TEXT BY NAOKO AONO, EDITED BY JUN ISHIDA, PORTRAIT BY KOHEI OMACHI
女性アーティストVol.1 AKI INOMATA
生きものとのセッションで思考を拡張する
ヤドカリやミノムシなどの生きものと“協働”するAKI INOMATA。彼らの習性を活かした作品は、私たち自身の姿も映し出す。
──さまざまな都市の形をした殻をつくってヤドカリに引っ越してもらう《やどかりに「やど」をわたしてみる》を制作したきっかけは?
2009年、東京のフランス大使館旧庁舎が取り壊される際、そこでグループ展が開かれました。この土地はフランスの所有ですが、旧庁舎の取り壊し後60年間日本のコンソーシアムが定期借地し、その後フランスに返還されます。人間も結婚などで国籍が変わることがあります。ヤドカリにいろんな国の都市をモチーフにした“ヤド”に入ってもらうことで、国籍やアイデンティティの問題について考えることができるのでは、と思いました。
──ミノムシに人間の服の端切れを渡してミノをつくってもらう作品もありますね。
多くのミノムシは、オスは蛾になりますが、メスはイモムシのまま、一生ミノの中でオスを待ちながら過ごすんです。決定権はオスしか持っていない。ジェンダーギャップが激しい生物であることに興味を持ちました。
──真珠貝と協働する作品も制作されているそうですが。
ドルやポンドなどの紙幣に描かれた、ワシントン初代アメリカ大統領やエリザベス女王の肖像を三次元化したものを真珠の核にします。最近、国が信用を担保して発行しているお金とは違う、ポイントなどの「企業通貨」とでもいうべきもので決済することが増えてきました。今の貨幣制度も変わっていくのではないか、という思いがこの作品の背景です。
──ビーバーに木片を渡してかじってもらった“彫刻”では、誰が作者なのかという疑問も湧いてきます。
ビーバーがかじると木の節が残ることがあり、木は素材なのか作者なのかという問題が出てきます。さらに木の中に棲んでいたカミキリムシがつくった洞窟が現れたりすることもあり、私、ビーバー、木、カミキリムシの誰が作者なのか、それともその全員なのか、と問題はより複雑になる。作品というのはこういった森羅万象の関わり合いからできているのかもしれません。
──生きものと協働するアートによって発見したことはありますか?
ビーバーの作品に限らず、人間のことだけを考える人間中心主義ではうまくいかないのでは、と思います。ほかの生きものが何を考えているのか、生きもの同士、あるいは人間との関係性など、想像力を広げて自らを更新していくことにアートを制作する意義があるのではないでしょうか。また自分一人で考えることには限界がある。生きものと“セッション”することで違うことを考えられるし、思考を拡張できると感じています。
女性アーティストVol.2 川内理香子
捉えどころのない身体をつかむ、一本の線
身体の中に隠れているものがその外にあふれ出す、そんなグロテスクさと繊細な美しさが同居するのが川内理香子の絵画の魅力だ。
──「身体」に興味を抱いたきっかけのようなものはありますか?
幼い頃から、食べると身体が変わる感覚がすごくありました。おなかがいっぱいになって、それまでスムーズに思考できていたのに急に遮断されたり。最初は食べることに関心があるのかなと思っていたんですけど、制作する中でいろいろ探っていくうちに、「身体」だということに気づきました。身体の中の見えない臓器の活動は自分でコントロールできないけれど、それが自分を成り立たせている。そうしたことに関心があったんです。
──自分の中に他者がいるような感じですか?
自己と他者の境目のなさみたいなものを常に感じています。
──その感覚を作品で表現している?
作品は「もの」であって、自分の身体や思考の痕跡として捉えています。身体や思考は常に変わり続け、時間の流れの中にあるものだと思うのですが、作品にはその瞬間のものが凝固しているような感覚です。
──近作はレヴィ=ストロースの著作にインスピレーションを受けたとのことですが。
食に関する本を探していたときに出会ったのですが、『神話論理』の1 巻目が『生のものと火を通したもの』というタイトルで、そこに惹かれて購入しました。彼によると、人間の文化の始まりは料理にあり、それは生のものに火を通すことだというんです。神話の中に出てくる動植物や事象が、食や身体の持つ抽象的な意味に置き換えられてゆくのですが、そうした分析に共鳴し、食や身体を考えるときに、神話のイメージが出てくるようになりました。それを作品に還元していったのです。
──描く際にスピード感を大切にされていると伺いました。
自分の意識が追いつかないくらい速く描く、みたいなことを大切にしています。手の思考としか言いようがないんですけど、手が考えて描いているところがあって。そういうときは、自分の意識を超えた無意識的なものが出ている感覚がすごくあります。
──針金やネオン管を使った作品を発表されていますが。
いずれも絵画から出てきた「線」として捉えています。自分がやっていることはすべて絵画だと思っているので、そこからは絶対に離れたくない。線は自分にとってすごく重要な要素で、線を引くところからすべてが始まっている。線にはそのときの手の動きだったり身体の動きだったり、その人の呼吸が如実に表れます。そのときの身体が表れ出ているように思えて、捉えどころのない身体だけど、線はそれをつかめる感じがするんです。
女性アーティストVol.3 持田敦子
次の時代に残るのはものか、あるいはコンセプトか
家の一部が切り取られ回転する。行き先のない螺旋階段が屹立する。持田敦子の作品は建物や空間に介入するダイナミックなものだ。
──なぜこうした作品をつくるように?
子どもの頃、壁際のベッドで眠るなど、壁と“親密な関係”を築いていました。美大に通っていたとき、大学の階段にそのベッドルームの壁を拡大して設置するというインスタレーションをつくったんです。プライベートをパブリックな場に差し込むコンセプトです。留学先のドイツでは刑務所だった建物の壁を抜いて内外をつなげる作品を考えました。でも壁は厚さが60㎝もあって無理だよ、と笑われた。そこで建築やエンジニアリングの学生にも協力してもらい、壁のれんがを一つ抜いてつくった小さな穴から内部と外部をパイプで円環状につなぐ作品を発表しました。壁は建物を支えるほかにもいろいろな意味がある。そこに穴を開けてみたいと思ったんです。
──家の一部が回転する《T家の転回》の舞台となったのはお祖母さんの家だそうですが。
第二次世界大戦前に建てられた古い家で、祖母が結婚して移り住み、子どもを産み育てた、私の母の生家でもあります。出産とともに増築を繰り返した家が少しずつ朽ちていく様は、年々自由がきかなくなってゆく祖母の身体とも重なりました。また制作時に、建物を支える構造を切ること、つなげることを建築用語でそれぞれ「縁を切る・つなげる」ということを知り、建物も人間関係と同じだな、と興味深く思いました。母や祖母が生きていたのは、家と女性が今よりももっと密接に結びついていた時代です。《T家の転回》では、祖母が逃げ出したいと思ってもできなかった「家」の「縁」を切って回転させ、空気を入れ換えます。じめじめした畳など、家に潜んでいた「闇」を外に出して白日の下にさらす。この作品の背景にはそんな家と女性の関係性もあります。
──螺旋階段も“回転”を取り込む構造物です。
コロナ禍で中止になってしまいましたが、この作品は札幌の「モエレ沼公園」に設置する計画もありました。モエレ沼公園はイサム・ノグチが宇宙からも見える「大地の彫刻」を目指してつくったものです。その巨大なものに抵抗して人間の身体のスケールを感じられるものを入れ直し、自分の手に取り戻すというコンセプトです。回転や円といった要素は、四角い空間に斜めのものを入れることで切り崩したい、という衝動の表れでもあります。
──私たちは「美は永遠に残る」と思いがちですが、持田さんの作品には《T家の転回》など解体されてしまったものもあります。
《T家の転回》は解体せざるを得なかったので、再現の可能性を探りつつ映像などの記録をとりました。たとえものはなくなっても、大事なのはやろうとしたこと、コンセプト、実際にやったこと、作品で得た体験だと思います。社会の中で起きたことをどう切り取るか、そのコンセプトを残すことが美を次の時代に残すことなのではないでしょうか。
女性アーティストVol.4 スクリプカリウ落合安奈
見えない壁を可視化し、乗り越えようとする力
日本とルーマニアというミックスルーツを持つスクリプカリウ落合安奈。人と人の間に立ちはだかるさまざまな壁をテーマとした作品を3年にわたって制作し続けた。
──《骨を、うめる》は2019年以来つくり続けている作品ですが、落合さんにとってどういう意味を持つものなのでしょう?
自分の出自であるミックスルーツから見る、“国”という枠組みに関心を抱きました。時代とともに世界は変化しているのに、昔つくられた”国”という枠組みは追いついていない部分があると思うんです。この作品は、いわゆる「鎖国」下にあった江戸時代にフィアンセに会いにベトナムへと渡り、その地で亡くなった人物のお墓を訪れたことから始まりました。これまで母や自分のもうひとつのルーツであるルーマニアをモチーフにして作品をつくってきましたが、直接関わりのない誰かの物語をモチーフにしたのは初めてでした。
──一貫して同じテーマを追い続ける理由は?
日本で生まれ育ったのですが、外国人として扱われるような経験が幼少期から多々ありました。昔から深い根のように続いていることの延長に自分の生があって、同じ時代に生きている人たちとの間にも摩擦のようなものを感じて過ごしてきました。美術の道に進んだのは、幼い頃から絵を描くのが好きで、周りの人に褒めてもらうことも多く、「ものをつくる」ことが大事なコミュニケーションツールとなったんです。そして現代美術に出会い、社会問題に対して作品に昇華するという向き合い方を知り、一人で悩んでいたことが自分だけの問題ではないことにも気がつきました。国境を越えて生を受ける人は今後も増えていくと思いますので、微力かもしれないですけれど、美術の力を使って少しでもいい方向に変えていくことができたらと思います。美術はいろいろな受け取り方をしてもらえるので、たくさんの人に「問いの種」のようなものを自然に残していける作品をつくれれば。
──この作品はコロナ禍でもつくり続けられました。鎖国が再び現実化したような状況は、創作に影響を与えましたか?
作品をつくり始めた時点では「鎖国」は遠い過去のもので、いかにそれをフィールドワークなどで引き寄せるかをずっとやっていたのですが、現実に鎖国のような状態になって、コミュニティや国の輪郭が壁のように立ち上がり、みんながその中でくくられる状況になった。私自身のリアリティも変化しましたが、作品と鑑賞者の関係も変わったと思います。よりリアリティを持って作品が届く状態ができたように感じます。
──落合さんを創作へと駆り立てるものは?
もっと世界の構造を知りたいという思いでしょうか。創作を通じて、いろいろな人や土地と出会うことで、世界の構造が見えてくると同時に、自分の世界の見方が広がってゆく。世界への好奇心が創作の原動力であり、アートは私と世界をつなぐものなのです。