ネバダ州の人里離れた人っ子ひとりいない砂漠の真ん中に、前代未聞といえる奇抜な現代芸術作品を打ち立てるのに、アーティストのマイケル・ハイザーは半世紀を費やした。彼はこれから何を創るのか?

BY M. H. MILLER, PORTRAIT BY DINA LITOVSKY, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

※カタカナの人名や施設名表記は、編集部の判断により日本で広く使われている表記を使用しています。

画像: アーティスト、マイケル・ハイザーがネバダ州の砂漠の中に建設した作品《City (シティ)》(1970-2022年)の東端から見た風景 “COMPLEX ONE AND TWO, CITY,” 1970-2022 © MICHAEL HEIZER. COURTESY OF TRIPLE AUGHT FOUNDATION. PHOTO: MICHAEL HEIZER

アーティスト、マイケル・ハイザーがネバダ州の砂漠の中に建設した作品《City (シティ)》(1970-2022年)の東端から見た風景

“COMPLEX ONE AND TWO, CITY,” 1970-2022 © MICHAEL HEIZER. COURTESY OF TRIPLE AUGHT FOUNDATION. PHOTO: MICHAEL HEIZER

「現代社会には、好きじゃない側面がたくさんある」とアーティストのマイケル・ハイザーは言う。私たちは、ニューヨーク市内のセントラルパークの南端にほど近い、彼のアパートメントのキッチンのテーブルに向かって座っていた。彼のファンたちは、こんな都会のど真ん中に彼が住んでいるなどとは、想像もしないだろう。ハイザーは1960年代末から始まったランドアート運動の中心人物のひとりだ。アーティストたちが自然環境や大地に対峙して、自らのエゴや人間味をまるごと注ぎ込み、土や岩を素材として作品をつくりあげるのがランドアートだ。彼はこれまでの50年間のほとんどを、アメリカの南西部の電気すら通っていない荒野、特にネバダ州の砂漠で過ごしてきた。彼のお気に入りの素材は何トンもの重量がある岩や泥などで、彼は重機─クレーンやパワーショベル、ブルドーザーなど─を、ほかのアーティストたちが絵筆を使うように使いこなす。

 齢81となった今、健康が衰えていくのにつれて、彼は以前よりももっと、自分が社会や周囲の人の助けを借りて生きていると感じるようになった。窓からセントラルパークとコロンバス・サークルが見えるこのアパートメントで、彼は4人目の妻で、54歳のキャラ・ヴァンダー・ウェグと暮らしている。ふたりが結婚したのは2022年で、彼女はガゴシアン・ギャラリーのマネジング・ディレクターを務めている。ハイザーが同ギャラリーの所属となったのは2013年だ(ふたりはニューヨーク市内と─「キャラはこの街で仕事をしないといけないから」とハイザーは言う─ロングアイランドの東端に位置するシェルター島にある自宅の両方で過ごしている。その理由を、ヴァンダー・ウェグは私に「彼は水辺が好きだから」と語った)。私たちが話している間、彼女はパルメザンチーズの半円盤状の塊の内側からチーズを削り出して、軽食をつくっていた。壁にはジャスパー・ジョーンズの版画作品が飾られており、さらにハイザーの愛犬で、ボーダー・コリー犬種のトマト・ローズを偲ぶための小ぶりの祭壇があった。そしてそこには愛犬の遺灰が入った小さな木箱が置かれていた。ほかにも彼の砂漠での人生の軌跡を示す品々がいくつかあった。たとえば、ラスベガス市長から授けられた、カジノが立ち並ぶラスベガス大通りへの歓迎の意味を示す、黄金の鍵(註:米国では地域に貢献した人物や著名人などに自治体の長から鍵が贈られる風習がある)や、3Dプリンターで制作した岩のモデル、また、ネバダ州の彼の領地で制作中の作品の模型などもあった。

 ハイザーの頭髪はめっきり薄くなり、酸素マスクを装着していた。チェック柄のシャツとジーンズに身を包んだ彼は、今でもハンサムだが、長年の疲労が蓄積している。彼の顔には、半世紀にわたって冬の厳しい寒さと摂氏約49℃の夏の熱波にさらされた年輪が、くっきりと刻まれていた。長年ずっと北米大陸の西側で暮らしたのちに、ニューヨークに戻ってきて、カルチャーショックはあったかと彼に聞いてみた。「僕はアメリカ人だ」と彼は言った。「ニューヨークのアートを創るわけじゃないし、ネバダのアートを制作しているわけでもない。自分は変化を遂げていく。これは別に自慢しているわけじゃない。ただ君に正確な情報を伝えようとしているだけだ」

 現代アートの世界では、「難解」という言葉が手垢がつくほど使われてきた。だが、この言葉にふさわしいアーティストがいるとするならば、それは間違いなくハイザーだ(また、彼の周囲にいる人たちは、「行動が予測できない」「不機嫌」などという言葉を使って彼の人となりを形容している)。ハイザーがインタビュー取材を引き受けることはほとんどないうえに、彼は記者が取材中に録音することを許可しない。「こう言えばわかってもらえるかな」としわがれた声で私に言う。「録音されるのが、とにかく嫌いなんだ」

画像: ハイザーの《North, East, South, West(北・東・南・西)》(1967年/2002年)。引き算を意図した彼の彫刻作品のひとつ。ニューヨーク州北部のディア・ビーコン美術館に展示されている。 MICHAEL HEIZER, “NORTH, EAST, SOUTH, WEST,” 1967/2002, DIA ART FOUNDATION, GIFT OF LANNAN FOUNDATION © MICHAEL HEIZER, COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN. PHOTO: TOM VINETZ, COURTESY OF DIA ART FOUNDATION, NEW YORK

ハイザーの《North, East, South, West(北・東・南・西)》(1967年/2002年)。引き算を意図した彼の彫刻作品のひとつ。ニューヨーク州北部のディア・ビーコン美術館に展示されている。

MICHAEL HEIZER, “NORTH, EAST, SOUTH, WEST,” 1967/2002, DIA ART FOUNDATION, GIFT OF LANNAN FOUNDATION © MICHAEL HEIZER, COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN. PHOTO: TOM VINETZ, COURTESY OF DIA ART FOUNDATION, NEW YORK

 ハイザーの作品も難解だといえるかもしれない――制作するのがきわめて難しく、鑑賞する側にも相当な労力が必要で、作品をカテゴライズするのも大変だ。彼はのちに《North, East, South, West( 北・東・南・西)》という大作を手がける前に、1967年にまずオリジナルの《South(南)》部分を手がけたのだが、その際、彼はカリフォルニア州のシエラネバダ山脈の地面を掘って穴を開け、鉄製の円錐形のコーンを地中に埋め込んだ。その翌年にはネバダ州に横たわる砂漠や干上がった湖の跡地に、大規模な凹みを複数刻み込んだ《Nine Nevada Depressions(ネバダの9つの凹地)》という作品を制作した。この建設にあたり、ショベルを使ってサイ・トゥオンブリー(註:アメリカ人画家・彫刻家)風の記号を地面に掘り込んでいった─ジグザグ状や縄状の形だ─この作品は、非常に広範囲にわたってちらばって存在するため、鑑賞するには、飛行機で空中から眺めるのがベストだ。

 ホワイトキューブ(註:美術館における装飾や凹凸のない白い立方体の空間)という展示場所の制約を脱し、現代芸術作品を野外に移す作業と並行して、彼は砂漠を室内に持ち込んでもいる。1980年代には、彼は巨大な岩石─時には40トン以上の重さに達した─を鋼板で挟んでギャラリー内に展示し、その後、美術館でも展示を行なった(「地球というのは」と彼はかつて語ったことがある。「素材として最も大きな可能性を秘めている。なぜならそれ自体がほかにない独自の素材だからだ」)。ハイザーの作品はニューヨーク州北部のディア・ビーコン美術館や、ワシントンD.C.に隣接するメリーランド州のグレンストーン美術館でも観ることが可能だ。だが、彼の最も重要な作品を直接体験したければ、少なくとも一日分の飲料水と、食料、四輪駆動車、そして幸運を祈る気持ちが最低限必要になってくる。

画像: ロサンゼルス・カウンティ美術館に設置された作品《Levitated Mass (浮遊する塊)》(2012年)。カリフォルニア州の採石場で採れた重さ340トンの花崗岩。 MICHAEL HEIZER, “LEVITATED MASS,” 2012, LOS ANGELES COUNTY MUSEUM OF ART © MICHAEL HEIZER, COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN. PHOTO: MARY SHANAHAN

ロサンゼルス・カウンティ美術館に設置された作品《Levitated Mass (浮遊する塊)》(2012年)。カリフォルニア州の採石場で採れた重さ340トンの花崗岩。

MICHAEL HEIZER, “LEVITATED MASS,” 2012, LOS ANGELES COUNTY MUSEUM OF ART © MICHAEL HEIZER, COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN. PHOTO: MARY SHANAHAN

 ハイザーが手がけた最も有名な作品は《City(シティ)》だ。この作品の構想を彼が練り始めたのが1970年で、建設するのに実に50年かかっている。この世にこれまで存在したすべての芸術作品の中で、あらゆる意味で超弩級だといえる。最も野心的で、建設工程が一番複雑で、最も人里離れた荒涼な場所に存在し、規模は最大だ。《City》建設のために、彼はネバダ州のガーデン・ヴァレーに数十年かけて約8㎢以上の面積の土地を購入した。この地域は、冷戦時代に合衆国政府が核兵器の爆発実験を行なったネバダ核実験場(註:現在は「ネバダ国家安全保障サイト」に改称されている)から約160㎞北に位置する。ラスベガスから257㎞ほど北上すると、ガーデン・ヴァレーがあるリンカーン郡に着く。同郡の面積はマサチューセッツ州と同じくらいだが、人口は5000人以下だ。この地は、ラスベガス・レビュー・ジャーナル紙によれば「何もない荒涼とした空間で知られているネバダ州の中でも、最も何もない空間のひとつだ」と形容されている。ハイザーは当初、この土地で長さ約12m、幅約2.4mのトレーラーに住んでいた。彼は年々自分の牧場(「寝坊牧場」と名づけた。ほかのほとんどの牧場主と違い、彼は朝早く起きるのが苦手だったからだ)を拡張していき、牧場の前庭にあたる巨大なスペースに、マヤやアステカなど先コロンブス期の文明が花開いた時代に使われていた建築技法を用いて、端から端まで約2.4㎞もある巨大な傑作をつくりあげた。

 この作業はきつかった。長年の喫煙習慣と高地での肉体労働で(《City》は海抜約1.5㎞以上の高台にある)、ハイザーの呼吸器は弱っていった。ガーデン・ヴァレーの環境は過酷だったが、彼にとって必要な自然の素材はすべて揃っていた。砂と小石を混ぜればコンクリートをつくることができたし、水道も完備していた。そして何よりも空間と静寂が手に入った。「僕は自分の気が向くままに物事を決める」とハイザーは私に言った。決まった計画なしに創作を行い、「アートギャラリーに飾られた展示品」以上の作品をつくってやる、という野心だけが彼の原動力だった。彼の創作は美術の
枠を超えて、建築工事の規模で進められた。《City》には決まったデザイン画もなく、エンジニアリングの設計図もなかった。「ひとつまたひとつと建設していった」と彼は続けた。「自分が何をつくっているのかわからなかったから、いろいろ試すしかなかった。うまくいかないときは、やり方を変えてみた。いろんな箇所を何度も変更したよ。一貫して、プロジェクトに流動性を持たせ続けたんだ」

《City》が拡張するにつれ、彼とその作品は神話化されていった。ハイザーは一部の人々にとっては、西洋の現代美術のレジェンドであり、過酷な環境や、どこまでも続く地平線の彼方に無限の可能性を求めてさすらう芸術界のバッファロー・ビルだった(註:バッファロー・ビルは野生のバッファローのハンターで、荒野の闘いを野外で実演して見せる「ワイルド・ウェスト・ショー」の興行主でもあった人物)。一方、ほかの人々にとっては、彼は先住民であるネイティブ・アメリカンのサザン・パイユート・トライブやショショニ・トライブの先祖たちが暮らしていた土地に、勝手に入植してきた侵入者でもあった。どちらにしても、彼は時を超越した存在で、シエラネバダ山脈とロッキー山脈に挟まれた乾燥地帯のグレートベースンに紛れ込んだひとりのカウボーイなのだ。彼はそこで自分自身を見つけ、あらゆる障害を乗り越えてサバイバルしつづけ、現代社会において影響力を持ち続けている。

 また、単純に言って、《City》は決して誰も物理的に見ることができない最も偉大な作品になるはずだった。アートビジネス界の一部の人たちは、まるでUFO陰謀論者たちがかつて極秘の空軍基地「エリア51」のことを語り合っていたときのようなひそひそ声で、ハイザーの噂話をしたものだった。ちなみに、エリア51は、現在でもその存在は限りなく非公式に近いが、彼にとってはたまたまネバダ州内のご近所さんのような存在なのだ。彼の「牧場」がいかに荒涼とした場所なのかを物語るエピソードがひとつある。近隣の集落であるネバダ州のレイチェルは、彼いわく、集落というよりも「うちの谷の南にある二つのトレーラーにつけられた名前なんだ。赤ん坊がそこで生まれて、彼女はレイチェルと名づけられた。だからあの場所はレイチェルと呼ばれるようになったんだよ」。また、《City》をひと目見たいと勝手に領地内に侵入してくる者たちをとことん排除することにかけては、彼は徹底していた。

画像: ネバダ州のブラック・ロック砂漠にある作品《Dissipate#2(消散#2 )》。ハイザーが1968年に同州の各地で制作した《Nine Nevada Depressions (ネバダの9つの凹地)》シリーズ作品のうちのひとつ。 MICHAEL HEIZER, “DISSIPATE #2,” 1968, BLACK ROCK DESERT, NEVADA © MICHAEL HEIZER, COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN. PHOTO: MICHAEL HEIZER

ネバダ州のブラック・ロック砂漠にある作品《Dissipate#2(消散#2 )》。ハイザーが1968年に同州の各地で制作した《Nine Nevada Depressions (ネバダの9つの凹地)》シリーズ作品のうちのひとつ。

MICHAEL HEIZER, “DISSIPATE #2,” 1968, BLACK ROCK DESERT, NEVADA © MICHAEL HEIZER, COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN. PHOTO: MICHAEL HEIZER

 しかし2022年になると、これまで長年の間、彼のプロジェクトを気にかけていた誰もが驚くことが起きた。《City》が完成したとハイザーが宣言したのだ。とりあえず、来場客を迎え入れる準備ができた程度には作品が完成したということだった。それはまるで小説『白鯨』の主人公のエイハブ船長が、白鯨モービィ・ディックの血が滴る尾びれを高々と掲げながら、ニュー・ベッドフォードに帰還したようなものだった。コロナ禍のほとんどの時間を「牧場」で過ごしたのち、彼とヴァンダー・ウェグはニューヨークに戻り、2023年に彼らの現在のアパートメントに引っ越した。それ以来、ハイザーは《City》には一度も戻っていない。何十年もネバダ州の荒涼とした谷で馬や牛の世話をして暮らしていた彼が、今、全米でも最も人口密度が高い地区のひとつに住んでいる。さらに現在の住まいである瀟洒(しょうしゃ)なアパートメントに関しては、彼が世界で最も大きな商業ギャラリーチェーンと契約を交わしている関係上、不動産購入費用の少なくとも一部はギャラリーが負担したことになるわけだ。「あの作品をつくったときには誰ともつながっていなかった」とハイザーは言う。「まるで違う時代みたいだ」。現在、彼の牧場には運転手や世話人たち、チーム単位で作品の修理と管理を行う従業員たちが在駐している。最近では、《City》の中でヴォーグ誌が俳優のティモシー・シャラメを撮影するのを許可した。現地でシャラメが着用した衣装の中には、トム・フォードがデザインしたグランピング用ウェアも含まれていた。「あそこは、もう別のものになりつつある」とハイザーは続けた。「僕は自分の所有物や不動産やアート作品や機材を手放しているところなんだ。すべてを公共のために寄付する。何も手もとに残さない。僕は何も所有しない。何も欲しくないんだ。所有しなくていいって最高に爽快だ。さっさと手放したくてたまらないよ」

画像: ハイザーの《Rock/Steel (岩/鉄)》シリーズの作品のひとつ。2022年にマンハッタンの西21丁目のガゴシアン・ギャラリーにて展示された。 INSTALLATION VIEW OF “MICHAEL HEIZER,” 2022, GAGOSIAN, NEW YORK © MICHAEL HEIZER, COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN. PHOTO: ROB McKEEVER

ハイザーの《Rock/Steel (岩/鉄)》シリーズの作品のひとつ。2022年にマンハッタンの西21丁目のガゴシアン・ギャラリーにて展示された。

INSTALLATION VIEW OF “MICHAEL HEIZER,” 2022, GAGOSIAN, NEW YORK © MICHAEL HEIZER, COURTESY OF THE ARTIST AND GAGOSIAN. PHOTO: ROB McKEEVER

 彼はその後も人々をあっと言わせるような規模の作品を展開している。ヴァンダー・ウェグいわく、彼の「コロナ禍中のプロジェクト」は、《Rock/Steel(岩/鉄)》と題された一連の彫刻で、2022年にガゴシアン・ギャラリーで展示された。サンアンドレアス断層の近くの採石場から、重量が最大で23トンにまで達するような岩石を掘り出し、角度をつけた鋼板にボルトで留めた作品だ。また、彼の最新の展覧会が今春、ガゴシアンで開催され、鉄製のフレームでできた二つの溝である《Convoluted Line A(ねじれた線A)》と《Convoluted Line B(ねじれた線B )》が展示された
─これらは《Nine Nevada Depressions(ネバダの9つの凹地)》を彷彿させるデザインだ─この二つの作品はハイザーの牧場でつくられ、大陸を横断して輸送されてきた。作品の狙いは、マンハッタンの西21丁目にある同ギャラリーのコンクリートの床に、あたかも実際に溝が掘られているかのように見せる点にある。彼の作品の巨大さや、派手な演出など一切ない、空間全体を使って表現したイン
スタレーションが放つ強烈な反商業主義。そして自作について語ることを拒否する彼の態度。そんなすべてを考慮すると、普通ならば、彼はアート界から無条件で崇拝されるような対象ではないはずだ。ハイザーの作品は、現代的なほかの美術作品よりも、洞窟の中に描かれた壁画や、メキシコ南部から中央アメリカ北部で栄えていたメソアメリカ文明時代の作品と共通する点が多い。ハイザーは、私にアート界についてこう語った。「必ず経済に翻弄されるんだよ。特に僕のような作品づくりをしていれば、ほかの誰よりも、もろに経済の影響を受ける。制作経費が膨大だからだ。作品を建設するのに、さまざまな機材に重機、材料や、現場で働く人員が必要なんだ。実に金のかかるビジネスだ。当然、そんなこと誰もやりたくないよ」

>地の果てに生きる奇才②へ

▼あわせて読みたい

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.