日本各地で脚光をあびる大人のためのデスティネーションレストランを、ガストロノミープロデューサー・柏原光太郎が案内する好評連載。東京から足を運びやすいお店を紹介した首都圏編をお届け

BY KOTARO KASHIWABARA

*記事内で紹介しているメニューや価格は、記事公開時点のものです。

Vol.1 「レストラン KAM」(埼玉県・川口市)

【※2025年7月に公開した記事です】

画像: 庭で採ったグリーンアスパラ、新玉ねぎと菊花のサラダ、生ハム

庭で採ったグリーンアスパラ、新玉ねぎと菊花のサラダ、生ハム

画像: 入口には季節の紫陽花が咲き乱れていた

入口には季節の紫陽花が咲き乱れていた

 今回紹介する「レストランKAM」は東川口にある。今年5月、地方のわざわざ訪れるべきレストランを表彰する「デスティネーションレストラン2025」を受賞したばかりの注目株だ。

 東川口はJR東日本・埼玉高速鉄道が停車するが、埼玉高速鉄道と南北線が相互乗り入れしているため、東京の港区界隈からでも1時間もあれば容易に着いてしまう。「川口」と聞くとちょっと前なら歓楽街を思い浮かべるかもしれないが、それは西川口で、しかも近年とても清潔な街になっている。東川口は江戸時代から植木栽培が盛んな地域で、相続対策により住宅街となったものの、土地一単位あたりの面積が広く、余裕のある住宅が多い。

画像: 店内は、しっとりとした和風のたたずまい

店内は、しっとりとした和風のたたずまい

 レストランKAMも以前は植木栽培をしていた古民家を改造したフランス料理店である。駅から歩いて十分ほど。遠くからも見える大きな木造の家屋で、近づくと入口には季節の紫陽花が咲き乱れていた。どこか南フランスを思わせるようなエントランスとなっている。

画像: シェフの本岡将さん(右)と、タッグを組むソムリエの田代圭佑さんは幼馴染

シェフの本岡将さん(右)と、タッグを組むソムリエの田代圭佑さんは幼馴染

 シェフの本岡将さんは調理師学校を卒業後、渡仏。パリのレストランでスーシェフをしていたが、帰国後、23歳で静岡の「レストランビオス」のシェフに就任した。ビオスはタイユバン・ロブションのメーテル・ドテルをしていた松木一浩さんが作った農園レストラン。私もうかがったことがあるが、もともとはレストラン向けの野菜を専門に作っている農園で、目の前で野菜を採って料理をする経験が、レストランKAMに至ったのだろう。2018年には若い料理人のコンクール「RED U-35」で準グランプリに輝いた。

>>続きはこちら↓

Vol.2 「オトワレストラン」(栃木県・宇都宮市)

【※2025年9月に公開した記事です】

画像: 那須のチーズとホエーを使った温かいスープと、季節の野菜、ハーブ、花など30種類以上の素材を合わせた一皿

那須のチーズとホエーを使った温かいスープと、季節の野菜、ハーブ、花など30種類以上の素材を合わせた一皿

 世の中に「デスティネーションレストラン」「ローカルガストロノミー」という言葉が浸透するずっと前から、当たり前のように地方にある食材を使い、その土地に根ざした料理を作ってきた飲食店がある。宇都宮にある「オトワ レストラン(Otowa restaurant)」。宇都宮駅から車で10分ほど、川沿いに建つコンクリート打ちっぱなしのスタイリッシュな建物である。

画像: カラフルな窓枠とOtowaのロゴが印象的な外観

カラフルな窓枠とOtowaのロゴが印象的な外観

 主人の音羽和紀シェフは宇都宮出身。まだ海外に行くのが難しかった1970年に渡欧し、「料理界のダ・ヴィンチ」と呼ばれた伝説のシェフ、アラン・シャペルに日本人としてはじめて弟子入りした。渡仏当初は地元に戻ろうとは思っていなかったが、シャペルシェフのレストランのあるフランスの片田舎・人口も少ないミヨネ村で過ごすうちに、地元の人が自分の村を一番と語る理由を理解したという。

「フランスには地方で何十年と続くレストランがあり、地域の発展に役立っている。私も土地の素晴らしい食材を使うことで地元の食文化を盛り上げたいと思ったのです」

「アラン・シャペル」の後、帰国する前に異なる地域で学ぶ必要性を感じ、シャペルシェフの紹介でゲラールシェフの店で経験を積んだ。そして信念を胸に30歳で帰国。1981年に最初の店「オーベルジュ」を創業した。音羽シェフが考えたのは、食と農と観光のスパイラル。レストランはひとりでは成り立たないため、周囲の生産者らとともに理解し合いながら、仕組みを作ることで地方を盛り立てようと考えたのだ。

画像: ダイニングゾーン、個室、アトリウムを備え、さまざまな使い方ができるレストラン

ダイニングゾーン、個室、アトリウムを備え、さまざまな使い方ができるレストラン

 当初のレストランはその後、改装や移転、支店の閉店などを繰り返し、2007年に現在の「オトワレストラン」を開店した。

「ここは私の集大成ではなく、ここから始まる舞台に過ぎません。地域に豊かな文化を根づかせるには、店を続ける継承者が必要です。そのためにも私はこの職業を子どもたちに継いでほしいと思っていました」

 しかし、音羽シェフは「料理人になれ」とは一度も言わなかったという。だが、彼がいきいきと料理をし、奥様が一緒にサービスを担当していたことで、子どもたちは全員、オトワレストランに集結した。

画像: (左から)現・調理長の長男・元さん、音羽和紀シェフ、サービス担当の次男・創さん

(左から)現・調理長の長男・元さん、音羽和紀シェフ、サービス担当の次男・創さん

>>続きはこちら↓

Vol.3「キュイエット」(山梨県・韮崎市)

【※2026年1月に公開した記事です】

画像: 無農薬アーモンドや甘柿のマリネ、マグレ鴨の自家製生ハムの前菜

無農薬アーモンドや甘柿のマリネ、マグレ鴨の自家製生ハムの前菜

 食を使って地方に観光客、特にインバウンドを呼び込み、消費をしてもらって地方を豊かにしよう、というガストロノミーツーリズムが注目されている。
 地方創生が叫ばれているなか、ガストロノミーツーリズムで集客しようと高らかに宣言している自治体も多数あるが、関東地方で一番活発に活動しているのは山梨県だろう。観光振興課のなかに「ワイン県・美食担当」を置き、「食」を目的とした誘客促進を図っている。
 その県内で活躍するシェフやソムリエなどで構成されたチームに「やまなし美食コンソーシアム」がある。新メニューの開発や、食文化形成をはじめ、歴史、芸術などの観光資源と連動した取り組みを進めることで、山梨県の新しい魅力を発信していこうというものだが、その一員として積極的にかかわっているのが、韮崎市のフランス料理「キュイエット」の山田真治シェフだ。やはり県が主催する「やまなしグルマン・エコノミー会議」のお招きで講演したときに知り合った。

画像: 店の目の前には葡萄畑が広がる

店の目の前には葡萄畑が広がる

 フランスの地方のレストランといえば、葡萄畑が広がる里山の一軒家を想像するが、キュイエットのロケーションもまさにそれ。JR中央本線の韮崎駅から車で10分ほど、葡萄畑と富士山が見渡せる一軒家なのである。うかがった日は残念ながら曇り空だったが、晴れていれば大きな窓ガラスのむこうに冠雪に覆われた富士山を望み、周囲には南アルプスや八ヶ岳が連なる。そしてレストランの目の前にはキュイエット専用の生葡萄の自家農園が広がる、絶景なのだ。
「フランスのシャンパーニュ地方で修業していた時のレストランが、店の前が葡萄畑、裏が山のロケーションで、地産地消の料理を提供していたんです。日本に戻ってきたらそれをやりたいと思ったんです」と話す山田シェフは、山梨県甲府出身。都内で修業後、フランスへ渡った。帰国後、当時甲斐市にあったフレンチレストラン「レストランベルク」にて料理長を務めながら県内に理想の土地を捜し歩き、この場所を見つけ、開店したのが22年前の2003年のことだった。

 県内でも屈指のフランス料理店だけに県外からも多くのファンが訪れる。山梨県は海がないため魚は他県に頼らざるを得ないが、それ以外はほとんど山梨県産を使う。
「山梨はフルーツも野菜も畜産も盛んですから、新鮮なものがすべてこの近くで賄えるのです。せっかく韮崎まで来ていただいたのなら、美味しいものを食べて非日常の楽しさを味わってほしいですね」

画像: 白ワインは山梨県産の甲州

白ワインは山梨県産の甲州

>>続きはこちら↓

首都圏のデスティネーションレストランの魅力とは?

【※2025年7月に配信した記事です】

 かつて志のある地方の料理人は、東京や京都、大阪などの都会に出かけて修業し、独立するのが当たり前だった。そこには数多くの人々が住み、世界中から食材が届き、情報も集まるからだ。しかしネット社会の出現で人々の行き来は自由になり、情報も平等に日本中、瞬時に行き渡るようになった。

 となると支障をきたしそうなのは食材の問題だけだ。だが、都会には世界中の食材が届いたとしても、それは規格に沿ったものであり、いくら物流や冷凍の技術が発達したとしても、フードマイレージといわれる、時間が経過した食材であることは間違いない。

 ひるがえって地方には、都会の数十分の一、いや数百分の一の種類の食材しかないかもしれない。だが、朝どれの新鮮な食材をその日の昼や夜に食べることができ、名前がついていないために都会に届けても流通するのが困難な美味しい食材がある。足が早いため輸送に適さない食材や、規格外であるがため都会には送れないが、たとえば生で食べたら柔らかくて美味しい野菜も、そこにはある。

 そういう食材を扱うことが好きなシェフは、以前から一定数はいたのだろうと私は思う。だが、そうした料理を理解してくれる食いしん坊(フーディー)は地方にはけっして多くなかったから、彼らが経済的に報われることは困難だった。

 だが、情報が一瞬で世界中に届くようになり、潜在的な顧客は世界中に存在するようになった。しかもいまの若い世代は、まだ知られていない場所を誰よりも早く発見して、その情報を知らしめることに喜びを覚える。だからどんな遠いところにあっても、優秀なシェフのもとには世界中からフーディーが訪れ、同時に経済的にも豊かになることができるようになったのである。

 そういった状況からこの十年ほど、特にコロナの前後から地方にデスティネーションレストランと呼ばれる、わざわざそのレストランにいくためだけに旅をする価値のあるレストランが続々できてきた。ただ、1930年から星つきレストランを掲載しているミシュランガイドの3つ星の定義は「そのために旅行する価値のある卓越した料理」だから、日本はフランスよりも100年遅れてようやく普及し始めただけかもしれない。

 だとしてもこの状況は喜ばしいし、食を楽しむ人々の幅が日本でも広がってきたことだと私は思う。そしてここ数年、さらに新しいトレンドが生まれてきたと感じる。首都圏周辺のデスティネーションレストランの誕生である。

 かつて首都圏の周囲は都会に食材を供給する基地の役割を持っていた。美味しい野菜、魚、肉を朝早く収穫し、都会に届けることによって、都会の人々はできる限りフードマイレージが短縮された食材を購入することができ、おいしい食にありつける。つまり都会の人々のために第一次産業を行う場所としてとらえられていたのである。

 だが、食材供給基地だった地域にデスティネーションレストランが誕生したらどうだろうか。実は首都圏周辺には魅力的な食材が数多くある場所がたくさんあった。だが、それは都会から中途半端な距離であったがために、注目を浴びることが少なかったのである。私は以前、そうした店のシェフから、こんなことをいわれたことがある。

「食通の方々にとって、東京から1時間半で来られるうちの店よりも、京都のほうが心理的には近いんでしょうね」

 ところがよく考えれば、実際は東京から近いし、地元の食材が豊富にそろい、土地も安いから野菜やハーブを栽培することもできる。そして美味しい。こんないいレストランはないではないか。

いま行くべき究極のレストラン 記事一覧

柏原光太郎
ガストロノミープロデューサー。文藝春秋で「文春マルシェ」創設を経て、「日本ガストロノミー協会」会長、「食の熱中小学校」校長、「Luxury Japan Award 2024」審査委員などを務める。近著に『ニッポン美食立国論 ―時代はガストロノミーツーリズム』『東京いい店はやる店』。

画像: 本連載の執筆者・柏原光太郎氏の新刊が好評発売中。世界中の美食家を惹きつける日本を舞台に、ガストロノミープロデューサーとしての確かな視点で選び抜いた、450軒ものデスティネーションレストランを網羅した一冊。『日本人の9割は知らない 世界の富裕層は日本で何を食べているのか? ガストロノミーツーリズム最前線』ダイヤモンド社 ¥1,980

本連載の執筆者・柏原光太郎氏の新刊が好評発売中。世界中の美食家を惹きつける日本を舞台に、ガストロノミープロデューサーとしての確かな視点で選び抜いた、450軒ものデスティネーションレストランを網羅した一冊。『日本人の9割は知らない 世界の富裕層は日本で何を食べているのか? ガストロノミーツーリズム最前線』ダイヤモンド社 ¥1,980

▼あわせて読みたいおすすめ記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.