極端なスケールで日常の人物を表現するロン・ミュエクの個展が、東京・六本木の森美術館で現在開催中だ。見る者の感情と知覚を揺さぶる彼の意図とは何なのか─その制作過程に迫る――

BY KANAE HASEGAWA

画像: 《イン・ベッド》 2005年 長さ6.5m、幅約4 mの大型作品。鑑賞者は、ちょうど目の高さに位置する女性の顔を見つめ、彼女が何を考えているのか思いを巡らすことになる RON MUECK IN BED 2005 COLLECTION: FONDATION CARTIER POUR L’ART CONTEMPORAIN INSTALLATION VIEW: RON MUECK, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, SEOUL, 2025 PHOTO: NAM KIYONG PHOTO COURTESY: FONDATION CARTIER POUR L’ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA

《イン・ベッド》 2005年 長さ6.5m、幅約4 mの大型作品。鑑賞者は、ちょうど目の高さに位置する女性の顔を見つめ、彼女が何を考えているのか思いを巡らすことになる

RON MUECK IN BED 2005 COLLECTION: FONDATION CARTIER POUR L’ART CONTEMPORAIN INSTALLATION VIEW: RON MUECK, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, SEOUL, 2025 PHOTO: NAM KIYONG PHOTO COURTESY: FONDATION CARTIER POUR L’ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA

 ベッドの中で、途方に暮れた表情をのぞかせる長さ6mほどの女性。赤ん坊を胸元に抱え、買い物袋を下げたまま遠くを見つめる背丈1mほどの若い母親。ともすればありきたりの日常のシーンが登場するのは、病院の中でも、街中の道路でもなく、真っ白なギャラリーだ。いずれもオーストラリア出身のアーティスト、ロン・ミュエクによるスカルプチュア(彫られていないのでここでは彫刻としない)だ。シリコンやファイバーグラスでつくられた像は、身体や生命感あふれる表情が真に迫る精巧さで表現された、人を象った"人形(ひとがた)" ともいえる。スーパーリアリズムと評されることもあるミュエクの作品だが、実際の人物よりも極端に大きく、あるいは極端に小さくつくられた身体は、現実的というよりもむしろ見る者を現実から引き離す。

画像: 《買い物中の女》 2013年 日本初公開。ミュエクが、ロンドンのスタジオ近くの交差点で信号待ちをする、買い物袋を持ち赤ん坊を抱えた母親の姿を目にし、駐車券の裏にスケッチしたことがきっかけで制作されたという RON MUECK WOMAN WITH SHOPPING 2013 COLLECTION: THADDAEUS ROPAC, LONDON · PARIS · SALZBURG · MILAN · SEOUL INSTALLATION VIEW: RON MUECK, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, SEOUL, 2025 PHOTO: NAM KIYONG PHOTO COURTESY: FONDATION CARTIER POUR L’ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA

《買い物中の女》 2013年 日本初公開。ミュエクが、ロンドンのスタジオ近くの交差点で信号待ちをする、買い物袋を持ち赤ん坊を抱えた母親の姿を目にし、駐車券の裏にスケッチしたことがきっかけで制作されたという

RON MUECK WOMAN WITH SHOPPING 2013 COLLECTION: THADDAEUS ROPAC, LONDON · PARIS · SALZBURG · MILAN · SEOUL INSTALLATION VIEW: RON MUECK, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, SEOUL, 2025 PHOTO: NAM KIYONG PHOTO COURTESY: FONDATION CARTIER POUR L’ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA

 ミュエクの作品は、スカルプチュアの象徴といえる古代ギリシアの人物像のように人間の姿を理想化した表象でもなければ、王侯貴族がつくらせた自身の胸像のようなシンボルでもない。市井の人々の人生の一瞬を象る。「理想化も誇張もされていないスカルプチュアを、誠実さと真摯さをもってつくることで、見る人たちは目の前にある人物像と対話をし、感情移入できるのでしょう」と、25年以上にわたりミュエクとともに展覧会を制作してきたチャーリー・クラークが言うように、ミュエクは人物像をつくるうえで徹底して真を追求する。母親の像はまっすぐ伸びた背すじや肌の艶から若さが見て取れるが、顔にうっすらと出たシミから、日焼けに注意を払うゆとりのない女性像が想像できる。あるいは、ビーチパラソルの下でくつろぐ水着姿の夫婦像の腹のたるみ具合や、シワの重なった女性の表情は、「この人と長年連れ添ってきたけれど、幸せだったのだろうか?」という言葉が連想できそうなほど雄弁だ。目の前にあるのがスカルプチュアだと明らかでありながらも、スケールの非現実さから、かけ離れた世界の状況ではなく、自身の日常に引き寄せられ、感情移入できる。

画像: ロン・ミュエク 1958年オーストラリア生まれ、1986年より英国在住。映画・広告業界で20年以上働いたのち、1996年、現代美術界にデビュー。一作品を制作するために数カ月、時には数年を要することもあり、過去30年間に制作された作品総数は50点ほどしかない GAUTIER DEBLONDE CHICKEN / MAN 2019-2025 HIGH-DEFINITION VIDEO

ロン・ミュエク 1958年オーストラリア生まれ、1986年より英国在住。映画・広告業界で20年以上働いたのち、1996年、現代美術界にデビュー。一作品を制作するために数カ月、時には数年を要することもあり、過去30年間に制作された作品総数は50点ほどしかない

GAUTIER DEBLONDE CHICKEN / MAN 2019-2025 HIGH-DEFINITION VIDEO

 ここまで真に迫る人物像はどのようにしてつくられるのか。ミュエクは美術大学での教育を受けてはいない。もともとテレビやコマーシャルの撮影用小道具を制作する模型職人として仕事を始めている。そこで本物そっくりの彫刻作品をつくる腕を磨いた。実在のモ
デルがいる場合もあれば、日々の周到な観察や、世の中に氾濫する写真や画像をもとに独自でつくる場合もあるという。皮膚の下の毛細血管といった生物学的な真実味があるだけでなく、つくり出された人それぞれの表情が真の人間の表情に肉薄しており、見る者に問いかける。「この人物はどんな人でどんな暮らしをしてきたのだろうか?」と。「ミュエクは細部にわたって徹底して真実味を追求します。しかし細部の精巧さ以上に重要なのは、それらすべてが組み合わさったときに真実味をもって迫りくる人格を体現しているかどうかです」とクラークは言う。自らが求める表情、人物の内面を浮かび上がらせるためミュエクは作品をすべて自分の手でつくるが、自身が納得いくまで人物の内面に入り込んだあとは、そこからの解釈を見る者に委ねる。それゆえにミュエクは、作品について自身の考えを述べる取材を受けない。人を見るとき、人それぞれ見方が異なるように、「人物という作品が、その人物を語る」のだ。

画像: 《マス》 2016-2017年 日本初公開。巨大な頭蓋骨のスカルプチュア100体で構成されており、ミュエクはそれぞれの美術館の展示空間に合わせてインスタレーションをつくりあげる RON MUECK MASS 2016-2017 COLLECTION: NATIONAL GALLERY OF VICTORIA, MELBOURNE, FELTON BEQUEST, 2018 INSTALLATION VIEW: RON MUECK, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, SEOUL, 2025 PHOTO: NAM KIYONG PHOTO COURTESY: FONDATION CARTIER POUR L’ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA

《マス》 2016-2017年 日本初公開。巨大な頭蓋骨のスカルプチュア100体で構成されており、ミュエクはそれぞれの美術館の展示空間に合わせてインスタレーションをつくりあげる

RON MUECK MASS 2016-2017 COLLECTION: NATIONAL GALLERY OF VICTORIA, MELBOURNE, FELTON BEQUEST, 2018 INSTALLATION VIEW: RON MUECK, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, SEOUL, 2025 PHOTO: NAM KIYONG PHOTO COURTESY: FONDATION CARTIER POUR L’ART CONTEMPORAIN, NATIONAL MUSEUM OF MODERN AND CONTEMPORARY ART, KOREA

 これまで人物を特定できそうなほど具象的な作品をつくってきたミュエクだが、2017年には頭蓋骨をモチーフにしたおびただしい数のオブジェを積み上げた大型作品《マス》を発表した。高さ1mほどの頭蓋骨は当然、本物ではないスケールだ。100体が積み上げられると、まるで洞窟の中をさまようような感覚すら覚える。英語での作品タイトル《Mass》はさまざまな意味に捉えられる。英語の辞典を開いても、物量、大勢、カトリック教のミサなどいくつも意味が出てくる。つまり言葉自体、置かれる文脈ごとに意味が変わり、人は文脈ごとにMassの意味を理解する。同様にミュエクの作品についても、作品の置かれた状況で、見る者の捉え方が変わるものだといえる。たとえば2023年、移転前のパリのカルティエ現代美術財団で《マス》が展示されたときには、財団の付近に共同墓地があったことから、頭蓋骨という存在をよりリアルに感じた人もいたかもしれない。あるいはガラス張りの財団の建物の窓から差し込む自然光が《マス》に落とす表情に、純粋な美しさを感じさせることもあった。さらに今では、頭蓋骨はファッションアイテムとして日常的に親しまれてもいる。一方で現在、ミュエクの回顧展が開催されている森美術館は、超高層ビルの最上層、53階に位置する。エレベーターで上へ上へと昇っていった先に出合う一群の頭蓋骨に、まるで
魂が昇天するような精神性を感じるかもしれない。

画像: チャーリー・クラーク アーティストや美術館、ギャラリーと協働し、展覧会の実現に幅広く携わる。ロン・ミュエクとは25年以上にわたり活動を共にし、スタジオでの制作支援から世界各地での展覧会まで関与。カルティエ現代美術財団企画の巡回展ではアソシエイト・キュレーターを務め、作品展示に関する専門的な知見を提示している

チャーリー・クラーク アーティストや美術館、ギャラリーと協働し、展覧会の実現に幅広く携わる。ロン・ミュエクとは25年以上にわたり活動を共にし、スタジオでの制作支援から世界各地での展覧会まで関与。カルティエ現代美術財団企画の巡回展ではアソシエイト・キュレーターを務め、作品展示に関する専門的な知見を提示している

 こうしたミュエクの作品制作は、緻密で根気のいる作業ということもあり、一つの人物像に9 カ月の期間を要することもある。長い期間制作に集中し、作品を多くの人に見てもらう場があることは、アーティストが活動を継続するうえで欠かせない。長年にわたりア
ーティストの創作活動を支援してきたカルティエ現代美術財団が、彼の活動を2005年から支え、新作を依頼し、発表の機会を設けてきたのは自然な流れなのかもしれない。今回の展覧会は、財団が森美術館と共催している。「ミュエクの作品に見る者を欺こうという意図
はないと私は思います。見ている対象がスカルプチュアであることは明白です。しかし真に迫る人間描写によって、見る人は一時、現実から引き離され、想像力が解き放たれる領域へと誘われるのです」とクラークは語る。ソーシャルメディアを中心に、まことしやかな画像や映像を鵜呑みにしてしまいそうな現代において、ミュエクの作品は自身の知覚を問い直す鏡のような存在だ。

「ロン・ミュエク」展
会期:〜9月23日(水・祝)
会場:森美術館 東京都港区六本木6 -10-1 六本木ヒルズ森タワー53階
公式サイトはこちら

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