豊かな風土に彩られた日本には、独自の「地方カルチャー」が存在する。手しごと発掘に情熱を注ぐクリエイティブディレクター樺澤貴子が、その場所を訪れなければ出逢えない「トレジャー」を探す旅をナビゲート。今回は大分県。幕末まで小藩分立制度により8藩7領に分かれていた大分には、エリアごとに異なる郷土の魅力が溢れていた

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

別府市

鶴見岳を背に別府湾へと広がる扇状地に、湯宿がひしめく「別府」。明治期より湯治場として発展し、大正から昭和初期にかけては多くの文化人によって別荘文化が築かれた。そんな古き良き別府の風情を礎に、現代のスタイルに彩られたスポットを訪れたい

《STAY》
「サリーガーデンの宿 湯治柳屋」伝統の佇まいにアートが薫る、暮らすように過ごす宿

画像: 暖簾は造形作家・望月通陽氏によるデザイン。野趣溢れるおおらかな書体が風格を添えて

暖簾は造形作家・望月通陽氏によるデザイン。野趣溢れるおおらかな書体が風格を添えて

 明治期から続いた湯治宿は、2014年に「サリーガーデンの宿 湯治柳屋」として生まれ変わった。歴史ある宿の趣はそのままに、上げ膳据え膳の温泉旅館とは一線を画す宿を営むのは、大分市で人気の高いシフォンケーキ専門店「サリーガーデン」のオーナー・橋本栄子さんだ。前身は高校の音楽教師だったという異色の経歴を持つ、温泉業とは無縁だった女性がプロデュースしたからこそ、型にはまらない自由度の高い「新しいおもてなしの形」が息づく。

画像: 湯治宿のプロデュースを手がけた橋本栄子さん。その土地で輝きを放つ、様々な人生模様を聞けることも旅の醍醐味

湯治宿のプロデュースを手がけた橋本栄子さん。その土地で輝きを放つ、様々な人生模様を聞けることも旅の醍醐味

 一風変わった「柳屋」スタイルの一例が、昔ながらの湯治文化を背景に、自分のペースで暮らすように食事を自炊できる素泊まりプランにある。鉄輪地区の泉質は別府の中でもミネラル濃度が高いため、昆布出汁のような風味が特徴。中庭に設えられた地獄釜で、笊に食材を並べて天然のスチームで蒸すだけで、野菜はもちろん肉や魚まで素材の旨味が驚くほど増す。自炊ではなく、地元の幸をプロの腕に委ねて味わいたいという方には、敷地内に併設されたイタリアンレストラン「オット・エ・セッテ オオイタ」で地獄蒸しフルコースを堪能する食事付きの宿泊プランも組み立てられる。

画像: 中庭に設えた石造りの地獄釜は、バルブを開くだけで約100℃の高温スチームが噴き出す。地元の食材店で買ったものを持ち込むこともできるが、「蒸しものセット」(¥1,980〜)も予約可能

中庭に設えた石造りの地獄釜は、バルブを開くだけで約100℃の高温スチームが噴き出す。地元の食材店で買ったものを持ち込むこともできるが、「蒸しものセット」(¥1,980〜)も予約可能

画像: 談話室の窓辺には、視線を遮る空間も。読書に耽ったり、大切な人に旅の便りを認めたり。お気に入りの居場所を見つけて過ごしたい

談話室の窓辺には、視線を遮る空間も。読書に耽ったり、大切な人に旅の便りを認めたり。お気に入りの居場所を見つけて過ごしたい

 また、滞在の日数や目的に合わせて客室を選べることも、増設とリノベーションを重ねてきた柳屋の特筆すべき魅力。明治期の木造建築の面影が宿る本館、民芸の味わいがモダンに昇華された新館、家族と訪れたい別荘のような離れから、書斎やミニキッチン、ワーケーション用のスペースを備えた別棟まで。その多彩な表情と居心地を求めて、リピーターが絶えない。さらに、館内を巡ると数々のアートに出合えることも、この宿の眼福の一つだ。玄関の暖簾も手がけた望月通陽氏の型染めやタイル絵を主役に、さりげない生け込みの花器やアンティークの調度品まで。橋本さんが丁寧に選び抜いた造形美と用の美が穏やかに溶け合う空間は、日常を離れた旅時間を清々しいほど心地良く満たす。

画像: 新館2階の「あさがお」(1室¥15,400、入湯税¥250)。窓辺に敷いたギャベも空間に合わせてコーディネート

新館2階の「あさがお」(1室¥15,400、入湯税¥250)。窓辺に敷いたギャベも空間に合わせてコーディネート

画像: 1階の朝食スペースには切り花と一輪挿しが置かれ、自分の好みで部屋に飾ることができる

1階の朝食スペースには切り花と一輪挿しが置かれ、自分の好みで部屋に飾ることができる

画像: 敷地内のシンボルツリーでもある柳をさりげなく活けて

敷地内のシンボルツリーでもある柳をさりげなく活けて

画像: 高台にある「みはらし坂」から、幻想的なグラデーションに染まる夜明けの眺望

高台にある「みはらし坂」から、幻想的なグラデーションに染まる夜明けの眺望

住所:大分県別府市鉄輪井田2組
電話: 0977-66-4414
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《SEE & EAT》
「冨士屋 一也百 Hall & Gallery」スローな時間に心を解き放つ館で、暮らしの美に出合う

画像: 1階はアンティークの家具を設えたカフェスペース。建物を支える通し柱や梁は100年を超える創業当時のまま

1階はアンティークの家具を設えたカフェスペース。建物を支える通し柱や梁は100年を超える創業当時のまま

 鶴見岳の火砕岩を切り出した別府石が深い艶めきを放つ石畳に添って、ひときわの風趣漂うギャラリーがある。日常と時空を隔てるような数奇屋門を潜ると、ゆったりとした切妻造りの玄関に迎えられる。ここは明治32年の創業から平成8年まで、湯治に訪れる人々をもてなしていた「冨士屋旅館」を前身とする。4代目を受け継ぐ安波治子さんが100年先まで残したいという思いを「一也百(はなやもも)」という言葉に込め、現在は音楽ホールを備えたギャラリーとして旅人を迎えている。

画像: 土の上に瓦を葺き漆喰でとめた、明治期からの瓦屋根がおおらかな甍の波を描く

土の上に瓦を葺き漆喰でとめた、明治期からの瓦屋根がおおらかな甍の波を描く

 本館の広々とした玄関を上がると1階は穏やかな時間が流れるカフェスペースに。2階は旅館造りの面影を宿す縁側を設えたかつての客室や音楽堂が見学できる。欄間の透し彫りから、書院棚や襖の引き手に施された細工や屋久杉の天井まで、暮らしの中で培われた美を随所に感じる。けして贅を凝らしているわけではないが、腕を競い合った大工の気概に触れるだけで、豊かな気持ちが満ちてゆく。さらに、離れではオーナーの安波さんがセレクトした九州の陶芸家の器をはじめ、手仕事の工芸作品の数々を求めることができる。気取りのない「用の美」は、旅から戻り日常に優しく溶け込みながらも、ふとした瞬間に別府で過ごした心静かなひと時に引き戻してくれるはずだ。

画像: 素朴な型絵のような縁側の細工。音楽ホールの引き戸は大正モダンをイメージしてデザイン

素朴な型絵のような縁側の細工。音楽ホールの引き戸は大正モダンをイメージしてデザイン

画像: 梅の郷として知られる日田市大野町の木成りの完熟梅を、温泉の天然蒸気で低温スチームし、実を丸ごと裏漉しにした自家製の「完熟梅シロップ」¥1,620

梅の郷として知られる日田市大野町の木成りの完熟梅を、温泉の天然蒸気で低温スチームし、実を丸ごと裏漉しにした自家製の「完熟梅シロップ」¥1,620 

画像: 土の温もりと幾何学的な意匠が調和した唐津焼の作家・中里太亀さんの「蕎麦猪口」各¥3,850

土の温もりと幾何学的な意匠が調和した唐津焼の作家・中里太亀さんの「蕎麦猪口」各¥3,850

画像: ミネラルをたっぷり含んだ鉄輪の蒸気で、6時間かけて蒸した大豆で仕込んだ味噌。出汁いらずの旨味を約束する。「地獄蒸し大豆みそ」(1kg)¥1,188

ミネラルをたっぷり含んだ鉄輪の蒸気で、6時間かけて蒸した大豆で仕込んだ味噌。出汁いらずの旨味を約束する。「地獄蒸し大豆みそ」(1kg)¥1,188

住所:大分県別府市鉄輪上1組
電話:0977-66-3251
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《EAT》
「Otto e Sette Oita(オット エ セッテ オオイタ)」 小粋な仕掛けと大分のテロワールを味わい尽くす

画像: 初めてこの店を訪れてディナーコースを食べた人なら、誰もが歓喜する前菜。引き出しには極上の遊び心が隠されている

初めてこの店を訪れてディナーコースを食べた人なら、誰もが歓喜する前菜。引き出しには極上の遊び心が隠されている

「新しい料理の発見は、新しい星の発見よりも人類を幸福にする」とは、18世紀フランスで美食家として知られたサヴァランの名言。小さな目印を頼りに「湯治柳屋」の敷地の奥へ進むと、明治期の旅館の大広間を改装した「Otto e Sette Oita」へと辿り着く。短いアプローチながら容易く見つけられない演出からして、美食への冒険心がくすぐられる。イタリア語で「8」と「7」を意味する店名は、小藩分立制度により8藩7領に分けられていた大分県の歴史に由来。まずは、温泉キュイジーヌを掲げた気鋭のイタリアンレストランの扉を開いた。

画像: 「湯治柳屋」の脇の細い通路に、目を凝らすと小さな看板が

「湯治柳屋」の脇の細い通路に、目を凝らすと小さな看板が

 この店で“星の発見”に匹敵するのが、ディナーコースの前菜である。料理を盛り付けるのは、特注の木製ボックス。「湯煙を表現したかった」というオーナーシェフの梯(かけはし) 哲哉さんが一年をかけて試作を繰り返して完成したものだ。天板に直列した惑星のような品は、色彩もデザインもドレスアップした大分名産の椎茸ペーストのマカロンやブリのタルタルなど。お待ちかねの引き出しを開けると、スモークが立ち込め燻された魚介類が現れ、コース料理のプロローグから趣向を凝らした舞台装置に驚かされる。

画像: ボックスの仕掛けもさることながら、料理にも意表をつく味の仕掛けを

ボックスの仕掛けもさることながら、料理にも意表をつく味の仕掛けを

画像: コース料理には大分県の「安心院葡萄酒工房」のワインがよく合う

コース料理には大分県の「安心院葡萄酒工房」のワインがよく合う

 この日のメインは、牛肉の赤ワイン蒸し。別府の山奥で牛舎を使わない放牧を追求する「宝牧舎」の黒毛和牛を、二度に分けて地獄蒸しでじっくりと甘みを引き出した。添えられたフレッシュなグリーンは、香り豊かで辛味が少ない水耕栽培のクレソン。里芋のマッシュやロマネスコのペースト、椎茸のローストなど……名脇役の野菜の多くは、最高齢90歳という野菜作りのプロ集団のファームから届けられる。大分のテロワールを礎とした一皿一皿は、生産者と積み重ねた時間が何よりの隠し味となっていた。

画像: お皿のまわりには、味噌と黒オリーブで「土」をイメージした滋味溢れるアクセントを添えて。全6品のディナーコースは¥8,000(税別)

お皿のまわりには、味噌と黒オリーブで「土」をイメージした滋味溢れるアクセントを添えて。全6品のディナーコースは¥8,000(税別)

画像: ワインを選ぶ表情は真剣だが、実はチャーミングな笑顔が代名詞というオーナーシェフの梯 哲哉さん

ワインを選ぶ表情は真剣だが、実はチャーミングな笑顔が代名詞というオーナーシェフの梯 哲哉さん

住所:大分県別府市鉄輪井田2組
電話:0977-66-4411
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《BUY & EAT》
「カフェ&ギャラリー アルテノイエ」 湯けむり散歩で出会う“ご機嫌”なシフォンケーキ

画像: 無料で供される地獄蒸しの「ムシフォン」を味わいながら、鉄輪の街をそぞろ歩き

無料で供される地獄蒸しの「ムシフォン」を味わいながら、鉄輪の街をそぞろ歩き

 しっとりとした優しい弾力を手でちぎり、一口含めば“ご機嫌”という言葉が腑に落ちるだろう。得てして捉えどころのないシフォンケーキの印象が一変、素材の存在がぼやけず、かといって主張しすぎず「幾つでも食べらそう」と豪語したくなるほど。ここは、前編で紹介した湯宿「柳屋」のオーナー・橋本栄子さんが営むシフォンケーキ専門店「サリーガーデン」のケーキが味わえるカフェである。

画像: 威風堂々とした暖簾を掲げた「湯治柳屋」とは対照的に、外観はシャビーな建物をそのままに残して

威風堂々とした暖簾を掲げた「湯治柳屋」とは対照的に、外観はシャビーな建物をそのままに残して

 シフォンケーキの種類は、季節限定も含めて約10種類。放し飼いで腕白に育った大分県産の卵の風味を味わうなら、まずはプレーンから。繊細できめ細やかな生地が卵の余韻を残しながら、口の中で溶けてゆく。そのほか、ビターで媚びない甘さのココアから、コク深い完熟バナナ、清雅なアールグレーまで……思わず欲張って買い求めてしまう。

画像: 価格は¥350〜。大分県の無農薬柚子のピール入りや、国産無農薬レモンが香るレモンシフォンケーキなど、季節限定の味わいも人気

価格は¥350〜。大分県の無農薬柚子のピール入りや、国産無農薬レモンが香るレモンシフォンケーキなど、季節限定の味わいも人気

 店内にはカフェスペースもあるが、天気が良ければテイクアウトがおすすめ。「湯治柳屋」と隣り合う広場で、新緑に彩られた柳を愛でながら口福に満たされたい。アイルランド民謡「salley garden」で歌われている「恋はあせらず、柳の木が茂るように…」という一節が、シフォンケーキにひと匙の甘さを添えることだろう。

画像: ノスタルジックな家具を設えたカフェスペース。橋本さんが選んだ器や造形作家・望月通陽氏の作品も販売している

ノスタルジックな家具を設えたカフェスペース。橋本さんが選んだ器や造形作家・望月通陽氏の作品も販売している

住所:大分県別府市鉄輪井田2組
電話:0977-51-4286
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《EAT》
「友永パン屋」 1日1,000個以上を焼き上げる100年続く名物パン

画像: 映画のセットのようなレトロな外観。写真は早朝の時間帯、普段は開店30分前から常に行列ができている

映画のセットのようなレトロな外観。写真は早朝の時間帯、普段は開店30分前から常に行列ができている

 タイル張りのショーウィンドウや木枠の引き戸、白とグリーンのサンシェードなど……時が止まったような店構えに対して、店内は異様な活気に満ちている。大正5年創業の「友永パン屋」は、行列の絶えない別府市民のソウルフードとして知られる。長蛇の列にも怯むことはない、まずは整理券をとって注文シートに必要な数を書き入れ、じっと待つ。「どんなに並んでいてもすぐに入れますよ」と語るのは、4代目となる友永悠太郎さんだ。順番が巡ってきて、その仕組みを理解する。全てのパンはショーケースに納められているため、狭いカウンターの中をスタッフが絶妙なフォーメーションで動き回り、手際よく注文をコンプリートする。

画像: パンはショーケースに納められていて、常に焼きたてのごとく艶やか

パンはショーケースに納められていて、常に焼きたてのごとく艶やか

画像: 500番まである整理券。ガラス戸に貼ってある説明入りのメニューを見ながら注文シートを書き込む

500番まである整理券。ガラス戸に貼ってある説明入りのメニューを見ながら注文シートを書き込む

 この店で必ず注文したいのは「あんぱん」だ。それも「つぶ」と「こし」の両方。それぞれ一日に1,000〜2,000個が売れる看板メニューである。「一味違う!」と老若男女が唸る秘密は2つ。1つは、餡が自家製ということ。毎日飛ぶように売れるにも関わらず、仕入れに頼らず自社で小豆から炊き上げる。甘すぎず、優しい風味が口に広がる餡の仕込みは創業当時から受け継がれたレシピという。2つ目は、パン生地にある。菓子パン用の配合と異なり、バターを控えた食事パンに近いバランスが特徴。こうして独自の餡と生地がマリアージュすると、他にはない「あんぱん」が誕生する。

画像: 2本の切り込みが目印の「つぶあんぱん」¥120

2本の切り込みが目印の「つぶあんぱん」¥120

画像: あんぱんは1日に8回転で焼かれるため、手早く均等に餡を詰める作業は職人の腕の見せ所

あんぱんは1日に8回転で焼かれるため、手早く均等に餡を詰める作業は職人の腕の見せ所

 もう一つ、ここでしか味わえないのが3代目当主の考案による「バターフランス」だ。バターを生地で包んで焼き上げるため、溶けたバターが次第に浸み込んだ下部の表面はカリカリの状態に。さらに、オーブンから出したらザラメ糖をトッピング。口に含むと、もっちりとしたバター風味の生地とカリッとした食感、ザラメの甘味が相まってめくるめく感動が訪れる。是非まとめ買いをして、自宅でも旅の余韻を味わっていただきたい。

画像: 左から時計まわりに、切り込み1本が「バターフランス」¥130、切り込みなしが「こしあんぱん」¥110、切り込み2本が「つぶあんぱん」¥120

左から時計まわりに、切り込み1本が「バターフランス」¥130、切り込みなしが「こしあんぱん」¥110、切り込み2本が「つぶあんぱん」¥120

画像: すぐに食べる際には「焼きたて希望」と伝えると、温かいパンを入れてもらえる

すぐに食べる際には「焼きたて希望」と伝えると、温かいパンを入れてもらえる

住所:大分県別府市千代町2-29
電話:0977-23-0969

大分市

市街地を囲むように高崎山、鎧ヶ岳、霊山、九六位山、樅木山が個性的な稜線を描き、市域の約半分を森林が占めるほど緑に恵まれた「大分市」。北に別府湾を臨み、渡たる風はどこまでも瑞々しい。この土地を見守り遥かなる時を刻んできた聖なる森へ、まずは挨拶に参じたい

《SEE》
「柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)」 八幡様の森で、太古の神秘に抱かれる

画像: アニミズムを根底とする日本の神道。巨大な楠を見上げると、神様の依り代として崇めてきた古代の人々の思いと繋がるようだ

アニミズムを根底とする日本の神道。巨大な楠を見上げると、神様の依り代として崇めてきた古代の人々の思いと繋がるようだ

 森には不思議な吸引力がある。人間の手で荒らされることのない「入らずの森」なら、なおの事だ。柞原八幡宮は豊後で最大とされた神社で、1200年近い歴史を持つ神域。社を構える柞原の森は、「八幡様の森」と呼ばれ、数千年前からの森の姿を今に留めている。森に圧倒的な存在感を与えているのは、暖かい気候に適したイチイガシ、コジイ、シイノキ、そしてイスノキなど常緑広葉樹の高木だ。表参道の石段を上るとすぐに樹齢約450年のホルトノキがお出迎え。天を仰ぐほどの凛々しい姿に後ろ髪を引かれながらも、さらに奥へと歩を進めると原生林の鼓動が聞こえてくるようだ。

画像: 樹高25mにも及ぶホルトノキ。南蛮貿易ゆかりの渡来種としてポルトガル人が植えたという伝来をもつ

樹高25mにも及ぶホルトノキ。南蛮貿易ゆかりの渡来種としてポルトガル人が植えたという伝来をもつ

 柞原八幡宮の起源は、天長4(827)年の平安時代にまで遡る。比叡山延暦寺の金亀(こんき)和尚が、八幡神社の総本宮である宇佐神宮に1000日間の宮籠りに入った際、お告げにより「八幡神の衣が空を飛び柞原の森の大楠にとまる」という験(しるし)に遭遇する。この出来事は朝廷に奏上され、仁明天皇の命によって大楠のある土地に社殿を創建。承和3(836)年に完成を迎え、柞原八幡宮の歴史の幕が開ける。神社の名称は、元来「由原八幡宮」と表記されてきたが、明治以降に「柞原」の文字が使われるように。「柞」はクヌギ類の総称であると同時に、樹高が20m以上にも達するイスノキ(別名ユスノキ)を意味。森を形成する樹々の恩恵に預かり、その名に当てたとされている。

画像: 国の天然記念物に指定されている樹齢約3000年と伝えられている大楠。回り込んで観察すると幹には空洞も見られ、計り知れない生命力に畏敬の念が湧き上がる

国の天然記念物に指定されている樹齢約3000年と伝えられている大楠。回り込んで観察すると幹には空洞も見られ、計り知れない生命力に畏敬の念が湧き上がる

 社殿は本殿を中心に、申殿や拝殿、廻廊、楼門が続く典型的な八幡造りを成し、ほとんどが国の重要文化財に指定されている。その見所の一つがご神木の近くに佇む南大門だ。別名「日暮し門」と呼ばれ、銅板葺の入母屋造で前後に大きな唐破風の向拝が付けられ、どっしりとした趣がある。壁面には聖人や龍、花、鳥などが彫刻され、豊後国随一の入口を飾るに相応しい職人技が光る。また、この土地を訪れたい……そう思える自分だけの「宿り木」を見つけながら、神様の森を巡ってはいかがだろう。

画像: 向拝の額は「由原八幡宮」とある。「八幡由原宮」「賀来社」とも呼ばれていた

向拝の額は「由原八幡宮」とある。「八幡由原宮」「賀来社」とも呼ばれていた

画像: 二十四孝を題材に壁面に施された木彫は、日が暮れるまで鑑賞したくなるほど見事

二十四孝を題材に壁面に施された木彫は、日が暮れるまで鑑賞したくなるほど見事

画像: 楼門を中心に東西に羽を広げるように設えた回廊。濃密な原生林にすっぽりと包まれるように、荘厳な社殿が連なる景観は圧巻だ

楼門を中心に東西に羽を広げるように設えた回廊。濃密な原生林にすっぽりと包まれるように、荘厳な社殿が連なる景観は圧巻だ

画像: 参拝するなら、早朝がおすすめ。高木の間から差し込む光に照らされ、苔むす参道が一層幻想的

参拝するなら、早朝がおすすめ。高木の間から差し込む光に照らされ、苔むす参道が一層幻想的

画像: 南大門を抜けると、参道は二手に分かれる。左を進むと、一箇所だけ扇型の敷石があり、踏むと幸運が舞い込むと伝わる

南大門を抜けると、参道は二手に分かれる。左を進むと、一箇所だけ扇型の敷石があり、踏むと幸運が舞い込むと伝わる

住所:大分県大分市大字八幡987
電話:097-534-0065
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《STAY》
「JR九州ホテル ブラッサム大分」 絶景を眺める天空のスパで「ととのう」

画像: 別府湾がほのかに色づく早朝の露天風呂 COURTESY OF JR KYUSYU HOTEL BLOSSOM OITA

別府湾がほのかに色づく早朝の露天風呂
COURTESY OF JR KYUSYU HOTEL BLOSSOM OITA

 旅の宿は、何に価値を求めるかが大切だ。ここ「JR九州ホテル ブラッサム大分」の魅力は、ホテルの19~21階に設えた『CITY SPA てんくう』の眺望にある。地上80m、最上階の天空露天風呂は、湯船に身を沈めると水面と別府湾の水平線が並行し、個性的なシルエットを描く山々がフレームのように連なる。「露天風呂は時間帯を変えて、ぜひ3つの顔を楽しんでください」と語るのは、支配人の木原誉さん。幻想的な夜明けのマジックアワー、山も海も珊瑚色に染まるトワイライトタイム、そして精緻な街明かりが美しい暮夜……。

 露天風呂や内風呂に加え、多種多様のスパが堪能できるのも嬉しい限り。フィンランド産の香花石を使ったサウナは、優しい光とともに眼下に大分の街並みが広がる開放感。そのほか、柔らかなミストが身体の疲れをゆっくりと解きほぐすアロマスチームサウナや、岩塩壁から発せられる輻射熱が代謝を促すアロマソルトスパ、発汗後に自然と呼吸が深まるクールスパなど。巡るだけで精神まで研ぎ澄まされるよう。

画像: 九州最大級の広さを誇る室温60℃のドライサウナ(別料金) COURTESY OF JR KYUSYU HOTEL BLOSSOM OITA

九州最大級の広さを誇る室温60℃のドライサウナ(別料金)
COURTESY OF JR KYUSYU HOTEL BLOSSOM OITA

画像: 見た目にも涼やかな空間で、温まった身体をクールダウン(別料金) COURTESY OF JR KYUSYU HOTEL BLOSSOM OITA

見た目にも涼やかな空間で、温まった身体をクールダウン(別料金)
COURTESY OF JR KYUSYU HOTEL BLOSSOM OITA

 このホテルのもう一つ特筆すべき点は、クルーズトレイン「ななつ星in九州」を手がけた水戸岡鋭治氏が手がけた内装にある。九州に由来する石や木をふんだんに用い、伝統工芸の組子細工がロビーラウンジに独創的な温もりを演出。さらに、客室の家具やインテリア照明に到るまで、まるで豪華列車の旅気分を体感することができる。大分駅直結という好立地に加え、滞在したゲストにしかわからない解放感がここに。

画像: 木の優しい味わいに心安らぐ客室。写真は二面に窓を設えたプレミアムキング COURTESY OF JR KYUSYU HOTEL BLOSSOM OITA

木の優しい味わいに心安らぐ客室。写真は二面に窓を設えたプレミアムキング
COURTESY OF JR KYUSYU HOTEL BLOSSOM OITA

住所:大分県大分市要町1-14
電話:097-578-8719
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大分市街から車で約20分。かつての豊後国の中心を流れる大野川の南の出入り口として交通の要だった「戸次(へつぎ)」というエリアに辿り着く。日向街道筋の在郷町として繁栄した歴史ある建物で、暮らしに溶け込むサスティナビリティを見つけた

《SHOP&EAT》
「量り売り からはな百貨店」 上質な食材を少しだけ、旅先で知る暮らしの適量

画像: ペーパーバッグの代わりに新聞紙の折箱を活用。「みつろうのフードラップ」(左下、¥2,000)はゼロ・ウェイストを考えるギフトにも

ペーパーバッグの代わりに新聞紙の折箱を活用。「みつろうのフードラップ」(左下、¥2,000)はゼロ・ウェイストを考えるギフトにも

 日々の食生活でフードロスを減らすことは、サスティナブルな暮らしを等身大のスケールで実現できることの一つだ。頭では理解していても、いざ大型スーパーマーケットなどに出向くと、「あったら便利」を枕詞に、いつ出番を迎えるかわからないものや使いきれない量をカートに入れてしまう。こうして賞味期限を過ぎたものを捨てることへの罪悪感が麻痺してくる。そんな都会での暮らしのルーティーンを、少し立ち止まって考えることができるのが「量り売り からはな百貨店」である。

画像: 江戸期から戦前にかけての貴重な建物が現存する、町並み保存地区に立つ築120余年の建物

江戸期から戦前にかけての貴重な建物が現存する、町並み保存地区に立つ築120余年の建物

画像: 整然と並べられた調味料や乾物。一つ一つの素材と向き合い、吟味して選びたくなる

整然と並べられた調味料や乾物。一つ一つの素材と向き合い、吟味して選びたくなる

「毎日の買い物で、一人でも多くの人が楽しく続けられるゼロ・ウェイストとプラスチックフリーの場を提供したい」と語るのは、店主の井藤優子さん。10年以上に渡って、環境課題に取り組んできた経験を生かし2022年5月に常設の店舗としてオープン。地球への優しさが行き交う場となったのは、明治33年築の国立旧二十三銀行だった木造建築である。木枠の引き戸を開けると、小規模生産の野菜をはじめ、スパイスや出汁の素材、味噌や塩、醤油などの調味料、小麦粉やパスタにお芋チップスの果てまで……幅広いアイテムが整然と並ぶ。家族構成やその日のメニューに合わせて「適量を購入する」というデフォルトが、ここには無理なく浸透している。焼きあごは3本、干し椎茸を2個、イチゴを5粒……パッケージングされていない、自分の適量を考える好機となりそうだ。

画像: 不定期で地元の豆腐店のポップアップ販売も

不定期で地元の豆腐店のポップアップ販売も

画像: 瓶の販売もあり、旅の途中で立ち寄っても安心

瓶の販売もあり、旅の途中で立ち寄っても安心

住所:大分県大分市中戸次4343-1
公式インスタグラムはこちら

《SHOP》
「川の駅 戸次」 名人が手がけるローカルフードを発掘

画像: 牛蒡と鶏を炊き込んだ郷土の味「吉野鶏めし」(3個¥440)

牛蒡と鶏を炊き込んだ郷土の味「吉野鶏めし」(3個¥440)

 旅先で名物を食すことはもちろん、その土地にしかない食材を見つけることも大人の旅の醍醐味だ。大野川沿いに店舗を構えるこちらは、「道の駅」ならぬ「川の駅」。一ヶ月に約400軒もの農家が出入りし、各々の収穫時期や時間帯に合わせて野菜を搬入するため、曜日や時間帯に関わらず瑞々しい品が揃う。ラベルには、直売スタイルならではの生産者の名前が記されており、アイテムごとに名人なる存在が。「薩摩芋なら甲斐まりこさん」、「いちごは安達一男さん」など……それを目当てに市内の遠方からも買い物客が訪れるほどだ。取材に訪れた頃には、珍しい「田せり」が旬を迎えていた。水耕栽培にはない滋味豊かな香りが特徴と知り、その調理法を伺うと、軽く茹でて胡麻や塩と合わせてご飯に混ぜる「せりご飯」がお勧めとか。こうして、地元のレシピを発掘できることも一興である。

画像: 所狭しと新鮮な野菜が並ぶ店内は、平日でも活気に溢れている

所狭しと新鮮な野菜が並ぶ店内は、平日でも活気に溢れている

画像: 名人の野菜を郷土に継承されているレシピと一緒に持ち帰りたい

名人の野菜を郷土に継承されているレシピと一緒に持ち帰りたい

「川の駅」では、野菜に限らず加工品や惣菜にも土地の個性が表れている。その一つが戸次の名産である牛蒡だ。大野川沿いのミネラルを豊富に含んだ肥沃な土壌を生かし、牛蒡農家のビニールハウスが軒を連ねる。香り高く甘みさえ感じる深い味わいは、今までの牛蒡の概念が覆るほど。その牛蒡と大分の地鶏を炊き込んだ郷土料理が鶏めしである。中でも昔ながらの鶏めしのレシピを守る「吉野鶏めし保存会」が作るおにぎりは、午前中には売り切れるほど人気が高い。さらに、地元では「サンチー」という愛称で親しまれている「三角チーズパン」や名物の酒まんじゅう「ばっぽ」まで。ここは、まさにローカルフードの聖地と呼べる。

画像: 牛蒡名人は泥谷保三さん。色白で、まっすぐ伸び、味わいもお墨付きだ。乾燥した加工品はお土産としても

牛蒡名人は泥谷保三さん。色白で、まっすぐ伸び、味わいもお墨付きだ。乾燥した加工品はお土産としても

画像: 「サンチー」(¥180)は35年以上続くロングセラー。メロンパンの皮に似た甘い生地で、クリームチーズをサンドした食パンを包み込んだ独特のスタイル。あんこ入りは「あんチー」(¥250)。手前右は、麹の発酵力でふっくらと蒸しあげた「ばっぽ」(3個入り¥310)。どちらもドライブの友に味わいたい

「サンチー」(¥180)は35年以上続くロングセラー。メロンパンの皮に似た甘い生地で、クリームチーズをサンドした食パンを包み込んだ独特のスタイル。あんこ入りは「あんチー」(¥250)。手前右は、麹の発酵力でふっくらと蒸しあげた「ばっぽ」(3個入り¥310)。どちらもドライブの友に味わいたい

住所:大分県大分市下戸次1538-6
電話:097-597-1557

《SHOP&EAT》
「帆足本家 富春館(ふしゅんかん)」 眼福と口福を満たす、現代の文人墨客のサロン

画像: 慶応元(1865)年築の母屋から庭の石組みを眺めていると、時間の流れが止まったように感じられる

慶応元(1865)年築の母屋から庭の石組みを眺めていると、時間の流れが止まったように感じられる

 日向街道に沿って、広大な敷地を構える帆足本家。豊後の地を収めていた大友氏との主従関係を結び、戸次に居を構えたのは天正14(1586)年にまで遡る。400年以上の歴史を誇る旧家にもかかわらず、ここは旅人を垣根なく受け入れる軽やかな風が吹き抜けている。その理由を辿ると、この館の文人墨客のサロンとしての顔が見えてきた。酒造りを生業として財を成した代々の当主は、パトロンとして多くの芸術家の芽吹きを見送った。江戸時代後期にその名を馳せた、南画家の田能村竹田(たのむら・ちくでん)もその一人だ。帆足家に幾度も逗留し、後に国指定の重要文化財となった南画も残している。「気鋭の芸術家が往来し多様な文化が交差した、往時の賑わいを現代に甦らせたい」。その思いから、再びこの館に明かりを灯したのが現15代当主に嫁いだ帆足めぐみさんである。居住空間を改装し、日本古来の衣食住を継承する人とモノが行き交う空間として、2001年に「帆足本家 富春館」が幕を開けた。

画像: 帆足家は商家でありながら、式台を設えた武家構えの様式を許された。母屋の玄関には、儒学者の頼 山陽(らい・さんよう)によって命名された「富春館」の扁額が掛けられている

帆足家は商家でありながら、式台を設えた武家構えの様式を許された。母屋の玄関には、儒学者の頼 山陽(らい・さんよう)によって命名された「富春館」の扁額が掛けられている

画像: 「帆足本家 富春館」をプロデュースする帆足めぐみさん。仏間に李朝風の家具を設えただけで洒脱な空間に

「帆足本家 富春館」をプロデュースする帆足めぐみさん。仏間に李朝風の家具を設えただけで洒脱な空間に

「帆足本家 富春館」には、様々な見所が点在する。臼杵の名棟梁である高橋団内によって随所に技を凝らした母屋や、釘が1本も使われていない昭和12年築の離れなど……様式美が残る建物は「ギャラリー富春館」へ。日向街道に面した蔵はレストラン「桃花流水」や菓子処「一楽庵」、「LIFE&DELI」へと姿を変えた。「開かずの間に眠っていた磁器や漆器は磨きをかけてレストランで利用。祖母の箪笥は陳列棚に造り変え、母の帯は壁のアクセントクロスとして活かしました。簡単に処分してしまうのではなく、ほんの少しデザインを加えるだけで新たな価値が芽生える。外から嫁いできたからこそ、建物の個性や何気ない物の美しさに気づくことができたのかもしれません」と帆足さんは語ります。

画像: 大正浪漫漂うレストラン「桃花流水」、瀟洒な空間もご馳走のひとつ

大正浪漫漂うレストラン「桃花流水」、瀟洒な空間もご馳走のひとつ

 用の美を“パッチワーク”のように組み合わせた独特な館内を巡った後はグルメ探訪へ。敷地内のレストラン「桃花流水」のメニューは、なんと「発酵ごぼう弁当」のみという潔さ。キッシュや豆腐、筑前煮から1本揚まで、香り高い牛蒡の滋味が様々に姿を変え、舌を楽しませてくれる。さらに、山のチーズと呼ばれる有精卵の醤油漬けや豊後鶏肉のチリソースなど、良質な素材を厳選した10品以上が重箱に凝縮。圧力鍋で炊いた玄米と小豆を約3日間かけて発酵させる発酵玄米も添えられ、箸が迷うほどいずれも甲乙つけがたい。口福の記憶は、再びこの場所を訪れるのに十分な「言い訳」となることだろう。

画像: 戸次の名産である牛蒡づくしの「発酵ごぼう弁当」(¥2,200)。重箱の中の小鉢も、かつて帆足家でおもてなしに使われていたもの

戸次の名産である牛蒡づくしの「発酵ごぼう弁当」(¥2,200)。重箱の中の小鉢も、かつて帆足家でおもてなしに使われていたもの

画像: 敷地内の菓子処「一楽庵」で毎朝手作りされた和菓子から、好きな2点を組み合わせられる「和ティーセット」(¥990)。ティータイムだけの利用も可能

敷地内の菓子処「一楽庵」で毎朝手作りされた和菓子から、好きな2点を組み合わせられる「和ティーセット」(¥990)。ティータイムだけの利用も可能

画像: 在郷町の長屋風情を演出した「LIFE &DELI」では、帆足さんが選び抜いたこだわりの調味料や自家製の惣菜が購入できる。富春館オリジナルのモダンな化粧ラベルを纏った「しらしめ油(菜種油)」(左)¥1,500や「純米本みりん」(右)¥1,800は贈り物にも好適

在郷町の長屋風情を演出した「LIFE &DELI」では、帆足さんが選び抜いたこだわりの調味料や自家製の惣菜が購入できる。富春館オリジナルのモダンな化粧ラベルを纏った「しらしめ油(菜種油)」(左)¥1,500や「純米本みりん」(右)¥1,800は贈り物にも好適

画像: 塩味を効かせたサブレ生地に、あずき風味のバタークリームをサンドした和洋折衷の「塩バターあずきサブレ」(1個¥220)。代々受け継がれた漆器に施された螺鈿や蒔絵をデザインした包み紙に旅の思い出が薫る

塩味を効かせたサブレ生地に、あずき風味のバタークリームをサンドした和洋折衷の「塩バターあずきサブレ」(1個¥220)。代々受け継がれた漆器に施された螺鈿や蒔絵をデザインした包み紙に旅の思い出が薫る

住所:大分県大分市中戸次4381
電話:097-597-0002
公式サイトはこちら

臼杵市

《SHOP》
「カニ醤油」 伝統の味わいに、遊び心をラベリング

画像: 11代⽬に嫁いだ看板⼥将の可兒(かに)明⼦さん(右)と、12代⽬に嫁いだ若⼥将のいづみさん(左)。午前中は蒸し米に麹菌をつける種付け作業を二人で行う

11代⽬に嫁いだ看板⼥将の可兒(かに)明⼦さん(右)と、12代⽬に嫁いだ若⼥将のいづみさん(左)。午前中は蒸し米に麹菌をつける種付け作業を二人で行う

 旅にでると、必ずと言っていいほど“ローカル調味料”を買い求める。その理由は、小ロットの“ローカル調味料”ほど郷土の食文化に根ざしているため、個性豊かな味に出会えるからだ。ここ、臼杵は江戸後期より味噌や醤油などの醸造業で栄え、今や西日本一の規模を誇る街。歴史的景観地区「二王座」のメインストリートとなる八町大路には、県内最古の味噌醤油商「カニ醤油」が看板を掲げる。店の敷居を跨ぐとふくよかな香りに包まれ、女将の可兒明子さんからウエルカムドリンクとして七倍希釈した⼀番⼈気の「⿊だし番⻑」が手渡される。その奥行きの深い味わいに思わず唸る。

画像: 創業当時の屋号「鑰屋(かぎや)」の扁額も堂々たる佇まい

創業当時の屋号「鑰屋(かぎや)」の扁額も堂々たる佇まい

画像: 隣の家と壁を共有する趣のある長屋造りの建物。かつては土間だった店頭には、オリジナルの商品が所狭しと並ぶ

隣の家と壁を共有する趣のある長屋造りの建物。かつては土間だった店頭には、オリジナルの商品が所狭しと並ぶ

 創業は慶長5年(1600年)。初代・可兒孫右衛門は、臼杵藩主・稲葉家に従って美濃の国(岐阜県)から豊後の国に移って根を下し、この地で味噌醤油商「鑰屋(かぎや)」を営む。味噌は「うすきみそ」、醤油は「カニしょうゆ」として、420余年に渡り変わらぬ場所、変わらぬ技法で伝統の味を受け継ぐ。こうして歴史を紐解くといかにも格調の高さがうかがえる一方、店頭にはユーモアたっぷりの商品名が目を引く。九州特有の醤油には「甘い醤油好きなぶろんそん」、醤油とソースのハイブリット調味料は「あじフライ醤―ス」、九州特産のあご出汁をはじめ鯖節や椎茸を配合した無添加の粉末出汁は「ダーシィハリー」、即席ラーメンの味変に足し算したいスパイスには「ラメタス」など。現12代当主の言葉遊びに、笑いのツボを刺激される。

画像: (左)万能に活躍する濃口出汁「黒だし番長」(500ml)¥876(右)おでんや煮物に重宝する薄口出汁「白だし船長」(500ml)¥620

(左)万能に活躍する濃口出汁「黒だし番長」(500ml)¥876(右)おでんや煮物に重宝する薄口出汁「白だし船長」(500ml)¥620

画像: オリジナルの⾚味噌と⽩味噌を組み合わせた「ヒカル味噌」¥800

オリジナルの⾚味噌と⽩味噌を組み合わせた「ヒカル味噌」¥800

 一見すると歌舞いているように見える商品も、味わいは至って大真面目。たとえば、一番人気の「黒だし番長」は味の土台となる鰹節にもこだわる。鹿児島県枕崎産の荒削りの鰹節を80〜85℃で約30分ほど煮出し、まずは少量生産に対応できるように出汁の原液を小分けにする。その後、醤油やみりんを加えて撹拌し、一晩ほど寝かせて今でも手作業でボトル詰をしている。“効率”ではなく“美味しさ”を基準に仕上げられた「黒だし番長」は、吸い物やうどんといった汁物をはじめ、煮物の仕上げにかけるもよし。玉葱のスライスやアボカド、冷奴にかけても旨し、カボスを絞ってごま油と合わせた和風ドレッシングに、浅漬けの素としても活躍。どんな料理も美味しさのインパクトが増し、確かに食卓の“番長”と呼ぶにふさわしい。駄洒落のセンスが光るネーミングには、“ローカル調味料”への矜持が秘められていた。

住所:大分県臼杵市臼杵218
電話:0972-63-1177
公式サイトはこちら

《SHOP&CAFE》
「うすき皿山」 テーブルに凜と花咲く、幻の焼き物

画像: ガラス越しに見学できる工房。仕上がりに向けて順番待ちする器が整然と棚に並ぶ

ガラス越しに見学できる工房。仕上がりに向けて順番待ちする器が整然と棚に並ぶ

 奇を衒わない造形美と料理を引き立てる余白──。臼杵焼の魅力は、この言葉に尽きる。和洋を問わず、日常も晴れのシーンにも映え、食卓に端正な佇まいと緊張感をもたらしてくれるのだ。器の発祥は江戸時代の後期に遡る。臼杵藩の御用窯として、窯場があった地名から“末広焼”とも呼ばれて存在感を放つも、わずか10数年で途絶え200年近く姿を消していた。遥かな休眠期を経て、幻の焼き物が甦ったのは、2015年のこと。復興プロジェクトが立ち上がり、文献や残された数少ない器をもとに、現代版の臼杵焼が息を吹き返した。

画像: 2022年2月には、本格的な中国茶と焼き菓子が楽しめる喫茶室とギャラリーが誕生

2022年2月には、本格的な中国茶と焼き菓子が楽しめる喫茶室とギャラリーが誕生

画像: 復興から10年を待たずして、石膏型の数はすでに100種類を超える

復興から10年を待たずして、石膏型の数はすでに100種類を超える

 臼杵焼の特徴は、型打ちと呼ばれる技法にある。ローラーで板状に伸した粘土を石膏型に打ちつけ、ヘラで均一にのばしながら最終的には職人の“指加減”で形を整えていく。そのため型を用いた磁器でありながらも、1点1点に表情が生まれ陶器のような風合いに仕上がり、自然な歪みや厚みの違いなど……粘土から器へと姿を変える過程も味わいとして残る。作業はすべて分業制で工房の職人の経歴や経験もさまざま、若手の育成も積極的に行う。「技術を画一化して均整のとれた器を作るのではなく、担い手の鼓動を個性として受け入れる。ようやく灯された幻の焼き物が臼杵という土地を照らし、町おこしの一端となってほしい」と、宇佐美裕之さんは語る。

画像: 蓮の名所として知られる深田。里山を彩る、蓮の花や花弁、葉をイメージした作品が多く揃う。繊細な花弁が放射状に広がる菊花皿も型打ちの技が活きるモチーフ

蓮の名所として知られる深田。里山を彩る、蓮の花や花弁、葉をイメージした作品が多く揃う。繊細な花弁が放射状に広がる菊花皿も型打ちの技が活きるモチーフ

画像: 手にしたときに柔らかい手触りになるように、釉薬はマットな質感。硬質さと優しさの溶け合う「白」が臼杵焼の魅力

手にしたときに柔らかい手触りになるように、釉薬はマットな質感。硬質さと優しさの溶け合う「白」が臼杵焼の魅力

 宇佐美裕之さんは、ここ臼杵の出身。国宝として知られる臼杵石仏のほど近くで、4代に渡り観光センターを営む家に生まれた。大阪芸術大学で陶芸を専攻し陶芸家として活動していた宇佐美さんだが、父親の体調不良を機に家業に携わり、発見したのが幻の焼き物の存在である。埋もれていた郷土の文化を掘り起こしたことで、この地を訪れる人々にも新たな楽しみが加わった。石仏観光センター内のショップでは、⾅杵焼をはじめ、地元の特産品が購入でき、食事処「郷膳 うさ味」では臼杵焼で地産の料理が饗される。さらに2022年には、石仏センターから徒歩圏内に工房を兼ねたギャラリーカフェとして「うすき皿山」をオープン。ギャラリーにはバリエーション豊富な⾅杵焼が並び、
カフェには妻の友香さんが振る舞う本格的な中国茶と焼き菓子を目当てに、地元のグルマンや旅人が集う。7月、静かな石仏の山郷にある蓮池は薄紅色に染まる。桃源の景色を愛でながら、その典雅な蓮の姿を映した器を旅の余韻として日常の食卓に咲かせたい。

画像: 宇佐美さんと妻の友香さん。中国茶を入れる宝瓶や小さな茶器もオリジナルでデザイン

宇佐美さんと妻の友香さん。中国茶を入れる宝瓶や小さな茶器もオリジナルでデザイン

画像: 石仏の里に立つ「うすき皿山」。目と鼻の先には、リニューアルを施した代々続く石仏観光センターもある

石仏の里に立つ「うすき皿山」。目と鼻の先には、リニューアルを施した代々続く石仏観光センターもある

住所:大分県臼杵市深田811-4
電話:0972-65-3113
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《CAFE》
「SUZUNARI COFFEE(スズナリ・コーヒー)」 優しい個性を放つ、確かな一杯

画像: ハンドドリップで1杯ずつ丁寧にコーヒーを入れるロースターの匹田貴明さん

ハンドドリップで1杯ずつ丁寧にコーヒーを入れるロースターの匹田貴明さん

 旅先で口にしたものは、いつだって非日常の情緒を運んでくれる。一杯のコーヒーでさえ、特別な存在となりうる。パーソナリティのある自家焙煎コーヒーが飲めると聞いて訪れたのは2015年にオープンした「SUZUNARI COFFEE」だ。白いボックスのような建物の入口を入ると、大きな焙煎機が2台、誇らしげに出迎えてくれる。店で扱うコーヒーは、ニカラグアやエルサルバトル産の豆がメインで、作り手の情熱が感じられる農園を厳選。少量生産の豆だけがもつ繊細な風味を、経験に基づいた細心の匙加減で焙煎するという。

画像: 空間の主役として、堂々たる風格を感じさせる焙煎機

空間の主役として、堂々たる風格を感じさせる焙煎機

画像: 「ニカラグアのエル・ポルベニール農園」(200g)¥2,800。抽象画のようなラベルデザインはコーヒーの香りや味わいを視覚的に表現

「ニカラグアのエル・ポルベニール農園」(200g)¥2,800。抽象画のようなラベルデザインはコーヒーの香りや味わいを視覚的に表現

 店内で味わえるラインナップは、常時6〜8種類。ロースターの匹田貴明さんがレコメンドするスペシャルな一杯は、ニカラグアのエル・ポルベニール農園から届いた豆だ。「ぶどうやアップル、アプリコットなど生き生きとしたジューシーな酸味は別格です。余韻にドライハーブのような風味も感じられ、目を閉じると肥沃な大地が瞼に広がりますよ」と、その味わいを言語化してくれた。コーヒー豆の原産国を巡る旅から帰国したばかりで、匹田さんの解説にも熱が入る。90度に温度を保ちながら、1杯のコーヒーを入れるのに2分以上をかける。カップに注がれるまでの、ちょっと長い待ち時間も慌ただしい日常から切り離されるようで心地よい。インダストリアルな雰囲気の空間で、中米から運ばれてきた陽気な幸福感に浸ってはいかがだろう。

画像: 臼杵の凝灰岩を用いた黒いカウンターに、硬質な空気感が漂う。季節が進んだ初夏には、窓辺に植えられたドウダン躑躅が青々と目を潤してくれるはずだ

臼杵の凝灰岩を用いた黒いカウンターに、硬質な空気感が漂う。季節が進んだ初夏には、窓辺に植えられたドウダン躑躅が青々と目を潤してくれるはずだ

画像: 無機質にも見える外観だが、扉をあけるとコーヒーの情熱に満ちている

無機質にも見える外観だが、扉をあけるとコーヒーの情熱に満ちている

住所:大分県臼杵市野田持田120
電話:0972-86-9005
公式サイトはこちら

《CAFE》
「quotidien(コティディアン)」 大人の心を癒す、“普段着のおやつ”

画像: 臼杵産の小麦粉にこだわった、しっとり優しいマーラーカオ

臼杵産の小麦粉にこだわった、しっとり優しいマーラーカオ

 ここ臼杵市は移住者が多いという。海辺の賑わい、歴史の風情が残る街並み、日本の原風景のような里山など……。変化に富んだ景観の魅力もさることながら、何より背伸びをしない“普段着の美味しいもの”が、ひょいと訪れた者たちの胃袋を掴んで離さないのだろう。海の幸はもちろんのこと、行政が土壌づくりから取り組んだ滋味豊かな有機野菜もハイレベルな美味しさだ。2022年、住宅街のはずれにカフェ「コティディアン」を開いた青木涼太朗さん・貴絵さん夫妻も、臼杵の安心な食に惹かれ、大分市から移住を決めたという。

画像: 乳製品や卵、小麦粉がアレルギーの人でも楽しめる、米粉やアーモンド、カカオを使った焼き菓子も充実

乳製品や卵、小麦粉がアレルギーの人でも楽しめる、米粉やアーモンド、カカオを使った焼き菓子も充実

画像: 焼き菓子のパートナーには、季節の自家製シロップドリングを

焼き菓子のパートナーには、季節の自家製シロップドリングを

 カフェの目玉は涼太朗さんが作る、“普段着のおやつ”。サラリーマンとして働く涼太朗さんが週に3日、手間を惜しまずにコツコツと手がける真面目な焼き菓子である。涼太朗さんが菓子作りを始めたのは、息子のおやつ作りがきっかけ。子供に食べさせたいと思う“美味しくて安全なもの”になかなか出会えず、創意工夫の末に完成したのが“おからドーナツ”だという。その後、次第にお菓子のレパートリーも増え、家族への深い愛情から誕生した焼き菓子は、周囲へと広がりカフェを開くまでに至った。今では素朴な焼き菓子を礎にしながら、季節のレモンカードタルトやかぼちゃとアーモンドのタルト、マーラーカオなど、大人の味覚に響くおやつもメニューに並ぶ。

画像: 家族への慈しみから生まれた一品を、皿にサーブする貴絵さん

家族への慈しみから生まれた一品を、皿にサーブする貴絵さん

 また、「コティディアン」の魅力は心地よい空間設計やインテリアにも宿る。茶室を訪れたかのような銅板の扉を引くと、真っ先に目に飛び込むのは時代を経た木彫のカウンターだ。1920年代のフランス製で長さが4mにも及ぶため、当初の設計図を変更してまで、カフェ空間の主役となるカウンターにこだわったという。視線を巡らせると湯を沸かすヴィンテージのケトルや、壁に取り付けたスイッチ一つに至るまで、吟味された古い道具がモダンな室内に溶け込む。居心地のよさそうな窓辺の席に座り外を眺めると、この土地の何気ない長閑な日常が流れている。自分がこの土地にとっては何者でもないという、緩やかな解放感が旅の気分を一層高揚させるのだろう。

画像: コンクリートの床と白壁のほどよい緊張感に、木の家具が穏やかな時間を紡ぐ

コンクリートの床と白壁のほどよい緊張感に、木の家具が穏やかな時間を紡ぐ

画像: カフェは週に3日、日・月・火曜のみオープン。訪れる際はInstagramで営業日を要確認

カフェは週に3日、日・月・火曜のみオープン。訪れる際はInstagramで営業日を要確認

住所:大分県臼杵市海添191
電話:080-5249-3480
公式Instagramはこちら

画像: 樺澤貴子(かばさわ・たかこ) クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

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