豊かな風土に彩られた日本には、独自の「地方カルチャー」が存在する。郷土で愛されるソウルフードから、地元に溶け込んだ温かくもハイセンスなスポットまで……その場所を訪れなければ出逢えないニッポンの「ローカルトレジャー」を探す旅へ出かけたい。季節の彩りを求めて日本海を渡り辿り着いた先は、新潟県の佐渡島。世界農業遺産にも認定され、海の幸、大地の稔、森の恵みに満ちたこの島では、移住者が紡ぐカルチャーと地場の文化が、互いの個性をリスペクトしながら隣り合っていた

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

 6回に渡ってお届けしてきた佐渡探訪のフィナーレを飾るのは、江戸期にこの地で花開いた市井の能楽と古式製法で仕込まれる佐渡で一番小さな蔵元だ。日本最大の離島で脈々と受け継がれた伝統の世界を逍遥する

《SEE》「天領佐渡両津薪能」
島民の情熱が受け継ぐ“舞い倒す”能楽

画像: 写真は2023年10月に金井能楽堂で演じられた「熊坂」。シテ方の金井雄資さんと小鼓の幸 信吾さんは、重要無形文化財保持者

写真は2023年10月に金井能楽堂で演じられた「熊坂」。シテ方の金井雄資さんと小鼓の幸 信吾さんは、重要無形文化財保持者

 佐渡を訪れてみたかった一番の理由は、薪能を鑑賞することにあった。格調高く雅味溢れる都の能楽堂で見る能もさることながら、能の大成者である世阿弥が配流された史実が、佐渡で鑑能するイメージを一層ドラマティックに彩っていたからだ。松明の火の粉が響く静寂の中、鄙びた神社の境内で厳かに奉納される薪能には、さぞかし深い哀愁と格別な高揚感が共鳴することだろう。

 実際に、この地で能が広まったのは江戸時代に入ってからとなる。金銀の資源に恵まれた佐渡は幕府の天領(直轄地)となり、初代佐渡奉行として大久保長安が江戸から派遣。能役者の息子であった大久保は、佐渡にシテ方や囃子方を同伴し、それを機に神社に奉納する「神事能」として独自の進化を遂げ、“庶民の能”として浸透した。驚くべきは、往時の島には200もの能舞台があったことだ。今も日本の能舞台の約3分の1が集中し、30以上の舞台が現存。その密度はほかの地域に例をみないほど。幾つもの能楽愛好会があることに加え、祝言の席や祭り、節句など、人が寄り集う宴席では“座敷謡”が嗜みのひとつとして日常に息づく。

画像: 重要無形文化財保持者で宝生流能楽師の金井雄資さん。約10年にわたり佐渡で能楽を指導

重要無形文化財保持者で宝生流能楽師の金井雄資さん。約10年にわたり佐渡で能楽を指導

画像: 開演前の楽屋は、出演の準備をする人たちでに賑わう。右は宝生流師範で市内の中学生に能の指導を行うなど、能の普及に尽力している神主弌二(こうずいちじ)さん

開演前の楽屋は、出演の準備をする人たちでに賑わう。右は宝生流師範で市内の中学生に能の指導を行うなど、能の普及に尽力している神主弌二(こうずいちじ)さん

画像: 重要無形文化財保持者と市井の役者が舞台を共にする特別な公演。世阿弥は風姿花伝で「衆人愛敬(大衆に愛されてこその一座)」と説いているが、その精神がこうして受け継がれている

重要無形文化財保持者と市井の役者が舞台を共にする特別な公演。世阿弥は風姿花伝で「衆人愛敬(大衆に愛されてこその一座)」と説いているが、その精神がこうして受け継がれている

 薪能は、4月から10月の半年にわたり島内各所で開催される。なかでも椎崎諏訪神社で開かれる「天領佐渡両津薪能」は、重要無形文化財保持者で宝生流の金井雄資さんによる指導のもと、ひときわ完成度の高い能楽が披露される。さらに、一年を締めくくる10月の舞台では、金井さんご自身が主演を務める貴重な公演と聞く。松明の中で、厳かに能が演じられる幻想的なシーンを想像し、期待に胸が高鳴ったが、取材の当日は雨に包まれ、室内の能楽堂へと場所を移した。

 この日の演目は平安時代の著名な盗賊を題材にした「熊坂」。前段では、都から来た旅僧と熊坂扮する僧の二人が、荒涼とした野原で対峙する独特の重々しさが漂い、後段では熊坂が舞台を縦横無尽に動き回り、姿なき義経との奮闘ぶりを舞台いっぱいに表現。シテ方と小鼓が重要無形文化財保持者であることに加え、後見の一人は金井さんの長男が務めるとあって、舞台は正統でありながら佐渡ならではの味わいが展開された。能は武士の式楽として愛好されてきた歴史があるが、ここ佐渡では「京都は着倒れ、大阪は食い倒れ。佐渡は舞い倒れ」という言葉があるほど。市井の人びとが舞い、謡い、観るものとして愛されてきた。晴れの衣裳で舞台に立つ島民の高揚した姿に、“生きた伝統芸能”のあり方を垣間見た。

画像: 前段で僧を演じたシテが後段では熊坂長範の霊へと姿を変える。面をつける瞬間は楽屋の空気も一層張り詰める

前段で僧を演じたシテが後段では熊坂長範の霊へと姿を変える。面をつける瞬間は楽屋の空気も一層張り詰める

画像: 後段の舞台へと出向く金井雄資さんと長男で後見を務めた賢郎さん

後段の舞台へと出向く金井雄資さんと長男で後見を務めた賢郎さん

画像: 橋掛りに現れた熊坂長範の霊。この後、舞台はクライマックスを迎える

橋掛りに現れた熊坂長範の霊。この後、舞台はクライマックスを迎える

電話:0259-27-5000(佐渡観光交流機構)
公式サイトはこちら

《BUY》「逸見酒造(へんみしゅぞう)」
佐渡最小の酒蔵で仕込まれる最上の日本酒

画像: 店舗の形態になっていないが、事前の電話連絡で直接に銘酒を購入できる

店舗の形態になっていないが、事前の電話連絡で直接に銘酒を購入できる

 トリを飾るのは、島で一番小さな酒蔵。実をあかすと1日目に宿泊したHOTEL OOSADOのディナーで味わった「至(いたる)」があまりの美酒だったことから、無理を承知で直前に取材依頼をお願いしたという経緯がある。ワイングラスで出された件の純米吟醸は、優しいコクと旨みを感じながらも後味がキリッと引き締まるようで、一瞬にして魅了された。目指した味が、そのまま飲み手に届く“素顔の美酒”というセオリーを掲げ、明治5年から実直に酒造りを守り続けている5代目当主・逸見明正さんに、その言葉に込めた想いを伺った。

「素顔という表現は、絞られたままで余計な手を加えないということです。実は、私も父もあまりお酒が強いタイプではなく(笑)。飲めないからこそ、お酒の味にしっかりこだわることができたのだと思っています」と逸見さん。新潟の酒といえば、飲みやすさを追求し炭で濾過して個性を消した酒が主流だった時代もあるという。米から生まれた本来の酒の個性を大切にしてきた逸見酒造では、ブームが起きる前から純米酒に力を注ぐ酒蔵として、知る人ぞ知る存在でもあった。

画像: 取材で訪れた10月は、新米を使った仕込みが幕開けたところだった

取材で訪れた10月は、新米を使った仕込みが幕開けたところだった

画像: 親しみのある旨みと香りが楽しめる特別本醸造「真稜一味真」。中:フルーティでありながらキレと喉越しのある大吟醸「真稜」。右:上品な甘さときりりとした後味が魅力の純米吟醸「至」

親しみのある旨みと香りが楽しめる特別本醸造「真稜一味真」。中:フルーティでありながらキレと喉越しのある大吟醸「真稜」。右:上品な甘さときりりとした後味が魅力の純米吟醸「至」


 かつて佐渡には200を超える酒蔵があったが、現在はわずか5箇所を残すのみ。その中でも、最小規模の酒蔵が逸見酒造である。酒造りに不可欠な仕込み水には、敷地内の井戸水を使用。適度にミネラルを含む中硬水は、発酵を促すと同時に酒の個性が際立つという。また、最近は設備を整えて1年中仕込みを行う蔵が増えるなか、逸見酒造では年に1度、冬の間しか仕込みを行わない。さらに、仕込みの量も一回に人の目が届く量のみ。米を蒸し、そこに麹を加えてからは、杜氏の五感を頼りに蔵人の手作業によって粛々と酒造りが行われる。

 ラインナップは「真稜(しんりょう)」と、「至(いたる)」がメイン。5代目当主に話を聞くほどに、昨晩飲んだ「至」が、なぜ心に真っ直ぐに届いたのかが頷けた。酒造りへの想いを知った後に傾ける一献は、さらに美味しく感じられるに違いない。取材後に四合瓶を抱えて海を渡ったことは、言うまでもない。

画像: 民家と軒を連ねひっそりと佇む蔵は、看板商品である「真稜」の文字が目印

民家と軒を連ねひっそりと佇む蔵は、看板商品である「真稜」の文字が目印

住所:佐渡市長石84-甲
電話:0259-55-2046
公式サイトはこちら

画像: 樺澤貴子(かばさわ・たかこ) クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

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