米国の新聞「ニューヨーク・タイムズ」の表紙に、日の出の空模様をペイントするグラフィックアーティストがいる。2020年3月から欠かすことなく、700日以上の夜明けの空を描いてきたという。クリエイティブスタジオPlaceholderのアーティスト兼創業者として活躍する、ニューヨーク在住のSho Shibuya(澁谷翔)に話を聞いた

By Kanae Hasegawa

 澁谷翔は毎朝4時頃に起き、ニューヨーク・タイムズのサイトに目を通し、ランニングに出る。冷たいシャワーを浴び、朝ごはんを作る。そのルーティンは2020年3月、新型コロナウィルス感染拡大抑止のためのロックダウンにより、様子が変わった。
「僕が暮らすブルックリンは普段、車のクラクション音が鳴り響く。夜中でも人の声が絶えず、騒音で目が覚めることも。“眠らない街”と言われていたニューヨーク、そんなノイズだらけの街から不気味なほど音が消えたんです。一日も欠かしたことのないランニングをすることもためらわれる状況でした。見えない未来に、日々のニュースのヘッドラインが不安を煽る。トランプとサイエンティストの言っていることも違う。前代未聞の事態にどう対処していいのかわからない。一方で、未曾有の事態で世界が混沌としている状況を、何かのかたちで捉えなくてはという気持ちがありました」。澁谷は当時の思いをそう振り返る。
「ある日、以前ならあわただしい日常でさほど気に留めることのなかった夜明けの空に、心を奪われたんです。アパートの長方形の窓から外を見たとき、鳥の羽ばたきが聞こえ、朝日が見え、ため息が出るほどきれいだと思った。」そこから、毎日の記録でもある日の出を描いた「Sunrise from a Small Window」シリーズが生まれた。

画像: 新聞の1面上部には、その日の天候や気温などが記されている。1面には日の出の空がペイントされているが、2面(裏面)はその日の記事がそのまま読める。Sunrise from a Small Window,30th December 2020

新聞の1面上部には、その日の天候や気温などが記されている。1面には日の出の空がペイントされているが、2面(裏面)はその日の記事がそのまま読める。Sunrise from a Small Window,30th December 2020

「さまざまなニュースが飛び交い、混沌とした中でも、朝の空はこんなにも穏やかで美しいということに気づかされました。それまでは早朝から深夜までノイズにあふれ、耳にすることのなかった鳥の鳴き声を初めて聞きました。そうした光景がとても大切に思えて。僕は過去の作品としてタイポグラフィをメインに制作しましたが、ロックダウンが始まってからは、毎朝見る空を描き始めました」。
 当初は、彼のカタカナの作品シリーズと同様に厚紙に描いていたが、やがてニューヨーク・タイムズの紙面の一部にペイントするようになる。2020年5月24日、同紙の一面全面が訃報記事と化した。新型コロナ感染症による死者の数が10万を超えたのだ。亡くなった方々の名前だけで埋め尽くされる1面。それだけでは足らずインサイドページへと続いていた。言葉にできない気持ちに突き動かされ、彼は、1面を“その日の空”にした。「塗ることに躊躇もありました。でも一部だけ(ペイントする)はディスリスペクトだと思った。」以来、1面全面に日の出を描く今のスタイルを続けている。
 澁谷が描く空に、建物や人、樹木といった具象は存在しない。描かれているのは色のグラデーションのみ。暗闇からうっすらと曙が姿を現す深淵なグラデーションもあれば、薄紫色から茜色へと色調が移ろうものもあり、抽象画を見るような瞑想的な境地へと誘われる。同時に、見る側が揺さぶられるのは、キャンバスとなるニューヨーク・タイムズの、ジャーナリズムが報じる激動する世界の事象と、澁谷が捉える朝の空の様相、そのどちらも紛れもない現実であるということだ。「パンデミックや政治に翻弄される人間の世界は混沌としているのに、皮肉なことに、自然はむしろエネルギーを取り戻したように感じました」

画像: 欄外上部に走るヘッドラインはペイントされず、残される。この2年間の激動の世の流れが垣間見られる。「僕は、ニューヨーク・タイムズの記者たちがやっていることや、現場に足を運んでファクトチェックをするジャーナリズムを以前から尊敬しています。だからこの紙面を選びました」 Sunrise from a Small Window,10th November 2020

欄外上部に走るヘッドラインはペイントされず、残される。この2年間の激動の世の流れが垣間見られる。「僕は、ニューヨーク・タイムズの記者たちがやっていることや、現場に足を運んでファクトチェックをするジャーナリズムを以前から尊敬しています。だからこの紙面を選びました」 Sunrise from a Small Window,10th November 2020

 澁谷の活動はニューヨーク・タイムズの紙面でも話題に上がる。同誌は2021年3月14日には「Can You Believe We've Been Doing This For A Year?」という見出しで、「Sunrise from a Small Window」を取り上げた。「継続することが性分に合っているんです」と言う澁谷は、この日の出のシリーズを約700日間、描き続けている。作品の一部は現在、伊勢丹新宿店で展示されているが、他にも、サンローランのクリエイティブ・ディレクター、アンソニー・ヴァカレロのキュレーションで選ばれた作品が、同ブランドのマイアミやロサンジェルス、パリのブティックで展示中(2022年2月16日まで)だ。そんな澁谷に先の展望を聞くと「先のことは考えていないんです」と言う。「今日も明日も同じ日課をこなすことで助けられている。今を続けることを大事にしています」

 パンデミックは多くのものを私たちから奪った。一方で大切な気づきを与えてくれもした。澁谷はこの2年間をこんな風に振り返る。「以前は日々ガムシャラに働き、バケーションにはどこかで特別な時を過ごす、そんな風潮があったと思う。でも、シンプルに生きていても楽しいんだな、ということがわかった。ただ空を見上げるだけで、こんなにもきれいなものがある。普段目にしている普遍的なものに価値がある。自然界にある、当たり前だと思っていたものに美しいものがある。特別ではない、日常に在る素晴らしさに気づかされました」

画像: Photograph by Shimpei Suzuki

Photograph by Shimpei Suzuki

2020年に描いた作品より、澁谷自身が選んだ約40点を展示中
『Sunrise from a Small Window: A Selection from 2020』
会期:~2022年2月14日(月)
会場:伊勢丹新宿店 本館2階 イセタン ザ・スペース
※作品はすべて完売しました。

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