TEXT & PHOTOGRAPHS BY TAKAKO KABASAWA
東北新幹線の郡山駅からローカル鉄道に揺られること約20分。“二本松”という地名には馴染みがない人も、高村光太郎の詩集『智恵子抄』に収められた詩『樹下の二人』の冒頭で詠まれている「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」というフレーズに聞き覚えがあるのでは。ここは、光太郎の妻である高村智恵子の生まれた郷。駅を降り立ち、まずは名画を鑑賞。ローカルフードに出合える道の駅や老舗の和菓子店でお腹を満たし、夕刻前には“かの山”を望む絶景スポットを訪ねた。
《SEE》「大山忠作美術館」
日本画の重鎮が描く“おいしい名画”
二本松の情報を集めようと駅前の市民交流センターを訪ねると、なんとも瑞々しい桃のポスターが目に入る。『忠作の春と夏とおいしいものと』というタイトルに惹かれ、暑さの折に目を潤したいとばかりに会場へ足を運ぶと、3階の一角が「大山忠作美術館」となっていた。大山忠作といえば、旧歌舞伎座の緞帳「朝陽の富士」の原画を描いたことでも知られる、現代日本画の重鎮。二本松市の出身で、2006年には文化勲章を受賞するなど日本美術界に多大な功績を残した人物である。美術館は画伯によって寄贈された169点に及ぶ作品を中心に収蔵。日展作品を中心に素描や個展作品など、年に2回の展示替えごとに厳選された30数点を鑑賞できるという。
「描きたいと思ったものはなんでも描く、風景であれ、人物であれ」……画業に対する想いを手繰り寄せた言葉のとおり、大山忠作が描くモチーフは人物画や花鳥画・風景画に至るまで幅広い。メインの展示室は、200号の大作も飾れるように、画伯の希望で天井高5mという抜け感のある設計が施され、今回の展示でも高さ2m以上の堂々たる作品の数々が壁を彩っていた。圧倒的な迫力がありながらも、幽玄な「静」の世界を表現するのも大山作品の特徴。後に妻となる女学生を描いた『女と山羊』(1942年、120号)、深遠な祈りの世界を感じさせる『荷花』(1991年、150号)など、静謐な緊張感の中にも、いつまでも佇み向き合いたくなるような画伯の優しい眼差しを感じる。
出口へと続く小さな展示室へ進むと、お目当ての“おいしい名画”の数々が。蕨やタケノコなど春の便りに始まり、桃や葡萄、鮎や茄子など食材の季節は夏へと移り変わる。なかには、『カレイとレモン』(10号)などユニークな取り合わせも。食材の静物画にありがちな、テーブルや皿や籠などの背景が描かれていないことで、そこに命が宿っていた存在感が一層感じられるそうだ。画伯の長女で女優の一色采子さんの解説によると、大山家では「珍しいものや季節の到来ものがあると、食べる前にまずはスケッチ」という一コマが繰り広げられていたとか。日本画の世界を優雅に逍遥していたら、お腹からグゥと知らせがあった。眼福で美食を堪能したあとは、リアルにお腹を満たすとしよう。
住所:福島県二本松市本町2-3-1 二本松市市民交流センター3階
電話:0243-24-1217
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《EAT&BUY》「道の駅「安達」智恵子の里(下りステーション)」
夏の食欲をそそるローカルフード
道の駅は、なんといっても地産の食材や郷土料理、手土産が一堂に凝縮している場所である。ここ二本松では珍しく、国道を挟み「上りステーション」と「下りステーション」が存在する。今回は10年前に新設された「下りステーション」を訪れた。というのも、「下り」には焼き上がりを目指して地元の方もわざわざ足を運ぶというベーカリーが看板を掲げ、“幻のクリームパン”があるという。50種類近くの豊富なバリエーションが並び、季節限定の「レモンカレーパン」にも心惹かれながらも、本命のクリームパンを手にする。ハンバーガーのバンズのような形状のパンにぎっしりと詰まっているのは、ホイップ状に仕立てられた軽やかな口溶けのクリーム。これを、福島県のソウルドリンクと言われている酪王のカフェオレとともに、ペロリと食べ尽くす。
甘いものの後は、口が塩気を求める。食堂のメニューで目に留まったのが、コロッケの具材としては珍しい、胡瓜の佃煮が入った「コロッキュー」とレモン入りの「れもんコロッケ」だ。聞くと、二本松市は胡瓜の産地とのこと。形が悪く出荷できない胡瓜のフードロスを避けるため、発案されたのがコロッケに入れるアイディア。そのままでは水分が多いため、佃煮にしてからジャガイモと混ぜるという手の込みよう。佃煮にしている時点でしっかりと下味がついているため、ソースをつけず、そのまま食べても美味しい。一方、レモンを入れる発想は、高村光太郎『智恵子抄』に収められた詩「レモン哀歌」に因んだそう。甘く煮詰めたレモンの皮の爽やかさのせいか、コロッケの油が軽やかに感じられるから不思議。
お腹を満たしたところで、手土産を探しに物産コーナーへ。可愛らしいネーミングに惹かれた「ざくざく」シリーズは、地元の郷土料理。根菜や蒟蒻などたくさんの具材をさいの目に切って醤油ベースで仕立てる伝統的な汁物だとか。お土産用では、炊き込みご飯の素やレトルトカレーにアレンジされたものも楽しめる。また、先ほどのコロッケ同様、高村智恵子が好きだったレモンに因んだ商品も豊富。レモン餡のどら焼きからゼリー、サブレ、冷やし中華やドレッシング、まぜご飯の素までバリエーションは多種多様。
さらに、地元の高校生がミツバチに二本松産のりんごの果汁を与え、糖を転化させて作った“第3のみつ”と呼ばれる興味深い商品も発見。最後に立ち寄ったのは、市内に4軒もあるという日本酒の蔵元の銘酒コーナーだ。安達太良山の伏流水で酒を仕込む1716年創業の「奥の松酒造」をはじめ、伝統の生酛造りを継承する「大七酒造」、地元で愛される銘柄“千功成”を仕込む「檜物屋酒造店」、吟醸酒にこだわる「人気酒造」など。それぞれの蔵元の個性あふれる代名詞を、じっくり吟味して選びたい。
住所:福島県二本松市米沢字下川原田105-2
電話:0243-24-9200
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《BUY》「玉嶋屋」
薪の竈で煉り上げる“極み”羊羹
道の駅で「今も薪の火力だけで餡を煉り上げる羊羹がある」と聞き、興味津々で訪れたのが江戸時代より200年以上の歴史を誇る「玉嶋屋」である。東北各地の大名からも所望され、二本松藩の丹羽公が徳川将軍家へも献上していたというのが、件の本煉羊羹だ。楢材の薪を燃料にした石造の竈に大鍋をかけ、寒天を溶かして砂糖を混ぜ、沸騰溶解の後に溶液を一旦ふるいに通してから小豆を入れて煉り上げる。配合や製法はもちろん、1本1本を竹の皮で直に包むスタイルまで。手作業だけで仕上げる、一連の工程は江戸時代から変わらないという。
ガスが一般化した今も、薪の燃料にこだわる理由を8代目の当主・和田雅孝さんに伺うと「煉りの工程はできるだけ短く、木ベラを入れる回数が少ないほど、小豆の風味が損なわれない。そのためには、薪の火力が必要」だという。玉嶋屋では独自に誂えた樫材の大きなヘラを使い、わずか15分ほどで煉りの作業を終える。数字にすると短いようだが、薪を継ぎ足しながら火力を保ち、次第に重くなる木ベラに体重をかけながら行う作業は、熟練した職人の経験と体力がなせる技だ。
火から下ろした後は大団扇で粗熱をとり、船と呼ばれる羊羹の型に流し込み、一晩かけて寝かせる。ゆっくりと冷まし、自然に餡が固まる過程で表面が糖化。半透明の薄衣を纏うことでサックリとした食感がもたらされる。これには徳川の殿も舌鼓を打ったという。漆黒に艶めく内側は、あっさりと上品な甘さ。殿様ほど諸侯の羊羹を食べ比べたわけではないが、サクサクと軽やかな味わいは、これまでに経験のない美味しさだった。変わらぬ伝統製法を頑なに守り続けている玉嶋屋だが、新たな挑戦も忘れてはいない。9代目の発案で、ラム酒に漬け込んだドライいちじく入りの羊羹を数ミリに流し、胡桃や無花果、オレンジピール、アーモンドをトッピングした「宝潤羹」を商品化。まさに、伝統の技が今様の趣向へとブラッシュアップ。「ワインと相性が抜群です」という言葉を半信半疑に自宅で試したら、言わずもがな。赤ワインはもちろん、白ワインとも絶妙な和洋折衷のマリアージュを奏でてくれた。
住所:福島県二本松市本町1-88
電話:0243-23-2121
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《SEE》「二本松城跡」
万葉集にも詠われた優美な稜線を一望
夕暮れ前、どうしても訪れたかったのが二本松城跡。その天守台から眺める安達太良山が絶景だと聞いたからだ。二本松城は、室町時代の中期に奥州管領を命じられた畠山満泰が築城。幾度かに渡る城主の変遷を経て、寛永20年(1643)に二本松藩が誕生し、初代藩主・丹羽光重から戊辰戦争で落城するまで、栄華を誇った。現在残るのは、江戸時代の特徴的な石積み様式から在りし日の風格が感じられる城跡。
と、歴史の勉強もほどほどに、めざすは天守台。麓からは徒歩約15分程度というが、日の入り時間が気になるため車で移動する。「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」という、『智恵子抄』の有名な一節を言ってみたいがために向かった天守台だが、実際に、智恵子が安達太良山を望んだのは、鞍石山の山頂だとか。その事実はさておき、遠く望んだ安達太良山連邦の稜線はおおらかで、しなやかな流線が美しかった。沈む太陽を心に刻み、安達太良山から源泉を引いているという宿へと向かった。
住所:福島県二本松市郭内3-232-23
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安達太良山の夕景を堪能した後は、心と肌を潤すべく開湯1200年という歴史を持つ岳温泉へ。昨年、大幅なリニューアルを迎えた老舗の宿を訪れた翌日には、源泉を守る「湯守(ゆもり)」に話を伺う好機を得た。旅の終わりを締めくくるのは、紅殻格子が街のシンボルにもなっている江戸期から続く味噌・醤油の醸造店。ユニークで美味なる食し方とともに紹介したい。
《STAY》「お宿 花かんざし」
ささやかな贅沢を知る“湯食同源”の宿
旅をして日常をリセットする。それは、溢れる情報に自分自身を侵食されず、本質への向き合い方の感覚を取り戻したいからではないか。ローカルトレジャーの連載を通して様々な地方を訪れるようになり、そんな風に自分の中の旅の尺度が少しずつ変化してきた。今宵の宿も、華美な演出や必要以上の上質さにはしらない“本当の豊かさ”が感じられた。130年以上続く小さな老舗旅館「お宿 花かんざし」が、現代の価値観に寄り添う空間へとリニューアルを遂げたのは2022年のこと。その仕掛け人は、若干26歳でこの宿を受け継ぎ、20年近く暖簾を守り続けてきた女将の二瓶明子さんだ。
二瓶さんが宿を任された頃、「お宿 花かんざし」は大正ロマン溢れる古風な佇まいを前面に打ち出していた。度重なる災害による建物の修復を機に、思い切ったイメージチェンジに舵を切ったという。「どうせ変えるなら古き良き趣に回帰せず、“不易流行”の精神で勇気を持って新たな方向へ一歩踏み出そうと考えました」と二瓶さん。イメージを刷新したのは、最初に客人を迎え入れるエントランス部分。山岳カメラマンで登山ツアーの企画やガイドを務めるご主人のエッセンスを反映し、純和風の玄関を「丘の暮らしと山の旅」というCAFE & STOREのスペースへと改装。居心地の良いモダンな感性を注ぎ込み、宿泊客に限らず、登山客や観光客が気軽に過ごせるオープンな空間へと生まれ変わった。
その一方、靴を脱いで小上がりから中へと進むとタイムスリップしたような昔ながらの佇まいが残る。連子窓が連なる畳敷きの廊下や少し低めに構えた鴨居、階段の上り下りに連動して木がきしむ音にさえ風情が感じられる。客室は専用露天風呂を備えた特別客室3部屋をはじめ、それぞれに趣向が異なる全8部屋。建具師の美意識が冴える組子障子や銘木を用いた床柱など、長い時間をかけて培われた職人技は留めつつ、要所ごとに滞在の快適性を追求したデザインが施されている。
夕食前、まずは美肌の湯として名高い湯殿へ。岳温泉の湯は、毎分1290ℓもの湧出量を誇る湯元から、900mの標高差を利用し管を通して引き湯されている。8kmもの距離を40分かけて山肌を流れ降りる間に自然と湯揉みされ、肌にやさしい柔らかな湯が配湯されるという。「お宿 花かんざし」は、その源泉をかけ流しているため、湯船の底には乳白色の湯の花が咲き誇る。一見すると透明な湯ながら、身を沈めると地球の恵みともいえる微粒子が幻想的に舞う。その結晶を肌に滑らせると、湯上がり時にはクレイパック後のような潤いを感じる。
いつもと違う肌の感触に気を良くし、待ちかねた夕食の席へ。宿のリニューアルでは建物に限らず、料理のメニューも一新。大地の旨味を凝縮した野菜や「常磐もの」と呼ばれる魚、土地の和牛を10皿からなる会席仕立てで演出。洗練された和洋折衷の一品は、地酒はもちろん、ワインともよく合う。創作を凝らした夕飯に対して、朝飯は郷土の伝統の味を凝縮。霊峰の湯に浸かり、滋味豊かな会席に舌鼓をうつ……ここには“湯食同源”の至福の時間が流れている。
住所:福島県二本松市岳温泉1-104
電話:0243-24-2110
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《PERSON》「岳温泉 湯守(ゆもり)」
地球から贈られた源泉の“守人”たち
“湯守”という職業を初めて耳にした。興味津々で前出の滞在先「お宿 花かんざし」の二瓶さんに伺うと、「湯守の方なしでは、お風呂に湯を満たすことができないほど大切な存在」だという。幸運にも翌日、湯守の隊長を紹介していただく好機を得た。武田喜代治さんは、地元の消防団を経て50歳を機に“湯守”へと転身、御年72歳を迎える。20年以上にわたり源泉のある鉄山(てつざん)に上り続け、誰よりも岳温泉の源泉を熟知した存在だという。
岳温泉の出湯としての歴史は古く、開湯は平安期。坂上田村麻呂の奥州遠征時にまで遡るといわれている。200年ほど前には源泉に近い地域に温泉街を構えていたというが、安達太良山の噴火や災害を経て、110余年前に現在の場所に宿が移る。現在、岳温泉の源泉は鉄山の中腹で標高1500m付近にあり、一箇所では湯量をまかなえないため、なんと15箇所もの源泉を使用。まずは各所から引いた湯を一箇所に集め、そこから8kmの道のりを経て湯宿街の引き湯小屋まで届け、それぞれの宿へと分湯(ぶんとう)される。
湯守の仕事は朝7時から始まる。源泉がある地点の8分目までは車で移動し、20分かけて登山。それが悪天候をのぞき、毎日だとか。この地の泉質は酸性泉。山肌を伝う湯樋(ゆどい)の内側に湯花がたまるため、日々の手入れを怠るとすぐに管が詰まってしまう。湯守の仕事は、この管の整備にはじまり、季節に応じてお湯の温度管理から、登山道の整備、冬には雪で埋もれた源泉を掘り起こすことも作業のひとつとなる。かつては、赤松の材から作った手製の湯樋を使用しており、仕事の幅はさらに広かった。2021年の震災では大きな被害もあり、「山は目に見えないところで崩れていく」と、武田さんは語る。
日々潤沢に届けられる地球の恵みだが、湯守たちが湯樋に付着した湯花を流し落とす「湯花流し」を行う日には、スペシャルな湯が届けられるという。普段は透明のお湯が湯花で白濁し、神秘的な色になるそうだ。夏期は週に1回、冬期は2週間に1回の頻度で行われ、温泉街の宿ではその日を「ミルキーデイ」と呼んでいる。最後に、武田さんに湯守の仕事の喜びを尋ねると。「喜びも何も……ただ温泉の湯をつつがなく届けるだけ」と一言。その短い言葉は、湯守という仕事を貫く矜持とともに、表舞台で発言することの少ない武田さんの控えめな人柄を感じさせた。
《BUY》「国田屋醸造」
料理上手になれる魔法の調味料を求めて
ローカルトレジャーの旅は、ご当地料理やそれを支える調味料との巡り会いが醍醐味。福島県は昔ながらの伝統製法に基づいた味噌や醤油・日本酒などの醸造業が盛んで、県内の各地域でそれぞれの発酵文化を形成。県をあげて“発酵ツーリム”に力を入れているという。そこで旅の終わりに向かったのが、二本松で安永5年(1777)から手作り味噌や醤油を生業とする「国田屋醸造」だ。安達太良山の伏流水を恵みに、伝統的な糀作りにはじまり、素朴ながら丁寧な発酵調味料を手がける名店と聞く。自慢の味噌はコクとまろやかさがあり、醤油も地域から愛されている。なかでも、「一度使ったらリピートせずにはいられない」というのが出汁つゆ「松風庵」だ。麺つゆとしてはもちろん、冷奴から煮物、鍋料理、ドレッシングなど様々な料理で活躍。
「こちらも、意外なアレンジが楽しめます」と、10代目を継ぐ大松佳子さんがレコメンドしてくれたのが「里の味 柚子みそ」である。なんでも、柚子の生産地の北限が福島県ということで、柚子&味噌のコラボレーションを発案したとか。大松さんは地元でも料理上手として知られ、今春まで店舗に隣接した敷地で醸造レストラン&カフェ「千の花」も展開していたほど。現在はリニューアルの準備中とのことだが、自慢のレシピをあれこれ教えてくださった。蒟蒻や湯豆腐、焼きおにぎりのアクセントになることは、私でも想像できるが……。「食パンにバターと柚子みそを塗って目玉焼きをのせ、オープンサンドにすると美味しいですよ。あとね、意外にもバニラアイスとも相性抜群なの」と微笑む。美味しいものを熟知した人の笑顔は、古今東西、人種を問わず優しさに溢れている。発送用のダンボールに、あれこれ詰めて早速に自宅で旅の余韻を味わった。初めて体験する“柚子みそバニラ”の甘じょっぱさが、二本松で出会った奥床しく真摯な人々の温かさを運んでくれた。
住所:福島県二本松市竹田2-30
電話:0243-22-0108
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