――襲名公演を終えて

キャンベル (織太夫の近著『文楽のすゝめ』を指して)いい本ですね。織太夫のジョギングコースから好きなカレーまで載っている(笑)。


織太夫 まず文楽初心者に興味をもってもらいたかったのです。これからの100年を考えて、この本を作りました。


キャンベル 改めて、六代目織太夫ご襲名おめでとうございます。公演を拝見しましたが、今回は八代目綱太夫(つなたゆう)五十回忌追善と同時に、襲名披露が行われたのですね。綱太夫は、あなたの師匠である咲太夫さんのお父さま。そのお父さまが亡くなったとき、「いずれ父の五十回忌の公演ができるような立派な太夫になりたい」と思ったと、口上(舞台上での挨拶)の席で師匠が話されたエピソードが感動的でした。さらに、お父さまの前名をご自分が継がず、あなたという愛弟子に受け継がせる。伝統芸能において、名前の継承とはどういうことなのか、うかがいたいと思いました。


織太夫 文楽の歴史で五十回忌追善と襲名披露となると、本当に稀有なことですね。しかも血縁でない私が、師匠の実父の前名を名乗ることもめったにないことです。


キャンベル 重責ですね。口上では、織太夫さんは慣例でひとことも言葉を発しないけれど、語り得ないことを表情や所作で雄弁に表現しているように感じました。


織太夫 襟を正すというか、大変神聖な気持ちで毎日務めておりました。



2018年2月、東京、国立劇場の文楽公演で、

襲名披露として「摂州合邦辻」を語った織太夫。

右は三味線の鶴澤燕三(えんざ)。

太夫と三味線は、舞台上手(かみて)に設えられた

「床」と呼ばれるステージで語り、演奏する

COURTESY OF NATIONAL THEATRE



「摂州合邦辻」の舞台。命を吹き込まれた人形たちが熱演を繰り広げる。

人形は3人で一体を操り、首(かしら)と右手を受け持つメインの遣い手は、

“主遣い”と呼ばれる。左は吉田和生。右は桐竹勘十郎

COURTESY OF NATIONAL THEATRE




――文楽の危機と、襲名への覚悟

キャンベル 襲名披露狂言の「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」合邦住家の段、のけぞるほど驚き感動しました。私は90年代半ばから文楽を見るようになり、あなたの大ファンになったんです。当時から大変な美声の持ち主でしたが、今回2、3年ぶりにお聞きしたら、声や演技のレパートリーが何倍にも増えて、芸が非常に重層的になっていました。役の語り分けも微妙かつ大胆で、聞いていた私は自在に制御され、もてあそばれるような感覚でした。これだけ変化したのは、意識してのことですか?


織太夫 もちろん意識しました。4年くらい前から、住太夫師匠、嶋太夫師匠が引退され、源太夫師匠が亡くなり(いずれも人間国宝)、私の師である咲太夫師匠も体調を崩されて、近年文楽界は三横綱一大関が不在の状態となっていました。以来、師匠がたから、きみが文楽の将来を背負うんだから、しっかりしてくれないと困ると言われまして。自覚が芽生えました。


キャンベル 危機だったわけですね。


織太夫 危機でしたね。たくさんの代役を引き受けて、普段の何倍もの時間、舞台で語っていましたので、ある意味鍛えられました。そんな中で、襲名のお話も、3年くらい前からいただいておりました。


キャンベル では、その頃から意識が変わったのですか?


織太夫 そうですね。とはいえ、じつは1、2年はお断りしていたんです。よく襲名にあたって「自分なりの何々になりたい」と言う方がいらっしゃいます。しかし文楽では、綱太夫の前名である織太夫を名乗るということは、私自身を捨てることなんです。親子だから継げるという芸ではないからこそ、個を捨てて、織太夫や(その先の)綱太夫というものにならなければいけない。八代目、九代目綱太夫は録音された音源もたくさん残っていて、この先必ず比べられる。その覚悟ができるまでは、襲名はできないと思っていました。今回語った「合邦」は、綱太夫家に大変ゆかりの深い演目です。(18世紀後半に活躍した)二代目が添削して現在上演される形に改め、〝綱太夫場〞とも呼ばれています。八代目綱太夫の追善公演で、綱太夫家の定紋をつけ、「合邦」を務める。そのプレッシャーが、これまで名乗っていた咲甫太夫というものをぶち壊して、織太夫として生きる決心を私にさせたんです。


キャンベル 咲甫太夫さんは個性が立っていたし、私はそれが大好きで聞いていたわけです。その個性を、織太夫になるために壊すと簡単におっしゃるけれど。個性とは壊すものなのですか?  広げるもの、深めるもの、あるいは自身の中に織り込んで、次の段階にいくベースとして生き続けるものではないのでしょうか。


織太夫 咲甫太夫という名前は初代だったので、うどんにたとえると、これまでは自分がおいしいと思う“あごだし”で提供すればよかった。しかし綱太夫や織太夫であれば、そこは“かつおだし”でないといけない。このグルタミン酸が何からきているのか、この透明感はどこの醬油で出せるのか、そこまで考えなければならないんです。


キャンベル 羅臼昆布なのか利尻昆布なのか。観客の中の聞き巧者、見巧者には、その微妙な味の違いがわかるということですか。そこまで掘り下げるには、ご自分のメンタリティも含めて、撓(たわ)めないといけないわけですね。