BY NIKIL SAVAL, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO
デザインとは本質的に未来を示唆するツールだ。作家マギー・グラムが指摘しているように、1960年代のモダンデザインの立役者たちは、“構想”とほぼ同じ意味で“デザイン”という言葉を頻用した。構想と同様にデザインとは、未来にもっとも密接に結びついた職業分野だったからだ。この点は今も変わらないが、20世紀の間ほぼずっとユートピアと同義だった“未来”は、21世紀に入ってから徐々に、陰鬱な影に覆われるようになった。次々と危機に直面する地球で、デザインの今後の役割を考えるうえで、まずその多義性について述べておきたい。デザインは時代ごとに、デッサンや建築を指すことも、プロダクトやグラフィックを意味することもあった。実際のところ、自然の創造物(インテリジェントデザイン《註:知性ある何かが宇宙や生命を創生したという説》という滑稽なコンセプトもここに加わる)以外のすべてがデザインなのだ。
インダストリアルデザインという職業は20世紀初めに生まれたが、その定義はおぼろげで、あらゆる目的を掲げていたため、デザイナーたちは自らをほぼ万物の創造主のように感じていた。さらにその黄金時代である20世紀半ばのインダストリアルデザイナーは、彼らだけが壮大な革命の鍵を握っているかのような物言いを好んだ。1969年、チャールズ・イームズは「デザインにおいて限界はありますか?」という質問を受けた。パートナーのレイと、椅子、おもちゃ、建築物、映画、展覧会のほか、多少なりともコミュニケーションの本質までデザインした(註:コミュニケーション理論を解説する映像作品も手がけている)彼はこう答えた。「問題に際限などありますか?」
新型コロナウイルス感染症が爆発的に流行し、世界の大部分がシャットダウンされる直前まで、数カ月にわたり多くの美術館ではデザインの未来について探り始めていた。増加する温室効果ガスの排出量をどうにか抑えなければ、壊滅的な温暖化を招くという不安が示す“実存的危機”を前に、これからのデザインはどうなるのだろうかと。2019年に出版された『地球に住めなくなる日』の著者、デイビッド・ウォレス=ウェルズは、地球の広域が荒れ果て、海岸線や島々は浸食され、大量の動植物が絶滅し、無数の人間が命を落とすというシナリオを描いている。つまるところ、近年のあらゆるデザインは、かつては想定する必要などないとされてきた問題に直面している。「描くべき未来がないのに、未来のために何をデザインするのか」と。
この危機的状況を美術館という組織で考察した展覧会のひとつが『Designs for Different Futures(異なる未来のためのデザイン)』だ。現在、シカゴ美術館、フィラデルフィア美術館、ミネアポリスのウォーカー・アート・センターで共同開催されている。ここに描かれた未来は、パンデミック前に想定されたため、疫病よりも、気候変動、戦争、難民、監視社会に焦点が置かれている。フィラデルフィア美術館の展示作品で特筆すべきは《Resurrecting the Sublime(崇高なるものの再生)》(2019年)だろう。バイオテクノロジー企業「ギンコ・バイオワークス」と知覚経験を研究する「インターナショナル・フレーバー&フレグランス」社後援のもと、合成生物学者クリスティーナ・アガパキス、アーティストのアレクサンドラ・デイジー・ギンズバーグ、匂いの研究者でアーティストのシセル・トラースが、約200年前に絶滅した花の香りを再現した作品だ。このインスタレーションが喚起するのは「オルベキシリウム・スティプラトゥム(Orbexilum stipulatum)」、別名「フォールズ・オブ・ザ・オハイオ・スカーフピー(Falls-ofthe-Ohio scurfpea)」という顕花植物固有の香りである。3つの巨大な石灰岩が並んだ、2枚のガラス壁が囲うシンプルな空間にはムッとするような匂いが立ち込め、それが殺風景な美術館の中にまで漂っていた。ケンタッキー州のルイビル市近くに流れるオハイオ川の、今は水底に沈んだロック島で、この花が最後に目撃されたのは1881年のこと。バッファローの生息する環境が生育条件であったこの植物は、バッファロー乱獲のために絶滅したと考えられている。
この作品が示すのは、「より快適な環境を求めるうちに、環境そのものを破壊した」という現代デザインの根底にあるパラドックスだ。この皮肉を念頭に置くと、今春の新型コロナウイルス感染症の爆発的流行が、デザイン業界ににわか景気をもたらしたのは至極当然なのかもしれない。株式市場や気候ではなく、感染状況に揺り動かされる昨今、建築家、都市プランナー、商品開発者は、公園や家、オフィスに新たなデザインを施した。3月には建築デザインのウェブマガジン『Dezeen』で、ウクライナの建築家兼デザイナーのセルゲイ・マフノが「今後はアパートよりシェルター風ハウスが人気を呼び、量産志向は廃れ、小規模農業やあらゆるものの自給自足が注目される」と予見していた。
ここニューヨークは、人々が肩を寄せ合い、上下に積み重なる住居に暮らすように設計された街だが、コロナ以降、地下鉄、公園の芝生の丘といった、都市生活のありふれた要素が突然回避すべき危険に変容した。ロックダウンの解除後は、こんなふうに変容したエレメントこそが、周囲の変化に影響を受けるデザインの象徴となっている。約2mのソーシャルディスタンスを保つため、公園にチョークで描かれた白い円がその一例だ。デザインのせいで都市が過密化し、ニューヨークでの感染拡大が加速したのなら、この危機をきっかけに、デザインはよりよい都市環境を目指すようになるかもしれない。
もうひとつの展覧会は、ニューヨークのグッゲンハイム美術館における『Countryside, The Future』(コロナ禍でニューヨークの文化施設は閉鎖を迫られ、3月以降休館となった)だ。建築家のレム・コールハース率いる研究機関兼シンクタンクの「AMO」が企画し、ポストヒューマンの世界における人類のデザインをテーマとしている。館内にくまなく展示されていたのは、都市以外の地域である“カントリーサイド”に関する、図表やオブジェ、エフェメラ(註:一時的な印刷物、本来長期保存されないもの)と写真にデータ。室内農業で栽培するチェリートマトにいたるまで、気候変動の終末論的側面をのぞくあらゆる事柄が、仔細なデータに基づいて考察されていた。
コールハースと彼のパートナーたちは「人類の大半は都市に集中し、地球上の残りの98%の土地は非都市域にあたる」という事実に衝撃を受け、さまざまな理由で放棄された半ば無人の地にスポットを当てることにしたそうだ。なかでも目を引いたのは日本の高齢農業者が筋力補強のために装着する“軽量パワーアシストスーツ”、ドイツやイタリアの難民危機の写真、観光客慣れしたウガンダのマウンテンゴリラなどだ。迫り来る温暖化はやはり避けては通れないテーマであり、中央シベリアの永久凍土融解を示唆するケナガマンモスの骨のレプリカが展示されていた。凍土融解が続けば、2030年頃には大気中の二酸化炭素濃度が驚異的に上昇し、気候危機を超えた悪夢が起きることになるという。
希望を抱いて未来を描こうとしても、絶望的なシナリオにしかたどりつけない今、コンテンポラリーデザインは自らを否定して別方向を向くしかない。2019年に『Lo-TEK Design by Radical Indigenism』(ローテク:レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースが1977年に竣工した、金属の内部構造がむき出しのパリのポンピドゥー・センターが代表する“ハイテク”デザインムーブメントの対義語。昔ながらの建築方式の意味もある)を出版した、アーバンデザイナーで活動家のジュリア・ワトソンは、世界各地の土着民族に知恵を借りようとしている。多くの民族が、長い年月をかけて気候災害や不測の事態に対処する方法を培ってきたからだ。ワトソンは、インドのメガラヤ州にある生きた根を編んで作った橋や、ペルーのチチカカ湖周辺でインカ人が営んだ高度な灌漑農業などについて研究を続けている。
いっぽう先述の『異なる未来のためのデザイン』展では、未来をありありとイメージした“ハイテク”な作品に出会った。たとえば、公園のベンチの下にくっついたガムからDNAを抽出して人間をクローン化できるようになるかもしれないというアイデアだ。かたや“ローテク”派は、未来を生き抜くための知恵は、省エネルギーの、古代から続く伝統的な方式に刷り込まれていると考える。ハイテク、ローテクにかかわらず、あらゆるデザイナーが、ロボット化が進み、動植物の多様性を失い、自然とテクノロジーの調和を欠いたこの世界の未来について思いを巡らせている。いつまでこの世を“社会”と呼べるかはわからないが、今は社会全体が、温暖化が招く気候危機に対して心の準備をしている。
デザインと密につながった未来の間に大きな不協和音が生じたのは、環境保護運動が始まってからだ。それ以降、浄水、安定した食料供給、澄んだ空気といったものの尊さを軽視したデザインに対す
る非難の声が上がるようになった。1969年に出版された『Design With Nature』は20世紀後半における環境プランニングの先駆的著作だ。ランドスケープ・アーキテクトである著者のイアン・マクハ
ーグは、将来を予知するかのようにこう綴った。「人間とは知覚し、表現できるという独特の意識を備えた生き物である。こうした人間こそが生物圏の監督役を務めなくてはならない。そのために自然と一体となってデザインする必要がある」。この予言的な側面は、本書の趣旨でもマクハーグの意図したことでもない。彼はただランドスケープ・アーキテクトに、公園や庭園を思いのままにつくるのではなく、土地環境と共生できるデザインをしてほしいと願ったのだ。彼の代表的なプロジェクトは、ヒューストンから約48㎞北にあるウッドランド・コミュニティ(1974年)だ。富裕層向けの郊外住宅地とは違う、あらゆる階層の人々が暮らせる住宅街を、水循環の復元と保全を目指した地域内に設計した。
1970年代まではデザインが絶対的な力を掌握し、それがどんな大きな問題を引き起こすものであろうと受容されていた。その一例が、失敗に終わった「ミネソタ実験都市計画」だ。設計者は名前からしてSF的なアセルスタン・スピルハウス。リチャード・バックミンスター・フラーの影響を受けた、マサチューセッツ工科大卒の博学者である(フラーにジオデシックドームの建築を依頼したのも彼だ)。スピルハウスが計画したのは人口25万人の、あらゆるものをリサイクルする都市だ。彼は、都市圏内に入った自動車がエンジンを切って、誘導レールに乗るという輸送システムまで考案した。プロジェクトは連邦政府の資金と企業支援を受けて、ミネソタ州北中部の無人に近い湿地帯に建設されることが決まった。だが最終的に、環境保護論者と地元の不動産所有者がこの“野生の大地を犠牲にした未来のユートピア構想”に抗議し、計画は白紙に戻された。
環境プランニングと環境保護、進化するテクノロジー。環境とテクノロジーは、ここ10年のデザイン哲学において常に拮抗してきた。テクノロジーは問題の解決に役立ったのか。それとも環境の敵でしかなかったのか。60年代のカウンターカルチャーマガジン『Whole Earth Catalog』の創刊者で、バックミンスター・フラーに強い影響を受けたスチュアート・ブランドも、以下の有名な序文(1968年)でこの問題に触れている。
「われわれは神のように、善処すべきだろう。これまでは、 政府、大企業、学校教育、教会などの枠組みを通して、間接的に権力を駆使し、栄光をつかんできたが、そこにすがりすぎた結果、実際の利益より大きな欠陥を生み出した。このジレンマに抗い、利益をもたらすために、私的で個人的な力の世界が生まれようとしている。それは個人が自らを教育していく力、自らのインスピレーションを見つける力、自らの環境を形づくる力、そして関心を寄せてくれる誰とでも自らの冒険を共有する力が生み出す世界だ」
人類の想像力とデザインの絶対権力について触れた前半は、この序文でもっとも頻繁に引用されるフレーズだ。後半は、デザインの権力や、枠組み内の集団行為より、個人の行動と地道な努力の大切さを語っている。
最終的に、やみくもに都市計画を推し進めてきた技術官僚と、個人的で実験的な理念に基づいた環境保護運動との対立は緩和した。アメリカにおける複数の運動は功を奏し、1963年には大気浄化法が制定、1970年には環境保護庁が設立された。こうしてミネソタ実験都市が模索していたさまざまな公害問題の解決策が見いだされた。だが当時の誰が将来、温室効果ガスの排出問題が起き、排出量が規制基準を超過することになると想像しただろう。触媒コンバーター(註:ディーゼル車などの排出ガスに含まれる一酸化炭素を浄化する装置)の普及によって空気中の一酸化炭素は浄化できるようになったが、結局、一酸化炭素が二酸化炭素に変換されているだけだった。
未来を予知する現代デザインには、テクノロジーの可能性に対する強い関心と、懐疑心が見え隠れする。『異なる未来のためのデザイン』展で唯一明るさを漂わせていたのが、アンドリュー・ペリング、グレース・ナイト、オーカーン・テルハンによる2019年の作品だ。円形のダイニングテーブルに並んだ食べ物のひとつが《Ouroboros Steak(註:ウロボロスは自らの尾を呑み込んで環となった蛇、転じて無限の意)》。レジンの中に閉じ込められているのは、ヒト細胞から作られた赤い肉だ。世界中に食料を供給するため、農業生産システムへの負担が増すなか、最終手段として人体から食料を作る、つまり自分自身を食する日が本当にやってくるのかもしれない。かたやジェネレーティブデザイン(註:人間とコンピュータが共同制作したデザイン)を提案したのはライアン・マリオ・ヤシンである。彼は子どもが大きくなるにつれて“成長する”子ども服のブランドを昨年ローンチした。ホバーマンスフィア(註:畳んだり広げたりできるカラフルなボール)に似た構造と、再利用したゴミ袋のような見た目の服は伸縮性があり、小さく縮めることも、子どもの成長に合わせて大きく伸ばすこともできる。
「特にこの分野に関心がなくても、現在の農業システム研究における二大課題はご存じでしょう」。『Countryside, The Furure』展のカタログで、レノラ・ディッツラーはこう切りだしている。彼女
は、デジタルシミュレーションで食料生産を計画する“ピクセルファーマー”だ。
「人口過多な世界でいかにすべての人に食料を供給するか。人が住めない地球にならないようにするには何をすべきか。課題はこのふたつです」。ディッツラーは、今の農業の単一栽培や地力の低下を招く生産方法を非難し、広い面積も列状の栽培も不要な生物“多様性を守る農業”を提案する。農地をピクセルのように非常に細かい区画に分け、同時に多様な植物を育てることによって、化学肥料の使用量も軽減できるそうだ。
デザインとは椅子やインテリアのスタイリングのようなものだと思っている人にとって、こうしたテーマやアイデアは無関係なもののように見えるだろう。だがデザイナーや建築家は常に、専門分野
の最先端技術を追いつつ、同業者の大半(または多くの大家)が、化石燃料依存から脱却した新しい社会を目指す流れに乗るのか、乗らないのかを注視している。ペンシルバニア大学で環境設計を教えるビリー・フレミングによるエッセイ『Design and the Green New Deal(デザインとグリーン・ニューディール)』が昨年からあちこちに出回っている。フレミングはその中で、気候問題の抜本的な課題に取り組みもしないで“環境保護”を謳うデザイン界の現状を批判している。「遊び心のあるデザインなど不要だ。私たちが希求するのは、根本から揺り動かすような大胆な建築プロジェクトだ。約束どおりの明るい未来を取り戻すために、その基盤となるプロトタイプが必要なのだ」
人々は早くからコロナ危機と、迫り来る世界異変の回避策を模索し始めたが、デザインにそうした対処はできない。いくつもの事例を見てわかるとおり、デザインは現実問題と密接につながっていながら、長期的な見通しができないのだ。Covid-19とは結局、SARSやエボラ出血熱と同じ人獣共通感染症だ。過耕作と過剰開発によって動物の生息地が縮小され、本来人間が接触すべきではない野生動物と、家畜とが近づきすぎたために発生したともいわれている。過剰開発はデザインが大きく関与した問題であり、解決はほど遠いが、少なくともデザインの創意がソーシャルディスタンスや隔離に関する一時的な措置を生んだ。イタリアでは人々が距離を置いて集えるように広場を複数のスペースに区切り、ほかにはプレキシガラスの保護パネルや、2mおきに座るスペースを設けたレジャーシートといったものも生まれた。だがこうした表層的なデザインなど、世界各都市のおびただしい感染死者数を前にすると微々たることでしかない。
そもそも、住宅不足が深刻化し、居住面積はどんどん狭くなるのに、払うのも困難な法外な家賃を請求するような住宅市場の形成を促したのは、現代デザインなのだ。もしもデザインがこれまで常に前を向き、将来が過去よりよくなることを願ってきたのなら、今こそ後ろを振り返るべきだろう。発展と成長を遂げたにもかかわらず、過去より現在が暗転していることを悔やみ、省みるべきだ。デザインは人々の生活を改善するだけでなく、デザインそれ自体の存在意義を抜本的に変えなくてはならない。私たちに必要なのは、ちっぽけなアイデアが生むような未来ではない。デザインが加担してつくり上げたディストピアと、そこにはびこる人種、地理、言語、階層の格差や差別も打ち崩すような、壮大な構想に基づいた未来だ。今デザインに求められているのは、よりよい生活をもたらすことだけではなく、私たちが生き残るための道を指し示すことなのだ。