現代の孤独にまつわる複雑な考察を通じて、ヤン・ヘギュは紛れもなく、新しい芸術家像を世に示した。彼女は、どこにも居場所を持たないことで自分らしさを確立した、真にグローバルなアーティストだ

BY ZOË LESCAZE, PORTRAIT BY SHANE LAVALETTE, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 美術家のヤン・ヘギュは、過去の作品を新たな場所で展示するとき、その土地の独自性が展覧会に加味されるような新作を、一点加えることにしている。マイアミビーチのバス美術館で開催中の展覧会(註:2020年4月5日に終了)も、そうだ。制作に先立って、ヤンは学芸員たちにある問いかけをした。ここまで多様な文化が共存する地域に暮らす人々にとって、誰もが身近に感じるものは何か、と。「なんらかの祝日とか、食べ物とか?」。ヤンにそう聞かれても、彼らは特にないと言うばかり。「でも、何かしらの共通点があるはずでしょう?」と彼女が食い下がると、学芸員たちは互いに顔を見合わせ、冗談半分で「ハリケーン」と答えた。

 猛威をふるう大嵐を人々をつなぐ結束力に見立てるという発想を得たとき、韓国出身で現在48歳の美術家の心は躍った。ヤンはこれまで、立体作品や室内空間を丸ごと使った作品、あるいは映像を通じて、個人や国のアイデンティティ、居場所の喪失、孤立、コミュニティなどを、たびたびテーマとして扱ってきた。今回のバス美術館での展示にあたっては、何カ月もかけて気象について研究したあと、《Coordinates of Speculative Solidarity(不確かな連帯感の結合)》を新たに制作した。嵐の進路を示す天気図、同じような巨大邸宅が建ち並ぶフロリダ郊外の衛星写真、ねじ曲げられたヤシの木、不気味な波形......。これらが雑然とちりばめられ、床から壁へと渦巻くように投影されるデジタル・コラージュだ。まるで、美術館の広大なスペースが、ディストピアを描いた壁紙で覆い尽くされたかのようである。展覧会のタイトルは『In the Cone of Uncertainty(不確実性コーンにおいて)』。これは、気象用語ではハリケーンの予想進路を指すが、もしかすると、ヤンの人となりを語る哲学も表しているのかもしれない。

画像: 美術家のヤン・ヘギュ。撮影は2019年12月4日、マイアミにて。彼女は作品を通じて、記憶や喪失感、文化的アイデンティティなどについて考察している

美術家のヤン・ヘギュ。撮影は2019年12月4日、マイアミにて。彼女は作品を通じて、記憶や喪失感、文化的アイデンティティなどについて考察している

 過去10年のあいだ、ヤンの作品はドイツ・カッセルで開催されるドクメンタやベネチア・ビエンナーレなど、世界最高峰の美術展で発表されてきた。最近ではニューヨーク近代美術館(MoMA)のアトリウムで、その空間を存分に使い、立体作品とパフォーマンスを融合させた野心的なインスタレーションを展示した。窓辺のブラインドなど家庭にあるものが使われ、官能的で哀愁が漂う彼女の作品は、現代アートの世界で定着しているわかりやすいアイデンティティ・ポリティクス(註:人種や民族、ジェンダーといった特定のアイデンティティに基づく反差別運動)の範疇(はんちゅう)に収まることからうまく逃れている。

「アート業界はどこもグローバルな展開がしたくて、(作品に)より国際的でコスモポリタンな視点を求めていますが、そもそも何をもってグローバルというのでしょうか?」。そう問いかけるのは、MoMAのメディア・パフォーマンス部門の主席学芸員であり、ヤンの展覧会を企画したスチュワート・カマーだ。“グローバルな展開”の最悪のケースとしては、非西洋人のアーティストに対して、それぞれの文化的ルーツを織り込んだ表現や振る舞いを暗に要求することが考えられる。アート業界は1980年代から90年代にかけて、社会的弱者(女性、同性愛者、非白人)であるという自己規定を軸にしながら創作する作家たちに群がった。

 現代のアートシーンでも、まさにそのときと同じように、米国や欧州以外で生まれた作家たちは祖先から受け継いだ伝統をアートで表現しているという理由だけで、彼らを売り出すのではないかとおぼしき風潮がある。ところが、ひとつの場所に何日も、何週間も続けて滞在しないことで知られるヤンという美術家は、作品の中で特定の国民性や視点を打ち出すことを拒み、徹底して謎めいたアプローチを貫く。むしろ曖昧さを大切にすることによって、特定の性別や人種や場所に自分を当てはめずして個のありようを描く術(すべ)を、彼女は見つけたのだ。「自分が何者であるかについて、印象的なワンフレーズで語るなんて、できるはずがありません」とカマーは言う。

 もっともヤン自身は、強い勢力を保ちながら進むハリケーンの、穏やかな「目」のような存在だ。2019年だけでも、世界各地で15の展覧会に出展している。「さぞやお忙しいでしょう」などと言われると、彼女は相手の真意を訝(いぶか)しがり、まるで医者から運動をやめてタバコを吸えと助言されたかのように怪訝(けげん)な表情を浮かべる。「たくさんの制作や展示をこなしている」という自覚は本人にもある。だが、ヤンはこう考えるのだ。「休むべきだ、自由な時間をもつべきだ、などと疑いなく信じること自体が、行きすぎた新自由主義の表れです。情熱を抑えきれず、極限まで没頭してしまうのは、非難に値することなのでしょうか?」。彼女はつねに活動している。しかも、ある種の芸術的手法として、意図的に家族や友人との接触を避けて制作を続けてきた。そのことの弊害が、ひとつだけ存在する。「制作にのめりこむうちに、自分を見失いかけてしまう」とヤンは話す。だがこうした状況でさえ、創作には有利に働くのだ。「混沌を味わうのは、よいことだと思います」

 ヤンはソウルとベルリンにアトリエを構え、またフランクフルトで教鞭を執っているが、近年の成功によって、これらの場所と各地で開催される展覧会とのあいだを、行ったり来たりする日々が続いている。昨年の11月には、現代美術館クンストハウス・グラーツでのグループ展に出展する作品を設営するために、オーストリアのグラーツに少しだけ滞在した。同美術館は数年前にもヤンの個展を開いており、そのときに彼女が見つけたという、寄せ木張りの床がぼろぼろに傷んだ昔ながらのカフェで、まばゆいオーストリア菓子に目を奪われながら、私たちは話をした。

 襟つきの白いシャツにゆったりとした黒いスウェットシャツを重ね、ボトムスはヨウジヤマモトのスカートパンツという装いの彼女は、どこか自分自身を憐れむような、物憂げな空気もまとっていた。彼女が早々に孤独という言葉を口にしたので、寂しさを感じることはあるかと聞いてみた。図を使って語ることの多いヤンは、このときもペンを手に取って紙にふたつの円を描くと、それらを指しながら説明し始めた。「こっちが孤独。こっちは謙虚。移動生活をしなければ、自分にもっと自信をもてるのでしょうが、そのかわり謙虚さが足りなくなるだろうと思います」

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