抵抗運動がブランドになるとき

How It Changed ―― The Art of Protesting
人種、セクシャリティ、エイズ。さまざまな社会的差別と闘う “抵抗運動”が、安易にブランド化され消費されていく。そんな現代の風潮に疑問を投げかける

BY SARAH SCHULMAN, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 さまざまな意味で、このエイズ活動とそこから生まれた信念は、1960年代の公民権運動のパターンを継承している。黒いベレー帽に革のジャケット、振り上げた拳が、黒人の人権を求める当時の運動のスタイルだった。ニューヨークのエイズ活動家たちは、スローガンTシャツ、ジーンズ、ドクターマーチンの靴という、テレビ映りのよいスタイルを作り上げた。キース・ヘリングやフェリックス・ゴンザレス=トレス、そして、アーティスト集団のジェネラル・アイディアが、死をテーマにした際立った作品を作り、エイズの存在を公共空間や広告、大量生産されたアパレル商品に滑り込ませた。

画像: 同じ’87年、ジェネラル・アイディアが最初のエイズ絵画を制作。ロバート・インディアナの1965年の作品「LOVE」をもじったものだ GENERAL IDEA, “AIDS,” 1987, ACRYLIC ON CANVAS, COURTESY OF THE ESTATE OF GENERAL IDEA AND ESTHER SCHIPPER, BERLIN. PHOTO © ANDREA ROSSETTI

同じ’87年、ジェネラル・アイディアが最初のエイズ絵画を制作。ロバート・インディアナの1965年の作品「LOVE」をもじったものだ
GENERAL IDEA, “AIDS,” 1987, ACRYLIC ON CANVAS,
COURTESY OF THE ESTATE OF GENERAL IDEA AND ESTHER SCHIPPER, BERLIN. PHOTO © ANDREA ROSSETTI

 1991年には、映画作家のジェリー・タータグリアら、ビジュアル・エイズ・アーティスト同盟という組織のメンバーたちが、赤いエイズリボンを考案した。それは、エイズ患者を恥ずべき存在として孤独に追いやってきたこの国において、彼らとの連帯を示すサインだ。同じ年、11歳の女優デイジー・イーガンが『秘密の花園』の演技でトニー賞を受賞し、このリボンを胸につけて壇上に上がった。リボンはそれ自体が、エイズ関連はもちろん、その後のあらゆる活動の即席のアイコンとなったわけだが、それだけではなかった。このリボンは、それを身につけることで、社会的な意識が高い人だと見なされる、また、社会的な意識が高いと人に思わせることが可能な、新種のソーシャル・カレンシー(発信した人の価値を高める情報)として、金と権力が結びついたシンボルとなったのだ。

 草の根レベルで自然発生的に生まれる抵抗運動だけが、私たちの文化を継承し、生き残らせるための唯一の希望である今の時代、70~80年代の昔ながらの抵抗運動のやり方は、今後も私たちとずっと共存し続けるし、その重要性は強調してもしすぎることはない。こうした抵抗運動は、インターネットなどの現代のテクノロジーを通して、安易にマーケティングや金儲けの対象になってはならないのだ。黒人、トランスジェンダー、ムスリム、中絶を望む女性たちなど、多数のまったく異なるコミュニティが攻撃の矢面に立たされている今、すべてをひとつのシンボルやスローガンでまとめようとするのは、無謀であり、到底不可能だ。多種多様の考え方や文化や信念が危機にさらされているなかで、私たちが属するコミュニティの規模の大きさや深さを表現できるのは、抵抗運動に多様性があってこそなのだ。ひとつのラベルを貼って、抵抗運動をわかりやすくブランド化してしまうことを断固拒否する。それこそが、突き詰めれば、抵抗運動を成功させる最も有効な戦略なのだ。

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