BY ZOË LESCAZE, PORTRAIT BY SHANE LAVALETTE, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA
アートディーラーのバーバラ・ヴィーンは2000年、ベルリンでヤンにとって初となる個展の機会を提供し、アートフェアにも彼女の作品を出品し始めた。しかし、売れないことが多く、2004年頃になると、ヤン自身もギャラリーも、過去の作品を収容しきれなくなり、新たな作品に取りかかる資金も調達できなくなった。だが、このジレンマが思いがけず、彼女の初となる大がかりなインスタレーション《Storage Piece(格納された作品)》を誕生させることになった。梱包用の箱に自分の作品を詰め込んで、物流用のパレットの上に重ねて置いたものだ。しかしながら、意気消沈し、借金を抱えたヤンは、「自分は十分に苦しんだ」と思い至り、制作の規模を縮小すると、フルタイムで働き始めた。フランクフルト・ブックフェアで開催される講演を企画するという仕事だった。
ヤンが本格的にアートに復帰する契機となった作品のひとつで、彼女のキャリアを本格的に始動させたものが、2006年の《Sadong 30(サドン30番地)》である。韓国の港湾都市・仁川(インチョン)にある、ヤンの亡くなった祖母が暮らした古い家の内部を使った展示だ。10年ほど空き家になっていたのだという。廃墟となり、いくつかの窓ガラスははずれ、壁紙は剝がれ、天井のあちこちに穴が開いていた。ヤンは、壊れた鏡と無傷の鏡、折り畳み式のランドリーラック、電球、首振り扇風機を置き、長いこと見捨てられてきた部屋に、折り紙を丹念に重ねて作った星形のオブジェを置いた。ここを訪れた人は紐を使って家の鍵を開け、好きなだけ、しかもほかの人に邪魔されることなく、滞在することができた。とてもパーソナルな作品であるため、鑑賞者は他人の家に土足であがりこんだような心境にさせられたかもしれない。また、ヤンの繊細な表現方法は、万人に共通する心の痛みを思い起こさせた。それは喪失感や変化に伴う痛みであり、物事の終焉を防ぐことができないという誰もが感じる至らなさが生む痛み、でもある。
この作品を機に、次から次へと絶え間なく、ヤンの展覧会が開催されるようになった。同じ2006年にサンパウロ・ビエンナーレで発表した《Series of Vulnerable Arrangements - Blind Room(脆弱なアレンジメントのシリーズ――ブラインド ルーム)》では、永遠につきまとう居心地の悪さについて考察した。黒のブラインドを天井から吊るし、その中で、三部作の映像作品を投影した。その作品でヤンは、自分が何者なのかも、どこにいるのかもわからなくなったことについて、思いを巡らせた。加湿器、赤外線ヒーター、アロマディフューザー、エアコンなどで空間を埋め尽くし、官能や不快感、ノスタルジアについて紡いだ言葉が映し出され、次々と入れ替わる。ブラインドは、公共領域と私的領域のあいだに存在する透過性を備えた障壁であり、今でもヤンがよく使う、代表的な素材のひとつだ。彼女の作品においては、ブラインドは“曖昧にしておくこと”と“晒(さら)されること”のメタファーであり、“意図的な孤立”と“人と人との接触”を象徴している。
才能が認められていくにつれて、ヤンは商業的なアートの世界に対して猜疑心(さいぎしん)を抱くようになり、そこに身を置くと自分の知的感覚が鈍ってしまうのではないかと案じるようになった。1年半ほど前に引き払った彼女のベルリンのアパートメントには、床にぽつんと置かれたソファベッドと、留守中に電気を点けたり消したりできるように設定した照明システム以外は、何も置いていなかった。サンパウロ・ビエンナーレで知り合ったメキシコ人アーティストのダミアン・オルテガは、ヤンにとって信頼のおける数少ない友人のひとりだ。彼は、自分のディーラーであるクリマンズット・ギャラリーのオーナーたちと一緒に、彼女と食事に出かけたことがある。おいしいセビーチェ(註:魚介のマリネ)で知られるメキシコシティのレストランだったが、ヤンが注文したのはライス一皿のみだった。「かなり挑発的な意思表示だった」とオルテガは述懐する。食事のあとで彼女にその意図を尋ねると、「舌から私を抱え込むようなまねは、誰にもさせない」と言われたという。つまり、自分は豪華な食事で買収されたりはしないという意味だ。「彼女は、そういう過激なことをしたんだ」とオルテガは話す。これは、アート業界とつき合うための彼女なりの方法なのだという。「わが身を守り、自尊心を保つために必要な状況を、彼女はいつも自分の手でつくり出すのです」
今、ヤンはアート市場とうまく折り合いをつけている。世界各地のギャラリーに所属し、作品は数々のアートフェアに出品され、大きな作品には何十万ドルという値がつく。「そのたびに信念が奪われていくけれど、それでもまた自分の手で取り戻します」と彼女は言う。ヤンいわく、アートは"虚栄心の表れ"であり、"他者に寄生するもの"かもしれないが、「同時に弱い立場にある多くの人々にとって、シェルターの役割を果たしています。これほど寛容的なものは、ほかにはありません」。だからといって、仕事関係の出ざるを得ないイベントに参加して不機嫌になったり、気分が悪くなったりすることがなくなったわけではない。だが、揺れ動く気持ちはあるにせよ、彼女なりに業界での自分の立ち位置を大事にするようにもなった。「批判的な目は持ち続けたいけれど、文句ばかり言い続ける人間にはなりたくないのです」