わかりやすい解釈や分類をはねつける作品を世に送り出し、カタリーナ・フリッチュは女性の目線を形にする稀有な芸術家となった

BY MEGAN O’GRADY, PHOTOGRAPHS BY BERNHARD FUCHS, TRANSLATED BY NHK GLOBAL MEDIA SERVICES

 見る人の気分によっては、現実から少しずれてしまったような奇妙な感覚を呼び起こすフリッチュの作品は、不遜なもの、常識から逸脱したもの、あるいはもっと狡猾なたくらみがあるという印象を与えるかもしれない。だが私は彼女のそばにいるうちに、当たり前の感覚や感情を切り捨てることを強いる彼女の創作物には、知的な倫理観のようなものがあると感じるようになった。

 また、男性を見つめる女性の彫刻家という観点から見ると、彼女の作品にはフェミニズムの視点が感じられる――奇妙なことに、男性を描く女性は、今もコンテンポラリーアートの世界では珍しい。フリッチュが長年の間に創作した男性像の中には、僧侶、医師、コック帽をかぶったシェフがある(顔を見ると、それぞれカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ファウスト、バイエルンのビヤホールの従業員を彷彿とさせる)。どれもエロティックなところはまったくない。モデルは彼女の友人たちで、ある種の「うぬぼれ」がある男たちだと彼女は言う。

画像: KATHARINA FRITSCH(カタリーナ・フリッチュ) 昨年秋にドイツのデュッセルドルフにある彼女のスタジオにて、制作中の彫刻とともに撮影

KATHARINA FRITSCH(カタリーナ・フリッチュ)
昨年秋にドイツのデュッセルドルフにある彼女のスタジオにて、制作中の彫刻とともに撮影

 直近の展覧会のために準備している最新作のひとつは、携帯電話を持ったふたりの男性の像だ。美術史家のロバート・フレックと芸術家のマティアス・ラーメがモデルで、この作品は、デジタル時代における「断絶」や「偽りの約束」に対する彼女の高まる不安を映し出している――人々が非現実の領域に吸い込まれることや、デジタルという消費形態がもつ吸引力に対する懸念だ。私たちは、家や恋人や仕事までもインターネットで探し、満たされるはずのない欲求を満たそうとしている。何も知らずに携帯電話を握っているブルーの男たちの姿を見て落ち着かない気持ちにさせられるのは、彼らが私たちとちっとも似ていないからではない――彼らは私たちの周りにいる人々とまったく同じで、もしかしたら私たち自身かもしれないと思わされるからだ。

「私の世代の女性たちは、1980年代のパワーウーマンたちでした。強く、率直でありたいと思っていました。ところが次の世代の女性たちは、女性らしくありたい、きれいに着飾りたい、子どもを生みたい、それと同時に立派なキャリアも積みたいと考えています。それは大きなプレッシャーです」と彼女は言う。そして、現在もドイツで行われている男女の役割にまつわる議論について話した。ドイツでは、女性は政治の世界では高い地位に就いているが、アートやビジネスの世界では、まだまだ目立たない存在だ。

 フリッチュ自身は独身で、子どももプードルもいない――大きなスタジオの運営を楽しみ、忙しく日々を過ごしている。だが彼女はいつもアーティスト仲間に囲まれ、母親や姉妹とも仲がよい。彫刻の制作は、彼女ほど大規模なものとなると、かなりの重労働である。鋳型に材料を流し込む工程は工場に依頼しているが、そこで働いているのは男性ばかりだ。「彼らの私に対する態度や、私の話を聞かないことは非常に気になります」と言う。鋳造品の製作者たちは彼女の話を聞かず、彼女の男性アシスタントと話をすることが多いのだという。
「だから、『私を見て、私と話をしてください。発注をするのも支払いをするのも私です』と言いました。でも、そんなことを言うと、ばかばかしい立場に置かれます――嫌な女だと思われるのです」

 美術市場では、フリッチュの作品はジェフ・クーンズやダミアン・ハーストのものほど高値では売れない。しかし彼らのキャリアには、フリッチュと重なるところがある――フリッチュは1987年に聖母像を制作し、クーンズは同年に同じくミュンスターに「キーペンケァル」というドイツの伝統的な行商人の像を設置した。フリッチュは恋人のフェンスターマッハーをモデルにした《食卓を囲む人々》という大作を1988年に完成させ、クーンズは1989年に恋人のチッチョリーナというポルノ女優と自分を描いた彫刻と絵画のシリーズ《メイド・イン・ヘヴン》を発表した。フリッチュは、1980年代の強欲な美術界に反抗し、急かされて次々と作品を送り出すことや、プレッシャーをかけられながら制作することを拒んだ。

 そのせいか、彼女は他の売れっ子アーティストのように世間擦れしていない。フリッチュがマスコミと話をすることはほとんどない。だが当然のことながら、自分が同世代の男性彫刻家と同等に語られないことや、世紀の変わり目に注目を集めた彫刻作品に自分が及ぼした影響が広く認められていないことには失望している。同時に、いつでもみんなの要望に応じようとする作家にならなかったおかげで、男性の有名アーティストに見られる大量生産のメンタリティーや、ある種の「重さ」から自分は守られてきたのだと考えている。

 こうしたことを踏まえて、私は彼女に問いかけた――美術界も世の中も変化し、インターネット・ミームや絵文字から、瞬時に拡散しては消滅するさまざまな表現方法まで、多様なイメージに人々が取り囲まれる時代となった。その流れの中で、あなたの作品の意味も変化したと思いますか、と。「変わっていません」と彼女は答えた。「最初に頭に浮かぶ絵を一番大事にしていることは、今も変わりません」

 一週間後、シカゴに戻った私は、自分の4歳の子どもが入る幼稚園を見学していたときに、フリッチュとの会話を思い出した。園児たちは、全員が同じ雄鶏の絵を渡され、マンガのように太い線で描かれた雄鶏の黒い輪郭の内側を注意深くマジックで塗っていた――そこは線からはみ出さないで塗り絵をする子どもを褒めるような幼稚園だったのだ。その様子を眺めながら、この絵が典型的な雄鶏として子どもたちの中に定着し、「雄鶏」と聞いたときに頭に浮かぶイメージになるのだろうかと考えた(都市に住む幼稚園児たちが生きた鶏を見る機会はあまりないだろう)。

 彼らにとってこの絵はいったい何を意味するのだろうか? 塗り絵の雄鶏は、模倣のまた模倣でしかない。せわしなく動き、耳障りな鳴き声をあげる動物とは遠くかけ離れ、実物とはほとんど無関係の記号になっている。昔々、私たちの先祖は、焚き火の周りに集まって物語を聞かせ合い、自分たちの命を支える野牛の絵を描いた。彼らが洞窟の壁に描く動物や狩りの場面は、やさしさと意味に満ちていた。それを描くことによって、彼らは全員が共感できる共同体のイコノグラフィーをつくり上げたのだ。

 もちろん、今の時代に先史時代の壁画を見ると、私たちは彼らとは違う感動を経験する。だからこそフリッチュの作品は、見る者を落ち着かない気分にさせるのだろう、と私は思い当たった――現実との隔たりが、今の時代の私たちの暮らし方を反映しているように感じられるのだ。私たちがアイデンティティというものを芸術や商業に転化する前の時代には、動物的本能、原始的な恐怖や欲求、喜びなどが、私たちに自分が何者かを思い出させてくれた。その「神聖な暗号」が失われていくことに私たちは不安を覚えるのだ。

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