わかりやすい解釈や分類をはねつける作品を世に送り出し、カタリーナ・フリッチュは女性の目線を形にする稀有な芸術家となった

BY MEGAN O’GRADY, PHOTOGRAPHS BY BERNHARD FUCHS, TRANSLATED BY NHK GLOBAL MEDIA SERVICES

 フリッチュのスタジオで朝食をとっていたとき、「プードルは本当に嫌い」と彼女は言った。大きな天窓から明るい光が差し込むそのスタジオは、1943年に爆撃されたデュッセルドルフの動物園があった広い公園のそばにある。2階のアトリエからは、鉄道の車両基地が見える。フリッチュは64歳だが、10歳ほど若く見える。鋭い機知が感じられるすばらしく表情豊かな顔を持ち、知性と大胆さを感じさせる。彼女は、建築家の父親のものだったという美しいクリーミーなシャモア・イエローのコーデュロイシャツを着ていた。アシスタントの若い男性ふたりが私にこんにちはと言い、3人目に挨拶しようと私が振り返ると、作業台に向かって前屈みになっていたのは、彫刻作品だった。

「アイデアはいつでも私の潜在意識から浮かび上がってきます」と彼女は説明する。時には車や電車で移動中に、時には睡眠中にイメージが浮かんでくるという。
「どんなものも彫刻になりえると、私は思います。最初から私は現実と非現実の中間にある世界をつくりたいと思っていました。物体を裏側から見て、その物体を初めて見るような驚きを感じる世界です」

 このような効果を実現するためには、完璧なフォルムを追求する必要がある。雄鶏の制作にかけた2年半の間に、フリッチュは尾羽の位置を三度変えた。特に難しかったのは、胸部の形だったという。誇らしげに胸を張ったドイツの鷲の紋章「ライヒスアドラー」に似たものにしたくはなかったし、かといって「弱々しい鶏」にしたくもなかった。

 2006年以降は、プロトタイプ開発のさまざまな段階でコンピューターを使用している。物体をスキャンして石膏型を作り、入念に形を整え、作り直し、またスキャンして手を加えるという作業を何度も繰り返し、形やディテールを精密に作り上げていく。スキャンだけに頼ると「まったく平面的な」作品になってしまうと彼女は言う。「あまりむきになるのもどうかと思いますが、これは大きな問題です。スキャンに頼ると、私にとっては何よりも大切な立体感も、素材の質感や匂いも失われてしまうからです」。ポリエステル製の像を作るのはどんな作業なのかと私が尋ねると、彼女はねばねばしたポリエステルが入った缶を開けて大きく息を吸い、「この匂いが最高」と言った。

 フリッチュの作品のイコノグラフィーの源泉を探ろうとしているうちに、私は自分がユング派の精神分析医にでもなったように思えてきて、恥ずかしくなった。フリッチュの彫刻の中でも私が特に好きな《Oktopus(タコ)》(2010年)は、小柄なダイバーに、オレンジ色の長い足を巻きつけたタコの姿を描いた彫刻作品だが、このアイデアのもとになったのは、幼少の頃に熱に浮かされて見た夢とジュール・ヴェルヌの小説だと彼女は話してくれた。フリッチュが子どもの頃、彼女の父親は古い百科事典を開き、恐ろしく詳細に描かれたタコのイラストレーションを見せて彼女を怖がらせるのが好きだった。だが今はこの知能の高い生き物に感銘を受け、親近感を抱くことさえあるとフリッチュは言う。

「タコはまるで芸術家のようです。環境に合わせて瞬時に自分の皮膚の色を変えることができるなんて、本当にすごいことだと思います」。動物の彫刻に取りかかるときには、彼女はまずその動物についてできるだけたくさんの知識を得るために、本を読み、ドキュメンタリーを観る。時には、博物学の専門家に話を聞くこともあるという。だがタコのプロトタイプを制作したときには、デザイン上の大きな問題に直面した。「最初、本物のタコをスキャンすることを考えました。魚屋で買ってきたタコです。でも常に動いているタコの体をスキャンすることはできません。だから自分がタコになるしかありませんでした。タコになりきったのです。そうやってタコの動きを自分の体で感じているうちに、これしかない、とわかりました」と言って、彼女は不格好な頭足類が力なく首を横に垂れる様子を再現して見せた。それを見た瞬間、私はフリッチュが抽象的なアイデアをフォルムに変換する過程を垣間見た。

画像: 《6. Stilleben( 6番静物)》(2011年)という作品には、キリスト教のさまざまなシンボルが含まれている KATHARINA FRITSCH, “6. STILLEBEN/6TH STILL LIFE,” 2011, BRONZE, COPPER, EPOXY AND PAINT © KATHARINA FRITSCH/VG BILD-KUNST, BONN/COURTESY OF MATTHEW MARKS GALLERY

《6. Stilleben( 6番静物)》(2011年)という作品には、キリスト教のさまざまなシンボルが含まれている
KATHARINA FRITSCH, “6. STILLEBEN/6TH STILL LIFE,” 2011, BRONZE, COPPER, EPOXY AND PAINT © KATHARINA FRITSCH/VG BILD-KUNST, BONN/COURTESY OF MATTHEW MARKS GALLERY

 フリッチュは自分で顔料を配合する。スタジオの1階には、塗料を吹きつける専用の部屋もある。工業用ラッカーを工場に注文する際に、どのように色を配合しているかについて詳しいことは明かさなかったが、彼女が色を選ぶプロセスは完全に直感的なものだ――「パッと浮かんでくるのです」と彼女は言う。見ればフリッチュのものとわかる独特の色彩は、もう何十年も前に確立されたものだ。他のアーティストの手にかかればユーモラスに見えるかもしれない色が、彼女の特徴である不可解なイメージに用いられると、不吉に感じられるのだ。彼女のシンボルであるセレスティアル・ブルーと周囲のすべての色を吸い取ってしまいそうなほど濃いブラックのほかに、コバルト・ブルー、カラミン・ピンク、カドミウム・イエロー、そしてこの世に存在しないようなブルー・グリーンを彼女はよく使う。

 2000年代半ばのプラダの広告を彷彿とさせる色調だ。作品目録のひとつを一緒にめくりながら、色合いを変えただけで感じ方は一変してしまうことを私は実感した。フリッチュの芸術家として特異な点は、その作品を見ると、解釈を求められているような気がしてくることだ。

 このタコは、少女時代の悪夢を再現した彼女の自画像なのだろうか? それとも、タコをやさしくコミカルに描くことによって自分の中の恐怖を鎮めようとする試みなのだろうか? このタコには、思わず親近感を抱いてしまうような魅力がある。しかし同時に、あの太い足を巻きつけられたらどんな感じだろうかと想像して不安になる。フリッチュの作品は、相反する感情を抱かせるのだ。そこに深い意味を求めても、ほとんどの場合、失敗するだろう。彼女の創作物には、見たとおりの意味しかない─《ネズミの王》は本当に16匹のネズミが円形に並んでいるだけだ。

画像: 《Rattenkönig(ネズミの王)》(1991~93年)、3m近くもある16匹のネズミが輪になっている KATHARINA FRITSCH, “RATTENKÖNIG/RAT-KING,” 1991-93, POLYESTER AND PAINT © KATHARINA FRITSCH/VG BILD-KUNST, BONN/COURTESY OF MATTHEW MARKS GALLERY

《Rattenkönig(ネズミの王)》(1991~93年)、3m近くもある16匹のネズミが輪になっている
KATHARINA FRITSCH, “RATTENKÖNIG/RAT-KING,” 1991-93, POLYESTER AND PAINT © KATHARINA FRITSCH/VG BILD-KUNST, BONN/COURTESY OF MATTHEW MARKS GALLERY

 フリッチュの作品を鑑賞し、そこに意味を求める探究の旅は、困惑やフラストレーション、ユーモア、最後には感動を覚える体験となる。なぜなら、マットで不気味なほどなめらかな彼女の彫刻は、安易な解釈をはねつけるからだ。あまりにもディテールが細かく、あまりにも心を揺るがすその作品は、安っぽさとはかけ離れている。たとえば薄いピンクのコヤスガイの彫刻は、高さが270cm以上もあり、可愛らしさと不気味さを併せ持っている。これは「歯の生えた膣」に見える、と私が陳腐な意見を述べると、「あなたにはそう見えるなら、それでかまいません。私には貝殻に見えます」と彼女は答えた。

 

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