金色を帯びて、まるでステンドグラスのように透明に光り輝き、パチパチと音を立てる。皮は簡単にはがせるが、弾力がある肉はそう簡単にははがせない。手でぐっとしっかり握らないと裂けない。私がナクスで食事をしたその夜に運ばれてきたレチョンは、手でつかむにはまだ熱すぎた。私は慌てて手を引っ込めながら、早く味わってみたくて、待ちきれなかった。
アフリカや南アジア、東南アジアや中東の一部で、素手で料理を食べることは長く受け継がれてきた伝統であり、今日も習慣として残っている場合がある。手づかみで食べるのは、自宅で身内だけの場だったり、また、最も格式張った礼儀が求められる正式な宴席の場合もある。一方、西洋社会で、ナイフやフォークを使わずに食事をする場面は、ある特定の料理が提供される場合か、ごく限られた状況だけだ。たとえばフォーマルな場で、カクテルパーティ会場に集う客たちに提供されるフィンガーフードがそうだ。高尚さと機能性を兼ね備えたオードブルは、口に運ぶときに液が漏れにくく、こぼれにくい形になっている。
一方、大衆向けのハンバーガーや手羽先なども手づかみで食べる料理だ。それらを食べている間は、指の間から汁がしたたり落ち、人々はテーブルマナーの掟から一時、解放される。米国では状況ごとに明確にルールが違う。そのため、時には、ナイフやフォークを使うほうが、手づかみで食べるよりも、よっぽど恥ずかしいマナー違反だと受け止められる場合もある。ニューヨーク市の前市長のビル・デブラシオ氏が2014年にスタテンアイランドでピザを食べる際にナイフとフォークを使っていたことが、たまたま写真に撮られて発覚した。彼は自身の家系のルーツであるイタリアでは、ナイフとフォークを使ってピザを食べるのが普通で、むしろそれが奨励されていると弁明した。しかし批評家たちは彼を嘲笑し、そのうちのひとりはデブラシオ氏の行為を「冒涜だ」と切り捨てた。
一般に、格式の高い場であればあるほど、ナイフとフォークの数が増えていく。たとえば、ある改まった席では、フォークとナイフとスプーンが合計9本も皿の横に順番に並べられ、それぞれ用途が違う(魚用、主菜用、サラダ用、スープ用、オイスター用、ケーキ用など)。その使い方は、敷居の高い社交界に新参者が入り込んでいく過程によく似ている。外側から順番に攻略し、徐々に内側に入り込むのだ。このしくみは衛生上の理由によるものなのか、それとも単に物質主義に基づいたものなのか──カトラリーの数の多さを誇示することで、洗練された感じをアピールしようとしているのか? 多くのナイフとフォークを使うと、食事がより貴重な体験となり、料理がよりおいしく感じられるのか? その反対か? それとも、元来の目的は失われてしまって単に儀式だけが残っているのか?
高級寿司店は、まるで寺の境内のような静謐さに満ちている。そんな店では、寿司職人は、客がにぎり寿司を指でひとつずつつまんで食べることを暗黙のうちに望んでいるかもしれない。刺し身の下のシャリ部分は繊細に握られているため、箸で持ち上げると、崩れてしまうかもしれないからだ(箸の使い方に習熟していない場合は特に)。だが、それだけではなく、手で寿司をつまむ動作には、細心の注意を払う心遣いと、ほとんど畏敬の念に近い気持ちが込められている。──それはすなわち、貴重なその一品の価値を認め、それにふさわしい繊細な食べ方をすべきだという認識の表れだ。 手づかみで食べる行為は、何でもありの無法地帯というわけでは決してない。皿の周囲に多くのカトラリーが並べられている場合と同様に、手づかみで食べる場でも、その礼儀作法は、周囲から注意深く観察されているのだ。それぞれの文化によって違いはあれど、基本はこうだ。食事の前に全員の前で手を洗うことが儀式であり、たとえ手が汚れていない場合でも、テーブルを囲むメンバーに失礼にならないよう、手を洗うのが礼儀なのだ。また、食べるときは右手の指のみを使う。なかでも中指、人さし指、親指の3本の指の第二関節までを使って食べるのがルールだ。口に食べ物をそっと押し込む際は親指を使う。時には、手のひらで食べ物を握りしめたり、手や指をなめたりすると、無作法にあたる場合もある。また、それぞれの指が触れていいのは唇だけだ。
そんな細かいルールがあるのにもかかわらず、西洋社会では、ナイフやフォークを使わずに食事をすることは、我々の中にある野性を呼び覚ます行為だという捉え方が根強い。食べ物を手でつかむと、我々人間が、食欲に支配されているように見えるし、日頃隠している狼の側面が露呈する。レストラン経営者のニコル・ポンセカは、フィリピンから南カリフォルニアに移民してきた両親の元で育った。彼女は父親が手で料理をつかむたびに、フィリピン人以外の人々から嗤わらわれていたのを覚えている。長い年月がすぎてから、彼女は自分も手を使って食事をしたいと思うようになった──そして、その素晴らしさを人々に知ってほしいと願うようになったのだ。
2013年に彼女はマンハッタンにある彼女のレストラン「ジープニー」で「カマヤン・ナイト」と銘打った試みを始めた(ジープニーは2021年に閉店。その志を継承するナクスが、ジープニーがあった同じ場所に昨年冬に開店した)。ひとりあたり一律40ドル(約6,000円)で複数の品々を「皿なし、シルバーウェアなし」で提供するセットメニューだ。同店の広告では、ポンセカが魚のフライを手でつかみ、頭の部分にがぶっと食いつく写真が掲載されていた。彼女の口紅とネイルが深紅の色で揃っている。この大胆な挑戦は、期待を裏切らなかった。
客が来店すると、バナナの葉で覆われたテーブルに案内される。バナナの葉の上には白飯が輪っか状に山盛りになっている。輪っかの内側の空間には、緋色でぽってりとした形のロンガニサ(にんにくがきいた甘いソーセージ)や黄金色のスティック状の春巻き、葉がたっぷりついたチンゲンサイ、赤い色が鮮やかなカマティス(トマト)、客が選んだ主菜が所狭しと並んでいる。主菜はたとえば、濃いインクのような色になるまで煮込んだチキン、まるで水中を静かに泳いでいるようなポーズをした魚の揚げ物。その外皮は褐色に輝く雲のようだ。ピーナッツがたくさん入ったシチューの中でじっくり煮込まれたオックステールは、ゆるやかにほどけている。白飯を手で丸く握り、それを使って野菜や肉をつかむ方法をスタッフが客に説明する。「かつて私は父に『そんな食べ方はやめて』と言っていたのに、まさにその同じやり方を人々に教えていた」とポンセカは言う。
フィリピン人たちの中には「昔に引き戻そうとしている」と彼女を批判する者たちも、少数だが存在した。彼らにとっては、手づかみで食事をすることは、原始的な習慣で否定すべきことのようだった。だが、蓋を開けてみると、店に来た客たちが空席を求めて大声で叫ぶほどの大にぎわいだった。ジープニー以前にも、米国内にはバナナの葉を皿がわりにしたり、ナイフやフォークを出さないフィリピン料理レストランはすでに存在していた。しかし、ポンセカが人々に伝えたいと願ったカマヤンのビジョンは、一定の層を超えてより多くの人々に波及していき、今では非フィリピン人たちは「カマヤン」とは「食事」のことだと間違えて認識していることも多い。正しくは、食べ方を表す言葉なのだが。
現在、全米各地にカマヤン体験を提供するレストランがあり、たとえばロサンゼルスのクヤ・ロードではプライベートでのパーティ用にケータリングを提供しているし、サンフランシスコのアバカではひとりあたり95ドル(約1万4,000円)で要予約のディナーメニューを用意している。このコースは豪華で、和牛のタルタルステーキに、ロブスターとトリュフが入った麺料理が出てくることもある(歴史学者のダニエル・E・ベンダーとエイドリアン・デ・リオンのふたりは、西洋社会でのカマヤンの食事風景と、20世紀の米国統治下時代のフィリピン軍のブードル・ファイトと呼ばれる伝統的な食事風景の間の共通点について論文を執筆した。当時のフィリピン軍では、料理はテーブルの上に積み上げられ、それを兵士たちが手を使って、かき込むようにして急いで食べるのが伝統で、「ブードル・ファイト」の呼び名は「グループに属するすべて」を意味する「kit and caboodle」が語源だとも言われている)。
ただ、カマヤンのディナーが次第に普及しつつあるといっても、アメリカ人がナイフやフォークへのこだわりを捨てようとしているわけではない。少なくとも、カマヤンを日々の習慣にしていない人々が手づかみで食べる行為に惹かれる理由は、それが社会規範から一時、解放される行為だからであり、また、提供される料理がなじみのないものだからこそ、非日常の体験が可能になるのだ。アメリカ人哲学者のリサ・ヘルドキーは、この異文化体験を「食の冒険」と呼ぶ。彼女は自身が異文化の体験を追い求めてやまない好奇心はどこから来ているのかを自問した。「19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの画家や文化人類学者や探検家たちが『より新鮮で』、もっと『辺境』の文化を探し求めることを彼らの存在理由としていたように」、自分も無意識のうちに同じ衝動に突き動かされていたのではないか、と。彼女は「異文化を学ぶ際には尊敬の念を持ちたい」と著書『Exotic Appetites: Ruminations of aFood Adventurer(エキゾチックな食欲:フード探検家の考察)』(2003年)に書いた。彼女はさらにこうも綴っている。「エキゾチックな何かに触れて、その体験を通じて、自分がより興味深い人間になりたいという深い欲望に突き動かされていたことは、否定できない」(訳者訳)。自己の文化圏から出て、あてもなくさまよう客たちは、破滅に向かう運命なのだろうか? それとも彼らは永遠に旅行者であり続けるのか?
さらに、シェフやレストラン経営者が、自らの母文化に根ざす食を西洋社会に紹介するときに生じる、やっかいな問題というものがある。自らを必要以上にエキゾチックなものとして捉える自己異化や、西洋の価値観に取り込まれてしまうホワイトウォッシュ化をどうやって避ければいいのか。また、個性が強烈な料理を必要以上に持ち上げたり、または過小評価したりせずに紹介するには、どうすればいいのか。たとえば、孵化直前のアヒルの骨のコリッとした硬さや、食べ終わったあとも指にずっと残る、発酵した魚のあの独特の匂いを、どうやって客に体験させるのがいちばんいいのか。
後編につづくーー
HAND MODEL: AVISHA TEWANI AT PARTS MODELS. MANICURIST: MEGUMI YAMAMOTO FOR SUSAN PRICE NYC. PHOTO ASSISTANT: SARAH GARDNER. SET ASSISTANT: MAJA SECEROV. MINIATURE FOOD MODEL MAKERS: MATT WALLIS OF ETSY.COM/SHOP/FOODBUTSMALL, AGNIKA BANERJEE OF ETSY.COM/SHOP/AGNIKACREATIONS
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