チリの海岸を舞台に現代の建築家たちが創造した数々の家。周囲に広がる風景さながらに荒涼で壮大なその家は、どれも見る者を惹きつけてやまない

BY MICHAEL SNYDER, PHOTOGRAPHS BY JASON SCHMIDT, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 チリの斬新で冒険心に満ちた建造物が世界に広く認知されたのは、この国の独裁が終焉を迎えてからだった。だがチリ建築界の最も重要な実験のいくつかは、じつはその数十年前から、オチョケブラーダスから海岸線を南に152㎞ほど下った場所で始まっていた。1970年、PUCバルパライソ校の建築学部と同校のリサーチ研究所の指導者たちは、砂だらけで独特の雰囲気をもった港町バルパライソから少し北に行った場所で、約1km²の土地を買い求めた。彼らはそこに「シウダー・アビエルタ」(「開かれた都市」の意)という共同体をつくり、急進的な理論の実践の場とした。

 シウダー・アビエルタの創設者たちのなかには、建築家のほかにアーティストや詩人もいた。創設後20年のあいだは、彼らはほかの大学とはあえて距離をとり、独裁の混乱にも関わらなかった。特に、海岸沿いに4〜5㎞下ったリトクの町にあった反体制派の政治犯を収容する刑務所には近づくこともなかった。そんな建築家たちの態度が、当時かなり批判を浴びたことも事実だ。共同体生活に重きをおいたシウダー・アビエルタは、ユートピア的な建築を試す実験場だった。形式ばった秩序よりも、観察し、即興で作品をつくることを重視した。共同体の住人たちは、芸術の形式や分野ごとの垣根を取り払うことを目指し、詩を起点として建築物や彫刻を創造した。

 そして創設して40年近くがすぎた今も、シウダー・アビエルタにある作品は永遠に建設中のままだ。住人が使える建物は14棟ある。なかにはワークショップを行う教室や、会議場、住宅などがあり、常時人が住んでいる建物もあれば不定期に人が泊まる建物もあり、それらが荒野に点在している。木材やキャンバス地の布や煉瓦でつくられた建造物は、まるで風が描いた地図のように複雑で自然発生的だ。

教授であり建築家である67歳のパトリシオ・カラベス・シルバの自宅は、ラ・アルコバにある。その天井はカヌーの胴体部分のような盛り上がった曲線でできており、窓は外の風景を縁取るためではなく、採光をコントロールするために取りつけられている。この家も、イスキエルドの設計した「カーサ・モリロス」のようにあらゆる方角に面している。「もし建物に玄関部分があるとすると、ほかの部分は単にその結果ということになってしまう。物事のひとつの側面だけを見るのは、この世界で最も不自然なことだよ」とシルバは言う。

画像: スミルハン・ラディックがデザインした「正しい角度について書かれた詩のための家」。ボリビア産の針葉樹材に囲まれた居間に、鋭角の明かり取り窓を通して日光が差し込む。《ドローイング》と題されたマルセラ・コレア作の彫刻が1960年代の椅子の上に吊り下がり、スリップカバーがかかったソファが暖炉に面している

スミルハン・ラディックがデザインした「正しい角度について書かれた詩のための家」。ボリビア産の針葉樹材に囲まれた居間に、鋭角の明かり取り窓を通して日光が差し込む。《ドローイング》と題されたマルセラ・コレア作の彫刻が1960年代の椅子の上に吊り下がり、スリップカバーがかかったソファが暖炉に面している

 バルパライソの建築スクールが提示した数数のアイデアは、シウダー・アビエルタ以外の場所でそのまま採用されることはほとんどなかったが、PUCのオヤルスンは「彼らのアイデアは、チリ国内のすべての建築学部にじわじわと浸透していった」と言う。プガの建てたバイアアスールの家は、シウダー・アビエルタでは決してお目にかからないであろう“拒絶”をその建築の存在意義としているが、地質調査のプロセスを通して、この家の最終形態はいっそうの進化を遂げた。

「カーサ・シエン」の設計図は、ラ・アルコバの家よりもさらに厳密さを追求したものだが、どちらも限られた材料を使い、力強い個性を表現しているという点で共通している。チリの新世代の建築家たちは、文学的で抽象的なものよりも、目の前の現実に焦点を合わせている。だが、オヤルスンに言わせると、彼らの作品は「バルパライソの学校が建築の特質だと考えていた詩的な側面」を継承しているのだという。

 

This article is a sponsored article by
''.