「一枚の布」── イッセイ ミヤケが1970年代から大事にしてきたこの服作りの考えが、4月に開催されたミラノデザインウィークで大きな飛躍を遂げた。コロナ禍に誕生し3年目を迎えたばかりの新ブランド「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」が、ベンチャー企業、Nature Architects社の設計技術を使って、誰も見たことのない新しい服づくりを誕生させた

BY NOBUYUKI HAYASHI

画像: ミラノデザインウィーク開幕に合わせてISSEY MIYAKE / MILANで展示が始まった「THINKING DESIGN, MAKING DESIGN: TYPE-V Nature Architects project」。そのハイライトは、新しいプロジェクトによって誕生した、たった1つのパーツだけで作られた新しいメンズジャケットと、その元となったカエデの葉のような形の布パーツだ © ISSEY MIYAKE INC.

ミラノデザインウィーク開幕に合わせてISSEY MIYAKE / MILANで展示が始まった「THINKING DESIGN, MAKING DESIGN: TYPE-V Nature Architects project」。そのハイライトは、新しいプロジェクトによって誕生した、たった1つのパーツだけで作られた新しいメンズジャケットと、その元となったカエデの葉のような形の布パーツだ

© ISSEY MIYAKE INC.

 カエデの葉のような不思議な形に裁断された布。これにアイロンの蒸気を当てると、あらかじめ織り込まれた折山線が三次元に折り畳まれ、立体的に造形したい箇所が設計通りに丸まって変形を始める。あとはここに最小限の縫製を加えればジャケットができあがる。

 イッセイ ミヤケが追求してきた「一枚の布」の理想が大きな飛躍を遂げた。「既成の枠にとらわれない自由な発想を、粘り強いリサーチと実験を経て実現」──イッセイ ミヤケの親会社、三宅デザイン事務所のホームページにはこんな言葉が書かれている。

 「A-POC ABLE」は、まさにこの「粘り強いリサーチと実験」をするブランド。宮前義之さん率いるエンジニアリングチームによって2021年3月に結成された。以来、横尾忠則さんや宮島達男さんといったアーティストとアートピースのようなブルゾンを作ったり、SONYとは同社が開発した米の籾殻が原料の色褪せしない黒色素材「トリポーラス」のアイテムを、3Dプリンターで靴作りをするmagarimonoとは同社の技術を取り入れた新しい草履を作るなど、常に新しいチャレンジを続けてきた。

画像: 展示が行われたのは19世紀の邸館を修復した「歴史」を感じさせる外観と、「未来」を象徴するアルミニウムの内装が印象的なイッセイ ミヤケのイタリアの旗艦店 ISSEY MIYAKE / MILANで、衣服が展示されている横に台が設置され展示が行われていた。こちらは新技術で照明を作るアイディアの展示 © ISSEY MIYAKE INC.

展示が行われたのは19世紀の邸館を修復した「歴史」を感じさせる外観と、「未来」を象徴するアルミニウムの内装が印象的なイッセイ ミヤケのイタリアの旗艦店 ISSEY MIYAKE / MILANで、衣服が展示されている横に台が設置され展示が行われていた。こちらは新技術で照明を作るアイディアの展示

© ISSEY MIYAKE INC.

 そんなブランドの創立2周年となるプロジェクト。宮前さんは「あえて(ファッションの領域ではなく)デザイン業界のイベントで発表したかった」と語っている。

 2023年4月、ミラノデザインウィークの初日、旗艦店「ISSEY MIYAKE / MILAN」で「THINKING DESIGN, MAKING DESIGN: TYPE-V Nature Architects project」という特別展示が開幕した。このプロジェクトで共に取り組んだのは独自のアルゴリズム設計技術を持つNature Architects社。

 展示されていたのは両社の協力で誕生した新しい製法のジャケット、開発過程で作られたドレスやイス、照明、そしてその元となったテキスタイルなどだ。いずれも製品ではなくプロトタイプだが、両社は販売できる製品の開発に向けさらなる協力を進めている。プロジェクトの成果は今後、イッセイ ミヤケどころか、テキスタイル業界そのものを一変させる可能性を秘めている。

画像: 1998年に誕生した「A-POC」は「一枚の布」に織る段階から服の設計図を組み込んでしまうという画期的な技術。今、ファッション業界で問題になっている「衣服ロス(裁断くず)」も少ない Animation: Pascal Roulin / © ISSEY MIYAKE INC.

1998年に誕生した「A-POC」は「一枚の布」に織る段階から服の設計図を組み込んでしまうという画期的な技術。今、ファッション業界で問題になっている「衣服ロス(裁断くず)」も少ない

Animation: Pascal Roulin / © ISSEY MIYAKE INC.

画像: 「TYPE-V Nature Architects project」で最初に作られた円のパーツから半球を作るための布。布に最初から円形のパーツが象られていることがわかる。右側のドレスはそのパーツを身体の線に沿ってまとわせたもの。左のイスは2つのパーツを縫い合わせて球を作った後、それを凹ませている © ISSEY MIYAKE INC.

「TYPE-V Nature Architects project」で最初に作られた円のパーツから半球を作るための布。布に最初から円形のパーツが象られていることがわかる。右側のドレスはそのパーツを身体の線に沿ってまとわせたもの。左のイスは2つのパーツを縫い合わせて球を作った後、それを凹ませている

© ISSEY MIYAKE INC.

 では、この新しい製法、いったい何が革新的なのか。イッセイ ミヤケのこれまでの取り組みをなぞりながら紐解きたい。従来の洋服ではデザイナーによる服のデザインを元に、パタンナーと呼ばれる人が襟や袖、腹部を覆うパーツ、背中を覆うパーツといったパーツの型紙を用意。その型紙でテキスタイルからそれぞれのパーツを切り出し、ひとつに縫い合わせて服を作る。

 これに対してイッセイ ミヤケの服作りは、できるだけ手を加えない「一枚の布」で身体を纏うことを理想として掲げてきた。その理想が大きく前進したのが、ちょうど25年前の1998年。この年、イッセイ ミヤケは「A-POC(A Piece of Cloth)」という画期的な製造技術を開発した。糸をコンピューター制御し、あらかじめ服の設計図が組み込まれた布を織るという製造法だ。この技術で織られた布には、一枚一枚に衣服の各パーツのカットライン(切り取り線)も糸の種類や織り方の違いで最初から布上に表現されている。つまり、型紙に頼らずに各パーツを切り分けられる。布を織り上げた時点で、服づくりが半分完成しているのだ。

 宮前義之さんは、この技術に衝撃を受けてイッセイ ミヤケに入社を決めたデザイナーの1人だ。その宮前さん、2011年の秋からはパリコレクションでのISSEY MIYAKEのブランドを任されるが、翌2012年春に発表したコレクションは世界的に大きな注目を集めた。蒸気を当てるとプリーツ形状に縮む新素材、Steam Stretchを採用したコレクションで、ランウェイ上でスタッフが登場し、四角い布がスチームアイロンの熱によってさまざまなフォルムのドレスに変容するプロセスをプレゼンテーション形式で行い、話題となった。

 イッセイ ミヤケの衣服と言えばプリーツマシーンによる「製品プリーツ」がよく知られるが、宮前さんは、そのイッセイ ミヤケのプリーツの歴史に加わる新しい製法としてSteam Stretchを開発、その後もこの技術を追求し続けていた。ただ、布をどのように変形させたら良いかを想像しようにも、人間の頭で想像できる範囲には限界がある。これまでは連続する三角形や四角形など一律の折り構造を考えて、服のパーツ内に幾何学的なプリーツ形状が表現できたとしても、立体的なフォルムを造形していくには設計技術として難易度が非常に高かった。これを変えたのが今回のNature Architects社との協業だ。

画像: Nature Architectsは変形する素材の設計図を描けるソフト、DFMを開発したベンチャー企業。こちらは横方向に潰すと、縦方向にも同時に潰れるという、同社の技術で作った自然界の物体にはあり得ない動きをするメタマテリアル ©︎ 2023 Nature Architects Inc.

Nature Architectsは変形する素材の設計図を描けるソフト、DFMを開発したベンチャー企業。こちらは横方向に潰すと、縦方向にも同時に潰れるという、同社の技術で作った自然界の物体にはあり得ない動きをするメタマテリアル

©︎ 2023 Nature Architects Inc.

 Nature Architectsは変形など自然界の物質には無い振る舞いをする人工物質、「メタマテリアル」で製品設計をするためのコンピューターソフトウェア、「Direct Functional Modeling(DFM)」を開発している。どのような製品を作りたいのか、その最終形を入力すると、そこから逆算して、材料をどのような形で用意すればいいか、どのように変形させればいいかを計算して導き出してくれる。今回、Nature Architectsは、このDFMをSteam Stretchの変形に対応させた。

 それを使って生み出されたのが冒頭で紹介した、たった1つのガーメントピース(服のパーツ)だけでできている新しいメンズジャケットのカエデの葉のようなカットラインだ。元々、A-POCで作られた服は他の衣服と比べて圧倒的に少ないパーツで作られていたが、このプロジェクトではDFMの計算で、ついにパーツ点数1点の服が作れるようになった。これはSteamStretch技術にとっても、「一枚の布」の理念にとっても大きな飛躍だ。

画像: Nature ArchitectsのDFMによって円形の布を半球にする設計図を導き出しているところ ©︎ 2023 Nature Architects Inc.

Nature ArchitectsのDFMによって円形の布を半球にする設計図を導き出しているところ

©︎ 2023 Nature Architects Inc.

画像: 円形パーツから半球を作る実験をしているプロジェクトのメンバー。左からA-POC ABLEのエンジニアリングチームの中谷学さん、高橋奈々恵さん、デザイナーの宮前義之さん、Nature Architectsの最高研究責任者、須藤海さん、同代表取締役CEOの大嶋泰介さん。円形のパーツが変形を始めた時には歓声があがったという © ISSEY MIYAKE INC.

円形パーツから半球を作る実験をしているプロジェクトのメンバー。左からA-POC ABLEのエンジニアリングチームの中谷学さん、高橋奈々恵さん、デザイナーの宮前義之さん、Nature Architectsの最高研究責任者、須藤海さん、同代表取締役CEOの大嶋泰介さん。円形のパーツが変形を始めた時には歓声があがったという

© ISSEY MIYAKE INC.

 A-POC ABLEとNature Architectsのメンバーによって構成されたプロジェクトチームは、まずは球を作ることから挑戦したという。丸く切り取った紙から半球を作れるか、想像してほしい。不可能と答える人が多いはずだ。

 しかし、収縮する糸としない糸を混ぜて織るSteam Stretchの布を蒸気で変形させれば、これができるのだ。そのことはわかっていたが、これまで2種類の糸をどのように配置すればいいのかがわかっていなかった。しかし、DFMによって、その形がわかった。そこでチームは実際にその通りの布を織り、円に切り取った布に蒸気を当てた。するとこれが徐々に膨らんで半球ができあがった。この時、プロジェクトチームでは歓声があがったという。

 チームは、その半球を女性用のドレスにしたり、2つ縫い合わせて球を作ったり、その球を凹ませてイスや照明カバーにする案も模索した。ミラノの展示では、そうした案も展示しており、いずれは建物のような大きなものも作れる可能性を示唆していた。この応用の広さこそが、宮前さんが、この技術をミラノデザインウィークで発表することにこだわった理由だろう。

 イッセイ ミヤケが追い求めてきた「一枚の布」の理想は、25年の時を経て再び「A-POC」によって大きな飛躍を遂げたが、この飛躍はイッセイ ミヤケの理想を、ファッション業界の外にまで広げるきっかけになりそうだ。

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