創業するやいなやスポーツ選手や飛行士に愛され、1920年代にはオリンピックで三度オフィシャルタイムキーパーを担ったタグ・ホイヤー。1967年に海の王者の勝利を記念して誕生した「スキッパー」が、55年ぶりにリバイバル登場。スピードに人生を懸けた人々の物語は時を超えて受け継がれ、今また新たな時代を拓く

BY LINDSAY TALBOT, STILL LIFE BY SHARON RADISCH, SET DESIGN BY VICTORIA PETRO-CONROY, TRANSLATED BY CHIHARU ITAGAKI

画像: 1968年に発表された「スキッパー」

1968年に発表された「スキッパー」

 エドワード・ホイヤーは16歳で、幼少期を過ごしたスイス・アルプスの村サンティミエの時計職人のもとで見習いを始めた。4年後の1860年、両親の所有する農場に小さな工房を設立し、銀製の懐中時計を作り始めた。10年もたたないうちに、リュウズによる巻き上げ機構で最初の特許を取得。1887年には振動ピニオンの設計を改良して再び特許を申請し、クロノグラフのスタート&ストップがさらにスムーズに。正確さと確かな技術に高評を得た彼のブランドは、スポーツ選手や飛行士の間で人気を博し、1920年代にはオリンピックで三度オフィシャルタイムキーパーを担った。

 1958年、エドワードのひ孫であるジャック・ホイヤーが家業に加わった。スキーと自動車レースを愛するジャックは、今もブランドのアイコンとなっている1963年発売の初代「カレラ」の製作を指揮。この腕時計の名前は、メキシコを横断する自動車レース、カレラ・パナメリカーナにちなんだものだった。1967年、ヨットレースのアメリカズカップで、ホイヤー社はイントレピッド号チームにレガッタ用の腕時計とストップウォッチを提供、チームはその年の優勝を飾った。翌年、勝利を記念してジャックは新しいクロノグラフを発表。それが「スキッパー」で、「カレラ」と同じ針とケースを使用したモデルだった。金属製のディープブルーの文字盤の両側に二つのサブダイヤル。左側のミントグリーンの文字盤は経過した分数を刻むミニッツレコーダー、右側は15分間のカウントダウンができるレガッタ用タイマーで、グリーン、オレンジ、鴨の羽のようなブルーの3 色に区分されていた(このブルーはイントレピッド号の反射防止デッキと同色で、海の波しぶきの中でも識別しやすい)。 

 それから55年がたった今年、タグ・ホイヤーはアーカイブの中から、長いこと自社カタログにも掲載されていなかった「スキッパー」をリバイバルした。「カレラ」のシグネチャーであるブラッシュド加工の施された青い文字盤には、先端が三角形になった時針と分針、鮮やかなオレンジの秒針、ロジウムプレート仕上げの目盛り、6 時位置の日付表示窓があり、ネイビーのファブリックストラップが配されている。この腕時計は今も昔も、タイムレスな輝きを、海でも陸でも放ち続けている。

画像: タグ・ホイヤー カレラスキッパー¥847,000/タグ・ホイヤー LVMHウォッチ・ジュエリージャパン TEL.03-5635-7054 公式サイトはこちら

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