BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY MASATOMO MORIYAMA
滋賀についてリサーチするなかで知り得たのは、土地の人々は「湖」を「ウミ」と呼ぶということ。なるほど、実際に訪れて納得した。湖岸を走る国道から見え隠れする水面の煌めきは、どこまでも果てしなく続いている。美味しい朝ごはんを目指して、まずは湖西へと向かいたい。
“近江の厳島”と絶品朝ごはん
《SEE》
「白鬚神社(しらひげじんじゃ)」湖中に鳥居を構える、近江最古の神社へ
“近江の厳島”とも呼ばれ、創建以来2000余年の歴史を誇る近江最古の大社「白鬚神社」。琵琶湖から浮かび上がる朱塗りの大鳥居を目にしたいと心躍らせ、早朝にホテルを発つ。湖岸沿いの国道を走る車窓から、鳥居の姿が輪郭を表した感動は筆舌に尽くし難い。旅のリサーチをする段で何度も目にしたはずなのに、湖面を渡たる風や空を流れる雲のリアリティを伴い、目の前に広がる情景は圧倒的な存在感を誇っていた。車を駐車場に止めるや否や、その幻想的な光景に眼を奪われ、湖に向かって思わず手を合わせると「神様はこちらですよ」と社務所の方から声がかかる。
湖中の大鳥居から国道161号を挟んで鎮座する現在の社殿は、豊臣秀吉の遺命によって秀頼が片桐且元(かつもと)を奉行として1603年に造営したもの。「明神さん」の名で広く親しまれ、人間のあらゆる営みの“導きの神”とされる猿田彦命(さるたひこのみこと)が祀られ、全国に約300の分霊社がある白鬚神社の大本でもある。あわてて拝殿で正式な参拝を済ませると、「この背後に神社の発祥となったパワースポットがあります」と再び案内を受ける。社殿後方の山の斜面を登ると、石段の先に密やかに古墳群が佇む。その古墳が何を示しているのかは不明とのことで、横穴式石室の一つが岩戸社として祀られている。まるで太古の時空と繋がっているかのような謎めいた岩戸社は、眼を凝らしても奥が見えない。その神秘性に引き込まれそうになった時、「グゥ」と腹時計が鳴り現実に引き戻される。早朝から導かれるままに山を登り、気づけば空腹だった。
石段を降り、山の中腹の境内を見渡たすと、多くの歌碑や句碑に気づく。「みおの海に 網引く民の てまもなく 立ちゐにつけて 都恋しも」と刻まれた和歌は、紫式部の一首。平安時代の長徳2年(996)、国司として赴任する父の藤原為時に従って越前へ向かう航路で、高島の三尾崎の浜辺で漁をする人々の見なれぬ光景に京の都を恋しく思い出して詠まれたという。そのほか、琵琶湖の風景に惹かれて近江で多くの句を詠んだ松尾芭蕉の句碑から、与謝野鉄幹が上の句を晶子が下の句を読んだ共作の歌碑まで。時代を超えて歌人・俳人を魅了した琵琶湖を前に「発句でも!」と思ったところで再び「グゥ」と鳴り、霊験あらたかな社に一礼し別れを告げた。
住所:滋賀県高島市鵜川215
電話:0740-36-1555
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《EAT》
「風と湖(うみ)」立ちのぼる湯気が誘う、幸せな朝ごはん
「冬の朝、白鬚神社の湖岸で見た日の出があまりにも美しくて……」という理由で、この地に移住した店主の石川さん夫妻。朝日を見たあとに美味しい朝ごはんを振る舞う店があったら、たくさんの人に琵琶湖の朝日を楽しんもらえるのではないかと考え、2021年6月に和食店「風と湖」をスタート。京都の老舗料亭で20年以上も板前をしていたというご主人に、朝から腕を振っていただける。舌の肥えた夫妻が「もちもちとした食感に感動!」とレコメンドする、鵜川の棚田で育まれたミルキークィーン米と一緒に、出汁巻か旬の焼き魚のどちらかを主菜に選ぶ定食2種と、「濃厚な黄身のコクがたまらない」と語る地元の美宝卵(びほうらん)を醤油麹で味わうたまごかけご飯定食の計3種類。
朝7時、扉を開けると既に出汁のふくよかな香りで室内が満たされている。利尻島沓形の天然昆布で引いた澄んだ上品な出汁に、季節や天候によって鰹節の量を調整して合わせる。毎朝一番にその日に使う量だけを引くため、香り高い風味は格別だ。その自慢の出汁を使った看板メニューがご主人の名前を冠した「哲央の出汁巻」。なんでも、関西一般では奥から手前に向かって玉子焼きを巻いていくが、京都は逆巻。持ち手の角度が特殊な板前仕様のフライパンをリズミカルに上下させることで、巻の締まりがよくなるという。しっとり滑らかなのに、ぎゅっと凝縮感があり、ふわふわなのに箸で持ち上げても崩れない。焼印は、KIGIの渡邉良重さんがデザインしたイラストのロゴ。料亭級の出汁巻に、ぐっと愛嬌が増すようだ。
取材を終え、「びわこの朝ごはん」と書かれたメニューからリアル朝ごはんを注文する。こだわりを伺うほどに、いずれも魅力的で3種類限りのメニューから選びきれない。迷いに迷い、ファイナルアンサー。旬の焼き魚定食に、単品で「哲央の出汁巻」と美宝卵の生卵を注文。結局は全部盛りということになった。料理は作り置きをしないため、注文を受けてから一品一品を丁寧に仕上げてくれる。手際の良さが伝わる厨房の音をバックミュージックに、琵琶湖をぼんやり眺める。運ばれてきたお盆には、端正な骨董の豆皿が品よく配置され、妻のかおりさんがよそってくれた炊き立てのご飯が食欲をそそる。さらに、前菜や漬物に用いている野菜は、店の隣の畑で自然農によって育てたもの。それぞれが本来の味の個性をしっかりと主張する。あっという間に一膳目をたいらげ、ご飯が余分にあるということだったので、思わずおかわり……旅先では、胃袋が不思議と若返る。
住所:滋賀県高島市鵜川395-1
電話:070-8355-6015
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《BUY》
「近江手造り和ろうそく 大與(だいよ)」揺らめく灯りに心を映す、和ろうそくを求めて
旅に出ると暮らしのスイッチが変わる。発掘したローカルトレジャーを取り込むことで、日常の景色が違って見えてくるのだ。滋賀の旅から戻り新たな習慣に加わったことは、朝目覚めて時折、和ろうそくを灯す時間ができたことだ。陽が落ちた頃に灯すろうそくは温かな優しさに満ちているが、朝に灯すろうそくは、これから始まる1日を照らしてくれる印象だ。糸を芯材とする西洋のキャンドルに比べ、和紙とイグサを芯材とする和ろうそくの灯りは、丹田の座った立ち姿のように凜とした安定感が感じられる。4代目当主の大西さんが「気持ちに呼応するような揺らぎ」と表現する灯りのシルエットを見つめていると、不思議と呼吸が整っていくようだ。
訪れたのは、琵琶湖の北西に位置する高島市で100年以上にわたり、手造りの和ろうそくを生業とする「大與」。人口密度に対して寺の数が全国1位という背景もあり、この地でろうそく造りが栄えた。手間暇を惜しまないろうそく造りは労を多とすることから、古式の製法で和ろうそくを製造する店は、今では全国でも15軒を数えるほどだという。そんななか、「大與」では創業から変わらぬ伝統が受け継がれている。和ろうそくは、芯材を作ることから始まる。筒状の和紙にイグサの古来種である灯芯草を螺旋状に巻き、真綿で固定。ろうそくが太くなるほど灯芯草を幾重にも巻かなければならず、締め具合や均一な仕上がりなど、些細な加減が製品の仕上がりを左右する。また、芯材にかける蝋においても、「大與」では櫨と米糠の2種類の植物蝋だけにこだわる。漆科の櫨の実から搾った蝋は最も伝統的な和ろうそくで、溶かした蝋を手で掬いかけ、乾かしては、また手で掬いかけるという工程を何層にも及び繰り返す。この気の遠くなるような作業を続けている職人は、日本でも10人ほどしかいないという。
手塩にかけたろうそく造りは、それぞれの工程に費やした時間が確実に製品に表れ、いつまでも見つめていたくなるような灯りを生む。手で掬いかけて仕上げられた櫨のろうそくは、蝋に粘りがあり、灯りが縦に揺らぐ独特のしなやかさがあるとか。一方、米糠の蝋は櫨に比べて硬さが特徴で、蝋だれや油煙がほとんど出ないことがメリット。型を用いて西洋キャンドルのような太いサイズの製品も作っている。現代の暮らしのなかでデイリーに和ろうそくを楽しんで欲しいという思いから、4代目の企画でスタイリッシュな真鍮製燭台も揃う。旅から戻り、何気なくはじめた朝の“灯り時間”のおかげで、1日が25時間に感じられるようだ。
住所:滋賀県高島市今津町住吉2-5-8
電話:0740-22-0557
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個性派ギャラリー巡り
滋賀には、独自の視点で作品を見極め、美意識を携えたギャラリーが点在する。暮らしと共に歩む、心地よい表現空間を案内したい
《SEE&BUY》
「NOTA_SHOP (ノタ_ショップ)」 モードな感性を軽やかに紡ぐ
焼き物の産地で知られる信楽に、世界と繋がりモノづくりを手掛けるプロダクト・スタジオ兼ギャラリーがあると聞き、山間の道を向かう。道すがら大小の“信楽たぬき”の置物と目があいながら、町はずれの小径の奥を進むと、木造平屋の古い建物が姿を見せる。かつて親戚が営んでいたという製陶所を、3年という年月を費やしクリエイティブな空間へと蘇らせた。150坪という広大なスペースは、セレクトされた工芸品やアートを扱うギャラリーショップに、オリジナルの作品を手がけるスタジオ「NOTA & design」も併設されている。「NOTA」という名称は、陶器をつくる際に粘土同士を繋ぐ糊状の接着剤のこと。焼き物というジャンルにとらわれず、さまざまな人や物、情報を繋ぐ“ハイブリッドな存在”でありたいという願いが込められている。
飾り気のない引き戸を開けると、天井の荒々しいトラス構造の迫力に圧倒される。そうかと思えば、床は左官の研ぎ出しによる仕上げが見事な繊細さを醸している。中央にはホワイトキューブを据え、企画展やインスタレーションを展開。室内を隔てるギャラリースペースは、午前と午後とで光の入り方が異なる建物の特徴を際立たせる効果も生むという。そんなクリエイティブな空間を営むのは加藤駿介さんと佳世子さん、2人のデザイナーだ。「焼き物というジャンルで、機能や価格だけではないエモーショナルバリューを伝えたい」という思いを携え、オリジナル作品はあえて器以外のものも多く作っている。フラワーベースからプランター、スツールをはじめ、自転車スタンドといった暮らしのツールを手がける。さらに、コペンハーゲンにて「NOTA_SHOP」のポップアップイベントを主催するなど、信楽を拠点に世界と直接にコネクトする活躍ぶり。
ショップで扱う商品は、前述のオリジナルの作品から地元の作家の器、ヴィンテージの洋服やガラスのオブジェまで……様々なマテリアルとジャンルがほどよい距離を保ちながら混在。店内を巡ると、加藤さんのセンスの物差しに叶う多彩な価値基準のなかを探検しているような気分になる。初めて訪れる人にとっては高揚感を誘う非日常の空間であり、地元の人にとっては暮らしの美意識を高めるスポットとして何度でも足を運びたくなる場所なのだろう。また、ギャラリーで扱うアートに関しても独特の基準がある。「既に売れている方の作品は敢えて選びません。企画展で扱うものは、まだ注目されていないけれど、自分の表現と闘いながら、道を切り拓きながら歩んでいる気概のあるアーティストの作品です。モノづくりに対する内包したエネルギーにシンパシーを感じます」と加藤さんは語る。今後の夢は、陶芸に親しみながら宿泊できる場を手がけること。建築から家具や小物に至るまで、心地よい刺激に満ちた旅時間を過ごせる日も、そう遠くはないだろう。
住所:滋賀県甲賀市信楽町勅旨2317
電話:0748-60-4714
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《SEE&BUY》
「galleryサラ」 自然と共生する異空間と戯れる
琵琶湖の西岸、湖を望む高台に瀟洒な邸宅が林立する北比良エリア。もとは別荘地だったことから今なお豊かな自然に囲まれ、「galleryサラ」はまるで森に抱かれるかのように佇む。約30年前に大津で誕生した「更」は、2010年に北比良へ移転し「galleryサラ」として新たな幕を開けた。リスタートに際してこだわったのが住居とギャラリーを兼ねた空間設計だ。インスピレーションソースは、三国志に登場する諸葛孔明の末裔が暮らす浙江省八卦村の白壁住宅。まずは建築家を伴って現地を徹底的にリサーチした。その村は元の時代から建設が始められ、今なお明朝や清朝の古い建物が数多く残されている。建造物は「徽式」というスタイルで「白い壁」と「灰色の瓦」、「小さな窓」が特徴。こうしたエスプリを注ぎ込み、シノワズリ様式のモダン建築を完成させた。ギャラリー空間の最大の魅力は、中庭に苔山を据えた回廊式にある。四季の移ろいが展示する作品のイメージを干渉しないように敢えて樹木を植えず、その一方で無機質な印象を避けるために自然の姿を抽象的に投影した苔山を生命あるオブジェとして演出。四方のどこからも眺められる、その堂々たる美しさはギャラリーのシンボリックな存在である。
「galleryサラ」は、空間美はもとより扱う作品にも厚みがある。陶器をはじめ、漆やガラスといった工芸作品、写真や版画、日本画からコンテンポラリーアートなど。オーナーの塚原令子さんが30年というキャリアの中で信頼関係を培った、引く手数多の若手作家や大御所のアーティストの作品を月に一度の企画展で披露。塚原さんの審美眼を頼りに、関西一円から感度の高い大人が訪れると聞く。2023年9月30日〜10月15日までは、北海道在住のガラス作家・西山 雪さんの個展「園-その-」を開催。宙吹きからカット、絵付けまで全てを手掛ける事で唯一無二の世界観を確立した西山さん。草花や昆虫、光の煌めき、冬景色を描いたリリカルなガラス器が室内を埋め尽くし、中庭の苔山と交差する神秘的な光景が広がることだろう。作品の世界に陶酔しながら、併設された「カナリア茶家」でいただく中国茶も一興である。
住所:滋賀県大津市北比良1043-40
電話:077-532-9020
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《SEE&BUY》
「genzai(ゲンザイ)」 手仕事の“今”と和やかに過ごす
近江商人ゆかりの地として知られ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている五個荘金堂地区。その風情ある街並みの一角を担う築200年の日本家屋を受け継ぎ、ギャラリー「genzai」を営むのは中山通正さんと浩美さん夫妻。彦根市で8年続いた暮らしの道具を扱う「THE GOODLUCK STORE」をいったん閉じ、2022年の春に五個荘へ移転。これまでは“プロダクト”の面白さを切り口としていたが、ここでは独自の作風を貫く“作家”にフィーチャーし、日本の美意識の宿る“現在”の工芸品を紹介。商家の建物が放つ凛とした品格と、人の手で紡ぎ出される温もりのある作品が不思議と調和し、居心地のよい空気を紡いでいる。
「工芸を扱うギャラリーだからといって、敷居を高くせず“開かれた”場所でありたい。この建物は空間そのものも芸術のようなもの。ゆったりと過ごしていただくだけで、何かを感じてもらえると思います」と語るのはオーナーの中山さん。妻の浩美さんが作る、もっちりとした無農薬バナナのケーキを食べながら、室内に目を向けると、先ほどの言葉がしっくりと腑に落ちる。長押から繊細な窓の桟、磨かき抜かれた柱まで……目に映るディテールの全てが奇を衒うことなく、奥床しくも美しい姿を留めている。感慨に耽りながらサイフォンで淹れたての珈琲をいただくと、清らかな風味に感じられる。聞けば名水として名高い東近江の御澤神社まで、水を汲みに行っているという。境内の池の地下から引いている神鏡水は、口当たりの柔らかな格別な軟水だとか。アート三昧の旅の1日を終えると、長い映画を観終わって映画館から出てきた時のような充実感に包まれていた。
住所:滋賀県東近江市五個荘並町732-1
電話:0748-26-5110
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こだわりのカフェ遊び
香り高い珈琲や焼き菓子、地産の食材を腕によりをかけて仕上げたランチなど……深呼吸したくなるようなブレイクタイムは、旅時間を一層豊かなものへと誘う。自分の内側に眠っていた優しい気持ちが目覚めるような、とっておきのカフェを紹介したい
《EAT&BUY》
「TORASARU(トラサル)」 陶都の里山で“MEETS THE チーズケーキ”
とびきり美味しいチーズケーキと珈琲が味わえると聞きつけ、里山の長閑な風景を目の端に映しながら「TORASARU」を尋ねた。黒を基調としたシャープな外観、インダストリアル調のモダンな店内、ハニカムタイルのカウンターがモード感を漂わせ、京都の「葡萄ハウス家具工房」で誂えたヴィンテージ調のテーブルには1脚ずつを選び抜かれた椅子が添えられている。山居のカフェとは思えない空間で、さっそくお目当てのチーズケーキをいただくことに。ショーケースを覗くと、濃厚なチーズの風味を楽しむ「ベイクド」、ヨーグルトを混ぜた爽やかさが魅力の「レア」、表面の香ばしさと内側のしっとり感のコントラストが人気の「バスク」の3タイプごとに数種類のテイストが揃い、色とりどりのチーズケーキが並ぶ。
チーズケーキを担当するのは、店主の副島 龍さん。それまでお菓子作りの経験はなく、試行錯誤で素材や配合を微調整しながら約20年。今では、チーズケーキの美味しい店として知られるほどに。「自分の中に壁を作らずに、気になるものは試してみる。何種類も試すなかで、一つのきっかけが見つかればいい」と語る。信楽の銘茶“おくみどり”を使った「朝宮抹茶レア」は一番茶ならではの風味とクリーミーな口溶けが絶妙。「ゴルゴンゾーラレア」は熟成した青カビの香りにヨーグルトのほどよい酸味が調和して思わずワインが欲しくなる。ホロホロのビスケット地もこだわりの一つ。ほんのり効かせたスパイスや洋酒、ナッツやドライフルーツの歯応え、シナモンや黒砂糖の風味をいかしたものなど……違う性質のものたちを、案配をみながら、分離しないように調和のうちに溶け込ませていく。細心の注意をはらって、少しずつ、少しずつ。それは、人間も社会も一緒だと、旅先から日常に思いを巡らせた。
カフェの隣に併設されたギャラリーには、“美しい表現物”として暮らしを彩る器が並ぶ。カフェでも使用している建造物のようなフォルムをしたカップ&ソーサーは、陶芸家・濱中史朗さんにオーダー。アラビカの「ルスカ」をベースに飲み口や重さにこだわった。人体をモチーフにデザインされ、独創的な持ち手は関節から想起したという。「1㎜でも前に進まないと」と語る副島さんは、ケーキ作りも珈琲も、カフェに溶け込む道具でも、細部への美意識を積み重ねて日々アップデートしている。きっと次に訪れたら、何かが異なるはずだ。そのマイナーチェンジを見つけに、何度でも訪れたくなる。
住所:滋賀県甲賀市信楽町勅旨1970-4
電話:0748-83-1186
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《EAT&BUY》
「やまなみ工房 CAFÉ DE BESSO(カフェ デ ベッソ)」 真っ直ぐなアートが息づく場所
「やまなみ工房」は、甲賀で必ず訪れたかった場所のひとつ。37年続く滋賀のアウトサイダーアートのパイオニア的存在として知られ、敷地内にはギャラリーやアトリエに加え、カフェや菓子工房が点在。「個の存在に光を当てたい」という想いから、クリエイティブ集団「PR-y(プライ)」がプロデュースしたファッションやインスタレーションは世界的にも注目を集めている。また、前回紹介したプロダクト工房「NOTA&design」でも、やまなみ工房の作家とコラボレーションしたカップやプレートを制作。奇を衒わずに生み出されるストレートな表現力は純粋な強い輝きを放っている。
圧倒な表現力に興奮し、未知の要素を受け入れるとエネルギーを消費するのか、ギャラリーを一巡したところでお腹から時分どきの知らせがあり、敷地内の「CAFÉ DE BESSO」へ。足を踏み入れると、利用者の山際正己さんが30年で10万体も生み出したという「正己地蔵」がディスプレイされている。陶土で作られた愛嬌たっぷりのお地蔵様は、海外からも制作オファーがあるほど。そのほか、カウンターの壁面タイルやバリエーションに富んだ絵画など、既成概念にとらわれないアートに目を奪われランチを待つ間もじっと座っていられない。
お待ちかねのカレーは、近江牛の特製キーマとほうれん草の2種類あいがけ。ライスは甲賀産の黒影米と玄米をブレンド、ターメリックを絡めたスパイスオイルに漬けた半熟卵や紫キャベツのマリネも絶妙なアクセントだ。ハンバーガーは近江牛のすき焼きをイメージして割下に絡めた牛バラや玉ねぎ、干瓢を茄子のグリルとともにサンド。一旦、冷凍させることで弾力を増した卵黄が具材をマイルドに調和している。玉ねぎと馬鈴薯のポタージュも優しい味わいである。
菓子工房「IROTUYA(いろつや)」で手土産も購入し、いよいよ工房見学へ。「やまなみ工房」では、現在97人もの作家が所属する。18歳〜80歳という幅広い年齢層が、それぞれに好きな作品を好きなタイミングで手がけている。50代から「やまなみ工房」に通いはじめたという鉛筆画の井上 優さんは、何事にもまじめに取り組む性。身丈を越えるほどの大きな作品も、1日3時間、約3週間の期間をかけ丁寧に塗り込み完成させる。彼に会いに多くの人々が訪れる人生を、きっと彼自身が一番想像すらしなかった事だろう。
墨汁と割り箸1本のみで次々に作品を生み出してゆく岡元俊雄さんは、寝転がり肩肘付いた独特のスタイルで描く。モチーフ全体を見ながら素早く筆を走らせ、飛び散った墨汁の滴や擦れ合わさった線が絵に躍動感をあたえていく。細かい米粒状の陶土を丹念に埋め込んだ作品を手がける鎌江一美さんは、思いを人に伝えるのが苦手。コミュニケーションのツールとして、振り向いて欲しい男性をモデルに立体像を作り続けている。わずか1時間ほどの滞在で、十人十色の作家たちに圧倒される。無心に自分の表現を貫くその光景は、まったく生きる底力に溢れる迫力があり感動的だった(工房見学は要予約)。
住所:滋賀県甲賀市甲南町葛木872
電話:0748-86-0334
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《EAT&BUY》
「pâtisserie MiA (パティスリー・ミア)」 どこまでも優しい、温もりの焼き菓子
小高い丘に建つ、木造平屋の建物。扉を開き、迎えてくれたのはコックコートにトレードマークのベレー帽をかぶった“美味しそうな笑顔”をした川端美愛さんだ。彼女の名前とイタリア語で驚きを表現する“マンマ・ミーア”を掛けて誕生した「mamma-mia project」は、木工作家である夫の川端健夫さんの工房、ミアの手がけるパティスリー、健夫さんの作品をはじめ手仕事を紹介するギャラリーという3つの要素が溶け合う。「ここを文化の発電所」にしたいという思いで、2004年に二人が灯した小さな明かりは、今では近隣の県からも多くの人が集う場所へ。この場所を訪れる人や、ひたむきな手仕事の作家たちに光を注ぐ、まさに“発電所”のような存在として知られる。
春は苺やルバーブ、夏は桃や無花果、秋は和栗や林檎、冬は洋梨やマルメロ……往く季節を刻印するかのような季節のコンフィチュールは、ミアさんの十八番。里山の自然の恵を、皮を剥き、刻み、フランス製の大きな鍋でコトコト煮込む。ペクチンなどの食品添加物をいっさい加えず、煮詰めすぎないがゆえにフレッシュ感が残るため、スコーンやヨーグルトとの相性はもちろん、サラダのドレッシングや肉料理のソースとしても活躍する。甘夏×ローズマリー、苺×桜、洋梨×黒胡椒など、オリジナリティあふれる素材のマリアージュやハーブ&スパイスを絶妙に加えたアレンジも人気の秘密。
焼き菓子に使われる素材は、伊賀の永井口農園で健康に育った卵をはじめ、成田牧場のノンホモ低温殺菌牛乳、国産の圧搾製法によるこめ油に加え、可能な限りオーガニックの地元の新鮮な果物や野菜だ。情熱と愛情をたっぷりに、窓から眺める樹々の緑や空の青さといった自然が織り成す空気も一緒に閉じ込めながら、日々淡々と菓子作りに向かう。
穏やかに時間が流れるような、心地のよい空間。その理由を見つけようとカフェやギャラリーを見渡すと、健夫さんが手がけた家具や器の温かさに満ちていることに気づく。「自分の形」を求めて家具を制作していた時代を経て、現在はテーブルウエアを中心に手がけている。そのきっかけは、2006年のミアさんの出産へと遡る。助産婦さんから子供にシロップを飲ませるスプーンを作ることを提案され、赤ちゃんのニギニギのように手に馴染み、彫刻刀で削り出して口当たりを整えたベビースプーンが完成した。やがて大人用のスプーンも手がけるようになると、そのヒントは自然が教えてくれた。樹々に囲まれた工房兼自宅で、眼にした葉っぱの無駄のない必然の形からインスピレーションを得たという。スプーンに用いる材は、粘りがあり繊細な加工に向いたチェリー材が中心。木目が際立つように手元だけを照らした薄暗い工房で、ひたむきに彫刻刀を握る健夫さんの動きは、その作品のように澱みなく滑らかだった。「とにかく作り続ける」そんな静かな気迫さえ感じられる。
生き方と仕事が密着した健夫さんとミアさんの心の所作に触れたひととき。帰り際、作業の手をとめて見送りに出てくれた二人の姿がミラー越しに見えると、この場所から離れがたいような気持ちが胸に込み上げてきた。
住所:滋賀県甲賀市甲南町野川835
電話:0748-86-1552
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琵琶湖の滋味、美食の宿
国内最大の湖、琵琶湖を有する滋賀県。湖で育まれたご当地フードをはじめ、八幡堀に面した水辺の風情を愉しむ宿まで、水の恵みがもたらすローカルトレジャーを届けたい。
《BUY》
「あゆの店きむら 八幡堀店」 琵琶湖の滋味を旅の土産に
以前、滋賀在住の友人から届いた「干しあゆ」の味わい深さが忘れられず、美味しいものを知り尽くした大人への手土産はコレと決めていた。その生産者は戦前から琵琶湖で鮎の養殖を手がけている木村水産である。12月に鮎の稚魚を捕漁し、ミネラル分の高い鈴鹿山系の伏流水を地下300mから引き上げ、低水温で5〜6ヶ月かけてじっくりと育成する。そうすることで身の締まった鮎が育つとか。別名「香魚」とも呼ばれる鮎は芳醇な風味が魅力だが、干すことで一層香ばしさが増す。上品でまろやかなコクを堪能できる食べ方は、炊き込みご飯。生姜や細かく刻んだ油揚げとともに炊き込むだけで、食卓が“料亭風”に。冬を迎えると、地元では贅沢にも鍋料理の出汁として楽しむという。
独特の食文化が育まれてきた琵琶湖だが、なかでも世界で唯一琵琶湖でしか捕れない湖魚が「小鮎」である。その名の通り成魚でも10㎝ほどという小ぶりの鮎である。木村水産では、小あゆ煮とオイル漬けだけは天然の小鮎を用いているそうだ。佃煮は大量生産せずに、小さな釜でひとつひとつ直火で炊き上げる。ふっくらと柔らかく、まろやかな味わいはご飯の友に好適だ。オイル漬けはワタのほろ苦さもくせになり、アンチョビの代わりとしてパスタで食しても美味。最初の一口は、目を閉じて琵琶湖の静かな凪を思い浮かべながら……その恵みを、舌と心で味わいたい。
住所:滋賀県近江八幡市大杉町12
電話:0748-32-1775
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《STAY》
「旅籠 八(わかつ)」 “豊かさ”の源流を体感する料理宿
豊臣秀次が築城した八幡山城。その周囲に巡らせたお堀と琵琶湖を繋ぐことで多彩な“物と人と文化”をのせた舟が行き交い、城下町として繁栄を極めた近江八幡。近江商人発祥の地としても、歴史の賑わいを見つめてきた。1829年に畳屋として財をなした旧喜多邸も、この地の栄華を語る建物のひとつ。そんな古き良き佇まいを随所に残しながら、今様の美意識を注ぎ込み“本物の自然”と繋がる2室限りの宿「旅籠 八(わかつ)」が2020年に誕生した。街道沿いにもかつての玄関が設えられてはいるが、「宿泊客があたかも舟で訪れたかのように」という心にくい演出から、八幡堀の小径に沿った入り口を正面玄関としている。お堀端から眺めると木造二階建ての建物が荘厳に感じられ、心地よい緊張感を感じながら石段をのぼると、仄暗い潜戸で狛犬に迎えられ、異次元を訪れる感覚に包まれる。
宿の部屋は「木」と「石」というテーマを冠し、2室が完全に独立した建物に位置する。2階家の離れ「木の間」は、京都の数寄屋大工の手で改修。階段下のガラス張りのショーケースには、この建物が畳屋だった歴史を物語る井草と日本人の食の源流である米が据えられ、心に優しい光が灯る。入り口から続きの間となる部屋は、あえて床を掘り下げて八幡堀の水音を間近に感じられる設計に。部屋名を象徴する木の風呂は、醤油樽を手がける職人による別注。清雅な高野槙の香りに包まれる桶風呂に身を沈めると、穏やかな安らぎに満たされる。「木の間」の興味深いところは、朝食の間となる2階へ続く階段に鍵がかけられ、翌朝まで上がることができないことだ。自由を奪われると余計に気になってしまうカリギュラ効果のせいか、朝食を迎える喜びはひとしおだ。
一方、特別室「石の間」は、建物が生まれた江戸期の梁や瓦がアクセントとなり、モダンな気配を放つ空間へと昇華されている。この部屋の魅力は、なんと言っても鞍馬石の岩風呂だ。希少な鞍馬石の巨石を京都から運び、石そのものを彫り込んだ比類なき湯船を土間に据えた。地球の鼓動を感じながら湯に浸かると、人と自然とが共生していた太古の豊かさへと意識が向かうようだ。翌朝はあえて窓のない隠れ茶室「紙の間」で朝食をいただく。感性がクリアに研ぎ澄まされたことで、外の世界と遮断された茶室の空間で一煎のお茶と梅干しから始まる朝食を味わうと、飾り気のない自分の原点と向き合うような感覚に包まれる。
夕食は、敷地内の蔵を改修した日本料理「溜ル」へ。席に座ると、まず伊吹山を源とするミネラル質の高い水が振る舞われる。湯上がりの喉の渇きを潤すというだけなく、心にまで浸み入るよう。「日頃、私たち人間は感覚の8割を目からの情報に頼って生きていると言われています。ここでは、まず本当に美味しい水と米を、体が迎え入れる感覚を体験していただきたい」とオーナーの吉田尚之さんは語る。素材の吟味を重ね旬を重んじた懐石仕立てのコースは、箸が進むにつれて “ただ美味しい”という体感に、心も頭もからっぽになる瞬間が訪れる。至福の夕餉の翌朝は、前述した朝食で感動体験のピークを迎える。美食の宿を後にしながら、本当の幸せを問いかけられているように感じた。
住所:滋賀県近江八幡市玉屋町6
電話:0748-36-2745
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